ちょこっとGUM

今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

拾い読み★≪箱根復路・朝刊②≫

2013年01月04日 14時12分19秒 | スポーツあれこれ
日体大、30年ぶり総合V!前回19位から史上最大ジャンプ
日体大が11時間13分26秒で、30年ぶり10回目の総合優勝を果たした。2日の往路での2分35秒のアドバンテージを生かし、復路の5区間で安定した走りを披露。区間賞を獲得した選手はいなかったが、8区の高柳祐也(4年)ら4選手が区間2位と力を出し切った。予選会からの優勝は97年の神奈川大以来16年ぶり。前回王者・東洋大を突き放す強さを見せ、前回19位から雪辱した。
 右手で高々とガッツポーズを決めた日体大のアンカー谷永雄一(4年)は、胸の「日本体育大学」を誇示しながらゴールに飛び込んだ。1983年以来、30年ぶりの総合優勝。別府健至駅伝監督(46)、谷永らが次々に3度ずつ宙を舞った。「選手全員が頑張ってくれた。うれしいのひと言に尽きます」。厳しかった指揮官の表情が崩れた。
 最上級生の反骨心が、史上2番目のブランクでの優勝をもたらした。64回目の出場で初めてタスキが途切れ、19位と惨敗した前回大会。レース直後の大手町で、別府監督は1学年下の服部翔大を主将に指名した。現4年生は一斉に反発。翌日、10年出雲2区区間賞の福士優太朗と、この日8区を走った高柳祐也が監督に「福士に主将をさせてください」と直訴した。
 別府監督の選手時代、日体大は学生だけでチームを運営していた。だから「最上級生がしっかりしないと強いチームにならない」と選手に繰り返してきた。最上級生は翻意を期待したが、指揮官は「お前らじゃ力不足だ」と突き放した。埼玉栄高では服部の先輩で、主将も務めた高柳は「何も言い返せなかった」と黙るしかなかった。
 1週間の冬休みをはさんで、再び現4年生17人が集まり「絶対に見返してやろう」と決めた。悔しさを忘れないように、タスキを合宿所の食堂の額縁に掲げた。夏場には多くの選手が1200キロ以上の走り込みで力を蓄えた。すると、例年わずかの選手しかできなかった速いペースの練習や距離走に、主力の多くが対応できるようになった。
 手応えを感じた。そして、主将としてチームをまとめようとする服部の努力を見て、高柳ら4年生は「自分たちは結果を出すことで支えよう」とまとまった。予選会トップ通過、全日本大学駅伝で4位となり、自信と勢いが芽生えた。
 チームのための決断も勝利を呼んだ。4区予定だった福士は直前に体調不良を起こし、欠場を決断。平塚中継所でチームメートのサポートに回った。87年大会9区、けいれんを起こし、優勝争いから脱落した別府監督も「走る選手だけでなく、チーム全体で戦う」必要性を感じていた。14年間の指導で答えを求めていた問題を、力不足だった4年生が解いてみせた。


日体大・服部主将、MVP獲得で“神超え”宣言
 神を超えて連覇達成だ! 2日の5区で日体大を逆転Vに導いた服部翔大主将(3年)が、今大会のMVPにあたる金栗四三杯を受賞。2区の本田匠、9区の矢野圭吾ら3年生も区間上位で、チームの30年ぶり優勝に貢献した。最強のトリオを引っ張る主将は「来年は(5区区間記録保持者の)柏原竜二さん(富士通)の記録を超えて連覇したい」と宣言。名門・日体大に再び黄金時代の到来を告げる。
 心に芽生えた自信は、新たな目標に変わった。山上りの5区で区間賞に輝いた日体大主将の服部は、金栗四三杯授賞が発表された大手町で宣言した。「(2位から)逆転して差をつけたことが評価されたと思う。賞を取れたことはびっくりだし、うれしい。大きいことを言うが、来年は柏原さんの区間記録に挑戦したい」。自ら「山の星」と命名した新星が、史上最強の「新・山の神」に挑戦状をたたきつけた。
 元祖「山の神」順大の今井正人(トヨタ自動車九州)や柏原に刺激され、大学入学当初から山上りを志願した。1年は大会1か月前に右ひざを負傷、2年は1区を託されて実現しなかったが、今年は風速18メートルの強風の中、1時間20分35秒。「(風がなければ)今回は78分の走りを切れたかな」と1時間18分を切る手応えをつかんだ。柏原の1時間16分39秒の区間記録も手の届かない領域ではない。
 高い目標に挑む主将には、頼もしい仲間がいる。服部が「自分も2人を頼っているし、2人も自分を頼っている」と信頼する同期の本田匠と矢野圭吾だ。別府健至駅伝監督(46)は今大会、3人を軸にメンバーを構成。そろって起用に応えるだけでなく、6区山下りでは鈴木悠太も復路のスタートでチームを勢いづけ、強力な3年生カルテットを形成した。
 本田は2区で区間4位と好走。矢野も9区で8キロ付近から体調に異変を感じたが、区間2位でリードを広げた。昨夏に右すねの疲労骨折を負った矢野は、走れなくても夏合宿への帯同を特別に許されたことで発奮。「もっともっと強くなって監督を喜ばせたいと思った」と振り返る。
 4人が最上級生となる来年、今年以上の飛躍を期待できる。「来年は黄金期にしたい」。服部は「神」超えと連覇達成に挑む。

