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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

拾い読み★2010-373≪コラム記事≫

2010年12月29日 03時25分43秒 | マリーンズ2007~10
堀幸一が語る引退の真相

「踏ん切りをつけるためのトライアウトだった」

『堀幸一、現役続行を求め、千葉ロッテ退団』
 そんな報せに接したとき、正直、意外な気持ちになった。堀は昨季も引退を勧められ、現役続行を希望して残留してはいた。しかし今季はついに一軍出場もなく、年齢も41歳。誰でも潮時だと感じたはずだ。ましてや堀は、ロッテが川崎球場時代からプレイしてきた、いわば“最後の生え抜き選手”だった。球団もフロント入りを準備していると報じられていた。なのになぜ、そこまでして現役にこだわるのか。参加した合同トライアウトでは、声をかけてくる球団はなかった。そして引退を余儀なくされた堀。暮れも押し迫った頃、そんな彼に会った。

―― 率直にうかがいます。23年間ロッテ一筋でプレイして、41歳まで現役を続けた。にもかかわらず、合同トライアウトまで受けて現役にこだわった理由はどこにあるのでしょう。

「単純なことです。まだ自分はプレイできると思っていたから、その手応えも持っていたからです。今年は結局、一軍でプレイする機会がありませんでした。でも、二軍とはいえ夏場には3割7分程度打っていました。だから一軍でもチャンスさえ与えてもらえれば、という気持ちが強かった。もちろん、金泰均(キム・テギュン)などが入って、僕を使う理由というか、僕の“居場所”がなくなっていたのも理解していました。それもチーム事情だからと。ただ1シーズンで一度も一軍に上がれなかったのは、プロ入りした1年目だけだったんですよ。春くらいは、ケガなどで誰かが二軍に落ちてきたら、自分が上がれるかなって思ったのですが、上がるのは他の選手ばかり。今思えば、自覚はしていませんでしたが、もうあの頃から“ロッテではもうユニフォームを着続けることは出来ないのかな”と感じ始めていたんでしょうね。でも野球は続けたい。まだやれると思っていた。公式には9月に戦力外での退団と報じられましたけど、実は8月中旬に、フロントから伝えられていたんです。もう来季は選手としての契約はないと。それで、その場で即答したんです。『現役を続けたいので、合同トライアウトに参加します』って。ロッテには愛着がありました。でもそれ以上に野球を続けたい。言葉は悪いですが、ロッテだけが野球ではないと考え方が変わっていったんですね」

―― 日本シリーズは、見なかったそうですね。

「まったく見なかったというわけじゃないんですけどね。でも最初から最後までちゃんと見た試合は1試合もなかったです。僕はCMのたびにリモコンでチャンネルを切り変える性分なんで、他の番組を見ながら眺めた程度でした。だから詳しい、正確な内容は知らないんです。やっぱり寂しかったのかな、あの場所に自分がいないと言うことが。もちろん、一緒にプレイしてきた仲間が活躍し、日本一になったことは嬉しい。でも正直に言って、日本シリーズの段階では、もうロッテは僕のいるチームではないという感じがしていました。より正確に言えば、数日後に迫っている合同トライアウトのことで頭がいっぱいだった。獲ってくれるチームがあるかどうか。来年、またユニフォームを着られるかどうか。頭の中はそれだけでしたね」

―― ただ最近の合同トライアウトは、形骸化しているとも言われています。採用する選手は事前に決まっていたり、参加自体しなかったり……。

「みたいですね。だから僕も、トライアウト当日までに他球団から連絡がなければ、たぶん獲ってくれるところはない。そう覚悟しなきゃとは思っていたんです。実際、連絡はなかったですし。それでもひとりで練習している間に、いろいろなことを考えました。可能性がゼロでない限り、精一杯のプレイしよう。この年齢でまだ現役を続けたいと言って出る限りは、無様なプレイは出来ない。最低限でも十分に動けるところだけは見せなければいけない。そんな意地のようなものもありました。だから当日までの準備は真剣に取り組みました」

―― 当日は5打数2安打。2打席目にはホームランも放ちました。守備でも、堀さんが一番、目立っていたと言ってもいい。

「ホームランは、妙な気分でしたね。試合じゃないんだから、ベースを一周する必要があるのかなとか(苦笑)。でも内心では、どれだけいい動きや内容でも、おそらく拾ってくれるチームはないだろうって冷めた感じだったんです。だから……今だから言えることですけど、現役を諦めるため、踏ん切りをつけるための場所だったんです、僕にとってトライアウトは。
 ところがトライアウトが終わっても、心の中ではまだ諦めがつかなかった。オフにはFAで移籍する選手もいる。チーム事情によっては、選手枠が空くチームもあるかもしれない。そのとき『堀あたり、獲っておこうか』なんて考えてくれるチームがないとも限らない……。トライアウト前は、一週間で連絡がなければ引退の記者会見をすると決めていましたが、結局、11月末まで延ばしてしまったのも、そんな淡い期待があったからなんです。本当、10月、11月の2カ月間は、心が揺れ続けました。たぶんダメだろう。でもやりたい。そんな思いの繰り返しで……。ただ家族のことや現実を直視したら、いつまでも未練を引きずってはいけない。それが最後の気持ちでしたね」

