いつか風がみていた・・・(フレディ・Mの日記)

自転車とオートバイで遠くへ・・・。

今はこれが最優先。

2016年11月14日 22時53分43秒 | 日記
2014年秋、うちの嫁さんに大腸癌が見つかる。
初期の小さなものだと看護師をしている嫁さんからの説明に、最近の医学なら大丈夫だろうと。
開腹までせずとも内視鏡の手術で済むとも医師からの説明で、
ショックではありましたが癌とは言え最近の医学ならなんとかなるのではと。

奇しくもエントリーしていた海王丸マラソンの二日前が手術の日で、エントリーしていたGF糸魚川の日の2日後が退院の日でした。
術後かなり痛がってはいましたが、
昔からいつかは夫婦で行ってみたいと念願していたトワイライトエクスプレスにて北海道旅行へと行きました。

もし癌で死んでしまったら?
これが最後の思い出の旅行か?とやっと獲得したトワイライトエクスプレスでしたが、私の気持ちはとても複雑でした。
救いは念願達成しとても嫁さんが楽しんでいたのが印象的な旅行でした。





ところがその後、術後の組織検査の結果、術前にはステージ1と言われていたのがなんとリンパ腫まで達していたのでステージ3と!
その後の抗がん剤治療は見ていても辛いものがありました。

抗がん剤治療を克服して何度かの健診をクリアーし、
ようやく安定してきての今年の春に
娘の結婚話しに、
生きてて良かった!命あるうちに孫が抱けるかも♪と喜んでいたものでした。

嫁さんが癌を患ってからは、
今まで自転車の大会とか遠くに遠征とか行っていたのを極力控え、
午前中で済むマラソン大会に切り替え、
なるべく家を空ける時間を短くするようにしました。

事情を知らぬ朝から晩まで遊んでいる周りの人達には「フレディは自転車辞めてマラソンにのめり込んでいる」とも陰口たたかれましたが、
そんな人達はどうせ付き合いも希薄になっていたので無視して、
今はこれが最優先と割りきっておりました。

何が一番大切で最優先かを判らせてくれたのは皮肉にも病気で、
それがその後何度も降りかかってくるとは、その時の旅行では知るよしもありませんでした。

ある日の出来事・・・(娘の幸せ)

2016年11月14日 04時21分28秒 | 日記
娘は今年の春に5年間交際した彼氏からプロポーズを受け、その後GWに我が家にスーツ姿の彼氏が挨拶に来ました。
私達夫婦はようやく訪れた吉報に狂喜し、その将来をあれこれと想像しました。
8月某日、両家の顔合わせで福井市内の和食店にて和やかに会合。
両家の親は二人から結婚式場の予約と見積りを見せてもらい、日取りも来春6月で結婚後には我が家の隣の空き家(我が家の所有物)に住みたいとの事に。

8月からはマラソン大会も無く、
ちょうど私も腰部脊柱官狭窄症で体調も悪かったので、どこにもフラフラ遊びに行かず、
週末は長年放置で傷んだ空き家の修繕を、ひとりでこつこつと出来る範囲で屋根や外壁のペンキ塗りや障子紙の張替とかを、若い二人が住む姿を想像しながら楽しんでやっておりました。

業者に頼んで畳みを新しく入れ換え、台所は天井と壁紙クロスを新調。
部屋の内壁が古いので、嫁さんと彼氏と娘の3人が漆喰塗りを楽しそうに塗っていたのは10月でした。

新生活の家具や家電品をあれこれと選んで嫁さんと一緒に買い物であちこち出歩いて、あぁ疲れたと言いながらも顔は楽しそうなのがこちらも嬉しく、ジョギングや登山やサイクリングからはすっかりと縁遠くなりましたが、最優先すべきは今はこれなのだと心ときめいておりました。

そんな最中、10月下旬頃から娘が体調不良を訴え腹痛や食欲不振に。
かかりつけの内科で診てもらうも改善せず、大きな病院への紹介状を書いてもらい11月9日に胃カメラの予約を取る。

・・・が、11月8日深夜、
あまりにも辛がって食べた物も嘔吐するので、予約を入れていた大病院の救急外来へと連れていき、
そこでの血液検査・CT検査にて、初めて消化器官ではなく、
心臓の周りに水がたまっていると判明。水が心臓を圧迫しているので負担がかかり、食事をすると胃腸が働く事によりそこへ血液を送るため、さらに心臓に負担がかかると。
その場では余分な水を抜かなければいけないとなり即ICU入院。
恐らく胃カメラをしていたらさらに心臓に負担がかかって大変な事になったかも知れないので、よくぞ見つけて下さったと。
私達夫婦は余分な水さえ取り除けは、それで一安心かと思いました。

