北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

バンクーバー五輪と関係ないのですが :2000CANADAの旅残り物

2010-02-10 14:18:08 | 追加の1枚

 年初来雑用が増えて、blogの更新が滞りがちになっています。毎日とか週何回とか特に決めていなくて、題材があって気が向いたらの気まぐれでやってきましたが、題材の底が見え始めました。おまけにこの所立ち上がりや処理速度の極端に遅い自宅のPCを入れ替える準備に奔走していて、スキーどころか「アキバ」以外外出していないのです。・・・なので題材が増えない!!!

 2週連続で出かけたさすが秋葉原!諦めていたwindows XP搭載の在庫品を探し当てられ、持ち帰りました。これで使用中のソフトのバージョンアップや周辺機器の買い換えの必要が無くなったはず!?!と思ったのが間違いでした。我々高齢者にとって必需品(メールで連絡出来るのは僅かで、ファックスが主力の世代です)“FAXモデム”、前のPCで使用していたものがPCI スロットには入るのにサイズが違ってコネクタには入らないのです。息子や知人の知恵を借りて「現在のPCIの仕様はex(エキスプレス)と進化し、更に×1・×4などいくつも種類があり、以前のものとの互換性はない」と、分かりました。2年前に買ったPCI・FAXモデムは1400円程でしたが、USB接続・FAXモデムは7000円もかかりました。ちなみにPCI・FAXモデムも存在していて(旧タイプですから使えませんが)4000円近い価格で売られていました。店員さん曰く「需要がないものですから」。

 今週末もまたまた会の休日当番、拘束されてお出かけ不可!!幸い週末からは待望の「バンクーバー・冬期五輪が始まります。待ち時間にはTVが見られるのがせめてもの救いです。バンクーバーは生涯で数少ない内でも初めての外国旅行で2000年に訪れた場所、オリンピックとの関連箇所はないかと期待しました。しかしスキー会場は全てウィスラーと分かりました。何とバンクーバー中心地より120kmも離れています。「2000CANADAの旅」関連のフィルムに何かあれば・・・と考えましたが、何せ車で3時間近くかかる彼方、有るはずがありません。

 それでもこじつけに1枚画像をアップ!!クイーンエリザベス公園の高台から、バンクーバーダウンタウンを越えノースバンクーバーを望んだ画像ですが、斜面に連なる住宅の先、空の彼方に雪を頂いた峯、あの辺りがウィスラーの筈なのです。


信州北回廊(7) 真田宝物館:長野市松代

2009-10-05 13:47:39 | 追加の1枚

 須坂から宿泊地の戸倉上山田温泉に向かいました。飯山の次には信州大学志賀自然教育園を予定しましたが、奥志賀スーパー林道では距離も長い上曲がりくねった山道なのでためらっている内に、林道の取っ付きである野沢温泉への入り口を誤って通過してしまい、最短距離の信州中野経由の志賀草津道路と考え直しました。志賀中野有料道路の交点の交差点で信号待ちして見上げると、高架上をかなりの量の車が湯田中方面に走っていくのが見えました。通行量が多い時は、登り一方の志賀草津道路ではかなり速度が落ちます。時間は既に午後2時を過ぎていて、長逗留は出来そうにありませんので、思い切ってパスして須坂に向かったのでした。21日、まだ連休2日目です・・・写真を多く撮りすぎ整理に手間取ったので長引いていますが、もう少し続きます!?!

 須坂と戸倉の中間当たりに松代はありました。計画変更なので、事前の資料はありません。長野電鉄松代駅前の観光案内の大看板を眺めると、“真田”一色でした。それではと真田邸を目指しました。駐車場の前は「真田宝物館」でした。なまこ壁、城風の外観、普段資料館の類は殆ど入らないのですが、イベント中入場無料に誘われてじっくり見学しました。



 真田家の歴史が詳しく述べられ、武具なども多数展示されていました。本音では、歴史に疎いのでそれほどの関心がないのですが・・・!!人力車での真田城下町めぐり車夫は暇そうにしていましたが、そろそろ終了の時間です。



