毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

「青空教室」の思い出!

2015-06-30 15:03:02 | 日記

 ろう者の社会人野球チームが週に1度、利用できるホームグランドが熊本市東区にある。県立熊本聾学校の野球場だ。ここが数年後になくなるという。

 県が2019年度の開校を目指し知的障害の子どもを対象にした、特別支援学校の最終候補地を野球場を含む聾学校の運動場と決めたためだ。その背景には特別支援学校に通う児童生徒数の増加があり、熊本市中央区の熊本支援学校では狭い教室で学ぶ子どもたちの姿が見られるという。「特別支援学校の新設は進めてほしいが、野球場はなくさないで」と今朝の新聞は報じている。

 この記事を読んで遠い昔のことを思い出した。

 昭和23年に教育制度がかわり、6・3・3制度の1つとして新制中学校が開設された。私はその第1回生として「門司市立第四中学校」に入学した。ところが未だ戦後の混乱期、新しく学校が発足したとはいえ、その設備と言えば、それはお粗末だった。

 1クラス50名。1年が4組、2年が3組、3年が1組だったようだ。それに対し職員室を含め教室は6教室。運動場はテニスコート2コートがやっとの広さ。授業は各組が交代で青空のもとでおこなわれる。雨が降ると教室を2つに分け、それでも入れない人は廊下に座る。机も椅子も足りない。

 毎日、お陽さまの位置を確かめながらの、数少ないイスと机を並び替える授業。雨の日は廊下で授業を受ける。後ろの席からは黒板を見ることも出来ない。もちろん体育の授業はまったくできない。

 5月の始めに各組のクラス委員が集まり、役所や学校にその窮状を訴えることを決め、さっそく市長と校長先生にお願いの手紙を出した。ところがいくら待っても、返事が来ない。あまりにも厳しい学校生活に登校しない生徒が出始めた。

 6月梅雨入りの前に代表が集まりまた話し合った。その結論は、クラス代表8名がハンストに入り実情を訴えることだった。ハンスト実行の当日、午前10時に2名の代表が校長先生にハンストに入ることを伝え、宣言文を校庭に貼りだした。残りの代表6名が、関門海峡が真下に見える近くのお寺の本堂をお借りしハンストに入った。

 学校にも父兄にも場所は秘密にしていたが、11時過ぎには早くも新聞社やラジオ局の知るところとなり大騒動。市役所から助役さんも訪れ、午後3時過ぎに「7月中には解決を図る」との回答を戴きハンストは終わった。その日の夕刊各紙には写真入りで大きく「中学生のハンスト」と紹介された。

 青春時代の懐かしい思い出。一時的な対処策ではあるが、夏休み前に1年生と2年生は近くの2つの小学校で分散授業を受ける。3年生は現在の教室を使うこととなった。

 2年後に白い4階建の校舎が関門海峡を見下ろす丘の上に新築された。それは全国で最初に建てられた4階建ての校舎だったという。

 最後に、「特別支援学校の新設は進めてほしいが、野球場はなくさないで」と結んであった新聞記事、私もそう願いたい。きれいごとだろうか。何かいい知恵を出せないものでしょうかね。

 


梅雨の晴れ間に朝のご散歩

2015-06-29 13:46:01 | 日記

梅雨の晴れ間の一時、透き通るような青い空が広がっている。好天気に気分は爽やか、“うちの奥さま”とつれだって朝の散歩に出発。

散歩コースにある遊水公園のお花畑の美しさに心は和む。お友達となった沢山のお花達と久しぶりのご面会。カメラを向ける。

                          

                        

小鳥たちの鳴き声のにぎやかなこと。蓮池には沢山のピンクの花が開きお互いに覇を競いあっているかのようだ。

雨の日はとってもうっとうしい。早く梅雨は明けて欲しいものだ。


女子サッカーW杯“なでしこジャパン”ベスト4へ進出

2015-06-28 18:35:23 | 日記

サッカー女子(W杯)カナダ大会準々決勝でオーストラリアと対戦する日本(なでしこジャパン)のキックオフに間に合うように、普段より1時間早く午前4時にベットを離れテレビの前に座った。

キックオフは午前5時(日本時間)。“なでしこ”は必ず勝つと信じながらの切ない応援。そのため毎日続けている朝の散歩もラジオ体操も今日はお休み。

試合が始まった。ハラハラの連続。双方とも点が取れない。でも贔屓(ひいき)目か、なでしこが少しだけ有利な気もする。前半戦終って、後半戦に入っても状況は変わらない。がんばれ“なでしこ”。だんだんと興奮の度合いが高まってきた。

後半24分、球を支配しながらもゴールが遠かった“なでしこ”が左コーナーキックのチャンスを得た。この球を相手は完全にクリアしきれない。後半26分から大野選手に変わって途中出場した岩淵選手が「おいしいところをいただきました。みんながつないでくれたおかげ」と右足で押しこんだ。

試合終了のホイッスルが聞こえた、オーストラリアを1-0でくだした。前回に引き続いてのベスト4進出。がんばったね。おめでとう。

次の相手はカナダを下したイギリスと決勝進出をかけての大勝負。勝利を確信し一生懸命応援しています。

 

