トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

サーミ人-北欧の少数民族

2009-03-31 21:26:10 | 読書/欧米史
 北欧にラップランド(Lapland)と呼ばれるところがある。スカンジナビア半島北部からコラ半島に渡る地域で、文字通りラップ人の土地の意味。しかし、古代からこの地域に住んでいるラップ人が現代に至るまで国を建国したことはない。ラップランドという呼称自体、辺境を意味する異民族からの蔑称で、原住民は自分達をサーミ人、またはサーメ人を自称する。かつて日本でも北欧式にラップ人と表記していたが、近年はサーミ人に変わりつつある。

 私が初めてラップ人の名を知ったのは子供の頃、大島弓子の漫画『いちご物語』('75年作)を見たからだ。ヒロインはラップ人の少女、来日しカルチャーギャップに悩むというストーリーだったと思う。主人公の“Free Sex”の台詞もあり、無垢な少女に相応しくない言葉ゆえ、北欧といえば“Free Sex”の印象が根付いてしまった。ヒロインは乱交の意味で使ったのではなく、ラップランドでは全く違うことを指すという設定だったはず。当時はこの漫画でもサーミ人ではなくラップ人と書かれていた。

 Wikiにサーミ人はフィン・ウゴル系民族とあり、かつては狩猟・遊牧を行っていたが、現代は大半が定住しているという。北極圏に居住することから昔はトナカイの放牧で生活できたが、環境の変化でそれも困難となり、定住化のため異民族との混血も進んでいる。サーミ人はサーミ語も話せるが、自分の住む地域が属す国(ラップランドはスウェーデン・ノルウェー・フィンランド・ロシアに属する)の言語も操れるバイリンガルである。
 歴史に軽く目を通すと1251-1550年の間、ラップランドはノルウェー、ロシア(ノヴゴロド)王国、スウェーデンの周辺諸国により分割、サーミ人も異なる国家に分断され、異民族支配下に置かれるようになる。

 1551-1808年にはノルウェーまたはスウェーデン=フィンランドに“国民”として組み込まれ、18世紀後半サーミ人の多くは定住化を選ぶようになる。同時期、スウェーデン人がラップ地区に入植するようになり、サーミ人はさらに北部や東部へと追いやられたり、入植したスウェーデン人と混交、スウェーデン化した者も少なくなかった。
 近代の1809年以降も状況は悪化する一方で、特にロシア支配地域でトナカイなどの狩猟動物が異民族に乱獲され、その減少により狩猟文化の基盤は完全に破壊された。第二次大戦後もサーミ人の土地が旧ソ連に割譲され、そのためサーミ人の大多数がフィンランドに移住したこともある。

 サーミ人の宗教は万物に霊が宿るという精霊信仰であり、ノアイデと呼ばれるシャーマンを中心とする。だが、16世紀になりキリスト教の布教がラップ地区に及ぶと、このような精霊信仰は容赦なく弾圧され、スカンジナビアの宣教師たちはを信仰を守り続けるサーミ人を迫害、特にノアイデの改宗、撲滅に努めた。現代サーミ人の大半はルーテル教会ロシア正教会となっている。キリスト教徒異民族による支配で、伝統的文化を否定する価値観も突きつけられた。
 スウェーデンの警察小説『マルティン・ベック』シリーズの登場人物にルンという刑事がおり、邦訳で彼の妻はラップ人となっていた。何作目かは忘れたが、彼の前で「あの地に汚らしいラップ人がいなければ…」という男が出てくる。「僕の妻はラップ人だが」と話すルンに、「それはもの好きな。で、ラップ人の女はアレが横に付いているって本当か?」と問う男。少数民族保護を表向き掲げていても、差別意識は無くせないのが知れる。

 サーミ人の苦難の歴史は新大陸のインディアンやアボリジニと重なる。中東のクルド人も周辺諸国と民族的にちかくムスリムだが、国を持たなかったゆえの悲劇は似ている。民族主義が高揚しないと国家建設は難しく、国家を持たない民族は部族に留まり、周辺の強大な民族に吸収されやすいようだ。
 明治時代の北海道のアイヌも似たような状況に陥る。明治10(1877)年来日、北海道でアイヌを対象に布教活動を行ったジョン・バチェラーというイギリス人宣教師がいた。私がバチェラーの名を知ったのは、山本七平ファンのブロガーによる記事「アントニーの詐術【その6】」を見たから。ジョン・バチェラーで検索したら、「アイヌ文化の発展に尽くした人びと」というサイトにその名が載っていた。

