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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム記事【6/20】

2024年06月21日 02時33分36秒 | マリーンズ2024
≪6/20≫


交流戦では打率.293

 ロッテの中村奨吾はここまで58試合に出場して、打率.219、1本塁打、9打点と苦戦している。

 今季に向けて「今年は内野の間であったり、外野の間であったり、しっかり抜けるような打球を打てるように下半身をもう1度鍛え直して、下半身を使って打てるように今は取り組んでいます」と、“下半身を使って打つ”ことをテーマに掲げ、練習を積み、開幕前の3月26日の取材では「最近は割といい感じでバッティングができていると思いますし、これをもっともっとレベルを上げていければいいかなと思います」と話していた。

 開幕してからここまで、“下半身を使って打つ”ことは「継続して意識して取り組んでいます」とのこと。開幕直後の4月5、6日のオリックス戦では初球からノーステップ打法で打ったり、普段使用している茶色のバットではなく、白木のバットを使ったりしていた。それは、下半身を使って打つ一環の中で、ノーステップであったり、白木のバットを使用していたのだろうかーー。 

 「タイミングがとりにくかったりというのがあったので、ノーステップにしたというのはありました。白木のバットは下半身と関係ないですね」。

 4月終了時点で打率.188、5月の月間打率.227だったが、交流戦では打率.293(41-12)。5月29日のヤクルト戦から6月5日の巨人戦にかけて7試合連続安打をマークした。交流戦前の5月26日のソフトバンク戦では、2-0の6回無死走者なしの第3打席、藤井皓哉に対して2球で追い込まれるも、そこからボール球を見極め、ファウルで粘り、3ボール2ストライクから投じた9球目の127キロスライダーを見送り四球を選んだ。7試合連続安打中の5月31日の阪神戦では5打席で、阪神投手陣に31球を投げさすなど粘りの打撃が増えてきた。

 中村は「打ちにいく中で球数が増えている印象ですかね。球数を投げさそうという意図で増えているわけではないかなと思います」と教えてくれた。粘れている時は安打が増えている印象を受けるが、そこについても「打ちにいく中でファウル、粘りだったりが多いので、安打が出ているのはわからないですけど、しっかり打ちに行けているから安打に繋がるところもあるのかなと思います」と自己分析した。

試合出場へのこだわり

 中村はこれまでの取材で試合に出ることに対してこだわりを何度も口にしてきた。

 昨年9月14日の取材では「出続けないと、試合に出てなんぼだと思いますし、なんていうんですかね、難しいですけどね。休むことは簡単だと思いますけど、試合に出る中でしかできないこともいっぱいあると思うので。そういった先輩方を見てきているので、怪我を押して出たりとか、連続試合出場している方を見て、そういう選手になりたいとと思ってやっていたのもありますし、試合に出る中で貢献しないといけないというのもあります」と熱い想いを明かしてくれた。

 今季はここまでチームは63試合戦っているが、そのうちスタメン出場は51試合。途中出場が7試合、出場がなかった試合は5試合ある。試合に出続けることにこだわってきた中で、ベンチスタートの日はどういうことを考え過ごしているのだろうかーー。

 「試合前から試合に出ている時と変わらない準備もしますし、試合に出ていなくても自分だったらこういうことを考えながら打席に立つかなとか、状況とかを見ながら状況に応じたことを考えながら見ていることが多いですかね。展開とかを読みながら裏で準備をしたりとかはありますね」。

 本拠地・ZOZOマリンスタジアムで行われた4月27日の楽天戦、5月19日の日本ハム戦、6月1日の阪神戦、6月15日の中日戦の試合前練習では、昨季まで主戦場にしていたセカンドでノックを受けていた。調べてみると、いずれもベンチスタートだった。それはチームに何かがあった時に試合に出られるようにするため、準備のひとつとしてセカンドでもノックを受けているのだろうかーー。

 「そういうわけではないですね。足を動かしての練習をしているだけです」。

 今季から挑戦する三塁の守備についても「うまくいかないことの方が多いのかなと思いますし、難しさを感じる場面が多いのかなと感じます」と話す。

 交流戦終盤から一軍に昇格した上田希由翔がバットで存在感を見せれば、11連勝中の期間は友杉篤輝、小川龍成の二遊間が機能し、若手の台頭が目立つ。チームが浮上していくためにも、中堅、ベテランの活躍は必要不可欠。その中で、昨年までチームキャプテンを務め、チームの中心として支えてきた中村奨吾にはもっともっとやってもらわなければ困る。

