昨日(12/29)森ノ宮ピロティホールで催された立川談春さんの独演会に行ってきました。
今年は何回このホールに来てるんやろかと思いながら、今回の席は2列目下手。
女子お手洗いは毎度ながら長蛇の列。しかし手際よくいつものお姉さんがさばいてくださるのでストレスなし。
1.「六尺棒」立川談春(15:05~15:40)
吉原から戻った大店の道楽息子。夜遅くに店に戻ると主の父親が入れてくれない。
マッチで店を燃やそうとすると、腹を立てた父親が六尺棒を持って息子を追い回す。
逃れた隙に店に戻った息子、戸口が開いていたため今度は逆に父親を締め出す。
マクラは先の中村勘三郎さんのお話。
いきなり「中村屋がねえ。」と。
談志師匠と先代の勘三郎さんと交流があり、それで仲がよかったとか。
談志師匠の家でのんでいた勘三郎さん、師匠が「高杯踊れ」と言って、カーペットにスリッパで高杯を踊られたとか。
私は大笑いしたのですが、客席はそんなでも。やっぱり、歌舞伎ご存知ない方が多いのかと実感。
勘三郎さんは談春さんの著書『赤めだか』を良い本だと褒めてくれたそれを談志師匠に言うと怒り出した。
でも、勘三郎さんもお父さんの前で褒められたときは「自分のほうがうまい。」と言っていたからそんなもんだと。
勘九郎さんが出演の映画を勘三郎さんが見に行ったとき、前に座っていた歌舞伎好きのご婦人方が勘九郎さんを褒めていた。それが的を得ていたと。「勘九郎は品があるのよねえ。」そこで客席ドッと笑いが出てました。
談春さんと勘三郎さんで対談しようということになり、時間がないから勘三郎さんの楽屋で。
「切腹して出番おわりだから。」と。
忠臣蔵の四段目を3列目の中央ブロックの端の席で観ていて、判官の横に座ってるなんだかわからない二人の侍の1人が仁左衛門で驚いたとか、由良助が高麗屋(幸四郎)だったとか、すごい舞台だったが勘三郎さんを待たせたらいけないと思い、判官が切腹した後で途中で退場した。
楽屋で勘三郎さん「エライ!良く来たねえ。」と言われたと。
それで、舞台の様子をお話されたのですが、デフォルメされてて面白くって。「みなさん、わかりますか?」と言われてましたが、あまり客席からの反応がなかったからかなあ。
私はもう、笑いをこらえてましたがそれがまたよくなかったのか、前のほうでは私だけ大笑いしてしまいました。
あまり歌舞伎を知らないと談春さん。初めて観たのが先代の勘三郎さんの文七元結。そのときの相手が玉三郎さんだったそう。
「吉良ははなんていうんですか?」とか、「切腹してからどれくらいまだあるのかわからなくて」と言われてましたけど、幸四郎さんを高麗屋とか言われるあたり、そうでもないと思いました。
第一、高杯も知らないでしょう。
「歌舞伎役者の勘三郎さんがどれほど良かったのかわかりませんが、歌舞伎に興味のない人でも人気があったのがすごい」みたいなことを言われてました。その通りですね。
そんな勘三郎さんのお話を約30分ほど話されて、お噺に。
本編10分ほどでした。
仲入り(15:40~15:55)
2.富久(15:55~17:10)
大店に勤めていた久蔵(きゅうぞう)は酒で失敗して今は太鼓もち。
あるとき大家から売れ残った富くじ「松の百十一番」を買い取る。抽選日前に火事がおこり、勤めていた大店あたりが火元だと。久蔵は店に駆けつけ、火はそれていき、久蔵の長屋のほうへいったが久蔵は何もないからと。そして久蔵は店に住み込みで働くことに。
富くじの抽選日。久蔵のくじが一千両の大当たり。しかhし、火事で燃えてない。
失意の久蔵。そのとき近所の人が家財道具を保管していた。無事くじがあり、「近所にお払いをする。」
マクラは20分ほど。宝くじと競馬と競艇の賭け事のお話。
さっきの歌舞伎のときと反対で全くわからず、半分ぐらい聞き流してしまいました…。
本編約50分。長いお噺で、途中から、富くじは焼けたと思ったら出てくるんやろうなあと思った途端睡魔が襲ってきました。危ない危ない。
富くじの抽選あたりから面白くなってきて、ゲラゲラ大笑いしました。
お噺が終わってから、また勘三郎さんのお話。
今年の8月にお会いした(?)とか「何か面白いもの持ってきて。つまらないのは許さないよ。」と言われた。また、談春さんが出演したソロモン流を見ていて「見たよぉ、60で落語やりたい?できないね。」と言われたとかで、客席に笑いが。
昨年は談志師匠、今年は勘三郎さんとつらいとか。
「逢うべき人には逢っといたほうがいいですよ。けんかしててもね。」という一言が印象に残りました。
本当に談春さん、しゃべり方がそっくりで、勘三郎さんが居てはるみたいでした。
最後は「よぉ~、ぱぱぱん、ぱぱぱん、ぱぱぱんぱん」を3回繰りかえす東京締めで。幕が閉じられました。
