録画していたBS世界のドキュメンタリー、「イラクの失われた世代 ISの子どもたちは今」(2021/10/19再放送)を見た。何時の時代も戦争で最も虐げられるのは女子供などの弱者だが、子供は時に加害者にもなる。以下は番組HPでの紹介。
―イラクがISに占領された地域を奪還してから3年。元ISメンバーの家族は迫害され、特に若者や子どもたちは過酷な状況に置かれている。イラク全土に広がる問題を取材する
ISの主要拠点だったモスルはがれきの山と化し、IS関係者の子どもや元少年戦闘員であふれている。ISに関与した者とその家族は法律上抹消され、医療や教育が受けられない。「教育センター」と呼ばれる刑務所では、数百名の少年たちがいまも1つの監房に閉じ込められている。社会に排除されたまま成長するこどもたちに未来はあるのか。現状をルポ。原題:Iraq's Lost Generation(フランス 2021年)
イラク以外の紛争地でも十代前半の少年兵が戦闘員として戦っているケースは少なくない。しかしISの少年兵は9万人にも上ったという見方もあり、その膨大な人数に言葉を失う。
親兄弟がISだったという少年兵もいるが、戦争や内戦で孤児になりISに勧誘された子供や拉致されたヤズディ教徒の少年もいた。ISは少年兵に月百ドルを出すこともあり、バイクを乗り回す同年代の子をみれば、ISに憧れるのは無理もない。ISはカネや物品で子供を手なづけ、戦闘員に仕立て上げ、少年兵を「イスラム国の若き獅子」と呼んでいたという。
「イスラム国の若き獅子」たちは戦闘訓練はもちろん敵(実際は異教徒よりも、イスラムに背いたとされるスンニ派アラブ人が多かった)の処刑に立ち会い、遺体に石を投げつけさせられたこともあった。
番組では触れられなかったが、少年兵はナイフを使った殺しを命じられる時もあり、十代前半としか見えない少年が半月等の様な長剣ではなく短剣で大人の首を切断していた動画もある。悪趣味と思いつつも好奇心でつい見たことがあるが、大人の首を切っている時の少年の真剣な顔つきは衝撃的だった。
若き獅子たちは殉教すれば天国に行けると洗脳されているため、投降を呼びかけても応じず、自爆することが珍しくなかったという。全く痛ましい限りだが、家族を連れて逃亡した大人のIS戦闘員がいる一方、孤児の戦闘員は取り残された。未成年の自爆テロ要員は4千人ちかくもいたらしい。
戦争終結後のモスルではIS関係者は逮捕され、その子供たちは街の住民からつま弾きにされている。学校に行こうとしても、大人がお前なんか来るなと追い払い、家にはISと落書きされる始末。IS関係者の家族というだけで迫害対象なのだ。
「イスラム国の若き獅子」には拉致され、戦闘員にさせられたヤズディ教徒の少年がいた。それまでの信仰は邪教と否定され、イスラムに強制改宗される。父親が3万ドルの身代金を払い、何とか連れ戻したものの、なかなか平常生活に戻れない。
常に怒りっぽく、ISの仲間のもとに戻りたがっていたとか。ようやく落ち着きを取り戻しても、それまでの経緯から周囲の理解を得るのも難しい。
ヤズディ教徒の女性はさらに悲惨で、ISの性奴隷にされた女性も多かった。ISとの間に子供も生まれ、せっかく解放され家族のもとに戻られても、家族は子供は受け入れない。憎きISの子供など引き取れないというのは無理もない。
不思議なのはISにより生まれた子供でも、子供と離れられない母親が少なくないこと。生まれた状況がどうあれ、子供はそれほどにも愛しいものなのか?平和な国で暮らし、過酷な体験がないと同性でも理解し難い。そのような女性を世話するヤズディ教徒の女性もいたが、止むを得ずISの子供を手放した女性は涙に暮れていた。母親から引き離された子供も辛いのは言うまでもない。
とにかく重いドキュメンタリーだった。少年兵を『時限爆弾』と表現した現地人もおり、彼らは新たな過激派組織の戦闘員になる可能性がある。NHKには「中東解体新書」というサイトがあり、「ISの子どもたち」(2018-06-29)の記事には詳しい解説がある。
「刃物で切る場面は心に悪い影響がある」と語っていた日本の親もいるが、アニメや映画で見るのではなく、実際に刃物で切るのを目の当たりにしていた子供たちは、この先どうなるのだろう?