 


天皇・皇后両陛下の慰霊の旅

2015-06-27 11:08:02 | 日記

 「2014年6月27日に書かれた記事をお届けします」とgooブログからメールが届いた。

その日のタイトルは「天皇・皇后の対馬丸記念館ご訪問」

「対馬丸記念館」は、対馬丸事件を顕彰するための施設。子どもら1476人が犠牲になった学童疎開船の悲劇を後世に伝えようと国が建てた施設だ。

民間人を含め鉄の嵐と呼ばれる太平洋戦争末期の熾烈な沖縄戦では、民間人を含む20万人ともいわれる多くの犠牲者を出し、その後も駐留する米軍の基地に囲まれ、今も大きな痛みと苦しみに耐え続ける沖縄の方々に、両陛下には強い思い入れがあることだろうとご推察できる。

2014年6月26日のブログには、「那覇空港に到着された両陛下は糸満市の平和祈念堂と国立沖縄戦没者墓苑を訪問し、慰霊碑にお揃いで白菊の花束を供えられ、沖縄戦犠牲者の霊を慰められた。翌27日、対馬丸の学童慰霊塔『小桜の塔』にお参りになられ花束を供えられ、その後『対馬丸記念館』をご視察になられた。と書かれている。

そののブログを読み返すうちに、戦後70年にあたり、天皇皇后両陛下が今年4月に、太平洋戦争の激戦地パラオ共和国をご訪問になり戦没者を慰霊されたことを思い出した。

パラオは、赤道近くにある約200の島々で構成された共和国。第2次世界大戦中にパラオ諸島を構成するペリリュー島で日米両軍が激突し、最終的に日本兵は1万人以上が戦死し、捕虜も含む生存率は約2%という悲惨な戦場となったところ。米軍も当初予想した以上の約1800人の戦死者を出した太平洋戦争屈指の激戦地の1つ。その慰霊が今回のご訪問の大きな理由という。

さらに6月13日の新聞に天皇、皇后両陛下は17日から2日間の日程で宮城、山形両県を訪問される。17日は太平洋戦争の激戦地となったパラオから引き揚げてきた人たちが住む『北のパラオ』、宮城県蔵王町北原尾(きたはらお)地区を訪れ、住民らと懇談する。4月に戦没者慰霊でパラオを訪問した両陛下は、かねて北原尾に関心を寄せていたという。」とあった。

陛下は昨年傘寿となる80歳を迎えられ、

「もっとも印象に残った出来事は先の戦争。前途に夢を持った人たちが若くして命を失ったことは本当に痛ましい。平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って今日の日本を築いた。」と、振り返えられた誕生日のお言葉。実に力強いお言葉だった。深く頭が下がった。

日本は憲法9条に守られた素晴らしい平和と民主主義の国。何と素晴らしいお言葉だろう。両陛下の先の戦争犠牲者に対する慰霊の旅はまだまだ続くことだろう。

 


「安保に反対するマスコミはつぶさなあかん」、開いた口が塞がらない

2015-06-26 13:47:23 | 日記

6月17日の新聞投書欄に、作家の森村誠一さんの投書があった。

「開いた口が塞がらないとは、このことでしょう。3人の憲法学者が衆院憲法審査会に呼ばれて、安全保障関連法案を『違憲』としたのに対し、政府は『行政府による憲法解釈として裁量の範囲内』と反論しました。学者は黙れと言わんばかりです」投書の一部ですが、森村さんに仰る通りと納得するのは私だけでしょうか。

集団的自衛権行使について、総理は、“国の存立と国民の権利にかかわる明白な危険があるときは・・・”といわれるが、そのことについての十分な説明が行われていないことにお気づきだろうか。また、国会答弁でリスクと言う言葉を多様されたが、どこに、どのようなリスクがあるかも総理からの具体的な説明は聞こえてこない。リスクとはなにか、素人でよくは分からないが単純に考えると「危険」ということだろう。

25日に自民党本部で開かれた安倍総理に近い自民党議員による勉強会に、講師として参加された作家の百田さんや党の役職にある議員の一連の発言をニュースで見て、森村さんではないが開いた口が塞がらなくなってしまった。

「沖縄の2つの新聞社は絶対につぶさなあかん」、「沖縄を懲らしめるために島の1つも外国にやるとよい」、「マスコミを懲らしめるためには広告収入がなくなるのが一番。経団連などに働きかけては」、「テレビのスポンサーにならないことが一番こたえることがわかった」等々。

安倍政権では、たびたびメディアを名指しした批判が問題になってきた。報道の自由の根っこにあるのは少数意見の尊重。反対の声を力で抑え込もうとする総理の姿勢が見え見えになったのが、勉強会のこれらの言葉ではあるまいか。

大多数の国民は戦後70年続いてきた平和の継続を強く望んでいる。そのために戦争にノーをつきつける。集団的自衛権の行使は戦争にも繋がりかねない、国の存亡にも関わりかねない重大なリスクといえる。

「国の存立と国民の権利にかかわる明白な危険(リスク)とは何か。それは一番偉い最高責任者である。」、森村さんの投書は最後をこう結んでいる。