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トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

持参金制度のある国、そうでない国 その二

2012-07-09 21:11:03 | 世相(外国)

その一の続き
 私が初めてインドのダウリー制度のことを知ったのは、四半世紀近くも前のことだった。職場に置かれていた読売新聞の国際面にダウリーが紹介されており、持参金の少ない新婦が嫁ぎ先で殺害される事件が後を絶たないことが取り上げられていた。『ダウリーの悲劇』を書いた二児の母でもある主婦ブロガーのハハサウルスさんさえ強い憤りを感じた程だし、まだ20代だった私は記事に強いショックを受けた。
 当時の私はインドに関心はなかったし、このようなニュースを見て、「もう1度イギリスの植民地にしてもらった方がよいのでは?」とさえ思った。それでもかつてサティー(未亡人殉死)が広く行われていたことは知っていたし、カースト制度といい、インドに関してはネガティブな情報が多いためか、以前は好感が感じられなかった。

 そんな私が後にインド贔屓になるのだから、本当に先のことは分らない。『ダウリーの悲劇』を見て、私も何か書きたくなった。実はサティーについて書いた2008-10-29付けの記事でもダウリーに触れており、再び記事から引用する。

このダウリーもまた、深刻な問題を起している。持参金が少ないため花嫁が虐待、虐殺されるケースが後を絶たず、女児間引きに拍車をかけている。昔は高カーストの習慣だったダウリーが、最近は下層階級にも広がっているそうだ。先日見たインド人の著書にも「先端技術の陰に隠れる社会悪」との項目で、ITエリートさえ同カーストの女との結婚を望み、ダウリーの習慣に疑問を持たぬ者が少なくないとあった。この因習は減少どころか、経済発展で逆に増加傾向との箇所には絶句させられる…

“先日見たインド人の著書”とは『だれも知らなかったインド人の秘密』(パヴァン.K.ヴァルマ著、東洋経済新聞社)で、この他にも著者はインドの恥部に触れており、教養あるはずの雇い主が召使いを虐待することもしばしばという。特に女性は性的、肉体的嫌がらせを受けることもあるそうだ。下層出身者となればインドでは社会的に決定的に不利であり、パワハラが公然と行われているのは確かである。

 ただ、持参金というものはインド特有の風習ではなく、イスラム国家でもヒンドゥー文化圏に属するためかバングラデシュ、パキスタンでもインド程極端ではないにせよ、似た様な出来事は起きているらしい。
 そして持参金制はかつて欧州にもひろく行われていた風習である。その起源は不明だが、これは娘が嫁ぎ先でも苦労しないように金を持たせた親心があったと考えられている。古代ギリシア、ローマにも持参金があり、これは妻の財産権でもあって、妻は持参金というかたちの資産を持っていたのだ。欧州でも昔は持参金が少ないと若く美しい女でもロクな結婚は出来ず、年配者と一緒になることも珍しくなかった。インドや欧州の持参金を印欧語族の古い習慣に求めた人もいたが、前者の場合はそれが惨いかたちで表れたようだ。

 ならば、豊富な持参金の用意できる新婦は嫁ぎ先でさぞハッピーかと思いきや、必ずしもそうとは限らないから人間は複雑なのだ。別途の財産を持っていることもあり妻はがぜん強気になり、夫や姑、小姑を虐める鬼嫁までいる。持参金が多ければ妻はやはり威張りがちで、寡婦となり実家が傾いた姑など大事にしない。
 昔見たインドの民話で、嫁から虐められている未亡人が主人公の話があった。物言わぬは腹ふくるるわざなり…で嫁に黙っている姑の腹がふくれてきた。それを見た嫁は食事を減らす。

 持参金が少ないと嫁を虐待の果て、焼殺するのは論外だが、それが多いため威張り散らす嫁も歪んでいる。インド人に限らず人間は金銭がらみとなれば平常ではいられない性質なのだ。食欲、性欲、睡眠欲なら動物として当然の本能だが、金欲と名誉欲に人間は無縁でいられるはずはない。ダウリーの習慣はまだまだ続くであろう。改めてインド初代首相ネルーが娘に語った言葉を思い出す。
我々は多くのよきものと共に同じくらい悪いものも受け継いでいるのだ。
その三に続く