 当然このサイトはアイヌの伝統文化を破壊したと開拓使を厳しく非難する一方、バチェラーを「アイヌ文化を大切にした外国人」と賞賛する。インド、中東史に関心のある私は全く失笑させられた。当時欧米人宣教師は植民地支配の尖兵的存在であり、第三世界で少数民族対象に精力的に布教活動を行っていた。上記サイトにあるとおり、「バチェラーはアイヌのなかに多数のキリスト教信者を育て」るのが真の目的であり、アイヌ文化を尊重したからでは決してない。英国支配下のアイルランドはより悲惨な状況だったことを管理人は無視したいようだが。

 強すぎるナショナリズムはその民族自身に害をもたらすが、それを失えば異民族と溶解、吸収、消滅に至る危険性も大きい。他民族の文化を認めず、破壊するのが帝国主義ならば、キリスト教は史上最大最強の帝国主義イデオロギーだろう。 

◆関連記事:「戦争の一種
 「キリスト教の本質

よろしかったら、クリックお願いします
   にほんブログ村 歴史ブログへ


最新の画像もっと見る

17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
民族主義 (室長)
2009-04-02 11:44:36
mugiさん、キリスト教宣教師が、帝国主義、植民地主義時代の「先進国の先兵」だったことを簡潔に説明されていて、良い論説だと思います。
アイルランドにおける英国の行為は、必ずしもいつも意図的に収奪したとかいうばかりではない場合もある。特に近年は北アイルランドにおけるアイリッシュとブリティッシュの和解(こういう言い方は小生特有で、英国は北アイルランド問題を民族紛争と認めたくないので、キリスト教の中の宗派争い=カトリックとプロテスタントの間のsectarianな紛争と呼ぶ)政策がある程度成功し、「共和派=Republican」達(アイリッシュのこと)のゲリラ攻撃が下火になって喜んでいる。
とはいえ、17世紀にピューリタン政権の軍隊がアイルランドに侵攻したときは、アイルランド島全体を永久支配するために、北アイルランドにスコットランドなどからプロテスタント農民を移民させ、従来のアイリッシュの農民、地主達を追放したり、虐殺したりしました。
アイリッシュ達が、民族意識を永続できたのは、カトリック教徒だ、という宗教的帰属の相違が大きな要因ですが、英国が植民地経営技術において未熟で、数々の不手際、失政があったからです。
他方で、アイリッシュ達は、大英帝国の国際的な植民地の各地においては、大英帝国の官僚、軍人などとして活躍したし、またカトリックの宣教師として、大英帝国の支配網を利用しつつアジア各国にも進出して、いわば英国のアジア進出の補助的機能まで担いました。国内では、弾圧措置で数名のアイリッシュが殺害されただけで、アイルランド各地では反乱が繰り返されますが、他方で、大英帝国臣民としての軍人、官僚としての「忠誠心」もあったり、複雑な心情があります。
08年1月に、小生の「ブルガリア研究室」ブログでは、「2番手支配民族の心理」という記事を書きました。参考にしていただければ幸いです(宣伝に使って済みません)。
返信する
Re:民族主義 (mugi)
2009-04-02 22:33:16
>室長さん

「2番手支配民族の心理」の記事、とても面白く拝読させて頂きました。
 19世紀、アイルランドでは所謂ジャガイモ飢饉が起きてますね。夥しい餓死者と移住者を出したため、やはり怨念があるのは否めないように思えます。作家ジャック・ヒギンズ(アイルランド系)やアイルランドのロックバンドU2は、この飢饉のことを口にしており、後者などコンサートや来日時まで英国非難をしていました。一般民衆はどう感じているのか不明ですが、それでも複雑な感情があるのは確かでしょう。司馬遼太郎はアイルランドに関心があり、私も以前、記事に書きました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/4638bac0330904fdfafd0526f21d289e

