トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

ある神父の私生活

2009-04-27 21:53:28 | 音楽、TV、観劇
 2月、NHK BS1「世界のドキュメンタリー」で「ある神父の私生活」と題する番組が放送され、その内容を紹介したサイトもある。'07年アイルランド、イギリス共同制作のこの作品は、イタリアのテレビドキュメンタリー部門・最優秀賞を受賞している。原題はずばり「The Father, the Son & the Housekeeper」。邦題から私は隠し子を持った神父の私生活を暴いた内容だと予想したら、やはり当たっていた。妻帯を認めないカトリック神父の実情は興味深いものだった。

 BS1の番組紹介サイトは以下のような文章で始まる。
庶民的で献身的、カトリックの禁欲主義に従ったクラリー神父。ローマ法王がアイルランドを訪問した際には出迎え役を務めるほど、アイルランド カトリック教会でのクラリー神父の地位は高かった。そのイメージは、死の直後、劇的に崩れ落ちる。妻帯が禁じられているにも関わらず、クラリー神父にはある女性との間に生まれた息子がおり、しかもその女性は、多くの人が住み込みの家政婦だと信じていた人物だったことが報道され、アイルランド中に衝撃が走った…

 この作品を制作したアリソン・ミラー監督は、以前神父のドキュメンタリーを作るためその私生活を撮影、映像には少年とその母である女性も映されていた。当時は住み込みの家政婦とその息子と思われていたのだが、神父の死後は事実上の妻と子だったことが発覚する。カトリックの伝統の根強いアイルランドで、女性監督は社会的影響の大きさを考慮し撮影したフイルムを封印する。しかし、神父の息子のその後が気がかりだった監督は15年後、再び息子や神父の姉達との再会を試み、神父の秘められた生活を探っていく。

 映像で見る限りMichael Cleary神父はユーモア溢れる陽気な人物。聖職者にありがちな堅苦しさを全く感じさせず親しみやすい語り口で説教する。ポーカーを好み、これに参加する際、祈祷会と称してゲームに興じる。歌も得意でアルバムを2枚出しており、自らのトーク番組も持っていた。キリスト教聖職者によい感情を抱いていない私から見ても魅力的な人物で、アイルランドで人気があったのも肯ける。
 神父が死亡したのは'93年、昇天するまで彼は家政婦フィリスとの間に息子ロスを儲けたのを認めたことはなかった。ミラー監督は「何故、神父は愛を貫くことが出来なかったのか」と問うが、関係者の証言を聞いても部外者には憶測しか出来ない。

 そして家政婦も既に病死しており、この作品では神父との関係の始まりや経緯も不明となっている。ただ、家政婦はアルコール依存症だったそうで、神父と関係した後もそれが治まらなかったらしい。“隠し妻”状態だったゆえ、ストレスが高じてアルコール依存症がひどくなった可能性もあるが、神父と出会う前の彼女の生活や性格の詳細も不明なので、これまた根拠のない憶測となる。
 神父と家政婦はともかく、その間に生まれた息子は父が死亡時まだ未成年、出生ゆえ父方の親族にも認められず、父のことで国中から非難を浴びせられたのがインタビューから浮かび上がる。アイルランドは'91年まで避妊具使用も禁止され、21世紀の現代は不明だが、かつて婚外児は私生児として社会から徹底的に差別される存在だった。

 神父に隠し子がいた程度で大騒ぎするアイルランド社会を、奇妙に思う日本人が大半だろう。しかし、俗人が隠し子を持つのとは異なり、建前上、神に貞操を誓った神父が破戒するのは神への約束に背いたことになり、人間に嘘を付くのとは全く次元の異なる大罪である。異教徒から見れば、聖職者に妻帯を許さないカトリックの戒律こそ非人間的そのものであり、これを改めぬ限り今後も同じことが繰り返される。これはアイルランドに限らず他の欧米諸国も似たような問題を起すカトリック神父は後を絶たないらしい。以前、アイルランドに何年か滞在されたブロガーさんから、「仏でも神父が教区内の未亡人に手を出したり、色々事件はあるが、教会がもみ消して遠いところに左遷するとか」とのコメントがあった。

 クラリー神父の私生活に関心を持った男性ジャーナリストもいて、彼は神父のことを調べていくうちに、教会のみならず一般信者からも激しい妨害を受けたという。そして彼は「ヤクザを調査して書いた方が、ずっと楽だ」と語っていた。日本人クリスチャン憧れの敬虔なアイルランドのお体裁ぶった隠蔽体質が伺えて苦笑した。
 数年ほど前、日本でも公開された映画『マグダレンの祈り』は、アイルランドに1996年まであった女性矯正施設・マグダレン修道院の恐るべき実態を暴いた作品だが、これにヴァチカンは激怒、教会側は謝罪はもちろん虐待の事実すら認めようとしないのは言うまでもない。