 ◆金栗四三(かなぐりしそう)杯 3度の五輪出場を果たし、「日本マラソンの父」と呼ばれた故・金栗四三氏の功績をたたえて、第80回(2004年)記念大会から大会MVPに与えられる賞として創設。箱根駅伝開催に尽力し、金栗生誕の地、熊本県玉名郡和水町が寄贈。杯は金栗が当時の世界最高記録をマークしたストックホルム五輪予選で優勝した時に手にしたカップの複製と言われている。


東洋大、神不在で2位!4日午前5時朝練で再始動
 優勝候補が次々に涙をのんだ。往路9位と出遅れた駒大は、最上級生の意地で3位まで順位を押し上げた。6区の千葉健太ら4年生3人が区間賞を獲得。5時間32分11秒で3年ぶり9度目の復路優勝に導いたものの、悔しさを残した。連覇を目指した東洋大は8区の大津顕杜(けんと、3年)らの調子が上がらず、4分54秒差の2位。10月の出雲、11月の全日本大学駅伝と合わせ、学生3大駅伝すべてで2着だった。
 1年前、同じ場所で歓喜のゴールテープを切った東洋大の斎藤貴志主将(4年)は、静かに日体大の優勝を見届けた。4分54秒後、冨岡司(4年)が大手町に帰ってきた。盟友を出迎え、ねぎらい、主将として最後の仕事を終えた斎藤は「負けた」とつぶやいた。16人の登録メンバーから外れた悔しさが募った。
 前回まで4年連続5区区間賞の柏原竜二(富士通)が卒業。「柏原さんがいないから弱いとは言わせない」を合言葉に走ったが、最後まで「新・山の神」の穴を埋められなかった。日体大を追いかける展開に酒井俊幸監督(36)は「復路トップスタートに慣れていたので…。力及ばずというより力を出せなかった。完敗です」と敗戦を認めた。
 前回8区区間賞の大津顕杜は、気象条件が異なるとはいえ、昨年の記録より3分12秒も悪く、区間7位。「ここまで自分が情けないと思ったことはありません」と涙を流した。出雲で青学大、全日本で駒大、そして、箱根で日体大に屈した。06年度の日大以来、3大駅伝すべて2位という“珍記録”にエース・設楽啓太(3年)は「来季は3冠を目指します」と雪辱を誓った。
 1年生ながら9区3位と健闘した服部勇馬らプラス材料もある。今春、高校トップクラスの弟・弾馬(豊川高)も入学する。「設楽さん兄弟に負けないように服部兄弟も東洋大の主力になりたい」と前を向いた。
 「来年の大会に向けて、明日の朝練習からスタートしよう!」。酒井監督は猛ゲキを飛ばした。4日早朝5時から16キロ走を敢行し、新チームが始動する。負けて、負けて、負け続け、09年大会に箱根駅伝史上最も遅い67回目の出場で初優勝した東洋大。敗北を糧にはい上がるのが真骨頂だ。


駒大、復路Vで3位!主将が風邪欠場も意地見せた
 優勝候補の、せめてもの意地だった。駒大は6区の千葉健太、9区の上野渉、10区の後藤田健介の4年生トリオが区間賞を獲得し、3年ぶりの復路優勝。往路の9位から3位と巻き返した。ゴール後、後藤田は「優勝する目標を立ててたのに負けた。悔しかった」と号泣したが、大八木弘明監督(54)は大満足の表情で「よくやった」と選手たちをねぎらった。
 今回も往路で力を発揮できなかった。レース後、指揮官は7区を走る予定だった撹上(かくあげ)宏光主将(4年)が1日に風邪を引き、急きょ欠場したことを明かした。そのため4区予定の久我和弥(4年)が7区に回り、控えの湯地俊介(3年)が4区へ。だが、湯地は区間19位、エースの窪田忍(3年)も2区で区間7位と失速。総合Vは絶望となった。
 奮起したのが最高学年だ。往路ゼロだった4年生を復路では4人起用。2日夜、寮で復路の選手同士が「一人ひとりが1分、2分縮めればまだ勝てる」と励まし合った。これに6区の千葉が自身の持つ区間記録に4秒と迫る3人抜きの快走で弾みをつける。アンカーの後藤田は9月に右脛(けい)骨を疲労骨折し、万全ではない中で本人も「まさか」という区間賞を取った。「一番つらいのは撹上」と上野が思いやったように、強い結束力で主将が抜けた穴をカバー。4年連続のトップ3に入った。
 1万メートル28分台の選手が7人走った今回も、5年ぶりの王座奪回はならなかった。千葉は「悔しさを来年にぶつけてほしい」と後輩に夢を託し、次期主将を務める窪田は「来年こそ箱根で絶対勝ちたい」と言い切った。大八木監督は「走り込みます。泥臭い練習をします」と猛特訓を宣言。快足軍団は次回こそリベンジを果たす。