◆関連記事:「だれも知らなかったインド人の秘密
  「ガンディー主義が挫折した訳

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8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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妻の従属性から夫婦別産制へ (madi)
2012-07-10 03:06:52
日本では昭和憲法の制定で家族法が変更され家長制から夫婦別産制にかわっています。家長制で娘を大事にあつかわせるようにするためにも実家の力をみせる持参金は有効だったことでしょう。持参金はともかく実家の力をどうみせるかは今もむかしも同じものです。
 たとえば平安時代の摂関政治から院政へのながれは妻側の力をそぐための流れともみえますね。
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RE:妻の従属性から夫婦別産制へ (mugi)
2012-07-10 21:35:46
>madiさん、

 戦国時代に来日したルイス・フロイスは興味深い記録を残しています。日本では夫婦は互いに別の財産を持っており、時に妻が夫に高利で貸し付けることもある、と。当時の西欧こそ財産は夫婦共用のものとされており、今でもチリのような南米カトリックの国は財産は夫婦のものと定められているとか。

 古今東西、妻の一族が権力を握るというのは珍しくないですよね。何かと非難されるインドのカースト制ですが、同レベル同士で結婚し、格差婚を避けるのは世界共通です。
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インドの制度の合理性 (madi)
2012-07-12 10:00:00
ながくつづいている制度にはそれなりの合理的理由がある、というのが最近の知見になっています。
カーストも人口過密地域でのニッチをつくっているという点で」ある程度合理性はあります。
持参金は金持ちの影響力ある一族にとっては自分の娘に関してよりおおきな権力をふるえる源泉となりますし、女子の産児制限や間引きは人口抑制にも効果がみこめることになります。
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RE:インドの制度の合理性 (mugi)
2012-07-12 21:37:13
>madiさん、

>>ながくつづいている制度にはそれなりの合理的理由がある

 私も同感です。何かとやり玉に挙げられるカースト制ですが、社会の安定、秩序や伝統維持に貢献したプラス面も大きく、階級制即絶対悪という短絡的な見方には私も同意できません。何やら江戸時代や戦前の階級社会を批判するマルクス史観に通じるものを感じさせられます。殊にインドの制度を糾弾する連中の傾向を見れば尚更。

 女子の産児制限や間引きは女からは決して気分の良いものではありませんが、女児の減少は人口抑制に繋がります。今でもべらぼうに人口の多い国だし、冷たいことを言えばインドや中国の人口が減少した方が周辺諸国以外の地域にも望ましい。人口は増えても領土は増えませんから。

 以前サティーについて記事にした時、私は次の一文を書いています。「以上、インドの重い課題を書き綴ったが、インド女性全てが虐げられていると見るのは実態とかけ離れる」
 インド女性といえばサリーを着て夫に従順…のイメージがありますが、これは三つ指をついて夫に従うという古臭い日本女性への幻想と同じでしょう。実際はかなり山の神が多く、持参金がさほど多くなくとも夫を尻に敷く妻も珍しくないとか。
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モンスーン地帯の人口過密 (室長)
2012-07-14 12:19:34
こんにちは、
 ブルガリアの場合は、男が家を用意し、妻の側が持参金(実際には、絨毯、家具、家電製品など)を用意する、というのが普通の習慣のように思います。
 田舎の結婚式に、1970年頃友人に連れられて行ったことがある(小生が車を持っていたから、運転主役として重宝されたらしい)けど、この時の結婚式は、伝統形式に則っており(社会主義時代なのに、こういう伝統は結構守られていた)、新居となる新しく手作りされた家の2階の窓から、これ見よがしに、妻の側が持参した立派な絨毯(手織り)が、1枚、2枚、3枚、4枚と数えながらご披露されるのです。これらの豪華絨毯を合計すると、10枚ほどで、1枚50万円としても、500万円という、当時のブル人平均の所得水準(年収30万円ほど)から見ると、気の遠くなりそうな高額の持参金となります。
 もちろん、絨毯は、お披露目用で、10枚全部が新居に収まるのではなく、一部は自宅に逆戻りなのかも知れませんが。
 何れにせよ、結婚費用は、総合すれば、両家が折半と言う感じではあったけど、実は、嫁の側の持参金が多い場合も、婿側が豪華な家、アパートと言うことで、より多くの金額を負担している場合も多そうです。
 家の価格は、田舎なのでは、手作りですから、200万円もあれば新築の家が建設できるようです。