 「結果を出すしかないと思います」。開幕からここまで攻守に苦しんでいるが、シーズンは残り80試合ある。どう始めるかではなく、どう終わるか。シーズンが終わった時にマリーンズファンから“やっぱり、中村奨吾は頼りになるよね”と言われるような活躍をこの先、見せてほしい。

取材・文=岩下雄太 

(ベースボールキング)

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 ロッテは現在31勝27敗5分、首位・ソフトバンクと9ゲーム差の2位につける。21日からリーグ戦が再開するが、小野晋吾投手コーチに開幕から交流戦までの先発陣を振り返ってもらい、今後についても語ってもらった。

 ロッテのチーム先発防御率は2.86と安定しており、開幕投手を務めた小島和哉はリーグトップの3完投、種市篤暉はリーグ2位タイの74奪三振、C.C.メルセデスはリーグトップの防御率1.43、佐々木朗希がチームトップの5勝、西野勇士も4勝を挙げている。

 小野コーチは「先発5人は非常に頑張ってくれていると思います」と評価し、「QSもかなりとっていると思いますし、先発の役割はみんなしてくれていると思いますね」と続けた。

 開幕から交流戦前までは6連戦が4月2日のソフトバンク戦〜7日のオリックス戦までの1度しかなく、基本的には小島、種市、メルセデス、佐々木朗、西野の5人で先発ローテーションを回してきた。3週連続6連戦となった交流戦では、6月1日の阪神戦で田中晴也、6月7日の広島戦で美馬学、6月12日のDeNA戦で中森俊介、“6人目”の先発候補たちが投げた。

 交流戦期間中に将来を期待される田中、中森が先発したが、小野コーチは若手2人の投球をどう見たのだろうかーー。

 「中森は開幕から怪我とかで交流戦中に(初登板に)なったんですけど、期待していた2人がそれなりのピッチングをしてくれたのは収穫だと思います」。

 田中晴は開幕から一、二軍を含めて登板間隔を中9日、10日と空けて投げている。一、二軍で投げる今季のイニング数が決められているのだろうかーー。

 「去年もローテーションに回っていないですから、中10日くらいで余裕を持たせて回復を待ちながらローテーションで回して、そこでうまく球数を増やしていってというところです」。

 中森は今季初登板後、一軍登録を抹消されたが、一軍には帯同している。チームとしては中森を先発に固定させたい考えはあるのだろうかーー。

 「当然やってもらわないと困るんですけど、とにかく1回投げてみて結果を見ながらになると思います。ただそんな選手ではないと思っているので、回ってもらわないと困るんですけど、そこまでの信頼度を勝ち取れていない部分がある。与えられた先発の中でしっかり結果を残して次、次に行けるようにしたいですね」。

 小野コーチは中森について、先発ローテーションの一角に食い込んで欲しいという思いはあるが、現状では常に結果が求められる立場の先発投手として見ている。

 オールスター前には6連戦が7月2日からの日本ハム戦〜7日までの西武戦の週と7月12日からのオリックス戦〜17日のソフトバンク戦にかけて2度ある。

 そこで一、二軍の入れ替えであったり、投手陣を試す予定はあるのだろうかーー。

 「あると思います。(佐々木)朗希もちょっと離脱というか、ああいう状態なので、固まっているピッチャーも少ないですし、その点、若手にもベテランにもチャンスだと思います。入れ替えながらうまく回るように、勝ちに繋げられるように回していけたらなと思います」。

 ベテランで言えば、4月16日の西武戦で6回を1安打無失点に抑え、その後一軍登板のない唐川侑己も先発の可能性があるということなのだろうかーー。

 「あると思いますね。そのために今は(ファームで)少しずつイニングを増やしている。順調に戻ってきて、必ずチャンスはあると思うので、その時までしっかり準備をして欲しいですね」。

 唐川は5月25日のオイシックス戦で4月16日の西武戦以来の登板を果たし、6月9日の楽天二軍戦、17日のオイシックス戦ではともに5イニング投げている。

 オールスター前まで投手陣について「とにかく変わらずというか、しっかり先発、中継ぎ、自分の役割を果たして欲しい。自分らしいピッチングを続けて欲しい」と期待する。現在首位とのゲーム差が大きく離されているとはいえ、まだ残り80試合もあり、半分も戦っていない。先発陣がゲームメイクし打線が点を取り、少ないリードをリリーフ陣が逃げ切る形を作っていけば勝ち星は増えていくはず。とにかく先発陣には先取点を与えず、味方の援護があるまで粘りの投球を引き続き披露して欲しいところだ。