 アイルランド人全て反英という訳ではなく、憧憬の念も強いと思います。日本統治下の朝鮮半島で利益を得た現地人がいたように、己の得になるといえ、自ら宗主国に協力したアイルランド人も少なくないでしょう。第二次大戦時、アイルランドは中立国でしたが、イギリスに兵士として志願した者もいたと聞きました。
 得したのはアイルランドの宣教師も同じ。イエスの命「全世界に行って、福音を伝えなさい」を実行できるし、現地人を改宗させてイギリスの協力者と変貌させました。

 日本人クリスチャンもまた旧教、新教問わず欧米の提灯持ちが少なくないのではないでしょうか?かつてのキリシタンもそうでしたが、現代も山本七平のような文化人が典型で、欧米人宣教師若しくは信者と歩調をあわせる傾向がありすぎる。私が彼らを信用しない最大の理由です。
返信する
ジャガイモ飢饉 (室長)
2009-04-03 09:34:15
アイルランド人の反英感情は、1850年代のジャガイモ飢饉の際に、英国が十分アイルランド国民を救済する措置を何ら執らなかった、その無策に対する激怒がかなりの比率を占めています。しかし、カトリック教徒としての「より正統な宗教を信仰している」という自負心、矜持も一因かと思う。更には、いずれにせよ、米国、豪州、NZなどでも、英国系(アングロ・サクソン)と対抗して、政治家として成功しようとするなど、まあ日韓両国の国民感情に似た面が強いというか。スコッツの場合もそうで、結局は大英帝国時代に、大いに得をしたのですが、他方で、反英感情も失わない。その故に、英国のスポーツ・チームは、国際舞台にも「連合王国」としてチーム編成するのは、五輪だけで、サッカーでもイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド、アイルランドと別々のチーム。もちろんアイルランドチームは、独立国だから、それでいいのですが。
しかし、独立後もアイルランドは英国から、同国民待遇、共通旅行地域という特権を得ています。つまり、アイルランド市民は、英国旅券を申請取得できるし(英国民も、同じくアイ旅券を取得できる)、また、英国へと国境を越える際にも、旅券は不要で、身分証明書(例えば運転免許証)で十分です(英国人も、アイに旅行するときに旅券は不要)。
ちなみに、司馬遼太郎の「愛蘭紀行」には、小生から見て誤解と思われる記述がありました:(1)セント・パトリック寺院の名称:パはカトリックの聖人なのに、プロテスタント教会の名称にそのまま使っている。英国教会はいい加減なところがある。という記述は、パ寺院は、元来英国教会がカトリック教会から離脱する前に建立されていて、それで5世紀頃アイルランドにキリスト教を普及させたパの名称が寺院に付けられたもの。要するに、元来は、カトリック教会として建立されたので、そういう名前が付いたのであり、英国教会として建立してパの名称を付けたのではないと言うこと。
(2)もうひとつは、田舎のパブで、司馬同行者が、アイルランドとの友好的雰囲気を盛り上げようと、日本語で「庭の千草」を歌って見せたのに、アイ人達が反応せず、無視したとして怒っていること。そもそも、パブは、元来排他的な地元民の空間で、観光客達は、地元民の世界に立ち入ることなく、自分たちのみで楽しむべきと言うこと。また「庭の千草」は、日本では有名でも、アイ国内では、アイ民謡として必ずしも自覚されておらず、さほど皆が知っている曲でも無いこと。更には、日本語で歌うと、メロディーが同じでも、自分たちの曲と思えない場合も多いこと。
ともかく、小生が尊敬する司馬遼太郎ですが、上記の2カ所では、首をかしげた次第。
そういえば、反英感情について言えば、第二次大戦突入直前、JFケネディーの父親が、駐英大使としてロンドンに乗り込み、さんざん英国に意地悪の限りを尽くした、というエピソードをどこかで(おそらくアイ出版の英語の本だが、その本の名前などは記憶にない)読みました。ケネディーの父親は、ジャガイモ飢饉で米国に移住した「恨み骨髄」の世代の2世で、英国への復讐心で凝り固まっていたのです。
返信する
Re:ジャガイモ飢饉 (mugi)
2009-04-03 23:02:53
>室長さん