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バスティーユが陥落したとき、司令官のド・ローネー侯の首を持って練り歩きましたけど、あれは肉屋がナイフで切り落としたものです。これを読んだ際は胸が悪くなりましたが、少年兵のやっている事も同じだと感じました。それにしてもベルばらではオスカルがバスティーユ陥落でフランスが開放されると信じて絶命しましたが、もし生きていて司令官の首切りに遭遇したら、早速自分たちの行っていることに疑問を持ったのではないかとふと思いました。
ついでに8月10日事件をウィキで読んだら、一旦スイス衛兵が襲撃側を押し返しており、状況によっては勝利したのではないかと言う展開になっていました。しかし、守備側が国王に方針を伺いに行き、国王がスイス衛兵に解散命令を出す間に時間が経過したような書き方になっていて、いずれにせよ、これが敗北の原因となったのかと思ったり。ツヴァイクは守備側が国王に方針を聞きに行った話はしてましたっけ?
英語版だと2回国王がスイス衛兵に戦闘を止めるよう命令を出していました。1回目の命令は危険すぎて指揮官が無視しましたが、結局2回目の命令時点でスイス衛兵が崩壊してしまっていました。一家がテュイルリー宮殿から避難するのはいいのですが、やはり積極攻勢を掛けるべきだったとつくづく思います(流血を避けようとした結果が虐殺を招くのは何とも)。
結局ウィキでフランス革命の他の戦争も見ましたが、あんな流血の騒動をしていてよく国が崩壊しなかったものだと驚きます。ナポレオンの戦争が国内の求心力を高めた(他国には迷惑千万ですが)からでしょうか。メルシーがヴァレンヌ事件を止めさせようと、革命はもうすぐ崩壊すると言ったのもよく分かります。
フランス革命時、日常的に処刑を見ていた子供たちはおもちゃのギロチンで処刑遊びをしていたそうです。しかし当時、子供たちの精神状況への配慮はありませんでした。ISの少年兵は大人に命じられての行為ですが、フランス革命時でも「少年兵」はいたかも。
ド・ローネー侯の首は肉屋がナイフで切り落としたのでしたか。オスカルのモデルとされるピエール・ユランですが、バスティーユ陥落後に捕虜となった司令官や守備隊を護衛しましたが、激高した民衆により私刑になりました。池田氏はこのエピソードを知っており、オスカルが司令官の首切りに遭遇しないようにしたと思います。
>>ツヴァイクは守備側が国王に方針を聞きに行った話はしてましたっけ?
伝記の8月10日事件の箇所を改めて読み直しましたが、国王はスイス衛兵に王宮の防衛を一切やめるように、という命令を出したことが載っています。命令を出すほどだから、守備側が国王に方針を聞きに行ったのは確かでしょう。これでは戦う前に勝負は終わっており、「既に彼の不決断あるいは健忘症のために千人以上の人間が生命を失っていた」とツヴァイクは記していました。
メルシーがヴァレンヌ事件を止めさせようと、革命はもうすぐ崩壊すると言っていたとは知りませんでした。もし逃亡しなければ、メルシーの予想通り革命は自壊していた?
平和ボケ日本では想像できない世界ですが、こういう厳しい現実もあるという事を日本人も知っておくべきです。
日本でも子供への虐待が増えているのは深刻な問題ですが、アニメに絡めた性搾取を批判する輩は第三世界の少年兵については全く触れませんよね。無知よりも意図的に無視していると見ています。その紛争の背後に中露がいるから?