▼ 先発陣の成績※成績は先発のみ。ブルペンデーの先発も含む
種市篤暉 11試 4勝3敗 72回1/3 振74 四23 QS8 防2.61
小島和哉 11試 4勝5敗 71回1/3 振52 四10 QS6 防4.29
メルセデス 11試 2勝2敗 69回 振56 四12 QS9 防1.43
西野勇士 10試 4勝5敗 59回2/3 振42 四15 QS6 防3.77
佐々木朗希 9試 5勝2敗 59回2/3 振70 四18 QS7 防1.96
美馬 学 3試 0勝2敗 13回1/3 振8 四9 QS0 防7.43
ダイクストラ 2試 1勝0敗 9回 振9 四5 QS0 防1.00
唐川侑己 1試 0勝0敗 6回 振7 四0 QS1 防0.00
中森俊介 1試 0勝0敗 5回2/3 振4 四2 QS 防3.18
田中晴也 1試 0勝0敗 5回 振6 四1 QS0 防0.00
高野脩汰 1試 0勝1敗 3回 振2 四3 QS0 防6.00
横山陸人 1試 0勝0敗 2回 振3 四0 QS0 防0.00
岩下大輝 1試 0勝0敗 1回 振1 四1 QS0 防0.00

取材・文=岩下雄太

(ベースボールキング)

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 初めて、その名を認識したのは高校1年生の時だった。千葉ロッテマリーンズの田村龍弘捕手は当時、大阪の親元を離れて青森の光星学院(現・八戸学院光星)で野球に打ち込む毎日を送っていた。光星学院は岩手の花巻東高と定期的に練習試合を行うなど相互交流があった。両校のグラウンドは、バスで片道3時間ほど。花巻東高のグラウンドで練習試合をしていたある時、一人の選手の名前が耳に入ってきた。

噂に聞いた「凄い1年生」

 チームメートの一人が言った。

「花巻東の1年生に、めちゃくちゃ大きい選手がおるなあ」

 別のチームメートが続いた。

「投げても140kmを超えるらしいよ」

 田村はこの話を横でなんとなく聞いていた。同じ1年生にそんな選手がいるのか……当時はそんな程度の認識だった。それが現在、ドジャースで活躍する大谷翔平の名前を初めて聞いた時の記憶だ。田村は言う。

「あの頃、大谷は内野を守っていた。たしかショートだったかな。1年生の頃はバリバリのレギュラーの印象ではなくて練習試合に出てくるぐらいだったと思う」

「打撃も守備も器用だなあ」

 一方、田村は1年生の時から外野でレギュラーとして活躍していた。大谷は練習試合で1日に2試合行うと、そのうちの1試合に出るか、出ないかという存在。ただ、そのプレーはハッキリと覚えている。

「1年の時の大谷は1試合目が終わって2試合目に出てくる感じだったかな。その時はあまり知らなかったけど、身体がデカいのに打撃も守備も器用だなあ、と思った。めちゃくちゃデカいのにショートとかを守っていて、上手かったです」

 2年生になると、大谷は投打でその名を広く知られる存在に変わり始める。そして田村もまた、「打てる捕手」として全国から注目を集める選手になっていた。 

 2人が公式戦で初めて対戦するのは2年秋の東北大会準決勝。大谷は3番レフトでフル出場し3打数2安打1打点。田村も2ランホームランを含む3安打4打点と活躍した。試合は大接戦の末、9対8で光星学院が勝利する。

「無理や。歩かそう」

 捕手・田村の記憶に鮮明に残っているのは最終回の大谷の打席だ。

「バッティングがエグイというのは、もちろんわかっていました。その中で大谷をどう抑えるか。同点で迎えた最終回にライトポールを越える特大ファウルを打たれて、バッテリーで、これは打ち取るのは無理だという話をしました。ビビる、というか悟ったという感じ。『無理や。歩かそう。次の打者で勝負しよう』と四球で歩かせて後続を抑えてなんとか勝ったんです」