 ところで、主題として言いたいのは、欧州の場合、冬の寒さが厳しく、きちんとした暖房の効く家でないと生存できない。アジアのモンスーン地帯は、冬の暖房は必要ないし、雨が多くて穀物収量が多い、米は小麦に比べて栄養価が高い、などなど、人口が増える条件がそろっています。
 欧州では、小麦>パンが主食で、しかも冬には保存食料に頼るから、貧しすぎる人々は生存できない。だから人口密度が低い、と思う。
 インド、日本、東南アジア、などは、モンスーンの雨のおかげで、しかも冬が必ずしも厳しくないので、いつの間にか、人口が増えてしまう。
 インド、BDなどが、人口が多く貧しく見えても、そもそも生きていけると言うことは、それだけ、食糧生産量が多く、豊かだ、という側面も見逃すべきではない。
 牧畜が出来、肉、乳製品が食べられる欧州は、豊かに見えるけど、元来が、人口が増えすぎたら、皆食えずに死んでいく、という社会だったから、人口が少ない、と思う。
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RE:モンスーン地帯の人口過密 (mugi)
2012-07-14 21:04:42
>こんばんは、室長さん。

 紹介された1970年頃のブルの結婚式の様子は興味深いですね。妻の“持参金”というか嫁入り道具に高級絨毯が10枚も含まれていたとは。絨毯を持っていくのはもしかすると、トルコの影響でしょうか?ブルでも絨毯は伝統産業となっていた?そして日本と物価水準が違うにせよ、新築の家が200万円ほどで建てられるとは羨ましい限り。

 欧州とアジアの人口の差は気候環境の違いにあるという説には納得させられました。仰る通り、アジアモンスーン地帯の人口過密には人口が増える条件がそろっているのに対し、欧州はそれだけの人口を養えません。先にmadiさんも指摘されたとおり、女子の産児制限や間引きは人口抑制にも効果があります。医療の発達により南アジアの人口過密地帯はますます人口増加するし、悲しいことですが人口抑制に効果的な対策はありません。

 かつてインディラ・ガンディー首相は、人口抑制策として下層階級を中心にパイプカットを強制し、この層はもちろん宗教界からも強い反発を受け、選挙で惨敗した原因にもなりました。中国のような一人っ子政策はとれない国らしいエピソードです。
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パイプカットとギリシャ人など (室長)
2012-07-15 00:31:27
mugiさん、こんばんは、
 そういえば、インドでパイプカットが奨励されたことがあったという記憶がかすかにある。
 インディラ・ガンジーがこの政策で総選挙に惨敗したとは!やはり、伝統を無視すると、怖いのです。

 BDの「貧困」というのを、ブル人外交官が強調していたので、表面貧しくとも、本当は「食べていける、餓死しない」と言うだけでも、アジアは実は風土が豊かで、食糧生産の桁が違うのだ、と反論した記憶があり、上記のコメントとなりました。ブル人も、さすがに、「そういえば、欧州は人口が少ない」と納得していました。生存できるだけでも、豊かなのだという視点は、当時のBDを理解する上で、一つのアジア理解の手法だったと思う。今は、アジアの経済がどこでも勃興していますが。

 なお、ブルの絨毯手工業は、19世紀頃、オスマン帝国末期に最盛期を迎えたはず。例の、ブル歴史シリーズで説明したように、オスマン帝国末期こそ、実際には、ブル経済は繁栄期を迎えました。ブル絨毯も、上質の手織りが山間部の、ブル人のみの小都市群で、大量に(とはいえ機械生産ではないけど)生産され、小アジア半島とか、首都イスタンブールでも販売されて、稼ぎがブル国内のギルドに流入していた。裕福となったギルドが、学校を建て、ブル語教育して、ナショナリズムが復興されてしまった。