 ロックバンドU2のボーカリスト(1960年生まれ)はアメリカのライブでもジャガイモ飢饉に触れ、「飢饉でイギリスが見捨てた時…」と言っていました。もちろんIRAの無差別テロは非難しており、そのためこの過激派から脅迫を受けたりしてますが、アイルランドと言えば未だにIRAを私は連想します。最近は昔ほどではありませんが、かつてロンドンでも爆弾テロが行われていましたね。
「愛蘭土紀行」にもプロテスタントへの深い敵意を感じさせる箇所がありました。司馬遼がアイルランドに行った時、現地女性が得意げにネルソン提督の銅像が破壊されたことを語っていたとか。IRAについて書いた日本人がいますが、独立後、アイルランド人はとかくイギリスに関るものを破壊したと記されていました。

 ただ、アイルランド人も植民地では、イギリス人以上に現地人に粗暴に振舞うことがしばしばありました。イギリス人作家がカスター将軍時代のアメリカを描いた小説で、プロテスタントの主人公の好青年に対し、敵役が酒飲みのアイルランド系軍人という設定が、日本人からすればおかしかったですね。この作家はIRAについても「狂犬同様」「愛国心には程遠い暴力の輩」と辛辣に書いていました。

 司馬遼の「愛蘭土紀行」を記事にしたのは05年6月ですが、実際に私が読んだのはそれより何年も前で、今は内容の大半を忘れています。しかし、あなたが指摘された誤解を疑われる記述があったことは全く気付きませんでした!さすがに現地で暮らされた方は見解が違いますね。貴重な情報を有難うございました。そして「庭の千草」も、さほど皆が知っている曲でも無かったとは驚きました。
 ケネディーの父のエピソードは聞いています。恨み重なるイギリス人にたっぷり意地悪して溜飲を下げたというのが何とも。もちろんイギリスも戦後にしっかり報復を行いました。
返信する
ジョン・フォード (室長)
2009-04-04 00:17:33
「愛蘭土紀行」が正しいのですね。借りて読んだ本(91年頃アイ在住時に読んだ)なので記憶が曖昧で申し訳ない。
ケネディーの父親は、駐英大使という地位を「金」に物言わせて謂わば買ったようです。米国の大使ポストは、political appointmentが多く、この故に、ロビイストを通じるとかして、買官できるのです。息子を大統領にしたのも、更にもう一度英国に泡を吹かせたかったのかも?
映画といえば、アイルランドからの移民1世のジョン・フォード監督が、ジョン・ウェインを使って多くの西部劇を作り有名です。小生が一番覚えているのが、アイ西部のゴールウェー県コング(Cong)村を中心に撮影した「静かな男(The Quiet American)」です。小生、車でAshford Castleを見に行ったら、この城の近くにあるコング村が、この映画の舞台だったのです。この映画は、英国人のようにgentleman(これも直訳すれば「静かな男」です)でおとなしい米国男に比べて、結婚相手となるアイ女性は、頑固で意志が強く、自分の結婚のための結納金を兄からぶんどらなければ、正式の結婚をできないと言い張り、ジョン・ウェインもやむなく結納金を出させるため兄と殴り合いの喧嘩をして、その後仲良くなる(アイ人と米国人の和解)と言う話だったと思う。アイ人側である嫁と兄は、伝統通りの形式を踏まない限り、本当の結婚はできないと言う点では、同じ意識で、頑固そのもので、「俺は金持ちだから、いらないよ」などという米国人の態度には我慢が成らないのです。
ジョン・フォードは、アイリッシ語を話せるほど完璧なアイ人気質を保持したまま、インディアンを悪者に描くあのカウボーイ映画を作り続けたのです。インディアンの描き方など、やはり白人意識は根強く、キリスト教徒、白人でない人に関しては、差別意識があったのではないでしょうか?
黒沢監督は、ジョン・フォード監督の手法を徹底的に勉強したと聞きます。歴史、伝統、文化などに関しては、それなりにこだわりを見せるが、ストーリーそのものは、(1)できるだけ簡潔にして、誰にでもわかり安いように単純化する、(2)一つのテーマに絞って、徐々にクライマックスに向けて盛り上がるようにストーリーを構成する、という手法と思います。黒沢映画を初めて見たときに小生は、「これはストーリーを超単純化するジョン・フォード方式だ」と感じ、あの黒沢がフォードの弟子かと驚きました。
アイリッシのインテリは別として、大部分の庶民は、江戸っ子みたいな気風がある。パブで大酒を飲んで騒ぐし、土地を獲得するためにはインディアンを殺すし、「静かな男」などの「生白い優しいばかりの男」はダメ男と感じるようです。細かい理論とか、理屈っぽい映画は作らない、骨太の作風です。JFケネディーも女漁りはすごかったらしいし、そういう現世主義的で粗暴な面と、政治的な意志の強さと・・。そういえば『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラも現実的で、文化よりも金儲けという、バイタリティーそのものの女性・・・これもアイリッシの一面です。
とはいえ、同じカトリックと言っても、やかましくおしゃべりなイタリア人と、寡黙でパブでも結構静かにビールを飲む時間が長い(もっとも、小生は夕方早い時間に、1時間くらいしかパブにいたことがないが、恐らく9時、10時頃からは、酒が回って、アイリッシ達もやかましく騒ぐのだろう)アイリッシとでは、印象が全く違う。やはりアイリッシも地中海人種に比べて、英国人に近い(おとなしい、静か)と感じることが多かったです。
返信する
持参金 (室長)
2009-04-04 00:21:35
前のコメントで、「結納金」と書きましたが、「持参金」が正しいです。アイルランドは、結婚の時に女が「持参金」を持って行く伝統らしい。
返信する
Re:ジョン・フォード (mugi)
2009-04-04 21:13:12
>室長さん

