トーキング・マイノリティ

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肉体の門

2010-09-19 20:40:56 | 読書/小説
 思春期に入ると、エッチな本を読みたくなるもの。戦後の米兵相手の街娼、いわゆるパンパンを描いた有名な小説が『肉体の門』であり、これを読んだのは中学三年生の頃だったと思う。父の書棚にあった「日本の文学」全集(中央公論社)に『肉体の門』が収録されていたので、好奇心もあって見た。主人公が街娼というのも興味津々だった。もしかすると、これが私の初めて読んだ官能小説だったかもしれない。

 読了後、その感想は期待外れだった。パンパンが登場するのだから、Hシーン(実はそれが目当てだった)がバンバン登場すると思いきや、まずなかったのを憶えている。そのため一度読んだきりで、内容も殆ど忘れてしまった。作者の田村泰次郎がこの小説を発表したのは昭和22(1947)年ゆえ、GHQ支配時代の当時はまだ性描写について厳しい基準があったはず。米英本国でもまだ性表現に対しては倫理基準は戦前と変わりなかったのだ。
 それでも、戦後間もなくの世相や風俗についての知識は、少しながら得たと思う。娼婦といえば派手できれいに着飾っているというイメージがあるが、時代もあって決してそうではなかった。

 小説で一番驚いたのは、主人公や仲間のパンパンたちが洗髪もしておらず、「髪は酸っぱい汗のにおいがした…」と書かれていたこと。「せん(主人公)の汗くさい髪が…」という個所もあり、高度経済成長時代生まれの私には想像もつかなかった。生活基盤も徹底破壊された敗戦直後、現代のように毎日シャンプーできる時代ではなかったから無理もないが、売春婦さえ髪を洗わなかったとは。これだけでも衛生状態が伺えるし、さぞ性病が蔓延していたことだろう。
 ただ、戦前の日本女性もそう頻繁に髪を洗っていたとは思えず、時代をさかのぼれば尚のこと。朝シャンのような習慣が広まったのは、1980年代以降のはずだ。

 主人公の浅田せんはパンパングループのリーダーで、たぶん数人ほどの仲間がいたと思う。腕に「関東小政」の入れ墨を施し、ボスらしく鉄火肌の女。パンパン仲間同士にも掟があり、それを破った者には制裁を加える。彼女たちが混沌とした戦後を生き抜くための意志として決めたことは、周囲を憎むことだった。警察や人妻はもちろん他の街娼、戦争未亡人、浮浪児、客の男たちや米兵までも憎む。パンパンが皆そのように考えていたのか、戦後生まれの私には分からないが、娼婦に堕ちた女ならば、心が歪み周囲の社会への憎しみに囚われても無理もない。ただ憎しみのような強い感情には、ともすれば挫けそうになる気力を奮い立たせる面もある。

 体を売り、荒廃した社会を強かに生き抜くパンパンたち。仲間同士でそれなりに平穏に暮らしていたが、ある時、せんたちの前に特攻隊の生き残りの青年・新太郎が表れる。それを境に仲間同士の絆が揺らいでいく。グループに「ボルネオ・マヤ」とあだ名される女がいた。あだ名の由来は兄が激戦地ボルネオに出兵したことと、浅黒く目鼻立ちのはっきりした容貌だった。せんも「子供っぽい笑顔」を見せる新太郎に好意を寄せていたが、マヤも同じだった。新太郎と関係したマヤの裏切り行為に激怒したせんは、仲間たちとリンチを加える。裸で吊るされたマヤだが、新太郎との交渉を思い出しながら感動しているというラストだった。

 露骨な性描写が当たり前になってしまった現代からすれば、『肉体の門』はクラシックな官能小説となるだろう。それでも作者は旬の話題を取り上げ、描いたことで名を残した。今も大勢の風俗ライターが執筆しているが、ネットやAV全盛のご時世もあり、広く読まれる官能小説が生まれにくい状況になっている。

『肉体の門』は何度か映画化されており、1988年度の5度目の映画作品だけを私はТVで見た。せん役はかたせ梨乃で、映画のコピーは「うっかり抱くと、危ないよ」。映画ゆえにビジュアル重視となるのは仕方ないが、パンパンたちの衣装があか抜けてきれいすぎる。実際の彼女らはそれほどいい服を着ていたとはとても思えないが、みすぼらしい娼婦が登場する映画など誰も見ないだろう。映画自体はなかなか面白かったが、原作とはかなり違うストーリーになっていた。

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