最近はニュースになることもめっきり減ったが、イラク情勢は相も変わらず不穏な状況が続いている。一般に中東になじみが薄い日本ではイラクとイランが一字違いでゴッチャにされがちだが、イラクとは「豊かなる過去を持つ国」の意味があり、イランは「アーリア人の国」とまるで異なる。名称どおりイラクは「豊かなる過去を持つ国」だが、それゆえに受難の方も豊かだった。
あらゆる文明の揺籃となったメソポタミア文明も現イラクで栄え、メソポタミアとはギリシア語で「複数の河の間」を意味する。シュメール文明もこの地が発祥、農耕文明としてはあのエジプトより古く、古代にこれだけ進化した文明が存在したのは、実は宇宙人が伝えたからだ等のトンでも説まである。一方、イランは古代オリエントでは印欧語族による新興国だった。
様々な国家が興亡を繰り返したオリエント世界で初の統一を果たしたアッシリア帝国も現イラク北部から興っている。その後を受け継いだアケメネス朝ペルシア帝国は、アッシリアも含めオリエントの主な民族であるセム語族と異なり印欧語族による国家だったが、首都の1つのスーサ(現フーゼスターン州)はメソポタミアと接する所であり、この地の重要性から王宮が置かれた。
紀元3世紀に興ったサーサーン朝ペルシアもまたオリエントを制した世界帝国だったが、この帝国の首都クテシフォンもメソポタミアの中心地にあり、当然だが皇帝は首都に居住する。ペルシア(イラン)人の殖民もあったにせよ、この地の住民の大半はセム語族だった。戦略的に重要な地点であり、サーサーン朝と覇権をかけ抗争したローマが東方征服のための軍事的目標となる。
イスラムの時代となり、ウマイヤ朝の首都はダマスカス(現シリア)だが、次のアッバース朝はバグダードに首都を構え、またもメソポタミアが中東世界の中心となる。ウマイヤ朝はアラブ帝国とも呼ばれるが、アッパース朝はアラブではなくイスラム帝国と表現される。
アッバース朝がモンゴルにより滅ぼされた以降、メソポタミアの地は暫らく周辺諸王朝の勢力下に入るが、まもなくオスマン朝とサファヴィー朝ペルシアが領有を巡り激しい抗争を繰り広げる。双方ともにトルコ系王朝だったが、スンナ派とシーア派の違いもあり、ジハードの様相を帯びることもあった。最終的にはオスマン朝が支配を確立するが、サファヴィー朝側も常に領土奪還を狙っていた。トルコ系の血筋でもサファヴィー朝君主は古代イラン式にシャー(王)の称号を用い、アケメネス、サーサーン朝時代に支配下にあったメソポタミアの地は元来自国領と考えていたのだろう。
第一次大戦時、メソポタミアも戦場となり英国軍が侵攻する。英国もこの地で苦戦、中でもクートの戦いの敗戦は英国軍の面目丸つぶれとなり、膨大な損失と夥しい捕虜を出す。その時、捕虜解放交渉に当たった英国将校の1人こそトーマス・エドワード・ロレンス(所謂アラビアのロレンス)、間もなくゲリラ戦で縦横無尽の活躍をするロレンスも芳しい結果を出さなかった。
この世界大戦に敗北したトルコに変わり、メソポタミアの新たな支配者となったのがイギリス。やがてイラク王国建国となるが、英国の傀儡王朝だったのは言うまでもない。この王朝は第二次大戦後、イギリスの保護を失い1958年に滅亡する。
イラン・イラク戦争時、かつてアケメネス朝の首都があったフーゼスターン州は最前線となり、甚大な被害を被る。この地はイスラム勃興後アラブ人の入植が始まり、20世紀の戦争時も住民の大半はアラブ系だった。そのためサダム・フセインは同地を「アラビースターン」(アラブ人の土地の意)と呼び、自国への併合を目論む。フセインの期待と反対にこの地のアラブ系住民は、侵攻してきたイラク軍に協力するどころかイラン人と肩を並べて戦ったが、アラブの大義を掲げフセインが行ったことは、フーゼスターン州のアラブ系住民に塗炭の苦しみを与えたに過ぎなかった。