 ◆6区で3度の区間賞 千葉は6区で2010、11、13年で3度の区間賞。これは1人が4回までの出場になってからは最多タイ。これまでは日大の奥貫博(1963、64、65年)、日体大の谷口浩美(81、82、83年)、中大の野村俊輔(03、04、05年)で千葉は4人目となった。1人6回まで出場できた時代では中大の田辺定明(48、50、51、52、53年)が5度区間賞を取っている。


帝京大“雑草魂”4位!00年に並ぶ大躍進
 帝京大はラスト100メートルの争いを制し、5位の早大と0秒差の総合4位でゴール。昨年の総合13位から、00年の最高記録に並ぶ大躍進で5年ぶりにシード権を獲得した。中野孝行監督(49)は「高校での実績は少ない選手たちが、辛抱強く練習を積んで結果を出してくれた」。高校時代、総体経験者わずか8人の“雑草集団”が大舞台でひと花咲かせた。
 勝負を決めたのは10区の熊崎健人(2年)だった。5位でタスキを受けると6キロ付近で前を行く早大に追いつき、そこからあえて前に出ず並走。区間賞を狙える好走だったが、「10人でつないだタスキ。とにかく勝ちにこだわった」。苦しいときはタスキを握りしめ自分を奮い立たせた。何度も相手の出方をうかがい最後のスパートで勝負を決めた。
 新チームには今回のメンバーが9人残り、期待は高くなった。指揮官も「予備軍はいつでもスタンバイしている。今の順位を守るために、今以上のことをやっていきたい」と宣言。来年の箱根路はさらなる躍進で、大輪の花を咲かす。


早大“不完全燃焼”5位!渡辺監督「初日がすべて」
一度は見えかけたタイトルが、復路で逃げていった。「3強」の一角だった早大は、足踏みしたまま不完全燃焼。最終10区で田口大貴(2年)が区間4位と意地を見せたものの、帝京大とのデッドヒートに敗れて5位に終わった。
 「初日がすべて」と渡辺康幸監督(39)。1区で17位と遅れたのが響いた。3区・大迫傑(3年)5区・山本修平(2年)の快走で往路は2位まで盛り返したが、切り札を使い切った後の復路に爆発力は残っていなかった。
 異色のルーキーにとっては悔しい箱根デビューだ。8区に起用された柳利幸(1年)は区間14位の惨敗。「前半抑えすぎて差を詰められなかった」と涙した。埼玉・早大本庄高では2年までサッカー部所属。悔しい箱根デビューとなった異色のルーキーは「来年、もう一度8区を走って納得いく結果を」と再出発を誓った。
 もちろん、レギュラーは保証されていない。「今回のメンバーがまた走れるとは限らない。日体大も1年であれだけ変わったのだから、ウチもそれに期待する」と渡辺監督。名門は一からの“たたき上げ”で再生に取り組む。


順大10区・堀、宣言通りジョジョ立ちゴール
 日体大が11時間13分26秒で、30年ぶり10回目の総合優勝を果たした。2日の往路での2分35秒のアドバンテージを生かし、復路の5区間で安定した走りを披露。区間賞を獲得した選手はいなかったが、8区の高柳祐也(4年)ら4選手が区間2位と力を出し切った。予選会からの優勝は97年の神奈川大以来16年ぶり。前回王者・東洋大を突き放す強さを見せ、前回19位から雪辱した。
 最上級生の頑張りで、順大が2年連続シード権を獲得した。仲村明駅伝監督(45)は、「悔しい思いをしてきた4年生がしっかりタスキをつないでくれた」。入学した年から2年連続で箱根出場を逃した経験を持つ、最上級生6人を擁したメンバーが、しっかりと後輩に結果を残した。
 昨年の順位をひとつ上回る総合6位に導いたのは、今シーズン苦労した男だ。10区の堀正樹(4年)は昨年6月末に左足の頸(けい)骨を骨折し2か月離脱。大会1週間前にも左アキレスけんを痛め不安を抱えながらのレースだったが、「背中が見えたから思いっきりいった」と、終盤で明大を逆転し意地を見せた。
 その姿は後輩たちへ継承されていく。2年連続9区を走った松村優樹(2年)は次に向けて、「4年生のように、自分も引っ張っていけるようになりたい」ときっぱり。名門復活への道のりをしっかりと歩んでいる。


明大、大ブレーキ7位!9区・松井、まさかの脱水症状
 前回3位から7位に順位を下げた明大は、50年ぶり6度目の復路優勝を逃す、悔しいアクシデントに見舞われた。
 往路4位から臨んだ復路は6、7区の快走などで8区まで復路1位をキープ。しかし、10区のタスキリレーまで残り約1・5キロで、不測の事態が起きた。9区の松井智靖(2年)が脱水症状に陥り大ブレーキ。足元がふらつく状態となったが「タスキをつなぐことだけを考えた」と松井は“前へ”の明大精神で奮闘。駒大、早大、帝京大の3校に抜かれながら区間最下位で紫紺のタスキを10区につないだ。
 往路4位から復路は13位に転落。50年ぶり復路Vから一転、あわやシード落ちの危機を味わった菊地賢人主将(4年)は「往路の中大、城西大のように途中棄権がよぎった」と冷や汗。西弘美駅伝監督(60)は「8区をすぎて(復路の)優勝を意識していた。でも、タスキがつながってホッとした」と胸をなで下ろした。
 アンカーを務めた来季主将の北魁道(かいどう、3年)はレース2週間前にノロウイルスにかかるなど体調管理の面での反省を残した。指揮官は「完璧に仕上げたつもりでも、何が起こるか分からないから箱根は怖い。来年に生かしたい」と話した。


