倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

倭国への道

2007-03-23 00:57:19 | 歴史
 大陸からの倭国への道で最も有名な道は、魏志倭人伝に書かれた「朝鮮~対馬~壱岐島~末慮国(まつろくに・今の唐津あたり)」であろう。
これまでにこの海の道については何度か書いてきた。昨年の10/9付けブログ「古代海路と越前クラゲ」、同6/25付けで「海の道、高句羅~越の国」などで述べてきた。要約すると、倭国への道は大きく分類して三つの道がある。その一つが黒潮に乗って倭国へ辿り着くルート、これは幅広く西は九州西海岸から四国、遠くは関東までに及ぶ。次が大陸からの道として朝鮮半島からの魏志倭人伝コースであり、次が新羅や高句羅から親潮に乗って山陰地方から越の国に至るコースである。そしてこれらの三つのルートがそのまま古代倭国の三つの王朝に関わったのではないかと言うのが私の仮説である。今一度少し具体的に書くと、黒潮ルートが天孫族、親潮ルートのうち新羅からが出雲王国、高句羅からが越の国をそれぞれ造ったと考えている。そして黒潮コースで九州に邪馬台国を造った天孫族が、後に魏志倭人伝コースを使って百済との関係を密にしていったのではと想像している。前回のブログでも「イスラエルの失われた支族の有る一族は、黒潮に乗って倭国に辿り着き・・・・・」と言う話をした。
私のこの仮説を裏付ける著書が、既に発行されていたことを最近知った。それは岩田明氏が学研社から発行している「消えたシュメール王朝と、古代日本の謎」と題した著書である。初版の発行が2004年3月20日と、まだホヤホヤの本である。著者の岩田氏は某大手海運会社の航海士として世界中を回った折に、アラビアからインド洋を経て日本に至る航路の港に立ち寄った時、港で出会った風俗習慣の中に、日本のそれと酷似している物が多い事に気がついた。中近東の文化が陸のシルクロードだけでなく、この海のシルクロードを経て古代日本に伝わったのではないかと言う思いに取り付かれたことが、この本の出版になったとしている。その思いを航海士としての経験と知識を総動員し、更に氏の巾広い人脈を使い、大英博物館やルーブル博物館の資料を基に、紀元前のシュメール人が乗っていた葦の舟を見事に復元する事に成功したのだ。そして航海士である氏がその舟を自ら操って、インド洋を経て日本までの苦難の航海を実践し、古代船による中近東から倭国への海のシルクロードの航海が可能であったと言う仮説を、見事に証明したのだ。
本の内容は後半がこの航海日誌で占められているが、前半は「シュメール王朝が、海のシルクロードを使いインド洋から太平洋に出て、黒潮に乗って倭国へ辿り着き、天孫族となって大和王朝を築いた」と言う説を展開している。更に素戔鳴尊を取り上げ、この神は朝鮮半島経由で倭国に入り、出雲の国を造ったとしている。
どうだろう。私の仮説と違うのはイスラエル人がシュメール人になっている事だけだ。シュメール人とはチグリス川とユーフラテス川の河口に、紀元前5000年・今から7000年前に(エジプトより2000年古い)、人類最初の文明を築いた民族で、楔形文字の発明で有名である。しかし紀元前2000年にシュメール文明は、この地上から忽然と姿を消した。それからおよそ800年後、今のイスラエルの地にヘブライ王国が建設された。ヘブライ王国を作ったイスラエルの民はユーフラテス川の上流からエジプトに渡り、その後イスラエルの約束の地にヘブライ王国を造った事を考えると、忽然と消えたシュメール人と何らかの繋がりがあっても不思議ではない。イスラエルの人々が高貴な人をスメラ(シュメールが変化した?)と言い、スメラミコト=天皇となったと言う話が妙に引っかかる。
ここではシュメール人とイスラエル人との関係は、想像の域を出ないのでこのくらいにしたい。
古代舟による中近東から倭国への民族の大移動は可能であったと言う、岩田氏の実験航海の成果を基にすれば、古代船がメソポタミアからインド洋を経て苦しい航海の末太平洋に出た後、黒潮に乗って北上し季節風の関係で九州を通り過ぎ、漸く四国の淡路島に辿り着いた可能性は十分に考えられる。
淡路島への上陸を前にして、古代船の船首にはイザヤの子を名乗るイザナギ(伊邪那岐命)が立っている。そして倭国侵略に思いをはせる‘命’の姿が目に見えるようだ。
               

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1 コメント

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アブラハムはシュメール人 (せぶん)
2014-10-11 16:40:57
もうお気付きかもしれませんが

アブラハムはシュメールのウルという町の生まれで
そこからタガマハランに移住し、さらにカナンに移住しています。

父のテラの奥様、つまり母上はシュメール人。
アブラハムの奥様のサラもシュメール人。
息子のイサクも、カナンの娘ではない人を探していて
結局、アブラハムの兄ナホルの孫のリベカと結婚して
います。
血統的にはイスラエル民族はセム系とシュメール人の
混血です。むしろシュメールの血の方が濃いです。

ついでにですが、出雲に富氏といわれる一族が
いらっしゃって
先祖の伝承を口承で伝えているのですが
クナト一族はシュメールから4000年前にでて
でシベリアからサハリン、北海道を経て
日本にやってきたとのこと。
このクナト一族が大国主一族ではないかと
思うのですが。
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