行って良かったと思いました。
今年は何回このホールに来てるんやろかと思いながら、今回の席は2列目下手。
女子お手洗いは毎度ながら長蛇の列。しかし手際よくいつものお姉さんがさばいてくださるのでストレスなし。
1.「六尺棒」立川談春(15:05~15:40)
吉原から戻った大店の道楽息子。夜遅くに店に戻ると主の父親が入れてくれない。
マッチで店を燃やそうとすると、腹を立てた父親が六尺棒を持って息子を追い回す。
逃れた隙に店に戻った息子、戸口が開いていたため今度は逆に父親を締め出す。
マクラは先の中村勘三郎さんのお話。
いきなり「中村屋がねえ。」と。
談志師匠と先代の勘三郎さんと交流があり、それで仲がよかったとか。
談志師匠の家でのんでいた勘三郎さん、師匠が「高杯踊れ」と言って、カーペットにスリッパで高杯を踊られたとか。
私は大笑いしたのですが、客席はそんなでも。やっぱり、歌舞伎ご存知ない方が多いのかと実感。
勘三郎さんは談春さんの著書『赤めだか』を良い本だと褒めてくれたそれを談志師匠に言うと怒り出した。
でも、勘三郎さんもお父さんの前で褒められたときは「自分のほうがうまい。」と言っていたからそんなもんだと。
勘九郎さんが出演の映画を勘三郎さんが見に行ったとき、前に座っていた歌舞伎好きのご婦人方が勘九郎さんを褒めていた。それが的を得ていたと。「勘九郎は品があるのよねえ。」そこで客席ドッと笑いが出てました。
談春さんと勘三郎さんで対談しようということになり、時間がないから勘三郎さんの楽屋で。
「切腹して出番おわりだから。」と。
忠臣蔵の四段目を3列目の中央ブロックの端の席で観ていて、判官の横に座ってるなんだかわからない二人の侍の1人が仁左衛門で驚いたとか、由良助が高麗屋(幸四郎)だったとか、すごい舞台だったが勘三郎さんを待たせたらいけないと思い、判官が切腹した後で途中で退場した。
楽屋で勘三郎さん「エライ!良く来たねえ。」と言われたと。
それで、舞台の様子をお話されたのですが、デフォルメされてて面白くって。「みなさん、わかりますか?」と言われてましたが、あまり客席からの反応がなかったからかなあ。
私はもう、笑いをこらえてましたがそれがまたよくなかったのか、前のほうでは私だけ大笑いしてしまいました。
あまり歌舞伎を知らないと談春さん。初めて観たのが先代の勘三郎さんの文七元結。そのときの相手が玉三郎さんだったそう。
「吉良ははなんていうんですか?」とか、「切腹してからどれくらいまだあるのかわからなくて」と言われてましたけど、幸四郎さんを高麗屋とか言われるあたり、そうでもないと思いました。
第一、高杯も知らないでしょう。
「歌舞伎役者の勘三郎さんがどれほど良かったのかわかりませんが、歌舞伎に興味のない人でも人気があったのがすごい」みたいなことを言われてました。その通りですね。
そんな勘三郎さんのお話を約30分ほど話されて、お噺に。
本編10分ほどでした。
仲入り(15:40~15:55)
2.富久(15:55~17:10)
大店に勤めていた久蔵(きゅうぞう)は酒で失敗して今は太鼓もち。
あるとき大家から売れ残った富くじ「松の百十一番」を買い取る。抽選日前に火事がおこり、勤めていた大店あたりが火元だと。久蔵は店に駆けつけ、火はそれていき、久蔵の長屋のほうへいったが久蔵は何もないからと。そして久蔵は店に住み込みで働くことに。
富くじの抽選日。久蔵のくじが一千両の大当たり。しかhし、火事で燃えてない。
失意の久蔵。そのとき近所の人が家財道具を保管していた。無事くじがあり、「近所にお払いをする。」
マクラは20分ほど。宝くじと競馬と競艇の賭け事のお話。
さっきの歌舞伎のときと反対で全くわからず、半分ぐらい聞き流してしまいました…。
本編約50分。長いお噺で、途中から、富くじは焼けたと思ったら出てくるんやろうなあと思った途端睡魔が襲ってきました。危ない危ない。
富くじの抽選あたりから面白くなってきて、ゲラゲラ大笑いしました。
お噺が終わってから、また勘三郎さんのお話。
今年の8月にお会いした(?)とか「何か面白いもの持ってきて。つまらないのは許さないよ。」と言われた。また、談春さんが出演したソロモン流を見ていて「見たよぉ、60で落語やりたい?できないね。」と言われたとかで、客席に笑いが。
昨年は談志師匠、今年は勘三郎さんとつらいとか。
「逢うべき人には逢っといたほうがいいですよ。けんかしててもね。」という一言が印象に残りました。
本当に談春さん、しゃべり方がそっくりで、勘三郎さんが居てはるみたいでした。
最後は「よぉ~、ぱぱぱん、ぱぱぱん、ぱぱぱんぱん」を3回繰りかえす東京締めで。幕が閉じられました。
行って良かったと思いました。