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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム備忘録【9/19】

2019年09月20日 06時55分12秒 | マリーンズ2019
≪2019/9/19≫

【球界ここだけの話(1744)】
ロッテ・マーティン「最悪な1日」をどん底から救った1通のメッセージ


 誰もが目を疑った。7月に新加入し、自慢の強肩で幾多のピンチを救ってきたロッテのレオネス・マーティン外野手(31)が9月6日、ソフトバンク22回戦(ヤフオクドーム)で来日初の「1番・中堅」で起用されたが、2イニング続けて平凡な飛球を落球。いずれも失点につながった。この日は相手の千賀がノーヒットノーランを達成しただけに、あまりにも大きな2点となった。

 試合後の右翼席では、ソフトバンクの私設応援団「九州鷹狂会」が、普段は活躍した選手の応援歌などを歌い盛り上がる“二次会”で「いいぞ、いいぞ!!マーティン!!」「マーティン狙え!!ホークス!!」といった不適切なコールをしたことで翌日、球団から厳重注意を受け、公式サイトに謝罪文を掲載する事態にまで発展。もちろんその中傷がマーティンの耳に入ることはないが、メジャー通算8年間で770試合に出場するなど実績豊富な助っ人が「これまでの野球をやってきて、最悪の1日でした」と明かすほど、悪夢の1試合となってしまった。

 失意のどん底にいたマーティンを救ったのは、ファンから届いた1通のメッセージだった。試合後もショックを隠せず、チームバスとは別に球場を後にした。うつむいた先にあったスマートフォン。ツイッターを通じて、英文のダイレクトメッセージが届いていた。

 『あなたに対していろいろ厳しいことを言うファンもいるかもしれないけど、それはあなたがチームを助けてくれると信じているからだよ。きょうはあなたの日ではなかった、それは仕方がないこと。私はあなたのファンの一人として、これからも支え続けたいと思っている。シーズンはまだ続く。これからもあなたの強肩とパワフルな打撃を見せてください(日本語訳)』

 ファンから届いた励ましの言葉。マーティンはすぐにメモ帳のアプリに保存し、感謝の言葉とともに、その文面を自身のインスタグラムに投稿すると、そこへさらに激励のコメントが200件以上届いたという。慣れない日本でミスを犯し、どれだけ孤独な思いでグラウンドに立っていたことだろう。自分は一人ではない、そう思わせてくれるメッセージが何よりうれしかった。

 感謝の思いを胸に、マーティンは翌日、豪快な11号2ランを放った。「つらい一日から切り替えて、結果が出てよかった」。もう大丈夫。マーティンは力強く、きょうも異国の地でプレーする。(浜浦日向)

(サンスポ)

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≪2019/9/19≫

ロッテ福浦が助っ人に与えた衝撃と絆 息子に「カズヤ」と名付けたベニーの思い

「こんなに野球と向き合える人間は今までに会ったことがなかった」

 2007年3月28日、西武戦。その日のウィニングボールは今も大事に保管されている。2004年から2009年まで千葉ロッテマリーンズに在籍をしていたベニー・アグバヤニ外野手のものだ。この年の3月24日、ベニーに長男が生まれた。そして3月28日の西武戦(グッドウィル、現・メットライフドーム)でチームは初勝利を挙げた。ベニーは頼み込んでウィニングボールをもらったのだ。

「カズヤが生まれてチーム最初の白星。どうしてもウィニングボールが欲しかったんだ。だから頼み込んで貰った」

 ブルーイン・カズヤ・アグバヤニ。ベニーの長男の名前だ。ミドルネームの「カズヤ」はチームメートの福浦和也内野手に由来する。2004年に来日し、ロッテの一員となったベニーはすぐに福浦と意気投合した。食事を共にしたり、日本野球における色々なアドバイスを受けた。なによりも野球に取り組むそのストイックな姿勢に感銘を受けた。

「彼は本当に研究熱心で驚いた。いつも練習をしていた。全体練習前や試合後にはウェートをしたりとね。なによりも印象深いのは映像を見て研究をしていること。いつも自分の打撃を極めようとフォームのチェックをしていた。こんなに野球と向き合える人間は今までに会ったことがなかった」