ああ、早速内ゲバ。フランス革命の前途を象徴してますよ。
>命令を出すほどだから、守備側が国王に方針を聞きに行ったのは確かでしょう。
私の記憶だと、守備隊が方針を聞きに行った話はなく、やっと守備隊の事を思い出したような書き方だったな、と。守備隊が方針を聞きに行き、2回命令を出していたのなら健忘症ではないです。ただ、戦争真っ只中ですから、軍人でない私でも相手を叩き潰すよう命令しますが。ウィキによると、結局相手側の数の暴力に負けたような書き方です。
「ナポレオン 獅子の時代」で発砲停止命令を出したことを「敵に対して情けをかけるとは愚かな(大意)」と言う登場人物の発言があります。これを見て「国王にとって襲撃者は敵じゃなかったんだ」と改めて感じました。ヴァレンヌ事件でフェルセンに同行した彼の友人が、まだ国王の存命中の行動を愚かだと批判していました。無関心、もしくは良心で愚かな行動をするからです。しかし、無関心で愚かな行動をするのは単純に批判すればいいのですが、良心に基づく愚かな行動とは悲しくなります。前にも書きましたが、フェルセンと王妃の手紙を分析した本があり、その本を読んだ読者が読書メーターで二人について「貴族以外人間扱いしていない、ルイ十六世が何もしなかったのは国民のことを思っていたからか(大意)?」と書いていました。
そしてフランス語のウィキでも人○の話が載っているのですが、こうなると理解の外です。日本語で書かれたフランス革命話(翻訳除く)に人○の話は見たことがありません。食糧不足でもないのに、なんでそうなる。
> メルシーがヴァレンヌ事件を止めさせようと、革命はもうすぐ崩壊すると言っていたとは知りませんでした。もし逃亡しなければ、メルシーの予想通り革命は自壊していた?
歴史に仮定話はないですが、そのような見通しを持っていたとしても不思議ではないです。革命側が内ゲバで疲弊したところへ、調停者としての王家が登場して国のあり方を元に戻す、と言うやり方ができます。だから、成功しようが失敗しようが事態を悪化させるだけの悪手と見做していたオーストリアが、フェルセンに対して態度が悪いのは当然です。第一、失敗して戦争が勃発しましたし。あくまでも結果論ですが、フェルセンは王家の足を引っ張っているばかりで、オーストリアにとっても疫病神ですよ。
そして、メルシーの反対意見や、逃亡資金を出してくれたフェルセンの愛人に何がしかのお金をオーストリアが支払った事をツヴァイクが書かない、無視するのはオーストリアに対して不当だと思います。
また、国王夫妻は互いに強い信頼関係があるとフェルセンはグスタフに報告しているとかで(多分革命後)、不倫問題を抱えている夫婦がそんな関係を持っていると言うのは理解の外です。ツヴァイクはフェルセンとマリー・アントワネットの恋愛ばかり称賛しますが、何故こちらの人間関係は無視するのでしょうかね。マリー・アントワネットが国王に対して幻滅したような話ばかり紹介しますし。国王処刑後、彼女が国王が最後に使用していた部屋の前を断固として通行拒否した話でも書けば、随分印象は違います。
こちらは、以前私が抜き読みしたマリー・アントワネットを取り巻く男たちを紹介した本の感想です。読者はヴァレンヌ事件が最初からフェルセンが同行しない計画だったことを知って驚いてます。私も最初知った時は驚きましたが、一般に日本で言われているのと話が全く違いますから、そうなるでしょう。シャロンよりもボンディで分かれるのが一番ブリュッセルに行くには近い、とグーグルマップで距離を測った際に思いましたが、この読者もベルギーのモンスに行くにはボンディで別れた方が一番近い、と言っていました。私の考えは間違っていなかった訳です。それにこの感想を読んだら、フェルセンに対するイメージが低下しました。戦争に参加した、なんてとても言えません。本当に貴族特権。これで独立戦争に参加したと言う話で出世しようとしていたのか、と言う感じです。フェルセンについてツヴァイクはかなり美化していませんかね。読書メーターでもフェルセンのイメージが良くない方に変わったと思われる感想がありました。