 今年1月、拙ブログコメントに「第3回児童の性的搾取に反対する世界会議」に関するサイトの紹介があり、席上アイルランドのエセル・クエールなる女教授が、「日本はマンガやアニメで子どものポルノを規制していない」と名指しで非難したそうだ。聖職者の婚外交渉の規制はおろか歯止めも出来ないのが、女教授の母国の実態である。

◆関連記事:「マグダレンの祈り

よろしかったら、クリックお願いします
   にほんブログ村 歴史ブログへ


最新の画像もっと見る

18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
信仰 (室長)
2009-04-28 00:07:41
カトリック教会組織の中に偽善が存在するのは、やはり教義の時代に即した「進化」が遅すぎるせいかもしれません。僧侶が結婚できないなどと言うのは、信じられない時代錯誤というか?しかし、それが多くの宗教、信仰というものかも。小生の宗教は、真宗高田派といい、親鸞の教えそのものですから、はっきり言って人間性につき妥協的で、寛大です。まあ、小生自身も本当は、何も信仰がないのと変わらないでしょう。だから自由に考えられる。ユダヤ教のように、戒律が600以上もあるとか、そういう縛りばかりの宗教は、それこそ人間を攻撃的、凶暴にしてしまうのかも?
高僧としての高い地位と、事実上の結婚生活:神父の生き方は偽善的だし、アイルランドの婦人人権論者達が、教会を悪の元凶みたいに見ていたことを思い出します。シネード・オコナーも、カトリックの伝統的な、厳しいしつけ中心の家庭教育、学校教育に強く反発して、ああいういろいろな行動に出たようだし。
堕落女性の矯正施設(?)で、哀れな女性達がほんの近年まで、リンチを受けたり、強制労働させられていた、というのも、アイルランドの風土の中ではあり得る話です。
宗教的束縛の少ない日本社会が小生は好きです。でも、日本の中にも新興宗教とか、教団内部でのすごいリンチ事件とか、やはりありますよね。何かに頼ろうとして、逆に不自由で、悲惨な境遇に陥る市民というのは、やはり自立意識の欠如のせいでもあるが、宗教に対する社会の監視もやはり必要ということでしょう。
最近、韓国の強姦教祖が、裁判で有罪判決を受けたという報道がありました。宗教者の犯罪ほど、バカヤローと叫びたくなります。無害な葬式仏教で結構だ、といいたくなりますよ!
Re:信仰 (mugi)
2009-04-28 22:56:41
>室長さん

 カトリックに限らずプロテスタント、イスラム、仏教他にも偽善は存在すると私は思います。偽善がない宗教など、この世にあるとは思えません。我が家の宗教は浄土宗、日蓮から念仏無限地獄と罵倒された宗派ですが、元から信仰心の極めて薄い私からすれば、「それが何?」ですね。日本人を「堕落した仏教徒」と言ったスリランカの僧侶がいたそうですが、それで結構。狂信の果て、異教徒や異宗派を迫害する輩よりずっとマシです。

 かつての共産圏を「人間のために制度があるのではなく、制度のため人間を必要とする」と皮肉った人がいましたが、「人間のために宗教があるのではなく、宗教のため人間を必要とする」状態となっているのが一神教ですね。だから迫害や粛正が正義となる。
 日本人のあるカトリック信者など、欧米の芸能人は神への感謝の念があるのに日本ではそれがない、無信仰社会で恥ずかしいと書いていました。しかし、当人は米国在住で自己主張が強く攻撃的な人間が多いことに辟易、現地に馴染めず結局日本に戻った人物。そのくせ、未練たらしく「アメリカでは~」などと書いている始末です。