 結果的に花巻東高を準決勝で破った光星学院は東北大会で優勝。さらに神宮大会でも優勝した。バッテリーの冷静な判断で大谷を敬遠して、つかみ取った栄光であった。

大谷が光星学院の寮に…

 田村はそのころから大谷とメールのやりとりを始めている。キッカケは花巻東高が練習試合の遠征で青森を訪れた際、光星学院の寮に泊まることになったこと。話をするようになり、お互いの連絡先を交換した。

 さらに3年夏の甲子園大会後に参加したU18世界野球では、日本代表としてチームメートになった。田村は2年時に春夏と甲子園出場し夏は準優勝、3年時も春夏と甲子園出場してともに準優勝と大舞台で活躍し、大谷に負けじと高校野球界でその名が知られる存在となっていた。

「メールも頻繁にはやりとりはしていないけど、何度か連絡しました。ジャパンでは、そういうこともあってよく一緒にいたり、話をしたりしましたね。どうやって打っているのとかよく教えてもらった。野球の話ばっかりだったと思う」

3番・田村、4番・大谷

 日本代表には同じ捕手に大阪桐蔭の2年生・森友哉(現オリックス)がいたこともあり、田村は捕手ではなく、三塁を守った。ブルペンも含めて投手・大谷の投球を受けることはなかったが、バッターとしては4番・大谷、3番・田村でクリーンアップを組んだ。世代最強が集う日本代表の中軸を2人で担えたことは、田村にとって今も誇らしい思い出として胸に残る。

「後輩とかには冗談で自慢しますね。ジャパンで3番オレ、4番大谷やぞ、って。これを言うとみんな『オオッ』となるし。プレーではないけど、覚えているのは韓国との試合後に大谷と2人で話をして、韓国の選手とバットを交換したこと。このエピソードはテレビでも紹介されましたね。そういうのも、今はいい思い出かな」

 高校時代、捕手・田村、打者・大谷としての間接的な対戦は何度かあったが、投手・大谷と対峙したのは1打席だけだった。3年生の時、光星学院のグラウンドで行った練習試合での対戦だ。結果はライトへの犠牲フライ。その思い出も鮮やかに記憶に残っている。

「どんどん違う次元に」

 高校を卒業後、大谷はドラフト1位でファイターズへ、田村はドラフト3位でマリーンズに入団する。

「高校の時は同い年だし、同じ東北で練習試合も定期的に行っていたから交流もあって、ある程度は近い存在でした。プロに入った最初の頃も、同じタイミングで一軍の試合に出たこともあって、なんとか負けないように頑張ろうと思っていた。ただ、プロに入って少し経つと、大谷はどんどん違う次元にいったので、その時ぐらいから同い年としてというより、プロ野球選手としてヤバいなあ、と思うようになりました。知らぬ間に単に“スゲえなあ”では済まされない存在になってしまった」

 試合で対戦すると、ファイターズの練習時間には大谷のバッティングにくぎ付けになっていた。

「ああ、大谷が打っているからちょっと見てみようって。やっぱりスゲえなあ、とその姿を見るのが楽しみな存在になっていました。高校時代は一切、そんな風に見ていなかったのに、気がついたら、そんな存在になっていた」

今やスーパースター

 プロの舞台で「投手・大谷」との対戦は通算5試合。プロ3年目の2015年は6打数無安打だったが16年には5打数2安打を記録している。17年に第2戦をZOZOマリンスタジアムで行われたオールスターゲームではパ・リーグ代表としてチームメートとなり、ロッカーやベンチで久々に話し込むなど“同い年”としての時間を楽しんだ。今、振り返るとじっくりと話をしたのは、それが最後。大谷は翌年、次なる夢を求め、アメリカに渡った。

大谷とはずっと、グラウンドで顔を合わせると必ず冗談を言い合う仲だった。お互いが冗談で「黙れや」とか「なんやねん、オマエ」などと言いながらじゃれ合ったこともある。その彼が今やメジャーリーグのスーパースター。日本で知らない人はいないビッグネームだ。

「今、思うとそんなことを言っていたのが恐ろしい。『大谷様』と呼ばないとアカン。あの時はすいませんでした、って。ある意味、凄い事かなあとは思うけど」

「大谷世代」としての誇り

 時間が経ち、舞台は移り、遠い存在になってしまったことに寂しさを感じながらも、同じ時代に白球を追いかけたことを誇らしくも思っている。

「色々な世代が凄いと言われる。でも、自分たちの世代も凄い。メジャーだと大谷、鈴木誠也、藤浪晋太郎。日本でもタイガースなら近本(光司)とか大山(悠輔)、木浪(聖也)と各球団の主力を張っている。そこに自分も食らいついていきたい。