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>>ああ、早速内ゲバ。フランス革命の前途を象徴してますよ。
書き方が拙くて申し訳ありませんが、激高した民衆がリンチしたのはバスティーユの司令官や守備隊であり、フランス衛兵隊ではありません。ユランは彼らを守ろうとしましたが、数で圧倒されました。バスティーユ陥落後で気分が高揚していた民衆は理性を失っていて、司令官を守ろうとしたフランス衛兵にも暴力を振るったのは想像に難くありません。
確かに伝記には守備隊が方針を聞きに行った話はありませんでした。2回も命令を出していたのに健忘症とはひど過ぎるし、国王が相手側の数の暴力に怯え切っている様子が強調されていました。国王には戦争真っ只中という認識さえなく、民衆を叩き潰すよう命令が下せなかったのです。
フェルセンの友人の発言「良心で愚かな行動をする」は厳しくとも的を得ていますが、良心によって大勢の忠実な王党派兵士を死なせることになったのは悲劇です。もし国王が王妃やフェルセンの様に貴族以外人間扱いしていない人物であれば、容赦なく民衆を鎮圧していたでしょう。
フランス語のウィキでは人○の話が載っていたのですか?極度の飢饉ならともかく、そうでもないのに人○をしていた??十字軍の時代でも特に食糧不足ではなかったのに、現地の異教徒を人○した記録がありますが、元から肉食人種だから?
結果的にフェルセンの行為はフランス王家を悲劇に追い込みました。良かれと思ってしたことが尽く裏目にでて、ツヴァイクの伝記の影響もあり、これまでは王妃への愛で愚かな行動をした結果、と好意的にみられていました。
しかし、必ずしも無償の愛を貫いたのではなかったのを知れば、興ざめを通り越し伝記の人物像も揺らいできます。王妃をスキャンダルに巻き込みたくないため独立戦争に参加したと言う話に感動したベルばらファンは多かったでしょう。実態を知らなければそう思います。リンク先の一文が全てを物語っています。
「昔からベストセラーになっているような伝記などは史料不足なのか偏見か、想像ばかりで書かれた物だとわかります。」
国王処刑後、王妃が国王が最後に使用していた部屋の前を断固として通行拒否した話は初めて知りました。本当にツヴァイクは国王に好感を感じさせるエピソードを尽く省いています。
すいません。しかし、国王万歳と叫びながらバスティーユを襲撃し、守備隊をリンチすると言う行動は訳が分かりません。
>良心によって大勢の忠実な王党派兵士を死なせることになったのは悲劇です。
革命中の戦乱の話をウィキで読んでいたら、8月10日事件の際、テュイルリーで国王一家を守ろうとしていたとある貴族の話がありました。この人はアメリカ独立戦争に従軍し、事件のあった日は国王一家を守護しようとしていたのですが、結局国王側が敗北したので脱出しました。王政廃止後は亡命もせず、フランス各地で戦争を指揮して戦い続けたものの、国王処刑後約3年で捕縛され処刑されました。
私は当時の退廃している貴族階級や、プロヴァンス・アルトワの取り巻きは基本的に嫌いですが、こう言う人には同情します。
>もし国王が王妃やフェルセンの様に貴族以外人間扱いしていない人物であれば、容赦なく民衆を鎮圧していたでしょう。
ロシア皇帝のアレクサンドルも最初は啓蒙主義で行動したものの、後年は家来に民衆を弾圧させてますし。専制主義に弾圧は付き物にせよ。
> フランス語のウィキでは人○の話が載っていたのですか?