そして、イラク戦争。アメリカがこの戦争を始めた背景は、やれ石油目的だのイスエラル・ロビーの暗躍、パパを困らせた独裁者へのブッシュ・ジュニアの復讐…様々な憶測が飛び交うが、イラクが戦略的に重要な地なのは古代から変わらない。この地を支配した者は中東世界全体を牛耳れることは、上記のイラク史の簡単な概略だけでもお分かりになると思われる。
山本七平はイラン・イラク戦争について述べており、ブログ記事「平和運動に欠けている視点」にそれが載っている。ただ、「人間に最も強く教えるものは、やはり「経験」であろう…イラン・イラク戦争では、これが終わって”熱気”がさめた時には、両者ともに学ぶところがあるであろう…」の箇所には苦笑させられた。己の戦争体験だけを元に他の戦争を語るこの評論家の思想、世界観はさておき、“豊かなる過去を持つ国”の歩みは山本の予想を裏切るに充分だろう。
インド初代首相ネルーは獄中から娘に当てた手紙の中で、悠久の歴史と文化を誇る祖国について描いた後、「だが、自惚れてはいけない。我々は多くのよきものと共に同じくらい悪いものも受け継いでいるのだ」と戒めている。
◆関連記事:「イラクと空爆の力」
「ガートルード・ベル-イラク建国に携わった女」
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あらゆる文明の揺籃となったメソポタミア文明も現イラクで栄え、メソポタミアとはギリシア語で「複数の河の間」を意味する。シュメール文明もこの地が発祥、農耕文明としてはあのエジプトより古く、古代にこれだけ進化した文明が存在したのは、実は宇宙人が伝えたからだ等のトンでも説まである。一方、イランは古代オリエントでは印欧語族による新興国だった。
様々な国家が興亡を繰り返したオリエント世界で初の統一を果たしたアッシリア帝国も現イラク北部から興っている。その後を受け継いだアケメネス朝ペルシア帝国は、アッシリアも含めオリエントの主な民族であるセム語族と異なり印欧語族による国家だったが、首都の1つのスーサ(現フーゼスターン州)はメソポタミアと接する所であり、この地の重要性から王宮が置かれた。
紀元3世紀に興ったサーサーン朝ペルシアもまたオリエントを制した世界帝国だったが、この帝国の首都クテシフォンもメソポタミアの中心地にあり、当然だが皇帝は首都に居住する。ペルシア(イラン)人の殖民もあったにせよ、この地の住民の大半はセム語族だった。戦略的に重要な地点であり、サーサーン朝と覇権をかけ抗争したローマが東方征服のための軍事的目標となる。
イスラムの時代となり、ウマイヤ朝の首都はダマスカス(現シリア)だが、次のアッバース朝はバグダードに首都を構え、またもメソポタミアが中東世界の中心となる。ウマイヤ朝はアラブ帝国とも呼ばれるが、アッパース朝はアラブではなくイスラム帝国と表現される。
アッバース朝がモンゴルにより滅ぼされた以降、メソポタミアの地は暫らく周辺諸王朝の勢力下に入るが、まもなくオスマン朝とサファヴィー朝ペルシアが領有を巡り激しい抗争を繰り広げる。双方ともにトルコ系王朝だったが、スンナ派とシーア派の違いもあり、ジハードの様相を帯びることもあった。最終的にはオスマン朝が支配を確立するが、サファヴィー朝側も常に領土奪還を狙っていた。トルコ系の血筋でもサファヴィー朝君主は古代イラン式にシャー(王)の称号を用い、アケメネス、サーサーン朝時代に支配下にあったメソポタミアの地は元来自国領と考えていたのだろう。
第一次大戦時、メソポタミアも戦場となり英国軍が侵攻する。英国もこの地で苦戦、中でもクートの戦いの敗戦は英国軍の面目丸つぶれとなり、膨大な損失と夥しい捕虜を出す。その時、捕虜解放交渉に当たった英国将校の1人こそトーマス・エドワード・ロレンス(所謂アラビアのロレンス)、間もなくゲリラ戦で縦横無尽の活躍をするロレンスも芳しい結果を出さなかった。
