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いつか風がみていた・・・(フレディ・Mの日記)

自転車とオートバイで遠くへ・・・。

花の福井市~芭蕉城下二日考察~アヤシイ飲み会♪

2013年04月01日 06時00分00秒 | 日記
3月30日(土曜日)



以前から申し込んであった講演会に向かうべく、
久々折り畳みチャリ・スニフ君で福井市内へと、
春の花咲く晴天ののんびりポタリングを楽しんできたワタクシでゴザイマス・・・




高速道路沿いにゆるゆると南下する

のり面にはヤマブキが綺麗~




講演会を前に歴史に思いをはせるべく九十九橋まで行く

近くでは満開に近い桜も



せっかく市内に来たのだから、街中の昔懐かしレストランでお昼ご飯
入口にハープの飾ってある創業40年のイタリアン食堂で

あ!ハープの製造会社は世界に3社しかないって知ってます~?
そのうちの1社が福井にあるのだ~


食事は学生の頃何度か食べた懐かし味でした~




講義が始まるまでまだ時間もあるので、中央公園へと

紅梅がたくさん満開で素敵でした~



・・・で、その近くでは、









佐佳枝廼社(さかえのやしろ)さんです~

福井藩主、結城秀康・松平春嶽を主祭神として祭っている神社

シダレザクラが見事でした~









お昼2時、アオッサの6階へと


この日、こちらの桜木図書館主催による
「芭蕉が福井城下で過ごした二日間・おくの細道の福井の条を考える」という講義に

福井大学・教育地域科学部教授の三好修一郎氏による講演会


授業を受けるということなど久しかったのですが、
とても興味深い楽しい1時間半でした~


松尾芭蕉が福井を通る際に、どういったルートで本当に奥の細道の記載に間違いや矛盾がないか?
また、福井で芭蕉が出会った人物とは一体どんな人なのか?
いろんな文献をいくつも照らし合わせると、
芭蕉の「奥の細道」は、興味を引くようにフィクションの部分が多かったなど、
今まで知らなかったことが学べるということが大変嬉しかったデス


中でもおもしろかったのは、弟子で同行していた河合曽良はペンネームで、
その名付け方の理由とか

曽良の出身地はナガシマスパーランドやなばなの里がある長島で、
そこは木曽川と長良川が合流する場所

「河川が出合う、木曽川と長良川」→「河が合う、曽と良」→「河合曽良」

なるほど~


その河合曽良は芭蕉との道中で、「曽良旅日記」というのを書き残している
これは非常に興味深い記述で、
芭蕉が書いたとされる「奥の細道」の記載と食い違う箇所が多々あるという
つまり芭蕉は物語を面白くするためにフィクションの部分が多くあったのではないか?
曽良の記載が真実ではないか?といった仮説が有力なのではということである。
しかし、河合曽良は山中温泉で体調を崩し(お腹を壊した)、
一人先に自分の故郷に先だってしまったので、
これより先の芭蕉の記述がその虚実の程がわからない・・・


したがって、福井での行動にはいろんな矛盾や謎が多いということで、
単に松尾芭蕉が福井も通りましたよということではないということに、
純粋に面白いと感じました


福井市民には広く知られている事の一つに、
芭蕉が今の福井市左内町にある洞哉(とうさい)という世捨て人の家に2泊したという出来事も、
当時の福井城下の地図と照らし合わせても、
そのあたりには家が無く、一面原野だったとか


ただ、真に残っている部分もあり、福井市の月見地区の名の由来は、
芭蕉が読んだ句「月見せよ玉江の芦を刈らぬ先」から来ているとも


う~ん 歴史って奥が深いなぁ~





・・・で、そののちの夕刻










マラソン仲間のFuomi女史からの御誘いで、
市内某所にて・・・

hiroさん・おーちゃん・サムライダーさん・Оさん・Fuomiさん・私の6人で


サムライダーさんの勤務地が変わるということでの飲み会でした~

(左側おーちゃん・右側泥酔サムライダーさん)




私のシューズのにほいを嗅ぎなさ~い!おほほほほ~
っと、無茶を言うFuomi女史・・・
あああ、やっぱりヘム・・・


帰り際にはおーちゃんからキワドイ下着のプレゼントを受け取り、
感極まったサムライダーさんが・・・




酒飲んでこういったバカができるヒトって大好きです
久しぶりに楽しい飲み会でしたとさ