 裏手の真田公園、その先の真田邸に向かいましたが、残念!!修復中で公開されていませんでした。松代藩文武学校がその又先にありましたが入場時間ぎりぎり、こちらは有料との掲示、時間切れでパスしました。

 その日の泊まりはいつもの「ルートイン」、上山田は温泉地、ビジネスホテルといえど館内に天然温泉があるのでどっぷりとつかり翌日に備え早寝でしたが、夜半から雨音が聞こえ始めました。


信州北回廊(4) 寺町めぐり・おまけ:長野県飯田市

2009-09-29 15:41:47 | 追加の1枚

 飯山の寺めぐりを後に、須坂の蔵の町並みへ向かいましたが、気になる画像が残っていたので、追加することにしました。

 本堂がお堂らしくない赤い金属板葺きの屋根の本光寺、山門の屋根も庫裡の屋根も同じレンガ色、よく見るとかなりモダンな造りでした。

 

 寺めぐり遊歩道一帯花一杯でしたがこのお寺とにかく草花が多く、ススキ萩と季節ものはもちろん、名残の朝顔がまだ見事に残っていたので思わずカメラを向けていました。



 アップで撮った朝顔の影に一枚の木札がありました。拡大してみると「見守りとうど衆の家」とありました。



 「見守りとうど衆」とは?気になったので調べてみました。飯山市社会福祉協議会のサイトにありました。

『「小地域ネットワーク事業  見守りとうど衆」   飯山市社会福祉協議会
       ~合い言葉は「市民みんなで見守りとうど」~
 見守りとうど衆とは、ひとりで暮らしている高齢者や高齢者だけの世帯、子供の見守り、自宅で療養生活を送られている方々を隣近所で見守りをしたり、訪問して何か困っていることがあったら、区長・民生委員または社協事務局へ連絡したり、その場でできるお手伝いをしていただくなどの目的で、飯山市社会福祉協議会の会長から委嘱された方々です。
参加者には「見守りとうど衆の家」という表札 を配布します。』

 飯山市、地方の小都市と言っても中心部は家が密集して、ある程度の活気はありますが、周辺部は山地ですから過疎化の波にさらされています。限界集落(好きな言葉ではないのですが)も数知れず、増加の傾向があるのでしょう。

 別のサイト、と言ってもやはり飯山市なのですが『(阪神大震災の時)市民による「阪神大震災救援とうど衆」(とうど=ボランティア)を組織して送った』旨の掲載がありました。「見守りとうど衆」とは、市民のボランティアにより地域の崩壊を連携により防ぐ制度と分かりました。都会では考えられていないことです。

 「とうど」の語源が気になりましたのであちこちサイトを彷徨いましたが、確たる解説には巡り会いませんでした。それでも「(とうど)=(たびと)=田人」の記載が見つかりました。田人(とうど)とは田で働く人、農仕事の手伝い人の意味と理解できました。

 又別のサイトでは『「とうど呼び」とは、1年間農作業を手伝ってくれた人たち(小作人など)を12月の冬至の頃に家に招いて、ごちそうを振舞った昔の風習のことです。(妙高地方)』とありましたので、田人=たうど=とうど=田人=手伝い=ボランティア:と繋がりました。信州北回廊地域の昔からの言い回しと風習があり、現代に応用したものと思われます。・・・勝手に解釈したけれど合っているかな???


9月の旅 かって紅葉は見ていない! :南魚沼・新発田・砺波

2009-09-17 18:19:19 | 追加の1枚

 今週末は暦の組み合わせで偶然4連休(土曜休みの人は5連休)となりました。G.W並なのでシルバーウイークに値するとマスコミは書いていますが、かって昭和の時代では秋の連休は3連休になることが度々あったので、シルバーウイークと呼ばれていたと記憶しています。せっかくの連休です、残り少ない人生を少しでも有効に過ごしたいので、旅を考えています。何しろ自営業には有給休暇はなく全て休業は無収入になりますから、年間を通して臨時休暇は殆ど取っていないので、この機会を逃す手はありません。と言っても紅葉にはまだ早過ぎ、街中は暑かったり山は冷え込んだりと台風も気になるやっかいな季節なのです。去年の秋9月敬老の日にはここにいました。