青学大・高橋「前、前、前へ」津波被害、天国の姉に届けた区間賞
青学大の高橋宗司(2年)が8区で快走。東日本大震災の津波被害で亡くなった姉の沙織さん(享年22歳)に、箱根路でのデビュー戦で区間賞の走りをささげた。チームも8位で4年連続のシード権を確保した。往路5位と健闘した法大は9位と粘り、復路優勝した06年以来7年ぶりのシード。中央学大も9区の室田祐司(4年)が逆転し、10位で4年ぶりのシードを獲得した。
 姉ちゃん、見てくれたよね。8区、9位でタスキを受けた青学大の高橋は愚直に走り続けた。「前、前、前へと思っていました。区間賞は信じられない」。順位は上げられなかったが、箱根のデビュー戦で1時間6分46秒の好タイム。前回大会2区の出岐雄大に次いで、チーム史上2人目の区間賞を獲得した。
 11年3月11日、東日本大震災で宮城・東松島市の実家が津波で流された。3日後、入寮したばかりで東京にいた高橋は、4月に高校教師になるはずだった姉・沙織さんの訃報を聞いた。「800メートルの選手だった姉ちゃんの影響で陸上を始めた。信じられなかった」
 沙織さんは大の駅伝ファン。2人で「駅伝っていいよね」と語り合い、高橋が大学に進むときは大喜びだったという。悲しみに暮れる中、陸上部の原晋監督(45)に「今、お前にできることはなんだ? 走ることだろ。お姉さんへの恩返しだと思って、できることをやりなさい」と励まされた。「できること」を自問自答した。「沙織さんが大好きだった箱根駅伝に出場することだ」と気づき、誰より練習に励んだ。しかし、前回大会は補欠1番手。昨夏に帰省した際、姉の墓前に「今回は絶対に出る」と誓った。
 東松島市の震災復興本部に勤務する父の宗也さん(50)は16キロ過ぎの沿道で応援。「やつの走りに負けず、前に進みたい」と復興への思いを新たにした。沙織さんの遺影を手にした母の千賀子さん(51)は「走っている姿を見せられてよかった」と目を潤ませた。「(両親らの姿は)見えなかったけど、いるのは知っていたから」。息子は“3人”の家族とチームメートのため、前へと走り続けた。
 高橋が聞いた姉の最後の言葉は「宗司、本当に応援しているからね」だった。「姉ちゃんは今頃大騒ぎしていると思う。帰ったら、いつもより長く知らせたい」。箱根駅伝と弟を愛した沙織さん。区間賞を持って墓前へ報告に行く。

 ◆高橋 宗司(たかはし・そうし)1993年2月2日、宮城・東松島市生まれ。19歳。青学大教育人間科学部2年。利府高1年から陸上を始め、高校3年で全国高校総体1500メートル出場。将来の夢は新聞記者など「表現する仕事」。172センチ、57キロ。家族は両親。


法大、7年ぶり復活シード!成田監督「100点満点」
 10区の法大・高梨寛隆(3年)は右手でガッツポーズしながらゴールテープを切った。往路5位の大貯金を守り、復路優勝した06年大会(7位)以来7年ぶりのシード権を奪取。3年ぶりの箱根路で番狂わせを演じ、成田道彦駅伝監督(56)は「正直シードを取れるとは思っていなかった。100点満点のレース」と喜びを爆発させた。
 オレンジ旋風は復路でも吹き荒れた。山下りの6区では品田潤之(4年)が快調に飛ばし、区間8位の走りで総合5位を守ってタスキリレー。品田は10月の箱根予選会でチーム6番目の93位だったが、「区間順位1ケタが最低限の仕事だと思っていた」と底力を見せた。
 戦友の分まで走った。品田と主将の賀上弘基(4年)は兵庫・須磨学園高の同級生。賀上は椎間板ヘルニアの影響でエントリーから外れ、サポート役に回っていた。「頼りない主将で申し訳ない」とメールが届いたが、品田は「賀上がチームのために動いている姿を見て感じるものがあった」。坪田智夫コーチ(35)からも「賀上を大手町で胴上げしよう」と言われ、闘志に火がついた。
 7区以降は順位を落としたが、各区間が粘って9位を死守。03年パリ世界陸上代表の坪田コーチが3年前から就任し、ミーティングを増やすなど基本から改革した成果がチーム力に表れた。昨年8月には東洋大と合同合宿を行い、優勝を目指す学校から刺激を受けた。
 1区3位の西池和人や5区2位で8人抜きした関口頌悟はまだ2年で、来季はいっそうのレベルアップを見込める。「今回は実力以上の出来。過信せず、来年は実力で上位を狙えるチームに育てたい」と坪田コーチ。可能性を秘めたオレンジ軍団が、新たなスタートを切る。