この世界大戦に敗北したトルコに変わり、メソポタミアの新たな支配者となったのがイギリス。やがてイラク王国建国となるが、英国の傀儡王朝だったのは言うまでもない。この王朝は第二次大戦後、イギリスの保護を失い1958年に滅亡する。
イラン・イラク戦争時、かつてアケメネス朝の首都があったフーゼスターン州は最前線となり、甚大な被害を被る。この地はイスラム勃興後アラブ人の入植が始まり、20世紀の戦争時も住民の大半はアラブ系だった。そのためサダム・フセインは同地を「アラビースターン」(アラブ人の土地の意)と呼び、自国への併合を目論む。フセインの期待と反対にこの地のアラブ系住民は、侵攻してきたイラク軍に協力するどころかイラン人と肩を並べて戦ったが、アラブの大義を掲げフセインが行ったことは、フーゼスターン州のアラブ系住民に塗炭の苦しみを与えたに過ぎなかった。
そして、イラク戦争。アメリカがこの戦争を始めた背景は、やれ石油目的だのイスエラル・ロビーの暗躍、パパを困らせた独裁者へのブッシュ・ジュニアの復讐…様々な憶測が飛び交うが、イラクが戦略的に重要な地なのは古代から変わらない。この地を支配した者は中東世界全体を牛耳れることは、上記のイラク史の簡単な概略だけでもお分かりになると思われる。
山本七平はイラン・イラク戦争について述べており、ブログ記事「平和運動に欠けている視点」にそれが載っている。ただ、「人間に最も強く教えるものは、やはり「経験」であろう…イラン・イラク戦争では、これが終わって”熱気”がさめた時には、両者ともに学ぶところがあるであろう…」の箇所には苦笑させられた。己の戦争体験だけを元に他の戦争を語るこの評論家の思想、世界観はさておき、“豊かなる過去を持つ国”の歩みは山本の予想を裏切るに充分だろう。
インド初代首相ネルーは獄中から娘に当てた手紙の中で、悠久の歴史と文化を誇る祖国について描いた後、「だが、自惚れてはいけない。我々は多くのよきものと共に同じくらい悪いものも受け継いでいるのだ」と戒めている。
◆関連記事:「イラクと空爆の力」
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>>1月後の10万円より今日の千円をめぐって100万円かけて争うものだと思います。
人間の業を見事に表現されていますね。古代から人間の情けない性は変わりません。戦争で儲かるのは軍需産業や死の商人ですが、軍需産業は兵器のみならず一般工業品も製造、それにより雇用も生み出しているので潰すことは難しい。
日露戦争の戦費の返済はバブル期までかかっていたことはあまり知られていませんよね。核兵器廃止したところで、それ以外の武器で戦うのは目に見えている。反戦平和や反核団体も実際には実現不可能な主張を繰り返し、利権を得る手段にしているだけです。
私は人間はもっと馬鹿だと思いますよ。1月後の10万円より今日の千円をめぐって100万円かけて争うものだと思います。古代だって中世だって戦争のコストは莫大でした。例えば30年戦争は人口動態が大きく変化するほどの大惨事でしたが、その後ドイツは懲りずに現代まで大戦争を何度もやっています。フランスだってナポレオン戦争で500万人若者を殺して、約百年後にはww1でまたまた人口動態が狂うほど大戦争で死なせてるわけですし、どの国も子細に見れば似たような話は転がっているものです。本当にトータルコストで戦争が儲かる時代てあったのか?と思いますね。一部が儲かることはあっても国全体ではコストの方が大きかったと思います。
日露戦争だって領土拡大権益拡大 威信も増して国際的位置付けも上昇しましたが、戦費の返済は
バブル期までかかりましたし,得た権益擁護の為その後膨大なコストを支払い、さらに直接の戦死者への補償、軍備についやしたため再投資されなかったカネを考えると果たしてどれだけ利益があったのか?