 裏巻機渓谷の不動の滝へ向かっています。渓谷歩きで沢登りかと考えていましたが、谷は遙かに足の下、滝壺に下りるまで水に縁はなく崖っぷちを歩いていました。もちろん紅葉のかけらもありません。そして一昨年の秋分の日、新発田の清水園の庭にススキと寄り添う様に楓の赤がありましたが、若葉の頃から赤い葉を付けている種類があったと記憶していますが、名は忘れましたが多分それでしょう。



 その前の年2006年、9月の始めに山梨の櫛形山に登っていますが、秋の気配は全くなく真夏の様相でした。その為か9月一杯行動を起こしていません。10月に入って体育の日が連休で、富山県砺波市に山居村を見に行っていました。そしてそれがきっかけでkoba3のblogが始まっています。屋敷林は松や杉、檜等常緑樹が主ですから紅葉はありません。



 旅の記録を整理していても、9月に紅葉を見たのは大雪山くらいしか記憶がありません、それも末だったと・・・。今年は7・8月とも2泊以上の旅をしています。少し贅沢をしたと気が咎めていますが、身体が動く内に出来る時は!と夫婦して言い訳しあっています。盆休みは遠出でまたまた1500km近くを走ってしまったので、この週末は高い所でも紅葉はまだまだとの情報、連休を少し使って近場で町並みウオッチングと森林浴等で身体を休めることとして・・・webで安いホテルを探しましょう!観光地から少し離れたビジネスホテルは、休日割引で集客していて狙い目!!です。欲張って直前割引???


盆休みやはり大渋滞でしたが・・・ :新潟県湯沢町

2009-09-11 13:33:21 | 追加の1枚

 火曜日のTV「ガイアの夜明け」で、高速道路上限1000円の効果を検証する番組をやっていました。取り上げていた話題の一つは、下北半島大間のマグロ解体ショーでした。首都圏から、それより更に遠くからもかなりの車がやってきていました。高速道だけでも700km以上あり、下北半島へ入って100km以上走ることになります。地元の寿司屋さん割烹料理店は、マグロ料理の注文でごった返していました。5000円のコースを食べに700km以上も走るなど考えられませんが、途中観光をしながらならばそれなりの意味はあるのでしょう。が、1000円×観光回数となり、追加料金が必要になります。といっても通常料金は14000円程ですから、何度高速を降りてもかなり安価に着くことは確かです。

  二つ目の話題は、福島県の奮闘でした。首都圏から300km程・高速料金5~6000円の位置にあり、今までは格好の行楽地だったのですが、1000円効果でより遠隔地に目的地が移って仕舞うという危機感に見舞われていました。事実今年のGWでは既に減少傾向にあり、より遠くの仙台、盛岡、青森に増加傾向が現れていたと報告されていました。写真は福島県繋がりで郡山市浄土松公園の群生していた百合の花です。(彩りに:7月19日撮)

 そして三つ目は、営業としての運送業の話題でした。千葉木更津辺りの運送業者が、京葉道路経由を通行料800円になったアクアラインに変えた所、時間も経費も大幅ダウン出来て幸いとしていたところ、房総の花を川崎の市場への運送が、休日押し寄せた行楽客の車の渋滞で、通常の2倍以上の時間がかかり市場の指定時間に大幅な遅れを出してしまい、差し支えが出てしまったとのことでした。高速道を走る定期路線バスも休日は大幅な遅れが出て、客離れを心配しているようです。

 大渋滞予測の盆休み、能登へ向かうため初日13日、午後になってから越後湯沢までやって来ました。朝40km以上あった渋滞も終わっていて順調に走りましたから、日の高い内に着いていました。山へ登る程の時間はありませんから、森林浴としました。魚野川の向こうに雪のない岩原のスキー場が見えていました。



