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拾い読み★2010-376≪コラム記事≫

2010年12月31日 21時08分23秒 | マリーンズ2007~10
マリーンズに関係する部分のみ抜粋掲載しました。
長野、荻野、雄星、筒香……。'09年ドラフト1位選手の○と×。
早稲田大の斎藤佑樹をはじめ、多くの逸材が2010年のドラフトで1位指名され、球界関係者やファンは早くも来シーズンの彼らの活躍に期待を寄せている。
 ただ、彼らの結果に対して侃々諤々しての評価を下せるのは、せいぜい来夏以降になる。
 それよりも、2009年のドラフト1位選手はどうだったのか? 誰が前評判通りで誰が期待はずれだったのか。
「ドラフト1位の○と×」。シーズンオフの今、それを改めて回顧する。

序盤のキーマンとなったロッテ・荻野もケガさえなければ……。
 足といえば、千葉ロッテの荻野貴司は、シーズン序盤、長野以上に注目を集めた。
 オープン戦初出場となった代走で積極的に盗塁し首脳陣の評価を得、レギュラーの座を掴んだ。「『走ってなんぼ』と思われていただろうから迷わず走りました」と開幕直後に荻野は回想したが、これも大学、社会人と高いレベルでもまれてきたからこそできる判断。数少ないチャンスをものにする術を彼は知っていた。
 課題とされていた打撃でも、金森栄治コーチと下半身主導のフォームを作り上げ安打を量産。これには荻野本人も、「社会人時代は上半身の力に頼っていましたが、プロでは下半身を意識することでボールを長くみられるようになりましたし、選球眼もよくなりました。コーチの言うことを受け入れた結果だと思っています」と納得の表情を見せていた。
 打率3割、20盗塁以上と抜群の成績を残していた5月下旬に右ひざを故障。以後、一軍復帰は果たせなかったが、ロッテの開幕ダッシュを支えた選手であることは間違いない。






マリーンズに関係する部分のみ抜粋掲載しました。
【日本野球】2010年、野球界10大ニュース(2)
第5位 マートン、来日1年目でイチロー越えの214安打
来日1年目での天才越えだ。今シーズンから虎の助っ人として縦ジマのユニフォームに袖を通したマット・マートンは、開幕前の予想をはるかに超える対応力で前半戦からヒットを量産した。コンパクトな広角打法は、後半戦になっても衰えない。迎えた10月5日の東京ヤクルト戦では、2回表二死満塁のチャンスでセンター前へ打球を運び一塁ベース上で両手のひと差し指を夜空に突き上げた。シーズン211安打――。94年、オリックスのイチロー(現マリナーズ)が残したプロ野球シーズン最多安打記録を塗り替えた瞬間だった。試合後のマートンは謙虚に快挙を振り返った。「記録達成は光栄です。でも、イチロー選手より(自分の方が)試合数が多い。イチロー選手がすばらしい選手であることに変わりはありません」。その後も安打を重ねてシーズン通算安打を214本まで伸ばした。ちなみに、2010年はマートンの他にも、青木宣親(ヤクルト)、西岡剛(ロッテ)がシーズン200安打を達成した。

【日本野球】2010年、野球界10大ニュース(3)
第8位 ドラフトで斎藤、大石に10球団
10月28日のドラフト会議。大学生の豊作年と言われた2010年は、注目投手たちの指名に視線が釘づけとなった。特に早大の『ドライチ候補』たちの行方は最大の目玉だった。結局、6球団が競合した大石達也は西武、4球団が競合した斎藤佑樹は日本ハム、そして福井優也は広島から1位指名を受ける。同一チームから3投手のドライチが生まれたのは史上初だ。さらに、横浜から指名された須田幸太(JFE東日本)は早大出身。同じドラフトで同大学出身の4投手が1位指名となったのも異例のことだった。また、早大トリオと同じく、高い評価を受けていた157キロ右腕の澤村拓一(中大)は一本釣りで巨人から、速球派左腕の大野雄大(佛教大)は中日から、大学NO.1スラッガーと言われた伊志嶺翔太(東海大)は千葉ロッテからそれぞれ1位指名を受けた。競合が予想された選手たちを次々と指名し、1位入札抽選で3連敗を喫したオリックスにとっては苦いドラフトとなった。

第10位 2010年、球界行く人来る人
ロッテの日本一で幕を閉じた2010年のプロ野球。そんな華やかなニュースの陰で今年も多くの選手たちが現役生活に別れを告げ、静かにユニフォームを脱いでいった。阪神の正捕手として2003、2005年と2度のリーグ優勝に貢献した矢野耀大。南海ホークス時代の1988年に入団し、その後もダイエー、ソフトバンク、巨人でおもに代打の切り札として活躍した大道典嘉。1996年のパ・リーグ盗塁王でダイエー、オリックス、ソフトバンクで活躍した村松有人。ロッテ一筋23年で通算1827安打を放った堀幸一、90年代の弱かった阪神を支え、メジャーやメキシコリーグでもプレイした藪恵壹(楽天)などが、現役引退を表明した。
 また2010年オフは移籍選手が多く、大きく様変わりするチームもある。ソフトバンクはFAで横浜から内川聖一、西武から細川亨を獲得。内川の抜けた横浜は、日本ハムから森本稀哲、楽天から渡辺直人らを獲得し、チームを強化。そして2011年、もっとも注目を集めそうなのが楽天だ。ポスティングでメジャー移籍を希望いていた岩隈久志が残留を表明し、メジャーから日本球界復帰となった松井稼頭央、岩村明憲を獲得。さらに監督には8年ぶりの現場復帰となる星野仙一が就任。球団はじまって以来の大補強で悲願の初優勝を狙う。その他には、巨人のイ・スンヨプ、オビスポはそれぞれオリックス、日本ハムとパ・リーグに移籍。そして日本一に貢献したロッテの西岡剛はポスティングでツインズへ。また、阪神から戦力外通告を受けた金村暁は韓国球界への移籍が決まった。

球界を襲った相次ぐ訃報
2010年の球界は相次ぐ訃報に見舞われた1年だった。1月17日に、巨人、阪神でエースとして活躍し、日本ハムの投手コーチを務めていた小林繁氏が心不全のため死去(享年57歳)。さらに2月5日、オリックスの小瀬浩之選手がキャンプ地の宮古島で宿舎のホテルから転落死するというショッキングな事件が起きた(享年24歳)。4月2日には試合前のノック中に巨人の木村拓也コーチが突然倒れ、意識不明の重体に。その後、緊急入院して治療を続けていたが、5日後の4月7日に息を引き取った(享年37歳)。また5月5日には阪神タイガース、大毎オリオンズで活躍し、長く阪神のOB会長を務めていた田宮謙次郎氏が脳内出血のため死去(享年82歳)。7月18日には立教大の監督として、長嶋茂雄や杉浦忠らを教え、国鉄スワローズの監督も務めた砂押邦信氏が肝臓がんのために死去(享年87歳)。10月7日には、「親分」の愛称で親しまれ、ロッテ、日本ハムなどで監督を務めた野球評論家の大沢啓二氏が胆のうがんのため死去(享年78歳)。まさに2010年は、球界発展のために尽力した人、これからの球界を支える人など、なくてはならない人たちを失った悲しい1年だった。心よりご冥福をお祈りいたします。
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