 それこそ新聞とか雑誌で、『大谷世代』とかの表に自分の名前を載せてもらえるように頑張りたい。そういう立ち位置になりたい。頑張りたいと思う。直接的なつながりはなくても、同い年というだけでつながりを感じるし、意識はします。同い年というだけで話しかけてくれることもあるし刺激をもらえる。自分が成長するには絶対に必要な存在。自分も、もっともっとやらないとアカンなあと思うんですよ」

高卒入団はNPBで“最後の一人”

 田村はシーズン中にメジャーリーグの試合をテレビ観戦することはないが、ニュースやネットなどで大谷のホームラン映像を見るのを楽しみにしている。同じ時代、同じ場所で青春を過ごし、同じ夢に向かって汗を流した。今は海の向こうの存在にはなったが、あの時の思い出はしっかりと脳裏に残る。苦しい時、エネルギーをくれる存在であることは間違いない。

 現在、大活躍する「大谷世代」の中でも、2012年ドラフトでプロの門を叩いた高卒のプロ入り選手に限ると、NPBに残っているのは田村だけだ。

「高卒がボクしかいないのは寂しい。やっぱり、中学、高校と同じ時代に名前を聞いた同じ年の選手が野球を辞めたと聞くと寂しいです。ただ最後まで残れていることは誇らしいような気持ちもあるし、その人たちの分まで頑張らないとアカンなあという気持ちにはなる」

30歳、秘める決意

 田村は少し、神妙な表情だった。この世代の一人として、まだまだ最前線で戦うという目標に向かって突き進む決意がにじみ出ていた。

 ZOZOマリンスタジアムでのホームゲーム。試合後に田村の姿はいつも室内練習場にある。ロッカーからバットを2本、肩に担いで打ちに行く。マシン相手に黙々とバットを振り、感覚を研ぎ澄ませる。通算1000試合出場まであと57試合。30歳、まだまだ老け込む年ではない。「大谷世代」--そう呼ばれる94年生まれの猛者たちは、野球界の中心を生きている。

梶原紀章(千葉ロッテ広報)

(Number)

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 BSフジ「プロ野球 レジェン堂」(火曜後10・00)が18日に放送され、ヤクルトが1978年に初優勝した時の大エースで野球解説者の松岡弘さん(76)がゲスト出演。ロッテの佐々木朗希投手(22)について厳しい言葉を口にする場面があった。

 熱烈な巨人ファンで知られるフリーの徳光和夫アナウンサー(83)がホスト役を務める同番組。

 あの長嶋茂雄(巨人)が現役時代に対戦した投手のなかで“一番速かった”と苦手にした松岡さんの速球に関連して、徳光アナが「最近の若い投手はみんな150キロぐらい投げる人が随分出てきてますけど、松岡さんの時代の快速球投手と何が違うんですかね?」と質問を繰り出した時だった。

 これに「僕らは顔から体から全部“コノヤロー!”なんて(気持ちで)投げるストレートだったんで。僕らの年代のエースはほとんどそういう人が多かった」とまずは時代の違いに触れ、徳光アナもこれに同意した。

 そして、「今みたいな、形をちゃんとした速いボールを投げられるコツは持ってるんでしょうけど、僕らみたいにがむしゃらに放って…っていうのはちょっとないんかな、少ないんかなって」と松岡さん。

 徳光アナが「佐々木朗希は160キロ投げてて、なぜ打たれてしまうんだろうって僕は思いますけども」と水を向けると、松岡さんは「そう思うでしょ」とまずは共感。「僕ら(世代)に言わせると、抜いてんの」とした。

 「これを投げないと真っすぐが生きない、その1球に対してちょっと手抜きがあるんじゃないかな。手を抜いてんじゃないかなという気がする。それで、痛い目に遭うのが1球、1割失投があったら絶対に勝てない」。

 そう語った松岡さん。「それを彼はちょっと直してほしいな」と続けて、徳光アナが「広岡イズムですね」と受けると、「というか、そのへん(のレベル)にならないと彼はメジャー行けない」と言い切る松岡さんだった。

(スポニチ)

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