と思います。そんなんでも殺し合いを始めちゃうからこそ無駄な軍備に手を抜くことなく力を入れねば
ならぬと思うわけです。
この鍋は私も買うかどうか迷っていましたが、やはり宣伝どおりオーブン等で蒸すよりも短時間で蒸せるのですか。強火になり過ぎないように気を付ければ、便利なものかもしれませんね。
この鍋で作った魚介類の煮込みはどんな味だったのでしょう?肉料理にも応用できるので、やはり買おうか、また迷います。魚肉よりも野菜の蒸し料理に適しているかもしれません。
本題と離れて申し訳ありません。
某ブロガーさんに紹介された、タジン鍋を購入してみました。
日本の土鍋に比べ、空気穴がなく、強火で煮すぎると、蓋がグツグツと吹いてしまいますが。
それでも、オーブン等で蒸すよりも短時間で蒸せて、色々と試し甲斐がありそうです。
(魚貝類だけでなく、肉を蒸し・煮るにもよさそうですね)
紹介されたニュース、私も見ていますが、本当に呆れるばかりです。↓のコメントがふるってますよ。
3 :名無しさん@十周年:2009/10/18(日) 11:55:16 ID:Jjtz8pbE0
ブラジャーがダメでSMはOKなの?
ただ、このイスラム過激派ですが、内戦の続くソマリアの組織であり、イスラム世界でも特異なケースのはず。戒律の厳しいサウジでも、ここまではしないと思いますね。他国のムスリム神学者も、これはイスラムからの逸脱と批判する者がいるでしょう。
人間は環境の生き物なので、あの一神教が生まれたのも中東だし、日本のような処ならあの思想は出来ない。自己で努力せず、歴史を捏造する事にのみ、狂騒するクレージー国家・国民もそれに相応しい環境と過去の延長の結果です。
もっとも、記事にも書きましたが、他国の戦争経験を取り上げ、学ぶところがあるであろうと性急に結論付ける評論家が日本にいるのも“環境”があるのやら。この評論家先生、日本人はすぐに結論付けたがると論評していましたが、それはご自身だった。
やはり、宗教というものは、信じるものというよりは、ただの口実のようですね。
また、成文化された法律でさえ、自己中で解釈されるものですが、一部ないし、全部が成文化されていない狂信者というものは、始末に終えませんね。
口で説得できない者は、暴力に走り、それを非難できないのは、、、。
本当に、手に負えないだけでなく、全くの無正義で暴力に走られるので、始末が悪すぎですね。
※恐らく、この記事は、ご存知でしょうね。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1325486.html
(過去がどうであれ、今現在、砂漠化した地域というものは、地球環境だけでなく、そこに住む者が、環境に配慮しないからというのは、十分でなくとも、何分かはあると思います。
また、今も昔も不毛な地域で、自己で努力せず、歴史を捏造する事にのみ、狂騒するクレージー国家・国民にも、反吐が出ますね)
ながーい歴史を誇るイタリアですが、もうカエサルのような英雄が現れるのは望み薄かも。ムッソリーニは古代ローマに憧れましたが、最後は愛人と共に広場に逆さに吊るされた。ドイツと異なり民衆自ら独裁者を殺害したのも面白いですが、同じタイプの首領はまた出てきそうな。
フセインはバビロン捕囚を実行したネブカドネザル王やサラディンに自らをなぞらえていたそうです。街にはしっかりサラディンと一緒に描かれた肖像画を掲げる一方、サラディンの同族クルド人には毒ガスを浴びせる。イラン人も大嫌いで、ハエと共に神が作るべきでなかった言ったこともあるとか。せめてもの長所は子供には甘かった点もあり、2人のドラ息子には手を上げなかったらしいです。
「イラン人の中華思想」と揶揄されるほど、イラン人もプライドが高く、駐日大使ライシャワーは中国とイランの歴史は似ていると感想を述べています。様々な異民族による征服王朝が続き、外敵よりも王朝内部の勢力争いが熾烈。対外戦争も国威向上だけでなく、支配者の権力基盤を磐石にする目的、つまり、国内の敵への牽制に思えます。始皇帝は何度もドラマ化されているところを見ると、中国人にとって憧れの英雄なのかも。
