毎週日曜、河北新報には「おじさん図鑑」というコラムが掲載されており、4月に「国民の敵」というタイトルの投稿があった。マイPCが“脳死”状態だった頃なので、掲載日はたぶん19日か26日だったかもしれない。試しに検索したら、ブログ「団塊世代おじさんの日常生活」に「まさに「女の敵は、女ですね」。」という記事がヒットした。
「おじさん図鑑」は中日新聞のサンデー版にも掲載されているようで、記事全文は河北新報と全く同じだった。「おじさん図鑑」を執筆しているのは飛鳥圭介 氏、肩書はエッセイストとあり、「国民の敵」の全文を引用したい。
「政治状況は千変万化で、本コラムにもあまりなじまない。が、たとえ古びてしまっても「絶対に忘れないからな!」という記録として残しておきたい。今年一月の衆院代表質問で、国民民主党の玉木代表が「選択的夫婦別姓」についての質問をした。
彼が、結婚が同姓を余儀無くされていることによって結婚をためらう人がいる事例を挙げると、議場からこんなヤジが飛んだという。
「だったら結婚しなくていい!」
新聞の第一報では自民党の女性議員として、名は伏せられていた。この記事を読んで、おじさんは怒るのを通り越してグッタリしてしまった。結婚は国民の大事な権利の一つだ。それを議論の前提もなく「文句があるのならやめろ」とは耳を疑うヤジだ。
国会で総理大臣自ら「意味のない質問だ」とヤジを飛ばす愚劣さにも驚いたが、それ以上に人間性を疑うひどいヤジだ。しかも、これが女性議員だったとは言葉を失う。むやみに威張りちらし、人を見下してモノを言う某大臣に匹敵する傍若無人さであろう。ワシらの国会は、いつからこんな人品卑しい議員たちのやりたい放題のたまり場に成り果てたのか」
「おじさん図鑑」には暫く前から違和感を覚えることが多くなり、最近は殆ど見ることがない。それでもネット不通のためか、ついコラムを見てしまった。飛鳥氏が何歳なのか不明だが、これぞ戦前の昭和一桁男の感性がよく現れている。
つまり、野次を飛ばす女議員は「国民の敵」ということだが、これは女は常に淑やかにして余計なことは言うな!と暗に強制しているに過ぎず、サヨクと男尊女卑思想のコラボなのだ。
玉木代表の質問からして、一般庶民女性とかけ離れた人間関係が伺える。彼は同姓を余儀無くされていることにより結婚をためらう人の事例を挙げたそうだが、このようなケースはごく一部に過ぎない。欧米諸国でも夫婦同姓が過半数を超える多数派であり、別姓は依然として少数派。
夫婦別姓にするのは自由だが、私的にはこれほどまでに旧姓に拘る女たちの気持ちは理解不能だ。それほどのキャリアや名家の出なのか、と言いたい。
そして同姓となるのが嫌で結婚を躊躇う女に対しては、男側も厭わしくなるだろう。それほど姓を変えたくないのは、本音ではオレと結婚する気がないのか?と余計な疑いを招きかねない。
旧姓に拘るのは儒教圏の風習である。日本はメディアは中韓が夫婦別姓であることをいかにも“先進的”と持ち上げるが、これは儒教の絶対的男尊女卑思想からきているに過ぎず、女は嫁いでも一生赤の他人扱い。中韓における出生時の男児の異様な多さから、女児間引きが未だに蔓延っているのは容易に判るはずだ。
大半の日本人は男性はもちろん女性でも、夫婦同姓で特に問題なしと思っている。確かに結婚後、姓を変えることに煩わしさがあるのは否めないし、役所や銀行、保険などの手続きを面倒と感じるだろう。それでも同姓を余儀無くされていることにより結婚をためらう女に対しては口には出さすとも、「だったら結婚しなくていい!」と思っている。
その類は結婚してもうまくいくのか疑問だし、夫婦別姓でも構わないというパートナーを探した方が無難のはず。事実婚という手段もあるのだから、夫婦別姓でも夫婦関係は築ける。
「だったら結婚しなくていい!」の野次は確かに品位には欠ける。しかしその程度で「国民の敵」と断定するのは、不適切よりも禍々しいレッテル張りそのものであり、コラム主自身の傍若無人さと人間性を疑う。
その二に続く
金銭面での法制度も周囲の理解も進んでいるので、弊害は役所の手続き関係(子供の認知等)で煩雑になったことがある程度です。
どっちの姓にするかじゃんけんで決めようと言われて、価値観が近い人(女性としては結構異端)なので思いは分かるので、それならまあいいかと。(田舎の長男として、私が変えるという選択肢はなかったので。)
妻は官僚ですが、私と同じで公的に別姓制度を求める自称リベラルも、それに価値観から反対する自称保守も嫌いです。(どっちも私的な価値観を押し付けるという意味では同じ。)
自民党の女性議員は男性政治家(多くは旧い価値観を持つ)に勝らないといけないので、男性より男性化していまうんですね。
噴飯もの。手続きとかがメンドクサイのは理解できますが、なんとも
>中韓が夫婦別姓であることをいかにも“先進的”
この勘違いしている人多いですよね。そして中韓の
儒教の毒素を本当に理解してない人が多すぎる。
伊達政宗公はいいことを言いました。
仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂(へつら)いとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする
ホントこれ。そして立場上下と男女の差 宗族のルールの陰湿さ。儒教も悪いことばかりではないですが、問題点もよく知られてほしいですよ。
ただ最後に「伊達政宗、お前が言うなw」