 現代はケネディの金銭スキャンダルもネットで見れる時代ですが、彼の生前はもちろん今なおマスコミはそのことについて触れず、せいぜい女性関係でお茶をにごす程度。現大統領オバマもかなり持ち上げていますね。心なしか日本のメディアは民主党贔屓に感じます。

 私は映画「静かなる男(The Quiet American)」は未見の上、西部劇も学生時代は既に時代遅れとされ、上映されなかったのであまり見ていません。あの『駅馬車』さえ見ていないのです。ジョン・フォードがアイルランド系だったことも初めて知りました。ハリウッドでは例外的にインディアンのサンドクリークの虐殺をテーマにした『ソルジャー・ブルー』は興味深かった作品です。
 しかし、『風と共に去りぬ』は何度もリバイバルされたので劇場で見ました。これもヒロインはとびきりの美女でも頑固で意志が強く、バイタリティー溢れる女性でした。以前私はアイルランドの女海賊グレイス・オマリーについて記事を書いていますが、まさに女傑そのものです。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/e49a2aed4d119af432d86b50ad00512c

 紹介されたジョン・フォードの手法は面白いですね。私が先のコメントで書いたアイルランドのロックバンドU2も全く同じです。歌はシンプルで力強いですが、「現世主義的で粗暴な面と、政治的な意志の強さ」を持ち合わせている。政治と音楽を絡める姿勢に批判も多いけど、「政治と音楽は別にするべきだ?冗談じゃねえ!」で一蹴。
 彼らは政治メッセージをするバンドとして有名で、主張は「できるだけ簡潔にして、誰にでもわかり安いように単純化」「一つのテーマに絞って」です。これには同業者からも批判され、バンドメンバーより年下の私さえ、その単細胞と陳腐極まるメッセージは押し付けそのもので幼稚だと不快に思っていました。その理由を世間知らずのミュージシャンゆえだろうと片付けていましたが、アイリッシュ気質も影響していたとは。

