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近代のオセアニア世界 その一

2013-07-12 21:10:46 | 読書/東アジア・他史

 前回の記事がオーストラリアへの児童移民を扱った映画だったので、近代のオセアニアについて書きたくなった。テーマは主に欧米人がこの地域に来てからの社会の激変とそれへの考察。19世紀初めまでオセアニアは欧州の船乗りたちによって表面的な探索がされた程度だったが、1850年以降、それまでになかった勢いで欧米文明の波が押し寄せることになる。

 長期に亘りオセアニアの後進性と孤立を形づくったのは、やはり地理的要因があった。有史以来、これらの地域はずっと文明世界の近辺に取り残されていた世界でもある。オセアニアの一部は環礁、つまり広大な太平洋に散在する小さな島々から成り立っている。
 1759年、正確な海洋経線儀が発明され、ようやく欧州の航海者たちが経度のみならず緯度をも計測できるようになるまで、そうした小さな環礁の正確な位置をつかみ、そこに船を向ける等ということは不可能だった。太平洋の組織的な海図作成が18世紀後半まで行われなかったのも、このためなのだ。1820年代、南太平洋の高緯度海域に大量に生息していたマッコウクジラの鯨油が高価な交易品となるまで、南の海を航海する欧米の船舶はごく僅かだった。

 オーストラリア大陸はその大部分が不毛の砂漠であった。東部沿岸地域のうち、降雨に恵まれている土地は肥沃だったが、海岸は殆どが広大なサンゴ礁に取り巻かれ、船舶の接近を阻んでいた。原住民は石器時代の狩猟採集段階の暮らしであり、欧州の船乗りたちが交易できそうな品物はなかった。そのような訳で何世紀もの間、オーストラリアは放っておかれたらしい。
 だが、18世紀後半になり、英国海軍が組織的にオーストラリアの海岸線の測量を開始、東海岸のグレート・バリア・リーフの南に有望な土地を発見する。1788年、英国政府は囚人たちを船に乗せシドニー湾に送り込んだ。この措置は英本国の刑務所の負担を軽くするためでもあり、同時に囚人たちが母国から離れた地球の反対側でより良い新生活に入れるようにするためでもあった。

 それから半世紀後の1840年、オーストラリアより遠隔ではあるが移住先としてはより魅力的なニュージーランドの島々が、英国の貧困と人口過剰への軽減政策の一環として移住先に選ばれた。
 一方、赤道をはさみ反対側にあるポリネシアのハワイ諸島には、1850年頃から既に米国の宣教師や捕鯨船の船乗りたちによる深刻な影響が及んでいた。ポリネシア人やオーストラリア原住民アボリジニなどオセアニアの様々な民族は、増加する西欧の侵入に直面し、対抗する術を知らなかった。訪れてくる船乗りたちがもたらす病気に対し抵抗力のなかった彼らは、ほとんど絶滅寸前まで追い込まれた。

 同じ頃、アフリカも西欧列強の強烈な浸出に襲われるが、オセアニア原住民を待っていた運命は、これよりも遥かに苛酷だった。太平洋上の小さな島々やオーストラリア大陸の至る所での白人の到来は、病気と伝統的な社会構造の崩壊をもたらし、原住民は滅亡の危機に瀕する。白人の移住者たちはオーストラリア全域とニュージーランドの大部分の土地を占領した。やがてオーストラリアは1901年、ニュージーランドは1907年、南アフリカと同じく英連邦の自治領となった。

 ニュージーランドのマオリ族は他のポリネシア人と同じく白人との最初の接触のあと、人口が急激に減少する一時期を迎えたが、1900年頃から増加に転じ、それ以降かなり急速に増大を続けている。マオリの人々の大多数は農村に居住しており、主食はジャガイモである。ジャガイモが南米原産なのは有名だし、これは白人移住者がこの土地にもたらした新作物だった。

 もうひとつの大きなポリネシア諸島であるハワイでは、原住民人口は殆ど消滅した。1810年からハワイ諸島は現地の王朝が支配していたが、米国からの移住者たちがクーデターを画策、王朝を倒す(1893年)。その5年後、ハワイは米国に併合された。
 この併合以前からハワイには次々と移住者が到着し、米国人の大農園で働いていた。移住者の中では日本人が最も多かったが、他にも様々な人種や民族がハワイに渡り住み着くようになった。元からの原住民社会は崩壊、生き残った人々は現地人口の僅かの部分を占める少数民族に成り果てた。
その二に続く

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
貴ブログを拝見してのお願い (shimanuki)
2018-08-26 12:51:53
初めてご連絡させて頂きました。
私、株式会社スプリックスの島貫と申します。
突然のご連絡で大変失礼致します。

この記事では、欧米人がオセアニアに来てからの社会の激変について書かれており、専門的な知識をわかりやすい説明で理解することができ、大変勉強になりました。

弊社では、学校の先生方向けに授業準備のための無料情報サイト
「フォレスタネット」を運営しております。
この度、貴ブログに投稿されている記事の数々を拝見し、
是非私共にお力をお貸し頂けないかと思いご連絡致しました。

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また、記事を掲載する際の名義は管理人様の名義のまま掲載させて頂きます。

管理者様の記事は歴史の興味深いお話が大変多く掲載されており、学校の先生にとって非常に貴重な情報となるかと存じます。

ご不明な点も多々あるかと存じますので、何なりとご質問頂ければと存じます。
この度は突然の不躾なお願いとなり、大変申し訳ございません。
ご検討の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

ご連絡いただける際は下記のメールアドレスまでお願い致します。
r.shimanuki@sprix.jp
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Re:貴ブログを拝見してのお願い (mugi)
2018-08-26 21:57:18
>shimanuki様、

 初コメント、有難うございます。基本的に私は3年以上前の記事へのコメントは受け付けていませんが(昔の記事への書込みの殆どは荒らしなので)、shimanuki様は例外と致しました。

 さて、株式会社スプリックスや「フォレスタネット」というサイトは、今回初めて知りました。ここみたいに気ままに書き綴っている歴史エッセイが、果たして現役の先生方の授業に役立つのかは疑問です。
 それでも「フォレスタネット」への転載は一向に差し支えありません。掲載時にリンク先を明記して頂ければ結構なので、私の方こそ宜しくお願い申し上げます。
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