 大リーグ通算383試合に出場。299安打、156打点、39本塁打を放ち、ハワイアンパンチの愛称で親しまれた男は日本で出会った1人の侍に強い衝撃を受けた。打撃を極めるべく日々、努力を重ねる姿は今までメジャーで出会った多くの強打者よりも印象深いものだった。だからこそ息子が生まれた時にはその侍の名前をとり「カズヤ」にしようと決めていた。

「突然ね。ベニーに言われたんだ。神妙な感じで息子が生まれたら『カズヤ』と付けたいってね。いやあ、それはビックリしたけど、本当に嬉しかった。光栄の一言。もっともっと頑張らないと申し訳ないなあと思ったね」

 福浦も当時を懐かしそうに振り返る。ベニーは千葉ロッテマリーンズで09年までプレーをして、その年を最後に現役引退。現在は故郷のハワイ・オアフ島でハワイアン航空の職員として第2の人生を歩んでいる。福浦はその後もグラウンドで戦い続けた。満身創痍の中、野球への情熱を失うことなく、ひたすらチームの勝利のために打席に立ち、2018年9月22日の西武戦(ZOZOマリン)でプロ野球史上52人目、球団史上3人目の通算2000本安打を達成した。その一報を遠く、ハワイで聞いたベニーは我がことのように喜んだという。

 あれから1年。希代のヒットメーカーもバットを置く日が来た。背番号「9」は多くの人を魅了し、影響を与え惜しまれながら現役を引退する。ベニーは「彼と一緒にプレーをできたのは光栄なことで幸せなことだった」とハワイからメッセージを送った。ブルーイン・カズヤ・アグバヤニは12歳になった。長い月日が流れたのだ。

(マリーンズ球団広報 梶原紀章)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

(フルカウント)

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≪2019/9/19≫

【林昌範の目】フォークを教えてくれた広島永川、スターのロッテ福浦…引退する選手への思い

広島黄金時代の礎を築いた永川、千葉出身の福浦は永遠のスーパースター

 林昌範です。シーズンも終盤となり、優勝争いも白熱する中、今季限りでユニフォームを脱ぐ選手が報じられる季節になりました。各球団で現役引退を決断した選手の方々は現役時代にお世話になったり、手強いライバルとして立ちはだかった先輩方が多いです。今回は2人の選手を取り上げさせていただきます。

 1人目は広島の永川勝浩投手です。新人で25セーブ、07年から3年連続で30セーブ以上を挙げるなど、広島の守護神として君臨しました。通算165セーブは球団記録です。永川さんは長身から投げ下ろす直球が凄かったですが、目を奪われたのはフォークの精度の高さです。私も現役時代に救援として自分の居場所をつかもうと必死だったので、先輩を介して永川さんに落差の大きいフォークの投げ方を聞きに行ったことがあります。相手球団の縁もゆかりのない年下の投手に対し、永川さんは握り方など丁寧に教えてくれました。気さくに接してくれることを想像していなかったので、感謝の気持ちで一杯になったのを覚えています。

 身体能力の高さを取り上げられることが多かったですが、年を重ねてからはスライダーやスプリットをウイニングショットにモデルチェンジするなど創意工夫を色々されていたと思います。広島の黄金時代の礎を築いたのは永川さんだと思います。

 2人目はロッテの福浦和也選手です。同じ千葉県出身の福浦さんは僕にとって永遠のスーパースターです。高校時代は投手でしたが、ドラフト7位でロッテに入団して野手に転向。2000安打を放つ偉業を達成しました。僕もドラフト7位で巨人に入団したので、福浦さんの活躍は勇気づけられましたし、発奮材料になりました。現役時代は沖縄で一緒に自主トレをさせていただいたのですが、一塁を守っていて感じる「良い投手像」、打者目線でバッテリーの配球などについて貴重な助言をいただきき、野球人生の大きな財産になりました。

 今年1月に福浦さんが今季限りでの現役引退を発表してから、ロッテの選手たちは特別な思いを胸に秘めてシーズンを戦っていると思います。9月23日の日本ハム戦(ZOZOマリン)で引退試合が行われますが、チームはCS進出の好位置につけています。福浦さんの後押しを背に受けて短期決戦で下克上を達成する可能性は十分にあると思います。(元巨人、日本ハム、DeNA投手)

文/構成 インプレッション・平尾類

(フルカウント)

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