 もし新大陸に先にムスリムが来ていたならば、あれほどのインディアンの悲劇は起きなかったと私は見ています。彼らも布教はしますが、東南アジアと同じく交易を通じて比較的平和裏に行ったと思いますね。ただ、その後欧州人キリスト教徒が来れば、やはり大虐殺だったでしょう。
 イギリスにも花嫁が持参金を持っていく習慣があり、欧州大陸もその習慣があるようです。同じアーリア系ゆえか、インドも持参金がかかさず、こちらは深刻な問題を引起しています。ところで、ブルガリアはどうなのでしょうね?
返信する
アイルランドの女海賊? (室長)
2009-04-05 01:22:58
アイルランドにいたときは、アイルランド問題の根本原因を探ることに精力を費やしていたせいか、女海賊の面白い話には出くわさなかったです。アイルランド問題の原因については、日本でも普通、宗派間紛争(Sectarian Conflict)としか捕らえず、民族紛争(National Conflict)という根本原因は語られませんし、アイルランドの人たちも英国の宣伝に乗せられているせいか、プロテスタント系とカトリック系の紛争と思っています。ただし、カトリックがほぼ100%アイリッシという認識はありますが。
ジョン・フォード監督と黒沢監督の間の関係に関しては、どこかの雑誌で読んだような気がします。ウェスタン映画を確立し、ジョン・ウェインを大スターにしたのは、フォードです。そういえば、日本人が大好きな映画『シェーン』の場合、Shaneは米国式の記述方式で、元来はアイリッシ語でSeanと書き、ショーンと発音します。スコッチ語でも同じ綴りで同じ発音と思う(アイリッシ語とスコッチ語は、ともにケルト系の中のゲール語族に属しており、極めて近い言語です)。ショーン・コネリーはスコッツですし、このショーンは実はShaneと同じ。ウェスタン映画『シェーン』の主人公は、アイリッシなのかスコッツなのか、小生は残念ながら知りません。
マッカーサー、マッカーシーという名前も、アイリッシとスコッツに共通する名前と思う(アイでマッカーシーという名前は確かにあった)。
U2は、小生がアイルランドにいた頃にも有名で、時折帰国してコンサートしていたけど、小生はロックに興味ないので、よく知らない。アイリッシのロック歌手らは、過激に英米を批判する場合が多いと思う。ビートルズが英国女王から勲章をもらったのは、小生も興ざめです。結局功成り名をあげた昔のアイルランド人(今もそう)が、女王から勲章をもらい、ロイヤル・ダブリン・ソサイアティー(RDS)会員となって、上流階級を気取り、カトリックのくせにプロテスタントの仲間に入って・・・というのと同じではないか?
とはいえ、ジェームス・ジョイス、オスカー・ワイルド、その他の世界的に有名なアイリッシ達が、実はアングロ・アイリッシュと呼ばれる英本土からきた地主階級の人々であることも事実。プロテスタントの方が圧倒的に文化程度が高かったのです。
新大陸、特に西部への移民達が、アイリッシとかイングリッシの農民(牧畜民)で、農地、牧草地を先住民から取り上げるというはっきりした意図を持っていたことはインディアン達にとって不幸でした。
外国を征服するムスリムは、普通騎士達で、農耕・牧畜をしないで都会に住み、税金を取り立てるのですが、新大陸では、インディアンのレベルが低くて貨幣経済ではないし、税金を取り立てられないので、さてどうしたか?恐らく未開地域の場合、ムスリム達は制服すらせずに、視察しただけで帰ってしまうのではないでしょうか?
アイリッシといえば、NY警察を牛耳っているとか、昔横暴を極めた港湾労働者の労組幹部(マフィア的)らが、アイリッシだったとか、米国でも存在感は大きいし、やることは時にはかなりえげつないです。本国が小国なので英国のような帝国主義はできないが、それに代わる陰謀というか、1930年代からヴァチカンと秘密条約を結んで(デ・ヴァレラ・アイ首相)、世界中にカトリック教を布教することにアイルランド国家が荷担すると約束していました。冷戦期のアイ外務省も、ヴァティカンの片棒を担ぎ、共産主義に対抗してカトリック教を布教することを隠れた基本政策としていました。これは小生が、アイ外務省員から直接聞いたし、アイの新聞でも報道されたことがあり、本当のことです。政治と宣教師の結合、それを20世紀になってもやったのが、アイルランドという国家です。もっとも、カトリック至上主義者が主体の国家ですから、何ら不思議もないし、この「秘密政策」が表に出たとしても、国民も異議はなかったでしょう。
とはいえ、近年は、近代的合理思想が中年、若者層に浸透してきて、中絶禁止とか、僧侶の結婚禁止とか、古臭いカトリックの教義に異論のある人々が多くて、彼らと話すと「教会と坊主」がアイルランド社会のガンだと主張していました。
またまた長くなって済みません。アイルランドには、4年近く住んだので、どうしても色々思い出してしまう。
そういえば、ブルの結婚の場合は、普通は男性側が家を用意し、女性側が絨毯、家電製品、家具などを「持参」する、と思う。
返信する
訂正 (室長)
2009-04-05 01:24:53
また誤記がありました。1行目は「北アイルランド問題」と読んでください。
返信する
Re:アイルランドの女海賊? (mugi)
2009-04-05 21:35:44
>室長さん