―― どれだけ野球を続けたくても、41歳の父として、夫として背負っているものがある。

「ですから本心では、今でも声をかけてくれるチームがあったら、飛びついてしまうかも知れない。それが正直な心境です。悔いがないかと問われれば、悔いだらけです。ただどうなんだろう……。ほとんどの選手が、悔いなく辞めているんだろうか。むしろ納得して辞めている選手の方こそ、ごく稀(まれ)なんじゃないかと思うんです。時期はいつであれ、なんらかの理由をつけて自分を諦めさせ、踏ん切りをつけて現役への未練を断ち切っているんじゃないですかね」


「僕の中では引退したとは思っていない」

―― 振り返ってみて、23年間も現役を続けられると思っていましたか?

「まったく思ってなかったです。高校からプロに入った最初のキャンプで、まず僕にとっては“場違いな世界だ”と感じたほどでしたから。ひとつ年上に佐藤幸彦さんという打者がいましたが、僕が精一杯打っても外野の定位置までしか届かないのに、佐藤さんはガンガンスタンドに飛ばしていた。同期で入団した大村巌も、やっぱり凄いバッティングだった。僕自身、記憶にはないんですが、そのキャンプの頃、親に電話して『俺、3年やれればいいや』と漏らしていたらしいんです。それくらい場違いな世界だと思いましたね」

―― それでも結果、続けられた理由は?

「負けたくないという気持ちが人一倍強かった。幸い、僕には足の速さという武器がありました。だからもし打撃が劣っていても、守備や走塁で目立てば使ってもらえるんじゃないか。そう思って1年目はとにかく練習しました。プロ23年間で一番練習したのが1年目じゃないかな。それで2年目のオープン戦のとき、初めて一軍に呼ばれた試合で、水上(勉)さんが死球を受けて僕が代走に出たんです。で、そのまま守備に着き、回ってきた打席でホームランを打った。それからそのシーズンは、ずっと一軍に残ったんですよ。偶然の産物かもしれないですけど、もしあの試合に呼ばれていなければ、あと失礼ながら水上さんが死球を受けていなかったら……もちろん、いずれは一軍でプレイできたかも知れないですが、あの打席があったからこそ、今があるとも思いますね。
 あとは役割かな。とくにベテランと言われるような時期になってから、守備範囲も肩の強さも、年々、衰えていきました。でも“ここ”という場面でのプレイに関しては、まだまだ負けないという自負もあった。それが代打でも、守備の控えであっても『堀がいるから』と首脳陣が思ってくれれば、いや思わせられれば、この世界で生きていけると」

―― そうした考え方が、内野すべて守れる野手であり、全打順を打つというユーティリティープレイヤーのイメージを作っていった。

「もし僕が『セカンドでなければ嫌だ』という考え方だったら、ここまで長くは続けられなかったはずです。そういう意味では、不満を持つことなんてなかった。バレンタイン監督時代、大差のついた試合で守備固めに着いたこともありました。選手によっては『いい歳してこんな場面で使われて不満はないのか』と思ったかもしれません。でも僕はそれでもよかった。練習は自分のため。試合はチームのためという考え方ですね」

―― チームのために生きようとしたからこそ、堀という選手は23年間もユニフォームを着続けられた。

「そこまで格好よくはいないです。ただ、03年のキャンプで、ヒジを壊したことがあったんです。そのときは『これで終わったかな』と思いましたね。7年前だから34歳。幸い、シーズンには影響なく130試合出場できたんですが、あの頃から、結果を出さなければクビになる。そういう年齢になったんだという自覚というか、覚悟みたいなものは生まれました。

―― その後は、若手も伸びてくる。外国人選手も入る。定位置争いが厳しくなってきた。

「周囲から見ればそうでしょうけど、自分自身としてはあまり気にしなかったですね。どんなポジションでも打順でも、控えであっても、与えられたチャンスをものにしたら残れるし、ダメだったら残れない。そこはもう、この職業なんで仕方がないと常に割り切っていました。今回、言葉の上では引退という形を取っていますけど、僕の中では引退とは思っていないんです。引退って、自分から辞めるという意思表示みたいなものがある気がするんですよ。でも僕はまだやりたい……やりたかったわけですから。まあ言葉の上のことですけど。ちょっと偏屈かな。それに、引退という言葉を口に出来るほどの選手じゃないと思っていますしね」


