トーキング・マイノリティ

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ケマル・パシャ―灰色の狼と呼ばれた男 その①

2006-08-05 20:34:35 | 読書/中東史
 アタテュルクことトルコ初代大統領ケマル・パシャは、トルコ人から“灰色の狼”と呼ばれた。モンゴル民族には先祖が“蒼き狼”だったという伝説があるが、それと同様に諸トルコ系民族にも先祖が「天から降った灰色の狼」だったとか、先祖となる幼児を育てたのは「神聖な灰色の狼」など、様々な“灰色の狼”の伝説を持つ。
 それゆえ農耕民族と異なり「あいつは狼だ」というのはトルコでは非難にはならず、「孤独な知恵者」という意味に近い。モンゴルの“蒼き狼”と同じく、トルコ民族の間で“灰色の狼”は英雄の代名詞となった。トルコ帝国の祖オスマンが“灰色の狼”と呼ばれたように、オスマントルコ体制を倒したケマルもその名で呼ばれるようになる。

 ケマルの戦いで圧巻なのは、何といっても第一次大戦でのゲリボル半島(英語読みはガリポリ)の戦闘と、戦後のサカリア川の戦いだろう。前のはメル・ギブソン主演の映画にもなっており(邦題は「誓い」)、ご覧になられた方もいるだろう。どちらの戦闘も人員、物質共に圧倒する敵軍を撃退したものだ。近代トルコ史上、最も名高い戦いである。

 1915 年3月18日、5隻の戦艦を中心とする英仏連合軍はダーダネルス海峡へ押し寄せてきた。この海峡の小アジア側の入り口にトロイがあるので、古来から激戦の地になるようだ。海峡を突破し、マルマラ海を制覇すれば一気にトルコの首都イスタンブールを陥落出来る。この艦隊突入は本格的なものでなく、トルコの防衛力を知るための“威力視察”が目的だったが、それでも英仏軍の激しい艦砲射撃は海峡両岸の景観を変えてしまうほどだった。英仏側の艦もかなり被害を受け、深入りせずに引き返す。
 4月25日、連合軍は戦闘を開始、第一陣は4万人の兵士をゲリボル半島に上陸させる。これに対しトルコ軍は武器弾薬は底をつき、後方からの補給もままならず、死傷者も夥しかった。にも係らず、英仏軍は苦戦する。

 ゲリボル半島は小さな丘陵が波のように続く複雑な地形でもあった。このため砲撃だけで制圧するのは難しく、白兵戦が行われた。こうなれば地形に明るいトルコ軍が極めて有利だが、それでも死闘と言ってよい凄惨な戦いだった。この戦いに参戦したトルコ兵は日本人研究者相手に、「自分たちの前にアタテュルク将軍が督戦に現れなさったことで、どれほど感動し、勇気づけられたことか、とてもうまくは言えない」と語ったという。ケマルは当時のトルコ帝国の高給軍人としては例外的に、自らの危険を顧みず最前線を視察して時には先頭に立って戦い、兵卒に至るまで戦闘の意義を説いたのだ。敵の砲火が静まると、ケマルは真っ先に塹壕から飛び出し、敵の小銃弾が彼の腕時計を砕いた時もある。だが、ケマルは立ったままで右手を高く差し上げ、「全員、突撃!」と叫ぶ。そんな指揮官に対する尊敬と信頼は、精鋭に程遠かった兵士たちの資質を一変させる。太平洋戦争に一兵卒として動員させられた方々の話では、兵士というものは自分に命令を下す人間が有能か無能か、直感ですぐ分かってしまうものらしい。信頼できると判断した上官の命には文字通り命懸けで戦うが、頼りないと思う上官の命にはあらゆるサボタージュをするそうだが、これはどの国の兵士も同じだろう。

 ゲリボル半島制圧作戦が思うように進まないのに業を煮やした連合軍は、戦艦を投入して強行突破も計るも失敗、8月6日には十万の英仏軍が増援部隊として半島に上陸させる。激戦と死闘が繰り返されるが、攻撃を繰り返しても英仏軍はついに半島制圧は出来なかった。ある英国の従軍記者は、「バルカン半島におけるトルコ軍はまるで烏合の衆だった。ところが、ケマル・パシャは海峡防衛のトルコ軍を、あたかも旅順攻撃の日本軍のように一変させてしまった」とタイムズ紙に書き残している。この戦功でケマルはパシャ(将軍)に進級する。
 英仏軍はこの作戦において約12万名の兵と、戦艦3隻を含む約30隻の艦を失った。作戦の最高責任者で当時海軍大臣だったチャーチルは、ついに作戦の中止と、大臣職の辞表を出すに至る。

 いかにケマル一人が善戦したところで、トルコ軍は各地で敗退、皇帝政府は降伏受諾を余儀なくされる。敗戦国トルコは連合国の支配下に置かれ、「病人は今度こそ息絶えたあとは遺産をどれだけ相続できるかが問題だ」(英国首相ロイド・ジョージ) と、戦勝国はトルコ領土を切り取っていく。大戦中ケマルが激闘の末死守したダーダネルス海峡や首都もイギリスに占領され、そのイギリスに全面的に支援されたギリシアは領土拡張を狙い、大軍を進駐させていた。1920年初冬、古代イオニア地方の中心であるイズミールを占領していたギリシアはついに東進を開始。大戦後の疲弊しきったトルコは、息つく間もなく救国戦争を迎えることになる。
その②に続く

■参考:「ケマル・パシャ伝」新潮選書、大島直政 著

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2 コメント

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気になる (似非紳士)
2006-08-06 01:15:37
ケマル・パシャのパシャが名前でないことを初めて知りました。



軽く、驚きました。



しかし、つづきが気になります。
完全な (mugi)
2006-08-06 20:52:50
>似非紳士さん

“ケマル”とは「完全な」という意味で、数学が完全に出来る事から教師より授けられた名称です。ケマルが生まれた頃のトルコ民衆は姓を持っていなかったのです。

だから本名はムスタファだけで、彼が国を統治するようになり、初めて国民に苗字も名乗るように命じます。ちょうど明治時代の日本と同じように。

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