 ◆箱根駅伝の出場システム 上位10校は次回大会の出場が自動的に決まり、11位以下のチームは10月に行われる予選会に回る。予選会は年々激しさを増しており、今大会の予選でも東海大や拓大など、強豪校が敗退した。仮に本戦に出場が決まっても、11月の全日本大学駅伝出場校は間隔が短い中での調整を求められるほか、一度、ピークを予選会に合わせるため、箱根本戦への調整が難しくなる。なお、次回大会は90回の記念大会のため出場校が増える可能性があるが、関東学連選抜は編成されない。


中央学大、10位で4年ぶりシード
 迫るライバルを振り切り、中央学大のアンカー山田侑紀(2年)はゴールに飛び込んだ。川崎勇二監督(50)は「デコボコなレースでしんどい思いをした」と、冷や汗をかきながらも笑顔。総合10位。11位の山梨学大とはわずか50秒差で、4年ぶりのシードをつかみ取った。
 山田は迫り来る足音に気づかなかったが、指揮官の「山梨が100メートル差まで来てるぞ~!」という叫び声で目が覚めた。「焦った。逃げなければと思った」。力を振り絞ってペースアップし、終わってみれば区間6位で復路順位は5位。実は1月3日は20歳の誕生日で、「いい記念日になった」と声を弾ませた。
 最初にシード圏内に押し上げたのは8区だ。総合11位でタスキを受けた及川佑太(2年)が、10位の学連選抜を抜いて前に出た。及川は宮城・石巻市出身で、東日本大震災では実家と車が津波で流された。母校の住吉小に勤務していた母・輝代さん(50)も波にのまれたが、助け出されて九死に一生を得た。
 沿道には「がんぱっぺ石巻」のプラカードが躍り、現在は利府町に住む輝代さんも応援に駆けつけた。及川は「10位に上がる寸前で(母の)『頑張れ』という声が聞こえた。あれで力が出た」と振り返った。「自信をつけて、今年よりいい順位を目指してまた頑張りたい」と及川。殊勲のシード切符を手に飛躍する。

 ◆中央学院大 1900年に仏教学者の高楠順次郎が東京・中央区に「日本橋簡易商業夜学校」を設立。66年に千葉・我孫子市に大学を設置。商学部、法学部、大学院を擁し、在学生は12年5月1日現在で、合計3180人。卒業生には俳優・三橋達也(故人)、元陸上十種競技日本王者でタレントの武井壮らがいる。


山梨学大、50秒差で涙!11位で2年連続シードならず
 山梨学大は箱根初陣のアンカー・福沢潤一(2年)が区間5位と健闘したが、中央学大に50秒差で逃げられ号泣。2年連続シードはならなかった。復路は10位の学連選抜から17秒差の11位でスタート。6区で13位まで落ちたものの、牧野俊紀主将(4年)が9区区間4位の力走など10位の中央学大に最小30秒差まで縮めたが、捕らえきれなかった。「10月の予選会は甘いレースではない。この悔しさを心に植え込み、そこから出てくる芽を1年かけて育て続けよう」。上田誠仁監督(53)は部員を前に声を張り上げ、雪辱を鼓舞した。

中大・永井、8区で“幻の区間賞”
 5区で無念の途中棄権となった中大が、復路で意地を見せつけた。8区の永井秀篤(ひでのり、2年)が初出場ながら1時間6分10秒と力走。オープン参加扱いで記録には残らない“幻の区間賞”となったが、「チームが暗い雰囲気だったので、消極的な走りではだめだと思った。前に出て引っ張る気持ちで走った」と全身全霊で駆け抜けた。
 最後にメンバー入りした永井が、絶望と悲しみに打ちひしがれたチームを救った。約1か月前の昨年12月2日の記録会で、1万メートル30分7秒32の自己新をマーク。その好調が決め手となり、メンバーに滑り込んだ。「やるべきことを確実にこなし、自分が持つ力を発揮できる強さがある」と浦田春生駅伝監督(50)。その堅実な強さが、攻める走りにつながった。
 「本物のタスキはつながらなかったが、気持ちのタスキは全員につながっていた。記録は残らなかったが、中大の強さは見せることができた」と永井。連続シード権が28年で途切れた今大会。伝統の赤いタスキの歴史を、来年から新たに作り上げる。
(以上 報知)


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MVP日体大・服部「少し大きなこと言えば…」
 第89回箱根駅伝で最優秀選手(金栗杯)に輝いた日体大の服部(3年)は「本当にびっくりしているし、うれしい」。初挑戦の5区で、1分49秒差を逆転し、2位に2分半以上の大差をつける快走で、30年ぶりの総合優勝の立役者となった。
「少し大きなことを言えば、来年は柏原(竜二、現・富士通)さんの記録に挑戦したい」。区間記録の更新に意欲を見せた。


