その一の続き
太平洋諸国のうち、ニューギニアのいくつかの地域では原始的な生活形態が昔と殆ど変らず続いた。これも西欧人たちを惹きつけるものがなかったのが理由と言われている。太平洋諸島の中でも原住民人口が完全に消滅したのは、タスマニアなどの少数の地域だった。
しかし、西欧の侵入がもたらした結果は至る所で見られた。以前はばらばらに孤立していた個々の民族が、地球上の実に多様な地域からやって来た移住者と混じり合い、現地の文化的、人種的な特徴は持ち味を失い曖昧になっていった。
温和で平和な暮らしをしていたオセアニア原住民が欧米列強の侵入により、虐殺や伝染病で人口が激減、伝統的な文化が破壊されたと一般に思われている。ただし、原住民にも様々な部族がおり、2013-06-09付でmadiさんから頂いたコメントは興味深かったので、引用したい。
―『銃・病原菌・鉄』では西洋社会が支配的な現状になったことについて銃・鉄以外に中央集権組織をつくれた環境とか病原菌が重要な役割をになったことを指摘しています。平和の民と戦う民の別れ道(ハードカバーで77頁以下)では1000年前に同じ先祖からわかれたマオリ族がモリオリ族を19世紀に皆殺しにした事件の記載があります。
防衛ができるためには常備軍ができる生産の余剰と中央集権ができることが必要とといていて明治の日本の富国強兵政策につながります。
ジャレド・ダイアモンドの代表作『銃・病原菌・鉄』を私は10年以上前に読んでいたが、オセアニアには関心がなかったためか、この事件はすっかり忘れていた。検索したらYAHOO知恵袋に「平和の民と戦う民の別れ道」の箇所の引用があり、紹介したい。
―1835年11月19日、ニュージーランドの東500マイル(約800キロ)のところにあるチャタム諸島に、銃や棍棒、斧で武装したマオリ族500人が突然、舟で現れた。12月5日には、さらに400人がやってきた。彼らは「モリオリ族はもはやわれわれの奴隷であり、抵抗する者は殺す」と告げながら集落の中を歩き回った。
数の上で2対1と勝っていたモリオリ族は、抵抗すれば勝てたかもしれない。しかし彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。
しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。生き残って奴隷にされた者も、数年のうちにマオリ族の気の向くままに殆どが殺されてしまった。チャタム諸島で数世紀の間続いたモリオリ族の独立は、1835年12月に暴力的に終わりを告げたのである。モリオリ族の生き残りは、そのときの様子をこう話している。
「(マオリ族は)我々をまるで羊みたいに殺しはじめました…(我々は)恐れ、藪に逃げ込み、敵から逃れるために地べたの穴の中やいろいろな場所に身を隠しました。しかし、全くだめでした。彼らは我々を見つけては、男も女も子供も見境なく殺したのです」
一方、マオリ族の兵士はこう説明する。
「我々は、自分たちの慣習に従って島を征服し、全ての住民を捕まえた。逃げ延びた者は一人もいない。逃げた者は捕まえて殺した。残りの者も殺した。それがどうしたというのか。我々は、自分たちの慣習に従って行動したまでである」
wikiにもモリオリ族についてこう解説している。
「チャタムの環境はポリネシアで知られている農業には不適切であり、モリオリ人は狩猟採集社会を採用した。小さく不安定な人口のため、モリオリ人は平和主義文化を採用し争いごとを厳しく避け、代わりに儀式的な戦いと調停を行うようになった」
マオリ族は農業をしており、一般に思われているのとは正反対に狩猟採取民よりも農耕民の方が好戦的なのだ。マオリは20世紀から人口が増加に転じたのも、この気質があったからだろう。マオリよりは穏やかにせよ、ハワイ王朝も白人から得た銃と軍事技術で武力統一している。オセアニア原住民が温和で牧歌的というのは、あまりにも短絡的な幻想に過ぎない。
「ラテンアメリカのカラード(混血)の女性が美しいのはなぜか?」というブログ記事がある。その分析は面白いが、この一文は突き刺さる。残念ながら、これが人類史の常だから。
―こんなことを書くと身も蓋もないが、和平や友愛やことなかれ主義は民族の生存を脅かす。歴史を見れば、暴力を高度に身につけた民族が生き残る。いや、そういう民族しか生き残らない…
■参考:『世界史(下)』(ウィリアム・H・マクニール著、中公文庫)
◆関連記事:「戦争の一種」
「四海は兄弟なり」
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あれで東京大学工学部計数工学科卒業、スタンフォード大学大学院修了だそうです。さらにwikiには、「キリスト教系の政財官界人の親睦会「インターナショナル・VIP・クラブ」で講師を務めている。世界最大の友愛団体フリーメイソンのメンバーでもある」と載っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E5%B1%B1%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB
こうなると、単なるルーピーよりも確信犯?
個人の自由なので思うことはないですが、首相時代に主張するのはどうかと。
日本の首相であって、フリーメイソンの首相ではないでしょうに。
実は私もwikiで初めて、ぽっぽがフリーメイソンのメンバーであることを知りました。wikiも誤りがありますが、これが正しければあの言動には納得がいきます。
フリーメイソンならば組織が第一であり、一国の首相よりメンバーの友愛が優先されます。あの組織は良家の子息をターゲットにすると言われるし、タレントのデーブ・スペクターもメンバーであるという説もあります。4年前の記事で彼がユダヤ系と書いた時、妙に突っかかってきたコメンターがいました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/da33ecd6135044af9691fc0cbc793592
私もオセアニア原住民については全くの浅学ですが、仰る通り容貌がポリネシア人、ミクロネシア人、メラネシア人で違っていますよね。特にポリネシア人は巨体ぞろい、あれでモンゴロイドに分類されるのが不思議です。
ポリネシア人、ミクロネシア人、メラネシア人は互いに混血も進んでいるし、元からカヌーで大陸から移住した人々なので、ルーツも複雑なのかもしれません。
次がユーラシア先住系(J:カフカス、I:北欧・バルカン)に近い K(→M,S)系統でニューギニアの非オーストロネシア語族の話者集団。彼らの言語は系統が全くバラバラなので、小人数で何度もやってきて長い間孤立していたのかも知れません。
最後に東~東南アジアの O系統(タイ系と同じ O1)が、台湾から拡散し席捲しました(5000年前~)。彼らの言語がマダガスカル~台湾~フィリピン~マレー半島~オセアニア全域(オーストラリアを除く)に広がるオーストロネシア語族です。
人類を Y染色体でみると、言語との一致性はかなり強いものの、形質や容貌は母系の混血と環境への適応により全然違っています。
オセアニア原住民はY染色体からC系統、K系統、O系統の順で来たのですか。人類が日本列島へ辿り付いた経路も複雑ですが、オセアニアも長い時間をかけ複数の系統の住民が住みついたようですね。 検索したら、「Y染色体の世界的分布と拡散経路」というサイトがヒットしました。
ttp://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_2Ysennsyokutai_no_bunnpu_to_keiro.html
母系の混血や環境への適応により形質や容貌も違ってくるのだから、日本人のルーツを探るのも複雑です。上のサイトには朝鮮半島で、「Y染色体のO系統だけで90%前後を占める」と記載されており、これを私は初めて知りました。D系統が最大グループの日本とは対照的。朝鮮半島では負けた側の一族は「族滅」されたという、以前の貴方のコメントを思い出しました。