 残念ながら、河原の草に覆われた魚野川の流れは、ほんの少ししか見えません。



 ここは中里にある「ルーデンスリゾート」の「ルーデンス・ジャルダン」と名付けられた施設です。昭和開発という会社が中里昭和ルーデンス・スキー場として、35年程前目新しい会員制のスキー場として出発したのですが、会員制が一般的でなかったこととスキーブームの終焉で会員が集まらず、倒産してしまいました。その後経営は転々としていますが、閉鎖せず何とか持ちこたえ、スキーシーズン以外もプールやテニス、キャンプや釣り堀などで集客をはかっています。子供達が幼かった頃は、一年を通じて利用していて、今でも時折やってきます。何しろ静かで落ち着けるのです、夏もスキーシーズンでも・・・。開業当初からあったバーベキューレストランも健在で、僅かでしたがお客も入っていました。

 最近の旅は車に頼っているkoba3にとって、高速道料金の値下げは福音なのですが、盆休みや先週の甲府行きの様な渋滞は、料金を払っても願い下げたいのです。今までも首都圏を休日朝脱出するのには、必ず渋滞を覚悟しなければなりませんでした。快適な旅をするためには多少の出費も覚悟しなければならず、渋滞の終わった午後か休前日の夕方に、100~200km圏迄脱出しておいて、翌日たっぷり行楽や山歩きを楽しむ様にしていました。1泊分の宿泊費の出費は、有効に使える時間に換算すれば十分元が取れます。休日のビジネスホテルやルーデンスの様に、低価格の宿もありますから・・・。


やっと分かった 梵音巌&霊擁殿:岐阜県多治見市

2009-06-09 13:45:53 | 追加の1枚

虎渓山永保寺追記
 G.Wの北陸美濃の旅を纏め終えて、多治見の虎渓山永保寺、いくつかの疑点が残った。観音堂の背後に聳え臥竜池に注ぐ滝がほとばしる岩山の上には苫屋があった。



 この六角形の建物の由来名称を調べていて、いくつかの事柄が分かった。岩山は梵音巌、湧水を集めた流れが滝となり梵音の滝(飛瀑泉)と名付けられていて、頂上の建物は六角堂(霊擁殿)、「内部には行基菩薩作と伝えられる本尊の回りを約1000体の地蔵菩薩が取り巻いている。」と判明した。(写真は再掲)



 写真を改めてアップで眺めると、梵音巌の岩肌と滝の周囲には石仏が沢山並んでいた。石仏と言えば、六角堂の近くに行けないかと観音堂裏の坂を上がっていったが、柵の向こうに池を僅かに望める程度で、近づくことは出来なかった。坂の上に思いがけず保壽院が有ったのだが、その三門の前に当たる梵音巌の崖上、鉄柵に囲まれて石仏(地蔵尊?)が鎮座していた。

 

 なかなか気品のあるお顔、思わずカメラに納めていた。六角堂(霊擁殿)と並んだ位置なので、納められているという地蔵菩薩と関連があるのか?今は調べる術がないが、いずれ分かる時が来るであろう。


記憶にありません 名物ささだんご:山梨方面?

2009-04-10 16:01:19 | 追加の1枚

 桜の季節も終わりに近づき、今日は早足で歩くと汗ばむ程です。最近、春はあっという間に通り過ぎ、すぐに夏がやってくると感じています。花見に浮かれている内に、すぐにGWがやってきます。今年は4連休、土曜休みのところは黙っていても5連休、メーカーなどでは8連休などの話も聞きますが、生産調整を兼ねてと言われれば喜んでもいられません。koba3家は、土曜は仕事、おまけに午後には会の当番の仕事が入っているので、GWは3日からと思っていました。

 会が協力しているNHK文化センターの恒例のイベントが2・3・4日と入っており、担当理事が毎年人集めに苦労してるので、家族の巣立ってGWといえど比較的しがらみの少ない我々高齢者が役立たねばと、動員に協力出来る旨伝えてはおきました。が、出来れば若い会員の方が活気が出て良いので、手配出来ればそれも良しとして、直前まで休暇の日程が組めそうにない状態です。