柏原いない東洋大、差は拡大「余裕度が違った」
 柏原竜二(現・富士通)を擁して4年前の箱根駅伝で初優勝するまで、近年の東洋大は5~13位を行き来する「中堅校」だった。
 今回、柏原抜きでも2位に入り、常に優勝争いに絡める強豪になったことを証明した。だが、長らくチームを見ている佐藤コーチは、「確かに強くなっているが、まだ何かが足りない。今回で言えば、流れを変えられる選手がいなかった」と悔やんだ。
 その役割を期待されていたのは、8区の大津(3年)だった。前回も8区で区間賞を獲得した大津で挽回し、9、10区で勝負に持ち込む青写真を描いていた。
 ところが、なかなか大津のペースが上がらない。前回と決定的に違うのは、柏原が作った大量リードの中で伸び伸びと走ったのに対し、今回は日体大を追わなければならなかったという状況だ。それが硬さを生んだのか、逆に差を広げられた。大津は「気持ちの余裕度が違った。やることは同じと考えて走ったが、それが出来なかったのは自分の力不足」と涙を流した。
 真の強豪となるために、道のりは半ばだ。この悔しさを胸に、再び自らを鍛え続ける1年が始まる。酒井監督は「明日の朝練から、また始めたいと思います」と選手に呼びかけた。(田上幸広)


優勝候補の誇り・伝統の重み…駒大追撃、復路V
 第89回箱根駅伝、駒大の復路に名を連ねたメンバーの思いは一つだった。
 「前だけを見て、最後まであきらめない。それだけを思って走った」と9区上野(4年)。往路を終えてトップと7分近い大差にも心は折れなかった。優勝候補の誇りを示しておかねばならなかった。
 スタートから攻めた。4大会連続6区の千葉(4年)が「抜くことだけ考えた」という気迫で区間賞。7区久我(4年)が区間5位でつなぐと、上野とアンカー後藤田(4年)も区間1位でタスキを運んだ。伝統の重みを知る4人の最上級生が往路で失った流れを呼び戻し、日体大を抑えて復路優勝。総合でも往路の9位から3位に順位を上げた。
 「4年生が何とかメンツを保ってくれた。これで来年につながる」と大八木監督。駅伝には個々のスピード以上に気持ちの強さが欠かせない。そのことを示す意地の追撃だった。(佐藤謙治)


帝京大、早大に胸差ゴール…100m前で一気に
 第89回箱根駅伝、前回13位の帝京大が、2000年の過去最高成績に並ぶ4位に躍進した。
 アンカーの熊崎(2年)は、早大に追いついて、終盤まで並走。相手の様子を何度も見ながら勝機をうかがい、ゴール前100メートルを切ってスパートを仕掛け、胸の差で競り勝った。「監督からは『どんな形でもいいから、抜いてこい』と言われていた。ラスト勝負には自信があった」と胸を張った。


早大、見せ場なし5位…ゴール前の競り合い敗れ
 第89回箱根駅伝、往路2位からの逆転優勝を狙った早大が、見せ場なく5位に沈んだ。
 6~9区の4人が区間2ケタ順位と伸び悩み、10区でもゴール前の競り合いに敗れ、帝京大にかわされた。渡辺監督は「1区の遅れが響いたが、これが実力。前年19位の日体大が優勝したのだから、我々も変われるはず」と、来年の巻き返しを誓った。


明大、9区で脱水症状「急に力が…」…失速7位
 明大は9区の松井(2年)が脱水症状で失速。フラフラになりながらもタスキをつないだが、3位から6位に転落し、「18キロ辺りで急に力が入らなくなった。チームメートに申し訳ない」と唇をかんだ。
 続く10区も連鎖反応のように区間17位で7位に終わり、西監督は「完璧に仕上げたつもりだったが、私にミスがあったかもしれない」と振り返った。


青学大エース出岐、不調続き…潤んだ目でゴール
 第89回箱根駅伝10区を走った出岐雄大選手(青学大4年)には、いつもの大きく両腕を振る独特のフォームに力強さはなかった。
9人がつないだたすきを胸に、「もう少し、もう少し」と歯を食いしばり、8位を守り切ることで精いっぱい。ゴールテープを切り、チームメートに支えられると潤んだ目を隠すように手で顔を覆った。
 前回大会では、花の2区区間賞。昨年3月の初マラソンでは2時間10分02秒の好タイムを出し、学生屈指のランナーとしてさらに注目された。しかし、昨春に新しくなった陸上トラックが「軟らかすぎて走りに合わなかった」ためフォームを崩し、不調が続いていた。
 原晋監督はレース後の報告会で、「出岐の走りを不満足に思う人もいると思うが、1年生だった出岐が『優勝しよう』と言ってから優勝を目指すチームになった」とエースをかばった。声を詰まらせ、ほんの少し間を置いて続けて「ありがとう」と頭を下げた。
 「4年間に悔いはない」。青学大の歴史に名を刻んだエースはそう言い切り、静かに箱根路から去った。(岩島佑希)
(以上 読売)


