ちょこっとGUM

今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

拾い読み★2010-376

2010年12月31日 21時13分53秒 | マリーンズ2007~10
ロッテ「一番つらかった」のは8月5日
8月5日の楽天戦。ロッテ・西村監督が審判員への暴力行為で退場処分になる。チームも敗れ、今季ワーストの7連敗で開幕直後以来となる4位に転落。「一番、つらかった」と指揮官が言うように、ロッテは崩れかけていた。
6日はオリックスとのナイターに備え、仙台から大阪へ空路で移動だった。人生初の退場となった西村監督は翌朝もまだ、近寄りがたい怒気を含んでいた。だが、試合前練習でグラウンドに出てきた時にはいつもの温厚な姿に戻っていた。
京セラドーム大阪に着いたのは昼すぎ。指揮官は監督室で自らを落ち着けると、井口、サブロー、西岡ら主力を個別に呼び出した。「しっかり頼む。もう一度まとまろう」と語りかけた。
監督のポリシーは切り替えだ。「負けを引きずることになるから」とミーティングも行わない。この日も、監督室を出た時には笑顔が戻っていた。ある選手が「普段通りだった」と驚いたように、連敗中の負の雰囲気を断ち切ってみせた。
その夜の試合。0―0の9回2死無走者から3四球を選び、暴投と適時打で3点を奪った。先陣を切る四球を選んだ大松は「一発狙いはない。つなぐことだけ。その考えが全員に浸透していた」と言う。正念場で今季のつなぐ野球ができた。
このカードで3連勝して再び上昇気流に乗った。西村監督は「あれから、みんなが一つにまとまれた」。レギュラーシーズン最終戦で3位に立つと、5年ぶりの日本一をつかみ取った。




日本ハム ロッテ優勝で痛感した 1勝の重み
3月28日のロッテ戦。2点リードの9回、マウンドには昨季セーブ王の武田久が向かう。21日に2年ぶりの黒星を喫し、27日にも9回に2点差を追い付かれて降板していた。本調子とはほど遠い守護神は、この日も西岡に適時打を許し、開幕から不振だった金泰均に逆転サヨナラ打を浴びた。
開幕から3戦連続で救援に失敗。首脳陣は試合後、中継ぎ降格を決めるしかなかった。抑え不在のチームは、次々と接戦を落としていった。梨田監督の言葉が象徴的だ。「あと1球、あと1つのアウトを取る難しさを痛感した1年だった」
なかなか勢いを取り戻せないチームの借金は4月25日には14にまで膨れ上がった。ある選手は「やれることはやっているのだから、仕方がない」。あきらめにも似た感情が漂っていた。
それでも終盤、クライマックスシリーズ(CS)出場を懸けた3位争いに加わることで、チームは失いかけていた勝利への“欲”を取り戻した。5年連続の3位以上こそ逃し、4位だったが、終わってみれば貯金7にまで盛り返していた。
3位ロッテとはわずかに0・5ゲーム差。そのロッテがCSを勝ち抜き、日本一となったことで、逆に1勝の重みを実感させられた1年だった。選手会長の田中は言う。「勝てない日が続いてつらかったけれど成長を感じられたシーズンだった」。勝利に慣れきったチームに忘れかけていたものを思い起こさせた。




ツインズ西岡の「お披露目会」中止か
ツインズ西岡剛内野手(26)の「お披露目会」が中止に追い込まれる可能性が出てきた。来年1月28日から3日間、昨季までの本拠地メトロドームでファン感謝デーを予定。だが同球場の管理会社が「イベントは開催するが、ここではできない」とツ軍に会場変更を求めた。12日に同ドームの屋根の一部が大雪の重さに耐えきれず崩落し、来春まで修理に時間を要すという。ツ軍は西岡にも参加を要請しているが、極寒のミネアポリスでは屋内施設が必要で、関係者は代替会場の手配に頭を悩ませている。



西岡の「7」見合う選手出るまで空き
ロッテの背番号7が、当面は空き番号となる。ツインズに入団した西岡剛内野手(26)が04年から7年間つけていた番号で、今年は首位打者、最多安打、206安打で日本一の立役者となり、ロッテの「顔」としてチームの功労者であることは間違いない。それでも石川球団運営本部長は「その番号に見合うほどの選手が出てくればつけるでしょう。本人に許可をとってという考えはありません。彼もそういうことを気にするタイプではないと思うし」と、選手の力を平等に扱う方針を示した。
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