 何年か前、九州の教育大の教授がある新興宗教(仏教系?)に入信、教団内でリンチを受け、死亡したというニュースがありました。はっきり言えば、この教授こそ愚かですよ。教授が聞いて呆れる。知恵や自立意識が欠如していたから、信仰にすがったとしか思えない。最高教育を受けた者のなれの果てです。
宗教と人間 (室長)
2009-04-28 23:47:00
mugiさん、あなたの考え方は小生とほぼ同じで、宗教の存立基盤があるとすれば、人間の役に立つべきだ、ということですよね。自立心の弱い人間を欺して、金を集めたりする代わりに、カウンセラー役とか、慈善事業で、世の中の弱者に奉仕する、それが宗教のあるべき姿と思います。
しかし、他方、何らかの教義を最重視してドグマチックになって、教義に従順ではないとか、戒律を守らないとか、難癖を付けては集団リンチに走る。狂信的になると、ついついそういう方向に行くのが多くの教団の歴史です。要するに、教団の幹部達が、威張りだして、下に立つ一般信者達を虐め始める、あるいは教祖が独裁的になっていく。結局宗教集団の幹部が、自分たちの鼻を高くしすぎて、信徒達へのサービスではなく、自分自身の我欲を追求するようになるのです。一番ダメな、けしからん人間になるのが、教祖とか教団幹部なのです。ほとんどの宗教団体の歴史は、そういう経過をたどるのです。組織の中の上下関係は、例えば営利企業ならば、他社との競争とか、経済環境の中での生き残り戦略とか、社長、幹部にも課題が多くて、緊張感の継続できる環境があり得ます。他方、宗教教団という組織の場合、内部の出世抗争を勝ち抜いてしまえば、あとは一人勝ちで、言いたい放題、したい放題、自分自身が堕落していくのです。
NGO、NPOなどでも、慈善事業なのか、営利企業なのか、詐欺団体なのか、正体が分からない怪しげな場合もある。やはり、人間関係の中で内部抗争したり、そういう中で、勝ち残った人間が堕落している、そういうことでしょうか。
ともかく、集団としての人間の活動、教団、企業、役所、研究所・・・どのような場合にも、幹部が、あるいは時には下っ端が堕落していて、どうしようもない、という事例が多くあります。
そういう風に、人間集団とか、社会そのものまで、結構不信感で見る癖が小生にはあります。

なお、欧米では、宗教はほぼ絶対的で、無神論者、あるいは異教徒は信用されない傾向が強いのですが、現代社会においては、若者達は必ずしもそうではなくなってきていると思う。だから、日本のアニメ文化などが、欧米でも受けていると思います。これからの世代に期待したいですね:啓蒙主義時代に十分成功しなかった、脱宗教が完成することを!!
Re:宗教と人間 (mugi)
2009-04-29 21:26:47
>室長さん

 あなたの人間集団や社会への見方は私も殆ど同じです。私自身それらに対する不信感があり、距離を置いてみる癖があります。宗教団体に限りませんが、人間が徒党を組めば、組織の上下関係でどうしようもなくなってくることが珍しくありません。ただ、とりわけ酷いのが宗教団体だと思います。始末が悪いのは己の欲望を満たすため、聖法やら神の命とやらを恣意的に解釈、一般信者達への締め付けの手段とする。

 日本の知識人に宗教に無知な者が多いのが気がかりです。オウム事件の際、TVでやたら「人を幸福にするはずの宗教が…」の前置きが入り、このボケ!と言いたくなりましたよ。宗教は人を幸福にすると同時に、この上ない不幸と破滅をもたらします。その程度も宗教団体の抗議を恐れているのか言えないのか、情けない限りです。
 欧米では~と言う者に限り、欧米社会での宗教の重圧がまるで分っていないか、または故意に無視しているかですね。私は欧米に渡航した体験も皆無ですが、現代の欧米の若者が脱宗教となっていくかは疑問視しています。日本のアニメ文化も19世紀のジャポニズムの二番煎じかもしれません。下手すると啓蒙主義時代にも十分成功しなかったのだから、反動で宗教時代に入るのかも。

 NGO、NPOなど胡散臭いものが少なくないし、暴力団の隠れ蓑となっている場合もある。これは欧米諸国も全く同じなのに、日本のマスコミはそのことはまず取り上げません。ODAは役に立っていない、NGOこそ次世代型援助だ、と持ち上げる報道には辟易させられます。これも利権が動いているのは確実と私は見ています。
スウィフトも愛人もち (madi)
2009-04-30 16:33:00
ガリバー旅行記でしられるジョナサン・スウィフトも聖職者で愛人もちですね。
こっちの生涯もおもしろいのですが。
とあるマンガ (スポンジ頭)
2009-04-30 21:12:04
こんばんは。

「HELLSING」と言う日本のマンガがあります。イギリス貴族に仕える吸血鬼とナチスの吸血鬼軍団と異端・異教殲滅を使命とするバチカンの特殊部隊が三つ巴の死闘をする話です。
登場人物は強烈な印象を残す人物ばかりで、ナチスの将校が戦争賛美&永遠の戦争を願う演説をする場面は見せ場の一つです。主要人物の一人にカトリックの狂信者で異教徒は皆殺しにするべきと考えている神父が出てくるのですが、このマンガ、意外に欧米で人気があるらしく、ドイツでさえ翻訳が出ています(ハーケンクロイツは法律で禁じられているので模様が改変されていました)。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/HELLSING