ありました。死体損壊まではあり得ますが、人○を食べるのは次元が異なります。中世を舞台にしたニーベルンゲンの歌では、戦闘中に周囲に転がっている死体の血を飲む場面がありますが、こちらは周囲に水がないと言う設定ですからねえ。
>王妃をスキャンダルに巻き込みたくないため独立戦争に参加したと言う話に感動したベルばらファンは多かったでしょう。
私も感動しました。ええ。フェルセンとの往復書簡の本では二人が示し合わせて出征したと言う話だった上に、こちらの本では「すべての出世は王妃が軍の危険のないポストでお膳立て」とは。すべてとは当然独立戦争を含みますよね。フェルセンが参加した戦争は、独立戦争とスウェーデンが行った戦争ですから。本人の能力と適性で後方勤務になったのなら分かりますが、完全に情実人事。
ツヴァイクはマリー・アントワネットが高い役職に任命した取り巻きを役立たず呼ばわりしていましたが、フェルセンもツヴァイクの批判する取り巻きと同様だったと言う訳です。私が前線の軍人だったら腹立たしくなりますよ。容姿が整っていると、生死に関わる分野でも得ですね。
>「昔からベストセラーになっているような伝記などは史料不足なのか偏見か、想像ばかりで書かれた物だとわかります。」
ヴァレンヌ事件に関しては、ツヴァイクが情報を伏せて書いた話がフォーマットとなっているのは確かでしょう。あれは史料不足でも偏見でも想像でもなく、故意に読者を誤解させる意図で書かれていますが。ただ、アカデミックな世界の人間が史料を読まず、鵜呑みにして創作するのは論外。しかし、「逃亡失敗後に愛人と幸せ言い訳」、「王妃の全財産分与のサイン入り書類持ち」って何なんですかね。全財産分与って、マリー・アントワネットも非常識にしか見えませんが。
> 国王処刑後、王妃が国王が最後に使用していた部屋の前を断固として通行拒否した話は初めて知りました。
処刑後、王妃は虚脱してしまったのだそうです。そして、親切な役人が王妃の健康のために庭へ出そうとするのですが、庭に出るには国王の部屋の前を通らねばならず、彼女は部屋の前を通るのを断固として拒否したのです。ツヴァイクの本だと結婚指輪をプロヴァンスに返し、フェルセンのために作った指輪だけ付けている話がでていましたから、夫と縁切りしてフェルセンの事だけ考えているように見えます。
国王絡みのマリー・アントワネットのエピソードの場合、ツヴァイクが具体的に書くのはマリー・アントワネットが国王を軽んじているか幻滅しているかの話ばかりで、肯定的なエピソードは一切ないのですよね。迷惑をかけない大型犬扱いもありましたし。最後の別れでも、マリー・アントワネットの具体的な悲しみの描写は一切ありませんでした。
紹介されたエピソードから、忠節な貴族もいたようですね。国王の取り巻きや大貴族には退廃している者が多かったにせよ、このような貴族もいたのは救われる思いです。おそらく少数だったかもしれませんが、国王あっての貴族だから、いざとなる時国王を守る貴族が出てきても不思議ありません。
ロシア皇帝あたりなら民衆弾圧をしても驚きもしませんが、西欧で徹底して民衆弾圧を行った君主は思いつきません。ルイ16世程度で暴君とは酷すぎます。
中東では敵の肝臓を食べる話があります。飢えてのことではなく敵への憎しみからです。フランス革命時にはどの部位を口にしたのやら。
ニーベルンゲンの歌で、戦闘中に周囲に転がっている死体の血を飲む場面があったことは初めて知りました。いくら周囲に水がないにせよ、塩気のある血では返って喉が渇きそうな。
スキャンダルに巻き込みたくないため独立戦争に参加した話なら感動ものですが、「すべての出世は王妃が軍の危険のないポストでお膳立て」「王妃の全財産分与のサイン入り書類持ち」では完全にイメージダウンです。「麗しのフェルセン」は完全に情実人事だったとは。ただし当時はこのような人事は普通だったかも。
ツヴァイクは作家なので故意に読者を誤解させる意図で伝記を書くのは仕方ありませんが、史料を読まず、鵜呑みにして創作するアカデミックな世界の人間がいるのは困ったものです。そのような創作の方が読者にウケるのだから、結局人は史実よりも美男美女のロマンを求めるのでしょうね。
