聖堂や修道院等の荘厳な雰囲気に、魂のルーツを感じる事がある。
一人静かに、またそういう雰囲気の中で共に祈りたいという時、幾度かカトリック教会に足を運んだ事がある。
そこでは、少し英語訛りのある外人の神父さんの言葉に、独特の趣きのようなものを感じたものだ。
“チーン”「祈りましょう・・・」
聖堂に惹かれるのは、其処に宗教の本質的なエネルギーが在るから・・・。
これは、仏教でもキリスト教でも変わりはない。
「貧しい者は幸いである・・・何故なら・・・」
「悲しんでいる人々は幸いである・・・何故なら・・・」
という言葉。理屈ではなく、その荘厳な雰囲気の中で感じる言葉。
普段から身を清く保ち、節制をしている者が説いてこそ、彼(キリスト)の言葉も生きるのだろう。
この世は、全てがParadox(逆説的)であるという事を・・・。
「幸いな人たちとは」
(KIN:79 青い時期の嵐/エネルギーを引きつける)
一人静かに、またそういう雰囲気の中で共に祈りたいという時、幾度かカトリック教会に足を運んだ事がある。
そこでは、少し英語訛りのある外人の神父さんの言葉に、独特の趣きのようなものを感じたものだ。
“チーン”「祈りましょう・・・」
聖堂に惹かれるのは、其処に宗教の本質的なエネルギーが在るから・・・。
これは、仏教でもキリスト教でも変わりはない。
「貧しい者は幸いである・・・何故なら・・・」
「悲しんでいる人々は幸いである・・・何故なら・・・」
という言葉。理屈ではなく、その荘厳な雰囲気の中で感じる言葉。
普段から身を清く保ち、節制をしている者が説いてこそ、彼(キリスト)の言葉も生きるのだろう。
この世は、全てがParadox(逆説的)であるという事を・・・。
「幸いな人たちとは」
(KIN:79 青い時期の嵐/エネルギーを引きつける)