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日体大V 落ちこぼれ4年奮起
 「おちこぼれ4年生」がチームを頂点に導いた。古豪・日体大が11時間13分26秒で、30年ぶり10度目の総合優勝を果たした。7区・高田翔二、8区・高柳祐也、最終10区・谷永雄一と3人の4年生がそろって区間2位の力走。4年生抜きだった往路の貯金をさらに広げ、2位の東洋大に4分54秒差をつけて完勝した。1年前に1学年下の服部翔大(3年)が主将に指名され、最上級生のプライドは傷つけられた。しかし、反発心をバネに成長し、昨年19位から驚異的な「V字回復」の原動力となった。
 負け犬のままでは終われない。2位東洋大と3分48秒差でタスキを受けたアンカーの4年生・谷永はゴールの大手町に向けて、どんどん差を広げた。4分54秒に差を広げて、ゴールテープを切ると、チームメートにもみくちゃにされた。「人生の絶頂のようにうれしい。苦しんだ1年間の結果が出た」と目を赤らめた。
 4年生抜きの往路は、服部主将の力走で早大に2分35秒差をつけて優勝。下級生たちがためた貯金を吐き出すわけにはいかない。昨年、左脛骨(けいこつ)疲労骨折でメンバーを外された7区・高田は29秒タイムを広げた。昨年9区でタスキの途切れた場面を付き添いとして目の当たりにした8区・高柳もさらに21秒、東洋大との差を広げた。4年生が最後に意地をみせ、チームを30年ぶりの総合優勝に導いた。
 昨年1月3日、19位に沈んだ直後の大手町。別府監督は最上級生ではなく、服部を主将に任命した。当日夜。2、3年と箱根を走った福士優太朗(4年)は、高柳とともに別府監督のもとを訪ね「オレにやらせてください」と直談判。だが、逆に「力不足のお前ら4年生には任せられない。オレについてこないならやめろ」と返された。
 埼玉栄高で服部の先輩だった高柳にとっても、寝耳に水の話だった。高校3年時は自らが主将を務め、1年後輩の服部に指示を出していた。体育会の大学で立場が逆転するとは夢にも思わなかっただけに、最初は受け入れられなかった。翌4日、最上級生中心にミーティングを開くと「オレらは見捨てられたな」と不満の声が渦巻いた。
 行き場を失った4年生だったが、現実から目をそらすことはなかった。下級生は自分たちより実績を残していたことは事実。1月中旬には再びミーティングを開き「腐ったらチームは低迷するし、自分たちも後悔する。文句は言わず、結果を出すことで見返すしかない」と逆に結束を図った。
 練習では、1学年下の服部主将から「ついてこい」「つけ」と命令口調で言われても耐えた。「服部の言うことは何でも聞こうと。1人でも(4年生が)反抗したらチームは崩壊する」と福士。1年から箱根に出場した服部に対して、高校の先輩だった高柳は3年まで不出場。学年の違いではなく、実力主義を受け入れ、後輩の指示も素直に従った。その服部は「上級生も付いてきてくれた」。4年生だけでなく、チーム全体は1つになっていった。
 前夜も「最後はしっかり走ろう」と、控えも含めた4年生20人全員で確認した。高柳は体調不良で直前にメンバー落ちした福士のユニホームを着て走った。「苦しいとき、福士のことを思い出した」と同学年の存在を力に変えた。そしてゴール後、別府監督、服部主将の次に、胴上げされたのは控えの福士だった。
 「優勝したことで、走れなかった選手も、今後の財産ができた」と高柳。4年生の入学直前には、陸上部の不祥事で、シード権が剥奪されたこともあった。入学前から波乱続きだった「おちこぼれ4年生」たちは、最後の最後で「最強の学年」になった。【田口潤】

 ◆1983年(昭58)の優勝VTR 東洋大に次ぐ2着でタスキを受けた2区で、大塚正美が1時間7分34秒の区間新記録でトップに躍り出ると、最後まで往路の首位をキープ。復路では、3年連続で6区の「山下り」となった谷口浩美が激走。「前人未到」とも言われた57分47秒の区間新記録でリードを広げ、11時間6分25秒のゴール。2位早大に6分37秒差をつけて総合優勝した。


「山の星」日体大・服部が最優秀
 昨年19位に終わって予選会から出場した日体大が11時間13分26秒で30年ぶり10度目の総合優勝を果たした。
 最優秀選手には山上りの5区で区間賞を獲得した日体大の服部翔大主将が選ばれた。服部は「(2位から)逆転して差をつけたことが評価されたと思う。賞を取れたことはびっくりだし、うれしい」と喜んだ。
 東洋大で4年連続区間賞を獲得した柏原(富士通)が「山の神」なら、自分は「山の星」と照れくさそうに命名。「少し大きいことを言うが、来年は柏原さんの区間記録に挑戦したい」と新記録に意欲を示した。


