平成うきよの覚え書き

日々の出来事などを老化防止の為 書いてゆきます。

NHK景山氏の自殺に関する副島隆彦氏の意見

2010年08月24日 | Weblog
 「重たい気持ちで書く掲示板」から転載

副島隆彦です。今日は、2010年8月13日です。

 お盆前の、台風一過のことの時に、NHKの 景山日出夫(かげやまひでお)解説委員の首つり自殺の知らせがあった。私の弟子たちが伝えてくれた。

 私は、この NHKの政治部記者あがりが、NHKの日曜討論会のテレビで司会者でありながら、あまりに、偏(かたよ)ったひどいことばかり言うので、不愉快だからテレビを消したことが、過去に数回あった。 

 近年は、民主党と 小沢一郎への、誹謗中傷(ひぼうちゅうちょう)がひどかった。話の前後の脈絡(みゃくらく)もなく、
唐突に、「ところで、小沢さんの政治とカネの問題は」 と言い出すメディア人間のひとりだった。きわめて不愉快な男だった。

 それが、こんな死に方をした。 NHKのトイレの ドアの ノブ に 自分のネクタイで 首をひっかけて、それで、自殺をする、
ということが、可能なのか。 いつも不審な死に方をする人たちの事例(ケース)は、さっさと、自殺で片づけられる。

 この件は、明らかの政治的な死である。 誰がどう取り繕(つくろ)っても、口を噤(つぐ)んでも、言(げん)を左右にしても、政治的な 死である。 景山日出夫自身が、おそらく、NHKの政治部記者の幹部として、内閣官房機密費(報償費、ほうしょうひ)を、長年、受け取ってきただろうから、それが死因のひとつだろう。 NHK内部での統制や、調査が行われていたのだろう。しかし、それだけが原因ではない。  

 公正で、公平であるべきNHKの報道を、あそこまで、意識的に、ゆがめて、おそるべき偏向報道をしてきた者たちに、天罰が下(くだ)りつつある。 私は、この苛烈(かれつ)な、政治闘争、権力闘争(これは、カール・マルクスが発見した重要な政治学の用語であり、考えである)の中で、 たかがテレビ局の記者程度の、準公務員(NHKは、今も、政府系の特殊法人である) が、権力闘争にのめり込むと、こういうことになるのである。 

 実名で、自分の名前と顔をさらして、本気で、言論をやる者たちだけが、本当の政治活動家だ。私は、自分のことを、そのような意味では、政治活動家としての 知識人であり、政治思想家だと思っている。自分にも、いつ、どのような不正な攻撃がかかっても構わない、という覚悟をして、生きている。 実名で、言論を為さないような人間たちには、どうせ到達できない、これは重要な指摘である。 甘えた、匿名の、政治見識の表明などはすべきでない。 腐れ切った商業新聞の投稿欄でも、実名での投稿が原則である。

 以下に載せるのは、事件の事実を報道した記事と、それから、一番、すぐれた 景山日出夫・NHK解説委員への評論を行っていた 植草一秀(うえくさかずひで)氏の、一年半前の 文章である。 

 人間は、度を越して、人にひどい事をすると、恨(うら)みと憎しみが、いつまでも残って、怨念となって、かならすその人に
報(む)いが来るのだ、ということを私たちは深く思い知るべきだ。  副島隆彦拝
 
以下省略 転載以上
この記事の眼目は何か、種々考えられる。
1.景山氏は自殺という事だが疑問がある。他殺ではないかと書かないがそれを暗示している。
2.景山氏はかねてから小沢氏を批判中傷してきた。
3.たかが一介のサラリーマンが政治的意見を述べると、このようなことになる。1.から考えれば殺される、という事を言いたいのであろうか。
4.政治的意見は自分を晒して実名で述べるべきだ。

 4.は多くの何ら金銭的メリット無き多くのブロガーを批判したものである。一般の人が実名で意見を述べればどのようなことが起こるか、氏は十分に承知しているはずだ。氏は多くの著作を書きいわば自由業であり権力から比較的自由であろう(経済的には)。つまり素人は意見を述べるなということに等しい。つまるところ選挙も記名投票が望ましいということになろう。現代政治体制の主流たる民主主義は、無記名投票を基本としているのではないか。氏の意見はこれを否定する方向を指し示している。極めておかしい意見だ。

 有名且つ高名な評論家、あるいは思想家がこのような意見の持ち主であるとは真に驚くべきことだ。怨念、報いとか言う事も宗教的であり大いに違和感がある。

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