 それでも3日程は動けそうなので、高速道路一律1000円を狙って、やや遠出も考え始めています。何しろ我が愛車は、リッター14キロ近くを走る優れもの、満タンで500kmは優に走ります。行き先はやはり鄙びた静かなところと古いアルバムをめくっていたら、昭和46年(1971)夏の山梨方面の旅行のネガに、記憶にない風景が現れました。古民家を模した食堂と思われますが、そのまま利用しているのか移築したのかも分かりません。ここがどこかも定かでないのです。



 黒光りしているがっちりとした梁、自在鉤に振り子の柱時計、最近都会でよく見かける“田舎風”を売りにした居酒屋の手法ですが、「ささだんご一皿150円」の時代にしては、現代風!?!イエ、手を加えずそのままだったかもしれません。もっとも、我がふる里は田舎のくせにやや都会的、囲炉裏もむき出しの梁も実家には存在せず、僅かに柱時計だけは掛かっていましたが・・・。



 こんな風景が何気なく生活の中に融け込んでいる場所はいずこ?“○名物”の○が読めなくて、山積みになったガイド本からは、探せ出せそうにありません。


静かな庭でした 古峯園:栃木県鹿沼市

2008-12-01 11:53:53 | 追加の1枚

 滝の画像続きで見ていたら、まだまだ出てきました。庭に作られた人工の滝・・・と、思われるのですが・・・古峯神社・古峯園にありました。平成18年(2006)10月に訪れ、すでに一度神社と池を紹介しています。



 前回は、紅葉の課題でアップし
色付いた画像のみを選択したので、まだまだ話題が残っていました。滝とは言えませんが、川にかかる堰堤から流れ落ちる水飛沫です。前日光の山から流れ出す大芦川、古峯神社の参道に架かる橋からの眺めです。



 この時は、お茶会に参加する妻のアッシー君で行っていますが、古峯神社内隣接する古峯園を使って、“お茶”の行事が盛んです。神社主催の茶会も、定例で行っているようです。園内には茶室は複数有り、茶会に使用出来る休憩所や、集会所もあります。
 池畔の休憩所・静峯亭では、立礼の席が設けられていました。遠目にも、風流なものです。



 古峯園は山の斜面に続いていますが、山腹を巻くように回遊路が付けられ、池を眼下に園を見渡す位置に茶室・翠滴が有りました。路地の入り口にある案内板によると、京都裏千家の茶室の一つを模したとありました。

 



 この日は大規模なお茶会とあって、この茶室も内部まで公開されていました。妻の“道楽”のお茶に付き合い、各地の“茶室”を訪れていますが、重文クラスともなると閉め切って内部を伺うことも出来ない場合が多いのです。妻に言わせると、“お茶の世界の封鎖性”が影響してか、最近若い年代の“お茶:茶道”離れが加速しているようです。

 門外漢のkoba3でも、見事に造られた茶庭や茶室に会うと、心が洗われる気がします。日本の伝統を生かし残すなどと大上段に振りかぶる気はありませんが、良いものは、出来るだけ多くの人の目に触れさせることで、何かが人の心に残っていくのではないかと思われます。


栃木のナイアガラって?? 龍門の滝:栃木県烏山市(旧烏山町)

2008-11-28 13:49:21 | 追加の1枚

 「滝」と「龍」の語彙から記憶を辿ってみたら、一枚の写真が出てきました。栃木のナイアガラと紹介されていた龍門の滝の前での記念撮影です。



 平成6年(1994)10月半ば、紅葉には早かったのですが、東武特急で出かけ鬼怒川温泉に一泊、帰路バスをチャーターして益子の焼き物見学の後、誰も知らなかった観光名所を幹事の一人が見つけたのが、この滝でした。水量が少なく、滝の幅の三分の一足らずしか水は、落ちていませんでしたので、ナイアガラ瀑布って???。従って滝の写真はあきらめ、人物の入った記念写真しかありません。

 10数年程前までは、まだまだ団体で行く旅行が盛んでした。大・高・中学のクラス会、縦のつながりの同窓会、町会や地区の同業者、貸し切り観光バスを仕立てて全国津々浦々巡り廻ったものでした。それもいつの間にか参加者が減り、自家用車利用の現地参加の小旅行になったり、立ち消えになったりしてしまいました。

