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ベンガルの黒い穴事件

2009-06-03 21:28:21 | 読書/インド史

 18世紀のインドはムガル朝の弱体・衰退化に伴い、各地で地方王朝が乱立、覇権を巡る戦いで混乱に陥り、それを狙った西欧列強が国土を蚕食していく。イギリス東インド会社によるベンガル地方支配を決定付けたのはプラッシーの戦い(1757年)だが、その前年6月、この地方で「黒い穴事件」と呼ばれる惨事が起きている。『残虐の民族史』(柳内伸作著、光文社)に、この事件は以下のように載っている。

-1756年6月、ベンガル太守シラージュ・ウッダウラは突然、インド最大の貿易港カルカッタ(現コルカタ)を奇襲し略奪を行った。多くのイギリス人は船に逃れたが、逃げ遅れた146人は、自分達が立て篭もっていた要塞の地下牢に連行された。そして十時間後の翌朝までに生き残ったのは23名だけだった。

 そこは「ブラック・ホール」と呼ばれる地下牢獄で、小さい窓が2つしかなく、床面積が25㎡しかなったから、牢獄としてはせいぜい5人分のスペースだった。ベンガル太守はこの換気の悪い小部屋に146人もの人間を押し込んだ。押し込められた者たちは棒立ちになって身動きが出来ない状態であった。部屋の中の温度は彼らの体温でどんどん上がり、摂氏37度から38度にもなり、多くの者は脱水状態になり、それに酸素欠乏が加わった。イギリス人たちは次々に倒れて踏み潰されたり、立ったまま死んでいった。この中には女性がただ1人混じっていたが、彼女は生き残っていた。女性の生命力の強さを実証したものと言えよう…

 このとき別の要塞の司令官をしていたイギリス人のクライブは、10月、救援軍を率いてマドラス(現チェンナイ)を出発、12月にはイギリス人捕虜を救出した。クライブは以前から、フランスに友好的だったウッダウラを太守の座から引きずり落とそうと考えていた。1757年6月、クライブは反ウッダウラ派の将校と組んで、フランス軍と組んだウッダウラをプラッシーの戦いで破り、逃げ出したウッダウラを捕虜としている…

カルカッタの黒い穴事件」というサイトには、この事件の顛末がより詳しく紹介されている。23名の生存者で唯一の女性は、同じく捕虜となった将校の新妻だった。夫が捕虜となった時、彼女は離れるのを拒み“黒い穴”に入ることを希望、夫婦で収容されたそうだ。夫はこの穴での犠牲者となったが、生き残った妻は美人のため、太守の後宮に入れられる羽目になったという。

 太守ウッダウラが何故カルカッタを攻撃したのか理由は不明だが、イギリス東インド会社は早くからベンガル地方に目を付けており、既に1651年、この地方に最初の商館を設置している。この地方はインド最大の綿・絹製品の産地であり、インディゴ(藍)、アヘン、硝石などの集散地でもあったので、この地の支配圏獲得ははかり知れない意味があった。まず、会社はベンガル地方で会社の取り扱い商品を自由に流通させる権利を得る。しかし、これはベンガル太守の財政を圧迫した。

 このサイトの後日談は実に興味深い。生存者の証言からイギリス世論は沸騰、プラッシーの戦いでの勝利で、ベンガルに支配権を確立、徴収権も獲得し、イギリスがインド全土を支配する基礎を固めた。だが、この事件から159年後の1915年、実際に収容された兵士は70人、うち死亡したのが45人であることが判明したそうだ。さらにカルカッタの“黒い穴”のサイズは、幅7.3m、奥行き5.5mだったことも、同時に分った。一夜で45人が死亡したので惨事なのは確かでも、死者の数や“黒い穴”の規模が違いすぎる。サイト管理人は、これを「当時のイギリス国家が国民を奮い立たせるために流した、“大げさにでっちあげた報道”だったのではないだろうか」と推測されているが、私も全く同感だ。真相が判明したとされる1915年の発表も、果たしてそれが真実と言えるのだろうか?

 1915年は第一次大戦中で、当然インド兵もイギリス側に参戦しており、何故この時期に“真相”が判明したのだろう?この衝撃的な事件は、私の持っている本を含め未だ「死亡者数123名」と記載されている。第一次大戦時も全ての参戦国が凄まじい虚偽報道を振りまいた。インド初代首相ネルーはこれを、「嘘とでっち上げではイギリスが優等賞に値する」と非難しているが、嘘とでっち上げは情報戦の基本でもある。そして戦時の残虐行為の殆どは敗者側が特筆され、勝者のそれは忘れ去られがちだ。「黒い穴事件」のような猟奇的出来事は、無関係の日本人にも知られているのに対し、イギリス支配が確立された1770年、人口の25%が餓死したとされるベンガル大飢饉はインド史に関心のある人以外、一般に知られていない。

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