ユーチューブ「異国の丘」に投稿されているslhs0083から転載させていただきます。
次のようなコメントが寄せられています。
70年前、日本は世界130数ヶ国相手に大戦争をした。この戦争は白人の植民地主義に対し有色人種の大和民族日本が一億玉砕を賭けて挑んだ自存自衛の戦争だった。なぜならアジアでは日本とタイだけが独立国家だった、アフリカはエチオピアだけが独立国家だった。あとの国はすべて白人の植民地主義の餌食だった時代だ。戦後日本はアジアを侵略したという。しかし500年前から白人国家は有色人種を侵略していた。有色人種国家では只一国日本だけが戦う力を持っていた。この戦争は白人の植民地主義に対し有色人種の日本が挑んだ壮絶なる巻き返しだったのだ。敗戦後日本は東京裁判で断罪された。平和に対する罪で有罪。そしてアメリカによる占領。サンフランシスコ条約で日本は独立した。のちに日本は戦争犯罪に問われた人たちの名誉を回復するため国会決議をおこなった。よって靖国神社には戦争犯罪人はもういないのだ。のちに東京裁判のキーナン主席検察官は(日本を断罪したのは間違いだった)と言っています。インドのパール判事は(日本は自衛のため戦った、日本の侵略戦争は歴史の偽造)と言っています。
「何が何でも平和を」と叫ぶ人たちに訴えます。人間は時として立ち上がらなければならない事もあるのだということを。先の大戦は確かに酸鼻を極めました。二度と繰り返してはならないことも又確かです。しかし、今も北朝鮮に拉致された人たちが「祖国の土を踏むこと」を願って絶望にくじけず生きている現実を見ておられるのでしょうか。尖閣諸島の暴挙を、竹島の壟断を、北方領土の強奪の現実を目の前にして、それでも「何が何でも平和を」と言い切れるのは、いったい気持ちとはどういうことでしょうか。これこそ、戦後65年にもわたって、我が日本をこれほど貶めてきた「空想的平和主義」願望そのものではないでしょうか。時として、国民は同胞を救出し、誇りを守るために戦争をも辞さなければならない場合もあるということを、どうか解ってください。
戦後すぐに始まったNHKのど自慢の第三回大会に無伴奏でこの歌を歌った人はもちろん入選しましたが、これを聞いた一般聴衆も審査員も暫し涙にくれて鐘が鳴らなかったといいます。それほどのインパクトを与えた歌です。
絶対に 戦争は起こしてはならないし やってはいけない そこにどんな理由があるにせよ。人が人を殺し合うのはなにがなんでも阻止しなければならない★でも ふりかかる火の粉は払わなければならない。大事な愛する人をなにがなんでも守りぬくには‥‥‥どうしたら良いんだろう‥‥(?_?)(?_?)
歌詞 http://byeryoza.com/topic/log2005/ikokunooka.htmから転載させていただきます。
異国の丘
作詞:増田 幸治
補詞:佐伯 孝夫
作曲:吉田 正
一、
今日も暮れゆく異国の丘に
友よ辛かろ切なかろ
我慢だ待っていろ嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る春も来る
二、
今日も更けゆく異国の丘に
夢も寒かろ冷たかろ
泣いて笑うて歌って耐えりゃ
望む日が来る朝が来る
三、
今日も昨日も異国の丘に
重い雪空日がうすい
倒れちゃならない祖国の土に
たどりつくまでその日まで
転載以上
私の世代は、この歌は物心つく頃からラジオで聞いていたので、よく記憶しています。
カラオケ店でこの曲や、軍歌などを聞いたり歌ったりすると途中から泣けてきて仕方ありません。花見等の機会にこの歌を皆で合唱できるように覚えるべきだと私は思うのですがいかが?
次のようなコメントが寄せられています。
70年前、日本は世界130数ヶ国相手に大戦争をした。この戦争は白人の植民地主義に対し有色人種の大和民族日本が一億玉砕を賭けて挑んだ自存自衛の戦争だった。なぜならアジアでは日本とタイだけが独立国家だった、アフリカはエチオピアだけが独立国家だった。あとの国はすべて白人の植民地主義の餌食だった時代だ。戦後日本はアジアを侵略したという。しかし500年前から白人国家は有色人種を侵略していた。有色人種国家では只一国日本だけが戦う力を持っていた。この戦争は白人の植民地主義に対し有色人種の日本が挑んだ壮絶なる巻き返しだったのだ。敗戦後日本は東京裁判で断罪された。平和に対する罪で有罪。そしてアメリカによる占領。サンフランシスコ条約で日本は独立した。のちに日本は戦争犯罪に問われた人たちの名誉を回復するため国会決議をおこなった。よって靖国神社には戦争犯罪人はもういないのだ。のちに東京裁判のキーナン主席検察官は(日本を断罪したのは間違いだった)と言っています。インドのパール判事は(日本は自衛のため戦った、日本の侵略戦争は歴史の偽造)と言っています。
「何が何でも平和を」と叫ぶ人たちに訴えます。人間は時として立ち上がらなければならない事もあるのだということを。先の大戦は確かに酸鼻を極めました。二度と繰り返してはならないことも又確かです。しかし、今も北朝鮮に拉致された人たちが「祖国の土を踏むこと」を願って絶望にくじけず生きている現実を見ておられるのでしょうか。尖閣諸島の暴挙を、竹島の壟断を、北方領土の強奪の現実を目の前にして、それでも「何が何でも平和を」と言い切れるのは、いったい気持ちとはどういうことでしょうか。これこそ、戦後65年にもわたって、我が日本をこれほど貶めてきた「空想的平和主義」願望そのものではないでしょうか。時として、国民は同胞を救出し、誇りを守るために戦争をも辞さなければならない場合もあるということを、どうか解ってください。
戦後すぐに始まったNHKのど自慢の第三回大会に無伴奏でこの歌を歌った人はもちろん入選しましたが、これを聞いた一般聴衆も審査員も暫し涙にくれて鐘が鳴らなかったといいます。それほどのインパクトを与えた歌です。
絶対に 戦争は起こしてはならないし やってはいけない そこにどんな理由があるにせよ。人が人を殺し合うのはなにがなんでも阻止しなければならない★でも ふりかかる火の粉は払わなければならない。大事な愛する人をなにがなんでも守りぬくには‥‥‥どうしたら良いんだろう‥‥(?_?)(?_?)
歌詞 http://byeryoza.com/topic/log2005/ikokunooka.htmから転載させていただきます。
異国の丘
作詞:増田 幸治
補詞:佐伯 孝夫
作曲:吉田 正
一、
今日も暮れゆく異国の丘に
友よ辛かろ切なかろ
我慢だ待っていろ嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る春も来る
二、
今日も更けゆく異国の丘に
夢も寒かろ冷たかろ
泣いて笑うて歌って耐えりゃ
望む日が来る朝が来る
三、
今日も昨日も異国の丘に
重い雪空日がうすい
倒れちゃならない祖国の土に
たどりつくまでその日まで
転載以上
私の世代は、この歌は物心つく頃からラジオで聞いていたので、よく記憶しています。
カラオケ店でこの曲や、軍歌などを聞いたり歌ったりすると途中から泣けてきて仕方ありません。花見等の機会にこの歌を皆で合唱できるように覚えるべきだと私は思うのですがいかが?
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