「ロッテ一筋23年間、それでも悔いはある」

―― 今後は、解説者としての第二の人生がスタートするわけですね。

「ラジオとCSからお話をいただいてます。考えてみると、ロッテで23年間プレイできたというのは、すごくありがたいことだし恵まれたことだとも思う反面、いざ辞めてしまうと、ロッテの野球しか知らないわけですよ。セ・リーグの野球なんて全然、わからない。そういう点では、もう一回、解説者の立場で野球そのものを勉強し直すことも、意味があるだろうと思っています。とにかく選手時代は、ある意味で“自分のことだけ”しかやって来なかったんで、これからはいろいろな人と接して、いろんな声を聞いてみたいとも思う。最終的には、いつかコーチのような立場でユニフォームを着たいという思いもあるんで。やっぱりグラウンドに立っていたい人間なんでしょうね」

―― いずれはコーチや監督として、現場に戻りたい?

「もちろん、その思いはあります。だからというか……引退を決めた今でも、もし今日、他チームから声がかかったら、飛びついてしまうかも知れない(苦笑)。せめてあと1年、やりたがったですね。出来ればセ・リーグで。違うリーグって、選手として知ることと外から見て知ることって、また違うと思うんです。たとえ1年でもセ・リーグでやれたら、後々にも勉強になったはずです。今思えば、トレードに出して貰うとか、FAとか、出場機会を求めることも選択できたかも知れないですが、ロッテというチームに愛着があっただけに、考えたこともなかったんで。こういう言い方をすると、未練のように思われるかも知れませんが、プロ野球選手ってふた通りの考え方があるんですよね。一方は、無様な姿を見せずにきれいに辞める。もう一方は、ボロボロになっても、続けられる限り続ける。僕は決して格好いいタイプの選手ではなかったから、しがみついて『もういいだろう』と言われても、続けたいと思ってやってきました」

―― 改めてうかがいます。なぜそこまでプレイすることにこだわりを持つ、あるいは持てるんでしょう。

「野球が好きだから、と言ってしまえばそれまでですけど……。強いて言うなら“悔い”が続けたいと思わせるんでしょうね。第三者からすれば41歳まで、23年間やって来た。もう十分だろうと思われるかもしれない。でも自分の中には常に悔いが残っている。出場した試合すべて納得できているわけがない。練習だって、どこかで妥協してしまっていたこともある。そうした悔いが残って、同時にまだプレイできると思うから、こだわりになっていくんでしょうね。その点、福浦(和也)なんて年下ながら尊敬できる選手です。練習でも自分でやるべきと決めたことは徹底してやり抜く男なんです」

―― 悔いることは決してマイナスなわけではない。それを改めようとする気持ちがある限り、まだ伸びシロのようなものもある。

「それでも完全燃焼ってあるんでしょうかね。少なくとも僕は、身体が動かなくなったという自覚がない限り、もし50歳までプレイしていたとしても、悔いがなくなることはないと思います。年齢も関係ない。夏頃かな、イースタンの西武戦で工藤さんと話をする機会があったんです。彼もまだ続けると言っていた。『お前はまだ若い』とも言われました(苦笑)。
 一時は日本の独立リーグという考えもなくはなかったんです。でも独立リーグは若い選手がNPBに挑戦する場であって、40歳過ぎた選手がプレイするべき場所ではないと思いました。ただ……これだけやりたい、続けたいと言っていながら、不思議なもので同時に『ああ、もう体を動かさなくても良いんだ』という気持ちも一方にあるんですよ。頭の片隅では、ユニフォームにしがみついていたい。でも身体はホッとしている。言葉にするのは難しいですけれど」

―― それだけ現役にしがみつきたかった堀さんでも、体は「もう楽していいの?」と言っている?

「そうなんだと思います。よく引退した仲間が言っていますが『1月になって、もう自主トレしなくていいんだ』と思うと、寂しさと同時にホッとする自分に気づくと。僕の場合は、どうなんでしょうね(笑)。
 もうユニフォームが着られなくなって改めて感じることは、あの緊張感のある、しびれるような世界を経験する、それを仕事にする素晴らしさですね。そりゃ、練習がキツイとか、グラウンドに行きたくないと思うときもありました。緊張感だって、心地よいときもあれば言葉に出来ない重圧になるときは、逃げたいと思うこともありました。でもそれが自分の仕事と考えたら、これほどやり甲斐のある仕事もまたない。そう思えるのは、辞めたからかな……。言葉は悪いですけれど、二軍ではあの緊張感もしびれる感覚も体験できない。だからこそ、今はまだ二軍しか知らない若い選手には、頑張って欲しいと思う。あの一軍の世界を知らないで野球を辞めることがないように、もっとどん欲に、野球にしがみついて欲しい。そんなことも感じるようになりましたね」
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