名古屋にいる学友Aさん[ブログ名=団塊太郎の徒然草]が杜瀞蕗に逢いに来た。
神奈川県に住む娘さんの処にきているので、杜瀞蕗が住むまちを観てみたいと云うことで。
駅に迎えに行き、家までを観ながら、「ここは~。」などと説明をしながら、ぶ~らぶらと。
このブログを観ているので、杜瀞蕗さまが住む家・売りに出ている隣の佇まいを観て、我が家に。
Aさんは学生時代、ある文科系クラブに所属していた。
卒業してから、クラブの歴史を後輩に伝えなければと思いたって、さまざま調査したが、会報などを含めて古い資料が部室に残っていなかったという。
当時の部員を当たり、その部員が知っている先輩を電話や直接訪問して、2年がかりで名簿が完成したという。
「OBだ」といっても、現部員たちは怪訝そうに口を開き、電話では怪電話対応であり、本当だということを判ってもらうために、Fax送信して、信用させたという。
今日のご時世のことだ、あやしい電話、勧誘と間違えられやすい。
そうしてやっと出来上がった名簿や部活動の歴史記録は、創部60周年のときに大学に寄贈した。
今では約600名程が名簿に載っている。
学生時代で青春を過ごしても部の記録が残り、語り継がれる部はそう多くはない。
運動部はしっかり継がれてきているが、文化部系ではなかなかそうはいかない。
創部始者がまだ生きていて、北海道にいたという。学徒動員で戦争に行った年代の人達だ。
歴史が現実感を覚えさせてくれたという。
正に歴史そのもの、人生が投影されている。
「誰かが部の歴史や名簿更新をしてくれているだろう」は禁物だ。
みんな、社会に巣立ち、もまれ、生きて行くのに精いっぱいの現役時代に、青春の記録など忘れ去ってしまいがちだ。
国の歴史にしても、家系にしても、職場にしても大同小異だ。
振り返ったときにどんな歩みをしてきたのか、その足跡を後世に残し、語り継ぐのは現役の者や定年後に生きる者の責務だということを実感させられたAさんの訪問だった。