 バブル後は、休日の高速道路や地方の観光地からは、めっきり観光バスの姿が減っていたように感じます。原因として、レジャーの多様化など言われていますが、物見遊山の旅では、一度行ってしまうと再度はなかなか行かないものです。戦後数十年経って、経済・時間など生活に余裕と贅沢があふれ、欲望の矛先きが団体では纏められなくなったのも要因の一つではないでしょうか。

 最近観光バスを又見かけるようになりました。高速道のS.Aに降り立つ乗客は中・高齢者で、ツアーバッジ着用が多いようです。客足の遠のいた観光地、旅館、バス会社の連携によるツアーバスが増えた故なのでしょうか・・・。

 誰も知らなかった観光名所、おまけに水涸れで惨めな姿でしたが、名誉挽回を期し、観光協会のサイトから、最盛期の姿を借りてきました。人物が入らなければ、“ナイアガラ”を彷彿とさせる!!・・・?



これ「遊歩道」? 吐龍の滝:山梨県北斗市(甲斐大泉)

2008-11-26 09:47:30 | 追加の1枚

 この季節、12月のスキー行きまでの間、殆ど旅行の記憶がありません。今は全般的に時間の余裕がありますが、嘗ては仕事の忙しい時期でもあり、正月のスキー資金のためじっとしている時期でもありました。旅のブログには、6月と共に厳しい時期といえます。

 旅先での写真撮影では、夢中になってシャッターを切りまくり、沢山の画像の残る時があります。一方、旅を楽しみ景色を堪能したのにかかわらず、これといった写真が残っていない時があります。1・2枚か、全くない時も・・・。そこで、写真紀行とするには不足がある件、掲載はしてもつじつま合わせ出来ず残ってしまった写真を拾い出し、端境期
を乗り切ってみようと思い立ちました。「追加の一枚」です。

 奥鬼怒方面に行かなくなってからは、三国峠・越後湯沢方面と並んで多く行っているのが、八ヶ岳周辺になります。高速道を使うとアプローチが早く楽で、しかも山あり谷あり湖ありで、海こそはありませんが古い町並みや史跡も散在しています。
 このブログでも数回掲載していますが、甲斐大泉から清里の赤い橋・東沢大橋まで川俣川東沢を遡上した時の記録が、写真2枚だけなのでした。8年程前の6月頃、甲斐大泉から川俣川までは車数分の距離、川岸の空き地に車を置き、川沿いの沢歩き上流に向かってしばらく行くと、吐龍の滝がありました。



 幾筋ものほとばしる滝の流れは、いかにも龍の吐く息に似ています。掲載準備をしていて、滝の絵柄には対照となるもの人物などが写り込んでいないと、その大きさが分からないことに気が付きました。今まで、赤城大滝や吹き割りの滝などいくつかの滝を掲載してきましたが、現場では滝の見事さに気を取られ、写真になった時の効果などは念頭にありませんでした。ブログ上で紀行解説と一緒に掲載することで、感じるようになりました。
 吐龍の滝は図柄からはこぢんまりと小さく見えますが、人物が入るとかなり大きな滝だと分かります。



 この後雨上がりの沢道を赤い橋まで遡上したのですが、ぬかるみにかなり難儀をしたと記憶していますので、写真を撮る余裕はなかったようです。もっとも、清泉寮に廻り、遊歩道と書かれた戻り道では、かなり撮影したはずですが・・・・見あたりません。いずれ追加の○○枚として掲載出来るでしょう。

 川俣川東沢、ガイドには「遊歩道」とありますが、下流の県道からの入り口から吐龍の滝までと、清泉寮から沢へ降りるまでの階段のみは、革靴スニーカー程度で十分ですが、全線踏破する時、特に沢道ですから雨上がり数日間はかなりぬかって滑りやすくなっています。安達太良山山麓の「遊歩道」も同様、山靴でもかなり苦労しています。地元のガイドで少なくとも「遊歩道」でなく「ハイキング・トレッキング」コースとしておかないと、高齢者の多い最近の旅ブームの中では、滑落・転倒など危険回避出来ない事態が危惧されます。