運命に対する定義づけは、私の人生は“~だから、このようになった”と、自分自身の運命を自ら納得する時に使うものであって、“あなたの人生は~だから~のようになるのだ!”と、他者の人生を安易に定義づける事はできないと私は思う。
多くのニューエイジャーは、許可レベルを上げる事は良いことだと思っているようだが、“他者の運命を安易に定義づけする許可レベル”に関しては、低くしておいた方が無難であるように思う。
あなたがもし、大いなる宇宙(自己、神)から降り注がれた、深遠な運命の嵐に晒されている最中、心無い人はそんなあなたを見て、きっとこのように言い放つだろう・・・“だからあなたは~このようになったのだ!”と。
言葉の語尾に注目すれば、「なったのだ」「なるのです」と言い切るのは、判断であり、思い込みである。少し言い方を変えて、「なったのではないだろうか?」「なったように思う」としてみれば、それはあくまでも推測であり、相手に対する共感の余地というものが生まれるのではないだろうか・・・?
肝心なのは“言葉のセンス”かもしれない。
※sense ①物事の微妙な感じをさとる働き。感覚。 ②思慮、分別
(KIN:128 黄色いスペクトルの星/芸術を解き放つ)
多くのニューエイジャーは、許可レベルを上げる事は良いことだと思っているようだが、“他者の運命を安易に定義づけする許可レベル”に関しては、低くしておいた方が無難であるように思う。
あなたがもし、大いなる宇宙(自己、神)から降り注がれた、深遠な運命の嵐に晒されている最中、心無い人はそんなあなたを見て、きっとこのように言い放つだろう・・・“だからあなたは~このようになったのだ!”と。
言葉の語尾に注目すれば、「なったのだ」「なるのです」と言い切るのは、判断であり、思い込みである。少し言い方を変えて、「なったのではないだろうか?」「なったように思う」としてみれば、それはあくまでも推測であり、相手に対する共感の余地というものが生まれるのではないだろうか・・・?
肝心なのは“言葉のセンス”かもしれない。
※sense ①物事の微妙な感じをさとる働き。感覚。 ②思慮、分別
(KIN:128 黄色いスペクトルの星/芸術を解き放つ)
どう説明すれば良いだろ・・?
う~ん、許可を与える事の度合い、、ある物事に対し、自分がそれをどれくらい許可しているか、認めているか、という事の度合い。。許しのレベル・・・ってとこで、お解りでしょうか(^_^)?
☆更に詳しくお知りになりたい場合は、こちら↓の書籍をお読みになられると良いかもしれません。
「生きる不安への答え」(Levanah Shell Bdolak 著)私が嘗て通った、クレアボヤンススクールの講師の著書です。