朝鮮について知りたい

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国を愛するということ

2011年11月19日 | 帝国主義・植民地
 今日、私たちや日本の方々にとって、正しい愛国心の涵養という言​葉ほど大切な課題はないともいえると思います。

かつてヘルダーはこのように言いました。
「だれでも、彼の国、彼の風俗習慣、彼のことば、彼の妻、かれのこどもを愛しないものはない。それらのものを愛するのは、それらのものが世界における最上のものであるからではなくて、それらのものが、まぎれもなく彼自身のものであり、彼はそれらのもののう​ちに彼自身と彼の労苦そのものを愛するのだからである。…どんな​に良くない粗野な祖国であっても、それに慣れた民族にとっては、しばしば最も魅惑的なきずなを、それは備えているのである」。


 上記の文章において、最も重要な部分は「世界における最上のもの」であるから、国を愛するのではない、ということだ。
 最上であるから、愛するというのであれば、それが「最上のもの」ではなくなったときには、もう愛する理由も気持ちもなくなるからである。

 優をとり劣をすてる、という観点から考えると、愛する=好みの​問題へと転換されてしまう。

 重要なのは、「彼自身と彼の労苦そのもの」であるように、集団に依拠することができるのか、という問題。

 人間が自己の運命に責任を負い、自己の生活を大切にしつつ、それに責任を負う主体となってはじめて、まっとうな愛国心が生まれるはずである。

 かつて日本が歩んだ道、「日の丸」型愛国心の涵養、「君が代」式愛国心の強要の呪縛から解放されることなしに、日本の未来が世​界の未来につながるというまっとうな愛国心持てないのではないか。

 日本ではかつて、「敗戦」によって独善という価値観が崩れ、それまで人々の愛国心を支えていた優越性の土台が砕け散った。「世界における最上のもの」ではなくなったのである。
 その時、もはや「最上のもの」ではなくなった、自身たちの国家を「愛するに値しない」と一時でも思わなかったであろうか。

 親にとって愛するに値しない子供などはないし、優劣の値踏みにおいて子供を愛したり、愛さなかったりする親がいるのならば、そこに真の親子愛がないと言えるように、国民にとっての祖国が愛する値打ちがあるとか、ないとかの観点で判断されるのならば、そのような国に対する心の在り方は狂っているということもできるのではないか。

 朝鮮民族にしても然り。自身の国の未来が、世界の平和と平等につながると認識されたとき、真の愛国心、実践ある愛国心が生まれるのかな、と思う。
国の未来にある真理、正義のため、自分を懸けることのできる祖国、その懸ける実践が伴うとき、愛国と言えるのではないか。




 まさに、愛国は憂国ではなく、実践なのである。

너 때없이 자신에게 물어보라
심장에 손을 얹고 대답해보라
너도 조국을 어머니라 부르겠지
조국을 사랑한다고 자주 말도 하겠지
하다면 그 조국이 오늘과 래일의 아름찬 일을 두고
잠못들고 생각할 때
너 그 생각을 얼마나 알려했던가
그 생각 털어드리고 그 어려움 함께 나누려
밤잠은 얼마나 못잤으며 땀은 얼마나 흘렀던가
물어보라 돌이켜보라 너의 넋, 너의 량심
조국앞에 항상 깨끗하고 성실한가를
아, 조국은 언제나 수천만 아들딸중에서
어떤 삶은 영원히 기억하고
어떤 삶은 영영 지워버리기도 하거니
조국을 사랑하는것만으로는 부족하리
조국이 너를 사랑하게 하라!