翌日11月9日、午前中に水を抜く処置をする予定でしたが、
心臓が弱り血圧がかなり低いとの事で処置を一時的に延期し、点滴治療等で血圧が戻り安定するのを待つ。

11月10日、要観察状態ながらもいったんは一般個室病室に移る。
徐々に安定してきたのかと私も少し安堵するも嫁さんが付き添いで泊まり込んでいた深夜に体調悪化。
一時呼吸停止まで陥りこれ以上は危険と緊急に水を抜く処置を。

11月11日、再びICU処置室へ。
抜いた水は透明ではなく暗いオレンジ色。看護師でもある嫁さんは不吉な予感を感じる。抜いた水は今後の治療方針を探るため検査にまわされ、この日の夜だけ嫁さんは病院から戻り自宅の布団で眠る。

11月12日、土曜日で多くの部は休みだが緊急にぞうよ材を入れて再びCT検査。同時に医師から説明があるので、我が家息子と彼氏も含め家族全員が病院に急きょ呼び出される。
精密なCT再検査の結果、家族だけに先に伝えられたのは「悪性縦隔腫瘍あくせいじゅうかくしゅよう」という聞き慣れない聞きたくない病名でした。

心臓や大血管の陰になり最初はX線撮影でも見つけにくいと。
娘の場合は心臓の上に既に10cmもの大きさの悪性腫瘍が、心臓や食道その他の臓器に深くからんで浸透しているので、外科的切除は不可能と。
抗がん剤治療でどこまで叩けるか?
どの抗がん剤が適合するのか?
組織を採取する針を刺す同意書にサインをし、本人には告知せず水の原因となっている邪魔な腫瘍を薬で叩く治療を進めるとだけ。

待ち合い室に出て、それまで気丈に医師の話しを聞いて質問も返していた彼氏が大号泣。私達夫婦も涙・・・。息子もそっぽを向いて妹の不遇に悔し涙。
私と彼氏は強く抱き合い大声で嗚咽。
彼氏に対しすまない申し訳ないと謝るしか言葉が出ず・・・。

治療方が適合しなかった場合はもって数日内と宣告され、私と嫁さんはこの晩から病院に泊まり込む。
深夜の廊下を歩く看護師さんの足音に怯えながら、待ち合い室のベンチで横になり眠れぬ夜を泣いて泣いて朝を迎える。

11月13日、出来るだけ身内や知人を今のうちに呼んでくださいと医師から言われ、親しい人にだけ声をかける。水が抜けて血圧も少し安定したせいか、娘は意外と穏やかで会話も普通に。たくさんの管に繋がれてベッドから出て動けないというだけで、いたって普通にしている姿を見ると、本当に重篤なんだろうか?
全部ウソか間違いではなかろうか?とさえ思える。
ゼリーやメロンをゆっくりと少しづつ美味しそうに食べさせてもらい、
あぁ、たこ焼食べたいとかピザが食べたいとかテレビを見ながら笑っています。

昼から一緒に二人で福井スーパーレディース駅伝を見ていた。
途中のテレビCMで結婚式場の宣伝が流れ、「あ!お父さんこれこれ♪私達が式を挙げる予約したのココなのよ」と嬉しそうに言う娘があどけなく、そうかそうかと顔では笑顔で、待ち合い室に出て・・・。

何も知らないので、注文した家具や家電品が届く配達日を気にしたり、嫁さんに招待状の住所を確認したりと、彼氏と新居の話しをしたり・・・。
こんな和やかなひとときがずっとずっと続きますようにと心の底で願わずにはおれません。

読んで不快に思われ嫌な話しを聞いたと思う方々もいらっしゃるのでは?とも思いましたが、
先に娘が入院したともお伝えし、その後を気にされて心配されている方もいらっしゃっるのかも?と思うのと、
まだ24歳と若い娘が、将来を夢見て一生懸命に闘病しているというひとつの記録として書きました。
どうぞ御容赦下さいますとともに、
ICUに入って付き添っている時は携帯電話の電源を切っている故に、皆様方へのお返事はなかなか出来ないと思いますm(_ _)m