 そして、独立戦争後、ブルは、オスマン帝国という市場を失い、ブル絨毯も販路を失い、山間部の小都市は衰退しました。

 人間というのは、自らの足を食らう、タコのようなところがあるというか、ナショナリズムなども、悪夢の側面があります。
 小生は、バルカン半島が、オスマン帝国時代のように、多民族共存の空間だったら、今も文化的には面白かろう、という、これも儚い夢想を抱くこともある。もちろん、それは、空論ですが。でも、EUに加盟しても、ブルとか、ルーマニアは、その国内に抱えるジプシー達が、EUの華やかな各国の首都で物乞いする、として嫌われています。
 なかなか、理想的な欧州統合論も、儚い夢のような気もする。

 なお、最近の産経紙でどなたかが、現代ギリシャ人と古代ギリシャ人には、恐らく血のつながりはないだろう、という暴論を吐いていた。だから、今のギリシャ人に期待したり、過去の文化的栄光を重ねるのは、無駄だという。
 しかし、現代ギリシャ語と古代ギリシャ語には、やはり繋がりもある。そもそも、ビザンツ帝国は、いつの間にか中世ギリシャ国家になっていたはず。それを征服したオスマン帝国も、ギリシャ人を重用したし、今のギリシャが、血液面でも、古代ギリシャと、少しは関係があるのは当然だし、そもそも、ギリシャ語をれっきとして受け継いでいるのに、別民族と断定するのはいかがなものか??東ローマ帝国としてキリスト教を受け容れ、そしてビザンツ帝国となり、オスマン時代を経て、再度ギリシャ国家を再興した・・・・ギリシャ語をしゃべっている民族に、ギリシャ人でない、などとイチャモンを付けるのは、あまり正論でないという感じです。
 もちろん、ブルの立場からは、スラヴ人の血液が8世紀頃には、濃厚に、今のギリシャ全土に入ったはずだ、という歴史家もいるけど、やはり民族判定の基準は言語でしょう。歴史も文化も、全て言語が一番はっきりと媒体となって受け継がれるのだから、スラヴ語がギリシャ全土でほぼ消滅しているのだから、スラヴの血液がより多い、などといっても、たいした根拠にはなり得ない。
 ジプシーだって、売春が多いから、血液は混ざっていても、やはりジプシーとしてロマで生まれ育てば、やはりロマです。
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RE:パイプカットとギリシャ人など (mugi)
2012-07-15 21:11:50
>こんばんは、室長さん。

 パイプカットを強行、選挙に惨敗したインディラ・ガンディーも伝統を利用して政界に復帰しました。ゾウに乗って選挙遊説したり、それを見た他政党政治家が女神ドゥルガーの化身と手を合わせたというエピソードもあります。家父長制の国でも女神崇拝は強いのです。面白いことに彼女は、今では歴代首相の中で最も人気のある人物となっています。

 インド外交官が自国と中国について述べた個所で、独立後の我が国は餓死者を出していないと誇らしげに書いていました。名指しは避けても毛沢東の失政による大飢饉と大量の餓死者を指しているのは明らかです。BDは何度も飢餓に直面していますが、元から国土は豊かだし、そのため日本以上の人口を養えるのです。英国支配時代のベンガル地方は多くの飢饉と餓死者を出しました。

 やはりブルの絨毯手工業はオスマン帝国以来でしたか。それが独立後に市場を失い衰退する…政治的独立が伝統産業を崩壊、経済危機をもたらすというのは他の独立国でも珍しくないし、難しいですね。

 産経新聞のその記事を見ていないため、詳細は知りませんが、河北のコラムニストにも暴論というか頓珍漢なことを書く者も珍しくありません。血筋でいえば古代ユダヤ人と現代ユダヤ人の繋がりも極めて怪しいですが、独自の言語と宗教という強固なアイデンティティを保ち続けたのは否定しようのない事実です。同時にローマに滅亡させられた後も中東に住み続けたユダヤ人の子孫が、現代イスラエルで差別、冷遇されているのも事実。

 ブル人の祖先はテュルク系遊牧民ブルガール族でしたね。スラブ人と混血し、キリスト教に改宗しましたが、欧州に来たばかりの頃は日本人と変わりない容貌だったと思います。移動により血筋も言語も変わった。しかし、今のブル人にテュルク系遊牧民時代の郷愁はゼロのはず。
 隣国シンパの者がよく日本人は隣国と同根の民族、同じ文化を共有すると暴論を吐きますが、朝鮮語でも言語は完全に違っている。民族判定の基準は言語という貴方の説に私も賛同です。
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