いつか風がみていた・・・(フレディ・Mの日記)

自転車とオートバイで遠くへ・・・。

入院10日目・・・。

2016年11月19日 07時48分18秒 | 日記
医師からの親族・知人に今のうちにという言葉と、
治療法が適合しなかったらもって2~3日との言葉に、
現役看護師の嫁さんはどうしようどうしようと号泣しながらも、
過去の自分の職場経験と心電図が照らし出す数字を見て、
親族の誰よりも先に覚悟をし、
管に繋がれたままではもう家にも帰れず、
花嫁衣装の衣装合わせも行けないと判断し、
最後に袖を通させるためウエディングドレスを注文したのでした・・・。














・・・もし、最初に胃腸消化器系だと思い続け、
そのまま胃カメラを予約した日まで我慢していたら?


心臓に極めて危険な負担がかかる胃カメラを入れていたら?


悪性縦隔腫瘍の3種類のうち、治療方法の無い2つであったら?






そのいくつかの「もしも」の崖っぷちを駆け抜けるように、
家族や婚約者がその事態を飲み込む余裕も無く、
あれよあれよと時間は流れて、
11月14日に検査結果を受けて初めて本人に告知。














周りの心配をよそに当の本人は・・・、
















「え~?せっかくこの間髪の毛染めて綺麗にセットしたばかりなのに!
 全部抜けちゃうの? お小遣いもったいな~い!」



・・・でした














そこか!?っと驚く家族をよそに、
味気ないお粥はもう飽きたと贅沢な文句を言う娘は、
慌ただしく夕方には一般病棟へとお引っ越し。
翌11月15日から本格的な抗がん剤治療が始まりました。




心臓の周りから水を抜き続けているのと、
いくつかの種類の治療薬のおかげか、
日に日に娘は辛がることも減り、
常にばくばくと波打っていた胸も少しだけ落ち着き、
ベッドの上で起き上がれるように・・・。




抗がん剤の投薬初期にはその強さからショック死もありうるとの事で、
16日までは夫婦共々付き添い、17日から私だけ職場復帰。






朝、息子の弁当作るついでに付き添いの嫁さんの分も作って、
仕事に向かう途中に病院へ持っていき、
静かに眠っている2人を見てそっと弁当を置いていく。





夕方3時に毎日早退させてもらって、嫁さんと付き添いをバトンタッチ。
自宅でシャワーだけ慌ただしく浴びて戻る嫁さんと再び交代。
私が家に帰ってお犬様の世話と自分と息子の晩御飯の支度をして、
腰を降ろして食事をするのがPM21時の日々が始まりました。











長い髪の毛のまま副作用が始まると、
抜けた髪がからまって痛い目にあうと聞いたので、
行きつけの美容師さんにお願いして病室まで来てもらう。

中学生以来の短い髪型に家族の表情も和む。




介助なしではまだ動けないが、
寝てばかりでは身体が弱るからと、
入院10日目にして歩行訓練まで!

(写真提供:婚約者殿)



先週末には覚悟を決めていた家族にとって、
とても嬉しい復活ですが、
抗がん剤治療はまだ始まったばかり。
来週には蓄積された薬の副作用が出始めると思われ、
これから始まる病との闘いに、
顔では笑って見ていても親としては、
どうかこのまま治療が続きますようにと念じてやみません・・・