アウェーで負けたら、「敵地は異様な雰囲気だった」
それは、ウリナラ選手たちからしたら、それは日本も同じこと。
「君が代をきちんと聞かない」
「君が代」がどういう歌か知ってるのに、知らないふり、「国歌をちゃんと聞くことが礼儀」とか、抜かす前に、植民地にされた人々に対して礼儀を尽くしなさい。
「あの雰囲気で勝つのは無理」、「勝ってたら怖かった」
そうやって、次に負けた時も言ってなさい。
日本代表が負けたことに対して昨日の文章ではつづったのですが、その問題意識について。たしかに、単純なナショナリズム的な問題意識で、日本嫌いだから、とかでサッカー勝って喜ぶのも違うと思われますので。
スポーツ試合においての「君が代」を聴く問題と、国家戦略上の国家としての「君が代」は違う問題だ、だから切り離して考えるべきだ、と主張される方はいらっしゃいます。
そういう一面は確かにあると、思います。スポーツに政治的問題を持ち込むな、という方もまた然りです。
ただ、「スポーツ」、たとえば、野球やサッカー(男女ともに)、その他オリンピックなどにおいて、たまたま日本の国歌が「君が代」だから、それしかないから、それを清聴するしかないじゃないか、スポーツ観戦においてなんだから、ちゃんと聴けよ!という論理はとても暴力的な論理です。
そもそも、日本が過去の問題に対して、しっかりとした反省の観点を持って、「君が代」に対しても反省したいたのならば、今なお国歌として存在しているとはとても思えません。これは、一般的な定説です。
僕も、スポーツマンでしたし、スポーツ試合において、一定のルール、マナーというものは守るべきものだと思います。何より、それが一番の「かっこよさ」として提唱されるラグビーをやっていたんですから。
しかしながら、日本が、「教育現場」において、「日の丸」、「君が代」という国旗、国歌を法的に強要するようになった背景には、「政治的干渉のない」スポーツを含めたあらゆる文化的状況の中に、そのような国旗、国歌に対する所謂「やさしい観点」、「心地よいもの」だと思ってしまう装置が盛り込まれた事実があるんじゃないでしょうか。過去、自身たちの国家によって最も被害を被ったといっても過言ではない、日本の人々がまさに、不本意ながらこの国旗、国歌を持ってしまったのも問題とみるべきだと思います。
日本の人々は、今、自分たちの誇りとするべき、国旗や国歌にたいして、ブーイングを食らうようなことを「なんでだ!?」と思っているでしょう。それが、日本の方々の悲劇なんですよ。本来反省のもとに打ち立てられた誇り高い国家を持っているのならば、そのような国の国旗や国歌は称賛に値しますが、残念ながら、アジアの国々の人たちにとって、日本の国旗、国歌はそのようなものとなりえてないんです。
昨日の書き方では色々な誤解を生んでしまったかもしれない、という僕自身の反省も込めて、文章の裏側の問題意識を整理させていただきました。
最後に、僕は世界でトップクラスに日本のサッカーは好きです。純粋にサッカーで見たら、日本の選手ほど、堅実で素晴らしいプレーをする人たちは僕の中ではかなり得点高いです。ちなみにバルサの試合と日本代表の試合は全部録画してみてますし、ワールドカップでももちろん応援してました!ただ、それは日本が好きだから、とかではなく、日本のサッカーが好きだという意味で、です。キャプテンの長谷部は全選手の鑑となるべき存在ですし、個人的に内田や岡崎、などもそのプレーは大好きです。
今回、一番思ったのは、日本のチームの選手たちが、日本で筋違い、詭弁に近い擁護の論理で「負けた」ということを、「仕方なかった」とか、「負けといてよかった」などということを言われることで、一番情けない立場に不本意にも置かれているという状況がさみしかったです。また、かわいそうでした。一ファンとして、です。
それは、ウリナラ選手たちからしたら、それは日本も同じこと。
「君が代をきちんと聞かない」
「君が代」がどういう歌か知ってるのに、知らないふり、「国歌をちゃんと聞くことが礼儀」とか、抜かす前に、植民地にされた人々に対して礼儀を尽くしなさい。
「あの雰囲気で勝つのは無理」、「勝ってたら怖かった」
そうやって、次に負けた時も言ってなさい。
日本代表が負けたことに対して昨日の文章ではつづったのですが、その問題意識について。たしかに、単純なナショナリズム的な問題意識で、日本嫌いだから、とかでサッカー勝って喜ぶのも違うと思われますので。
スポーツ試合においての「君が代」を聴く問題と、国家戦略上の国家としての「君が代」は違う問題だ、だから切り離して考えるべきだ、と主張される方はいらっしゃいます。
そういう一面は確かにあると、思います。スポーツに政治的問題を持ち込むな、という方もまた然りです。
ただ、「スポーツ」、たとえば、野球やサッカー(男女ともに)、その他オリンピックなどにおいて、たまたま日本の国歌が「君が代」だから、それしかないから、それを清聴するしかないじゃないか、スポーツ観戦においてなんだから、ちゃんと聴けよ!という論理はとても暴力的な論理です。
そもそも、日本が過去の問題に対して、しっかりとした反省の観点を持って、「君が代」に対しても反省したいたのならば、今なお国歌として存在しているとはとても思えません。これは、一般的な定説です。
僕も、スポーツマンでしたし、スポーツ試合において、一定のルール、マナーというものは守るべきものだと思います。何より、それが一番の「かっこよさ」として提唱されるラグビーをやっていたんですから。
しかしながら、日本が、「教育現場」において、「日の丸」、「君が代」という国旗、国歌を法的に強要するようになった背景には、「政治的干渉のない」スポーツを含めたあらゆる文化的状況の中に、そのような国旗、国歌に対する所謂「やさしい観点」、「心地よいもの」だと思ってしまう装置が盛り込まれた事実があるんじゃないでしょうか。過去、自身たちの国家によって最も被害を被ったといっても過言ではない、日本の人々がまさに、不本意ながらこの国旗、国歌を持ってしまったのも問題とみるべきだと思います。
日本の人々は、今、自分たちの誇りとするべき、国旗や国歌にたいして、ブーイングを食らうようなことを「なんでだ!?」と思っているでしょう。それが、日本の方々の悲劇なんですよ。本来反省のもとに打ち立てられた誇り高い国家を持っているのならば、そのような国の国旗や国歌は称賛に値しますが、残念ながら、アジアの国々の人たちにとって、日本の国旗、国歌はそのようなものとなりえてないんです。
昨日の書き方では色々な誤解を生んでしまったかもしれない、という僕自身の反省も込めて、文章の裏側の問題意識を整理させていただきました。
最後に、僕は世界でトップクラスに日本のサッカーは好きです。純粋にサッカーで見たら、日本の選手ほど、堅実で素晴らしいプレーをする人たちは僕の中ではかなり得点高いです。ちなみにバルサの試合と日本代表の試合は全部録画してみてますし、ワールドカップでももちろん応援してました!ただ、それは日本が好きだから、とかではなく、日本のサッカーが好きだという意味で、です。キャプテンの長谷部は全選手の鑑となるべき存在ですし、個人的に内田や岡崎、などもそのプレーは大好きです。
今回、一番思ったのは、日本のチームの選手たちが、日本で筋違い、詭弁に近い擁護の論理で「負けた」ということを、「仕方なかった」とか、「負けといてよかった」などということを言われることで、一番情けない立場に不本意にも置かれているという状況がさみしかったです。また、かわいそうでした。一ファンとして、です。