「復路の駒大」Vで面目
 駒大が面目を保った。よもやの9位発進も、かつて王者を誇った時の「復路の駒大」の代名詞通り、区間賞3人を輩出。3年ぶり9度目の復路優勝を果たし大八木監督も「何とか意地を見せられた。駒沢のメンツを何とか保てた」と表情を緩めた。スタート6区で山下りのスペシャリスト千葉が、自ら持つ区間記録に4秒と迫る3度目の区間賞。「あれで火が付いた」(同監督)後は、9区上野も3人抜きで3位に上げ、アンカー後藤田も締めた。
 7区を予定していた主将の撹上が、元日の発熱で欠場。久我を急きょ4区から7区に配し、その4区の大ブレーキが優勝を逃す要因となるなど、駅伝の怖さを思い知らされた。栄誉の区間賞にも「優勝争いに加われなかったのは駒大の精神的な弱さ」(上野)「4年間で1度も優勝できず弱さが出てしまった」(千葉)。エース窪田は、この日も悔し涙が止まらなかった。


帝京大 胸差4位
 ラスト100メートル、劇的なかけっこで勝負がついた! 最終10区でデッドヒートを繰り広げた帝京大・熊崎健人(2年)が、ゴール前最後の直前で早大・田口大貴(2年)を胸の差で振り切った。優勝した日体大と同じく予選会から出場した帝京大が、熊崎の爆発的な末脚で00年に続く、過去最高の4位に食い込んだ。
 勝負の舞台は大手町。熊崎は並走する田口をけん制するように何度も首を振り、スパートのタイミングを計った。そして直線残り約100メートル。満を持して熊崎が飛び出した。田口も負けじと鬼の形相で追いすがる。歓声に包まれる中、わずか胸の差、熊崎が先にゴールに飛び込んだ。長い東京箱根間の往復217・8キロを激走してきた2校の最後は、思いがけぬ100メートルダッシュで決着がついた。「本当に良かったぁー」。タイムは11時間21分39秒。早大と同タイムだった。
 5位でタスキを受け取り、3キロ地点で田口をとらえた。しかし、中野監督がいい意味で「ずるがしこい」と評価する熊崎。「絶対に前に出ないようにした」と初めからスパート勝負と決めていた。大会前に田口を分析し、「スピードでは勝てる」と判断。ゴール近くまで並走し我慢した。その勝負勘で激戦を制した。
 前回まで4年連続でシード落ち。その度に中野監督は「負け犬じゃないんだ」と鼓舞した。昨年の夏合宿からは「日本一あきらめの悪いチームになろう」と忍耐力をたたき込んだ。出場10人のうち5人が箱根未経験者。メンタルを口酸っぱく説いた。いつの間にか「しゅうとじじい」と呼ばれるようになっていた。そんな監督の思いが浸透。熊崎は「自分だけではない。(ほかの)9人分の走りが自分にかかっている」と魂を込めての爆走だった。
 大阪・関大北陽高から大学に進学する時、声をかけてくれたのはわずか1校だけ。自ら高校の監督に話し、帝京大のスカウトに売り込み、入学を許された。「帝京に入って本当に良かった」。父敦さんは神戸・三宮でワインバーを経営するソムリエ。昨年5月に20歳となった熊崎は「父と乾杯です!」。とびきりの笑顔を見せた。【吉松忠弘】

 ◆熊崎健人(くまざき・たけと)1992年(平4)5月15日、川崎市生まれ。千葉・青葉台小4年で陸上を始め、兵庫・本山南中-大阪・関大北陽高。高3では主将で全国高校駅伝31位。帝京大進学後は12年全日本3区で3大駅伝にデビューし区間6位。箱根予選会でも15位と健闘した。170センチ、54キロ。家族は父敦さん、母典子さんの3人家族。


津波犠牲 姉に捧げる区間賞
 青学大の高橋宗司(2年)が、初の箱根路で区間賞に輝いた。向かい風をものともせず淡々と足を進め、1時間6分46秒。昨年の2区出岐に続く同校史上2つ目だ。部内でも地味な存在という高橋は「奇跡が起きてしまいました」とびっくり。原監督は「たいしたもんだ」とたたえた。
 沿道で見守った母千賀子さん(51)は、姉沙織さんの遺影を持って応援した。一昨年3月の東日本大震災で宮城・東松島市野蒜(のびる)地区にある実家は津波に襲われ、沙織さんは22歳で亡くなった。中距離選手だった姉の影響で陸上を始め、箱根を意識し始めたのも高3の時に一緒にテレビを見たことから。それだけに「お姉ちゃんが可能性をつくってくれた」と亡き姉への思いをめぐらせた。
 ただ、悔いも残った。区間賞こそ取ったが、順位を上げられず総合8位止まり。「来年はチームに貢献できる走りを」。さらなる飛躍を誓った。【高場泉穂】


中大・永井が幻の区間賞
 「幻の区間賞」に、名門の意地が凝縮されていた。往路5区で途中棄権となり復路は参考記録としか認められない中大の8区永井秀篤(2年)が、区間賞の青学大・高橋の1時間6分46秒を36秒も上回るタイムで走破した。「誰も棄権しよう思ってタスキを途切れさせたわけではない。本当のタスキはつながらなかったけど、その思いは全員が共有していた」と語った。5000メートルの自己記録はチーム17番目だが「C(中央のマーク)のユニホームを着たからには後には引けない。追いついても追いついても前に出てアピールした」と永井。浦田監督は「力のなさを露呈してしまった。来年、やってくれる」と心機一転を誓った。
(以上 日刊)
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