mottonさんが事実婚をされていたとは知りませんでした。官僚ならば無理に夫の姓に変更する必要はないし、パートナーの理解があれば事実婚でよいと思います。両親の同意は難しいかもしれませんが、夫婦の価値観が第一ですから。
どうでもいいことですが、私の職場には長男なのに婿のようなかたちで姓を変えた男性がいました。伴侶となる女性から婿になってほしいと強引に頼まれたとか。
公的に別姓制度を求める野党議員にはうさん臭さがぬぐい切れないし、自称保守の女性議員の主張にもついていけません。女性差別の存在を否定したり、シングルマザーについて父親による暴力が離婚の原因であっても、「そんな男性を選んだのはあなた」などと主張しているのは論外。男性より男性化する保守の女議員は、イスラム主義の女たちと重なります。
ヒンドゥー教もカースト制で男尊女卑ですが、カースト同士の相互扶助の義務があり連帯もすごいのです。悪名高い持参金制度も嫁ぎ先で嫁の立場を強くする面もあります。そのため持参金の多い嫁は威張り散らし、姑いびりをする女もいるとか。
対照的に儒教は徹底した階級・性・宗族・民族差別など中華思想の母体にも繋がっている。チベット・ウイグルの惨状もその延長にあります。
>>ただ最後に「伊達政宗、お前が言うなw」
言えてますね~~w 政宗は少なくとも7人の側室がおり、衆道相手の小姓までいました。小姓にあてた手紙も遺されていますが、よい子の郷土史には載せられません。
共働きだったし、同居の祖父母も二人で農家だったので、社会における男女差を意識することはあまりありませんでした。
そういう家庭や男女平等の理念で素直に育った女性は、社会人になってそれまでとのギャップに悩む人が多いみたいですね。(男性には分からないと泣かれると辛い。)
結果、男性化するか「女」を選ぶ人も多いのでしょう。もちろん、そうではない女性も多くいるのですが。
さて、結婚は(古今東西のあらゆる社会で)社会の維持に必要な子孫を増やすために公的なインセンティブを与えるものです。
だから、結婚しろ(子供を作れ)は社会の価値観としては全く正しいのですが、その正しさを特定の個人に強制するのは(自由主義の価値観としては)間違いです。
前者だけの価値観の自称保守も後者だけの価値観の自称リベラルも間違いです。価値観はどちらも正しいのですが、公私のバランスをとるべき政治として間違いです。政治とは、最適なバランスを調整することであって、どちらかを正しいとして選ぶことではないのです。(人間には社会的動物としてバランスをとる本能的な能力があるのに、傲慢にも理性だけで正しさを追求すると間違います。)
私の家では夫が働き妻は専業主婦という典型的な昭和のサラリーマン家庭でした。尤も母も後でパートに出ましたが、父ははじめあまりいい顔をしませんでしたね。両親とも昭和一桁生まれだし、mottonさんの家とは違うようです。
先に挙げた長男なのに事実上の婿になった男性ですが、やはり両親とはもめたようです。ただ彼には弟がいたので、結局弟が「家」を継ぐかたちになりました。
同姓・別姓ともに決めるのは夫婦であり、自分と違う選択をした人を責めるのは傲慢です。別姓=共産主義の影響というのは飛躍しすぎるし、同姓は個人の幸福よりも国家を優先したという女研究者もおかしい。自称保守は封建的な印象がありますが、自称リベラルはさらに理解不能です。
少し前までは結婚して子供を作れ、とは社会の絶対的価値観と思われていましたが、最近は揺らいでいます。晩婚少子化の背景には様々な要因がありますが、女性の地位向上も影響しているはず。途上国でも経済発展につれ少子化になるそうで、少子化は世界的な課題となっているようです。
ここに大きな問題があります。
子供がいる人にとっては自分の子供のために問題だと強く認識できるのに、子供がいない人にはそうではないことになるのです。
そして、前者には問題解決の直接的な手段が既になく、後者にお願いするしかありません。
子育てには相当のリスクやデメリットがあります。それを、本能や伝統的価値観、老後の支えなどのメリットでバランスを取ってきました(子供を作ることに合理性がありました)。
豊かになって後者が弱くなれば少子化は必然でしょう。社会が衰退しても、今の世代には影響が大きくありませんから。
仰る通り少子化問題は現時点では表面化しませんが、影響が出てくるのは近未来というのが怖いですよね。特に子供がいない人はあまり深刻に考えていない。ロボットやAIがあるではないか、という評論家もいましたが、人口の激減でロボットに頼り、ついに支配されるという話は現実味を帯びるかも。
とはいえ「イスラム国」のように、今更女性に早期結婚や出産を強制するのも無理でしょう。誰でも豊かな生活に憧れますが、それが実現すると文化圏問わず少子化が進行するようです。
先にmottonさんがコメントされているように、自民党の女性議員は男性政治家(多くは旧い価値観を持つ)に勝らないといけないので、男性より男性化してしまう者がいるのは確か。私もこの類の女議員は私的な価値観を押し付けるので嫌いですが。
そして飛鳥圭介氏の他のコラムを読んだことがないにも関らず、何故「文脈から見ても男女同権派っぽい」と断言できるのですか?「おじさん図鑑」と銘打っているためか、それこそ戦前の家父長制が感じられる主張をしていたこともありますよ。男女同権派っぽいことを言いつつ、いざとなると男のホンネがでたと感じました。飛島氏は女性と若者には総じて辛口です。
記事はその二もあるのに、コメントするなら最後まで読むのが筋というもの。「ぱっと読んだ限り」の安易なツッコミだし、文脈を読み解くことが不得手な人に思えます。