 一時期ジャック・ヒギンズの小説を読みふけったことがあり、作品に「北アイルランド問題」がよく出てきたので、私も其のことを知りました。もちろんインテリらしくヒギンズはIRAの無差別爆弾テロを非難していますが、それでも「いいIRA闘士」の登場人物が出てくる。この魅力的なキャラクターに惹かれ、私も小説を見ました。この人物が愛飲するのがブッシュ・ミルズ。私も酒の量販店で見かけ、買って飲みましたが、国産ウイスキーの方がよかった(笑)。
 多くの日本人と同じく私もイングランドとスコットランドの違いはよく分りません。後者だとケチでバグパイプと男性がタータン柄のスカート(キルト)をはく国、のイメージ程度です。両者は一体となった感がありますが、スコットランドには一部独立を唱える者もいるそうですね。

 ビートルズのメンバーが1人を除き全員アイリッシュ系なのを、実は『愛蘭土紀行』で初めて知ったのです。日本の音楽雑誌がビートルズばかり持ち上げていて、いささか音楽も感傷的なので若い頃は敬遠し、完全なブリティッシュ系のストーンズの方を好んで聴いていました。勲章にしてもストーンズの姿勢はビートルズと違いますが、これも元からブリティッシュ、しかも中産階級出ゆえ?
 ジェームス・ジョイス、オスカー・ワイルドは若い頃読んだことがあります。ただ前者は『ダブリン市民』だけで、結構重めの物語が多かったと記憶しています。この作品にも新大陸に渡るかどうかで悩む女性の話がありました。

 東南アジアに来たムスリムの多くは商売でしたが、商人と共に神学者も来ました。アラブ、ペルシア人も布教しましたが、もっとも影響を与えたのがインド人ムスリム。元から東南アジアはインド文化圏でもあるので、インド人がイスラム化に貢献しました。イスラムは元々商人の宗教ですし。
 もし、ムスリムが新大陸に行くとしても商売が主だったと私は思います。未開地域でもモノになりそうなら商売を行い、それが成功したら聖職者も来たことでしょう。征服よりも商売をメインにしたかもしれない。

 渡米したアイリッシュはギャングとなる者も少なくなく、イタリア系のマフィアと鋭く対立したこともあったとか。あのアル・カポネと抗争、殺害されたアイリッシュ・ギャングもいたそうです。カトリック同士でも仁義なき争いをやっている。
 やくざ者はともかく首相がヴァチカンと秘密条約を結んでいたとは初耳ですが、ぞっとさせられますね。アイリッシュ系米国人がIRAに資金援助するならせいぜい地域間紛争ですみますが、ヴァチカンと組めばその力は世界規模です。

 アイルランドの女性歌手シネイド・オコナーはコンサート中、“真の敵”としてローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の写真を破ったことにより、事実上音楽界を追放されました。先日、NHK BS1の海外ドキュメンタリーで有名な神父の私生活(隠し妻に隠し子がいた)を取り上げていましたが、取材しようとした記者は相当な妨害を受け、「ヤクザ相手の方がずっと簡単だ」と話していました。政教が密着する社会の怖さですね。もっとも日本人カトリックのブロガーの記事にも、かなり特異な考えがありました。「キリストの教えを正しく理解すれば」といっているところに、「マルクスを正しく理解すれば」と強弁するマルキストとの共通点が見られます。
返信する