倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

諏訪大社に見た出雲の国譲りの真実

2006-10-22 23:24:12 | 歴史
 今年の春に出雲大社を正式参拝し、年内には諏訪大社に参拝すべく計画してきた。今回待望の諏訪大社を参拝する事ができた。
言うまでもなく諏訪大社は支社である諏訪神社が全国に6500社余が分布している、全国区的な神社の本社である。大社は、7年に一度行われる奇祭・御柱祭で有名であり、御祭神は諏訪様と呼ばれ親しまれている。
諏訪大社は他の神社と比べ大きく異なるのは、次の4社を合わせ諏訪大社と呼んでいることである。諏訪上社前宮、同じく上社本宮、諏訪下社春宮、下社秋宮の4社である。伊勢神宮が外宮と内宮に分かれている例があるが他には見ない様式である。4社とも皆立派な神社であったが、やはり上社の本宮は他の3社に比して大きく荘厳であり、今まで見た出雲大社や他の神宮に決して劣るものではなかった。そしてあの御柱が4社の凡てに4本づつ建てられていた。丁度地鎮祭などで竹4本を立て注連縄を張り祭壇を作るように、拝殿を囲むように4本の御柱が立てられていた。
諏訪の上社には古事記の国譲りで天孫族の建御雷神と力比べをして敗れた、出雲王国の王・大国主命の子、建御名方神(たけみなかたのかみ)が祭られ、下社には妻の八坂刀売神(やさかとめのかみ)が祭られている。上社が諏訪湖の南側、下社が諏訪湖の北側に建立されている。上下のイワレについて神官から聞いた話では、諏訪湖の多くの水が南の八ヶ岳連峰から流れ込み、その水は天竜川となって北側から流れ出るため、水の流れから上下がついたと言う説もあるという。
さて話は大きく変わる。昨年の11/3付けの私のブログ「建御雷神について考える」で古事記に記された国譲りの力比べの舞台は、出雲の伊那佐の小浜ではなく「実は関東平野であったのではないか」と言う大胆な仮説を立てた。その後も何回と無くこの仮説を肉付けするための状況証拠を紹介してきた。今回の諏訪大社の訪問も、実はその仮説を裏付ける‘何かを求めて’が主題であった。そして大きな収穫があったのだ。
諏訪大社には神職と氏子で作る「全国諏訪神社連合会」なる組織がある。同会は昭和44年に第一回の大会が開かれ現在に至っており、毎年の大会には、多くの関係者が集まると言う。その大会時に講演された講演集が手に入った。その第一回の講演の記述の中に次のような一文があった。講演者は岡田米雄先生(故人)。そのまま掲載させていただく。「関東において常陸の国一ノ宮鹿島神宮には建御雷神様を御祭りしております。・・・(中略)恐らく古い時代、信州が中々手強い力を持っており、日本を統一するのに手こずった時代があった。その時に早く関東において皇室と深い縁を結んでおった建御雷神の一党の中臣氏、後の藤原氏の軍勢が碓井峠から信州へ攻め入った事があるだろうと私は思うのです。そして建御雷神の軍勢と建御名方神の軍勢が戦って、そしてだんだんと話し合いの結果、建御名方神が皇室(天孫族)に国を譲るということが行われたというのが、これが真実の歴史的な事実なのであろうと私共は思っております」。
どうであろう。私の描いていた世界が諏訪大社の関係者、それも本流の識者の講演として多くの聴講者の前で述べられている。特に次の節に強い感銘を受ける。「これが真実の歴史的な事実であろう・・・」。「歴史的事実」という言葉で十分足りるのに、更に「真実の」と言う形容詞が加えられている。 
講演された岡田先生がこのような考えに至った発端は「武神・軍神としても厚く祭られ、全国に6500社も在る諏訪様(建御名方神)が、古事記に書かれているように、そう簡単に建御雷神に負けたとは考えられない」と言う思いから色々調べた結果の結論としている。
私が「建御雷神と建御名方神の国譲りの戦いが、関東平野であったのではないか?」という考えに至ったのは、建御雷神を祭る鹿島神宮と建御雷神の軍の副将とも言われている建経主神を祭る香取神宮が、何故利根川の河口の両岸にあるのか?」と言う疑問から出たのだが、出発点が違いながら岡田先生と同じ結論に至ったというのは、そこに真実があるからではないだろうか。
しばらく諏訪大社関係の話を進めたい。

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2 コメント

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いや したり!!  (虚庵)
2006-10-23 22:16:38
へぶらいびと様が斯くも早く諏訪大社の参拝を実行にうつすとは! 温かくなって来春ころかと勝手に想像していて、ご紹介のタイミングを失して、残念であった。



虚庵居士の母校・諏訪清陵の同期生に、下社の宮司をしておられる矢島倭洲男氏がいる。

同氏は国学大にて神道を真正面から研鑽されて宮司になられた正統派である。



へぶらいびと様が参拝されるに際しては、是非ご紹介してお役に立てればと考えていたが、迂闊なことであった。



よろしければ、今からでも紹介状を書くのは吝かでないが、如何であろうか?





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奇遇かも! (へぶらいびと)
2006-10-23 23:02:49
 参拝前にご連絡すれば良かったですね。実はブログの中の上社、下社の上下について伺った神官は下社春宮の神官で、その方から色々話を聞いたら講演集をくださいました。もしかしたら当人かもしれませんね。宜しくお願いします。
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