国王の死後に王妃が部屋の前を断固として通行拒否したエピソードですが、失ってから初めて夫の存在の大切さに気付いたと思います。このエピソードだけでも王妃の心痛が伺えますが、なぜ省いた?といいたくなりますよ。フェルセン絡みでは邪魔と判断したのやら。
もともと国王を守ろうとする貴族の若者たちがいたのですが、流血を回避しようと国王が解散させたりしているのです。それでも8月10日事件の際は国王を守護しようとする貴族たちがいました。ナポレオンが敗北してフランスに外国軍が攻めてきた際、マリー・ルイーズの求めに応じ、貴族の子弟が志願しています。若い世代はやはり理想があるのですね。ただ、この場合は軍事訓練を受けていないので、外国軍との戦争に出たもののパニックになって次々戦死しました。本当に可哀想です。スタール夫人がこの辺りを非難していました。
> ロシア皇帝あたりなら民衆弾圧をしても驚きもしませんが、西欧で徹底して民衆弾圧を行った君主は思いつきません。ルイ16世程度で暴君とは酷すぎます。
中世だとどうでしょう?封建制度なのでそこまで君主の力が強くないから無理でしょうか。ちなみにナポレオンはルイ十六世を「暴君」と言った大臣(?)に対し、「暴君だったら自分たちはここ(帝位とか宮殿)にいない」と言ったそうです。関係ありませんが、ロマノフ朝のシベリア流刑は監視がザルで簡単に脱走できたのに、ソ連時代の強制収容所は脱走できなかったとウィキにありました。ソ連の過酷さはロシア皇帝より酷いと言う話です。
> 中東では敵の肝臓を食べる話があります。
変な言い方ですが、手間がかかりますし不味くないのでしょうか。フランスだと心臓です。8月10日の時は分かりません。ただ、このような発想は理解の外です。
>結局人は史実よりも美男美女のロマンを求めるのでしょうね。
そうでしょう。氷の美貌と炎の情熱とはフェルセンを指して当時から言われていたと言います。そんな人間に対して、身だしなみも歯並びも悪く、多くの同時代人から下品呼ばわりされていた国王では勝ち目がありません。
しかし、「炎の情熱」ってフェルセンは女性に対して熱烈に接していたと言うことですね。大勢の愛人を持っていたのに、タレイランと異なりフェルセンに放縦な印象はないのですが、こちらはマリー・アントワネットばかりクローズアップされるからでしょう。実は、フェルセンのイメージが低下した本を私が抜き読みした際、ルイ十六世の伝記を書いたフランスの歴史家がフェルセンを「好色者」と評している言葉を見ました。
ヴァンデ反乱軍第3代総司令官アンリ・ド・ラ・ロシュジャクランも8月10日事件の際、国王を守護しようとする若き貴族の1人でした。21歳で戦死しましたが、そのために名を遺しました。ナポレオンの敗北後にマリー・ルイーズの求めに応じ、貴族の子弟が志願していた話は初めて知りましたが、次々戦死したのは残念です。
確かに西欧でも中世ならば領主さえ「暴君」でしたね。ナポレオンの意見は正論ですが、むしろルイ16世より彼の方が「暴君」だったかも。
同じシベリア流刑でも帝政時代と共産主義時代とでは違いますよね。現代のロシア共和国には一応強制収容所はないとされていますが、現代ロシアを統治しているのこそ「暴君」です。
中東で敵の肝臓をどのように食べたのかはよく分かりませんが、生のままで食べることもあったようです。レバーの刺身を好む日本人もいますが、ヒトのものではドン引きします。トルコに「アルバニア人の肝」というナス料理がありますが、昔トルコ帝国が征服した時にさんざんてこずらせたので、その報復にナスといっしょに炒めて食べたのが由来とか。
マリー・アントワネットも不逞な王妃とはあまり言われませんよね。夫がアレでは仕方ない……と男性さえ思っています。「好色者」と評したフランスの歴史家がいたそうですが、甥の妻にも手を出したタレイランと違い、フェルセンはそこまではしていないでしょう。