ユーチューブでもTV放映を目的としないアニメが英語やスペイン語の字幕つきで流されていて(著作権違反だと思いますが)、結構な人気です。
こういうマンガが若者に人気があるとすると、日本人の考えているヨーロッパの宗教観と実際はずれがあるのかとも思いました(勿論思考のベースは変わらないでしょうが)。

このマンガを保守派にして、元ヒトラーユーゲントのローマ教皇に読ませて感想を聞きたいですが(マンガには主要人物の一人としてヒトラーユーゲントの服装をした少年吸血鬼も登場します)、日本に対する印象が悪くなっても困りますね(笑)。
Re:スウィフトも愛人もち (mugi)
2009-04-30 22:32:57
>madiさん

 スウィフトが聖職者で愛人もちだったとは知りませんでした。彼の作品で、「貧家の子女がその両親並びに祖国にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案/ちくま文学の森7-恐ろしい話・所収」を読んだことがあります。貧民の赤子を食糧として提供せよとは、風刺にせよすごい内容です。
Re:とあるマンガ (mugi)
2009-04-30 22:34:42
>こんばんは、スポンジ頭さん。

「HELLSING」と言う日本のマンガは初耳ですが、なかなか面白そうなストーリーですね。しかも、欧米で人気があるとは。ナチス将校が登場するマンガを一般ドイツ人は、どのような心境で見ているのか、知りたいものです。現代欧州の若者の宗教観は不明ですが、キリスト教会に行く人が減り閉鎖状態となった挙句、モスクに変えられていると聞いたことがあります。

 現ローマ教皇が日本のマンガを読んでいる所を想像するのは愉快です。ただ、少し前NHKで、ローマ教皇が殉教したキリシタンについてもっと取り上げる予定だと語っていたとの報道があり、あまり日本に対する印象が良くないのかもしれませんよ。カトリック神父や信者のブログを見ても、私自身あまり良い印象を受けませんでしたね。
対仏教偏見 (室長)
2009-05-01 10:37:04
西欧全般でいえば、東欧と比べて対日印象が必ずしも良くないと思う。特に、近年は別として、アイルランドはカトリック信仰絶対の概念があり、他方仏教に関しては猥雑な宗教というイメージがある(ハリウッド映画のシンドバットだったかでも、仏様がだらしない感じの像となっているなど、ヒンヅー教の像の性愛重視との連想で、仏教も猥雑との連想があるかも)ようです。
米国のTV映画「将軍」も、侍の妻である島田陽子が外国人の寝室に「逆夜ばい」するシーンがあったので、その後欧米では、特に女性の間で、日本人の女性は危険な連中という概念が生まれ、夫の一人での日本出張にも反対されるようになったとか!!
あるアイルランドの小説(きちんと読んでいないし、題名も失念)では、僧侶となった弟が日本に赴任することとなり、この弟を親代わりに育てた姉は、「日本人の女には気を許してはならない」と警告して送り出します!!まあ、カトリックの僧侶は妻帯禁止ですから、どこに赴任してもダメなはずですが、日本だから特に危険ということらしい。ある意味日本女性が魅力的と言うことは、世界の常識と言うことでもあるので、日本女性は喜ぶべきですが。
とはいえ、仏教は、規律、戒律がいい加減で、信用できない邪教程度に思われていることが、しゃくに障るところです。
Re:対仏教偏見 (mugi)
2009-05-01 22:08:40
>室長さん

 日本と関係の薄い東欧はともかく、欧米絶対主義を揺るがした国として日本を忌々しく思う西欧人が多いのではないか、というのが私の自論です。私は欧米渡航皆無なので、これはある種の勘からきたものですが、やはり室長さんもそう思われましたか。あと、日本のマスコミがやけに欧米の親日傾向を強調するのも怪しいと感じていました。

 TV映画「将軍」のあのシーンはひどいですね。ただ、島田陽子扮するヒロインがはじめ自らではなく侍女を差し向ける話となっていましたが、あのシーンは欧米で有名となったのでしょうか?「将軍」原作者は戦争中、日本軍の捕虜となった人物なので、良く描かなかった?
 日本女性は危険というのは中国映画にも似たようなケースがありました。『冒険王』だったか、主人公に女性の仲間が「日本女性は魅力的だから、気を付けてね」と注意するシーンも。男に従順で金持ちなら魅力的でしょうけど、同時にカモとしても魅力的と思われているのかも。

 ひと口に仏教といえ、様々な宗派があり、概ね小乗仏教は戒律が厳しいですよ。密教系の仏画、仏像など私が見てもドギツイと思うものがありますが、ヒンドゥーも猥雑なものが少なくありません。私はむしろ大らかで好きですが、欧米人は淫祠邪教と見ているようです。ヒンドゥーの詩人もそれが不快らしく以前記事にしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/06052be11a933c4791f48ac432857742