私が小1の頃だと思う(昭和25~26)。家の前の道路にボデイーがボコボコになってスクラップ同然の車が停まり、若い外人が3人降りてきた。3人とも髪は栗色、目は黒っぽかったと思う。多分10代であったろうか、体も細く身長も日本の大人程度で威圧感は全くなかった。道路で遊んでいた我達5,6人はこの突然の珍客を凝視した。彼らは車から降り暫く周囲を見回していたが、やがて水田を横切る南側の山に続く道を歩き始めた。私たちは20メートルくらい離れて彼らの後についていった。途中彼らは時折後ろを振り向き、なにやら笑っているようであった。彼らは左右が山林となっている所へ来ると、一寸立ち止まってから松林の小道に入った。この小道は、以前書いた事がある「舵取り車で」遊ぶ所である。30メートルくらい緩やかな上り坂の小道を進むと急な坂があり右手に眺めの良い平らな場所が有る。ここに来ると三人は立ち止まり辺りを見回しながら座った。此処からは、村(町)の景色を良く見渡せる所であった。私達は一寸離れて思い思いに松の木にもたれたり、木に攀じ登るような仕草をしながら彼らを観察していた。彼らは時々私達の方を見たりしながらなにやら話しをしていた。どの位の時間が経っただろうか。一人が私達を手招きしているようなので、恐々と徐徐に近くに寄って行き、やがてすぐ近くに座り込んだ。私達も彼らも夫々、勝手に話をしているうちに一人が突然「Aちゃーん」といった。私達の話を聞いて 「Aちゃん」 というのが人の名前であると想像したのだろう。私達は皆これに大笑いし、「A君」は顔を真っ赤にした。それからお互いに名前を教えあった。とはいえお互いに言葉が全く通じないので、自分の顔を指差し名前をいって伝えた。初めて聞く(英語?)言葉はおかしくて皆でゲラゲラ笑った。その内、指相撲か何かをしたりすっかり打ち解けて、2時間くらい一緒に過ごしたであろうか。彼らが帰るときは車の傍まで一緒に行った。エンジンは割りと直に始動し、彼らは嬉しそうな顔で笑い、車に乗り込むと窓から手を振った。僕らも手を振って見送った。車は大きな軋んだ音とともに埃を巻き上げながら走り去っていった。カタツムリの殻の様な形の所が沢山ある古~い車と、優しげな青年達(少年?)の思い出です。 車の思いでは一応これで終わります。
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