古代ローマ時代は現代のフランスに当たるガリアよりもバルカンの方の文化が高かったのでは?南端にギリシア、西側はローマの根拠地イタリア半島、影響はガリア以上だったでしょうね。イタリアといえばマフィアが有名ですが、バルカンのマフィアも劣らずすごいと何かの小説で見たことがあります。ギリシアも「公金の不正流用」が当たり前のはず、公私混同は珍しくないと聞きました。
また、いいことを言っているネルーもカースト制の弊害を娘に説きながら、いざ娘が異教徒と結婚したいといった時、猛反対する頑固親父に豹変したのです。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/2e6babd56ee846f347c83a642ff8ceab
以前小生が、米国外交官夫人の言葉「ナポリのイタリア人を見て、本当に進歩とか、発展とか、努力とか、そういう概念がゼロの国民を見て驚いた」という言葉に違和感を抱いたことをお話ししました。ローマ帝国とか、ルネッサンス時代とか、あまりに輝いた過去を持つイタリア人には、現代社会の文明の発達といっても、さほどたいしたことには感じられず、それよりもきれいな女性の尻を追いかける方が、人生にとって有意義という価値観もあり得る、というのが小生の感覚だったからです。
同じことをつい感じてしまいます。メソポタミアにもペルシャにも、輝かしすぎる過去の歴史があり、フセインが買い付け得た武器は、ソ連製、フランス製などで、独自の社会主義体制もソ連から輸入した部分も多いにせよ、自ら壇上で小銃をぶちかましていたように、中東の真ん中で英雄としての自分に酔うタイプだったようです。イタリア青年とは逆に、過去の夢に感応していたのがフセインかもしれません。自前の武器もなく、技術水準から言えば輸入武器のレベルもたいした中身ではないし、米国のハイテクにカダーフィのごとく空爆されてはかなわないから、毎晩異なる一般市民の家を占領しては、そこで眠るという、異常な毎日を送りつつも、大きな野望にとりつかれていた、哀れな誇大妄想の男です!!
ナポリのように、ある意味町も、女性も美しいし、食物もおいしいところでは、夢も小規模となるけど、砂漠とか土漠ばかり目立つ砂埃の国土と、石油がもたらす大金で買い付けうる大量の武器に目がくらんで、フセインは野望を膨らませすぎた??今のイラン国家を牛耳る高僧達も、権力と石油と軍隊を握って、米国に対抗ばかりして、国民の利害を顧みない!!不思議な政策をとります。もっとも、一神教のせいで、普通のバランス感覚ではなく、イスラエルと、それを支援する米国は許せない、という思想に凝り固まっているのでしょう。それなりに昔通り「大国主義」とも言える。
同じく「豊かな過去」に縛られる中国人は、やはり世界帝国を夢見ているけど、実際の敵は実は常に国内の競争相手なのです。最近、中国製のDVD「秦始皇帝」を見始めたのですが、秦国皇室内部、或いは宰相と大后と国王、などなど、王朝内部の勢力争いが熾烈だし、それらを時間をかけて、勝ち抜いてようやく王権を確固たるものとしつつ、並行的に対外戦争もやる、という有様です。今の中国も同じように、対外的な競争とか外交にも忙しいけど、それ以上に国内での権力闘争にも忙しい・・・昔も今も、ちっとも進歩していない感じ。歴史は繰り返しているだけかも。ハイテクの膨大な兵器体系が、恐ろしい面もあるけど、人間の心理とか、伝統的な思考とか、どこが進歩したのか怪しいともいえる。
ともかく、中東は中東における歴史の法則が未だにあるようだけど、バルカンとかブルガリアは、欧州、すなわちEUという新たな枠組みの中での発展、向上を夢見て動き始めた段階で、ある程度は「夢」を語りうる状況ではないかと思う。もっとも今ブリュッセルでは、ルーマニア、ブルガリアという「バルカン」を取り込んでみて、「公金の不正流用」が当たり前という文化とか、マフィア的な政治、経済、司法の仕組みを清算しがたいこととか、人間が信用ならないこととか、ともかく「文化」の相違に驚愕しています。
バルカンも、実はギリシャ時代以来の「ながーい歴史」を誇る地域なのです。人間の自我、欲望の強さは、古代以来当たり前だし、マフィア組織の残忍さでは、イタリアにいつまでも後れをとるほど愚鈍でもない。共産主義の恐怖政治を生き抜いたのですから、今は個人の強欲が満開です。故に、当分その社会の行方は分かりません。「ながーい歴史」は、本当に欠点もそれだけ多く抱えている!(ネルーはいいことを言う!)。