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トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

女法王ジョヴァンナ その三

2015-11-30 21:10:14 | 読書/欧米史

その一その二の続き
 フルメンツィオは既に約束の場で待っており、傍の木にはロバが繋がれていた。2人はロバに乗って、夜道を一晩中進む。夜が明けた頃、パンと共にフルメンツィオは持参してきた修道士の服を見せ、恋人にこれに着換える様に云う。修道士の服、つまり男の服を着ることにジョヴァンナは激しく首を振る。聖書では、“女は男の着物を身に着けてはならない。男は女の着物を着てはならない(申命記22:5)”と言っている、というのがその理由だった。
 21世紀は不明だが、70年代になっても教会によっては、パンタロンをはいた女が入るのを禁止している所もあったという。これだけでもキリスト教圏が、如何に男装女装に厳しいかが知れよう。

 だが、フルメンツィオは尚も考えを変えない。これから自分の属する僧院に行くつもりだが、貴女を一目見れば僧院では尼僧院へと送り返し、我々を別れ別れにしてしまう。貴女と別れて生きねばならないなら、死んだ方がマシだ。でも、貴女が男装して修道士を装えば、私たち2人は同じ場所に住めるし、筆写の仕事も2人でやれる。2人が近くで住むには、これしか道がない、と説得した。
 現代人の読者ならば、修道院などさっさと出て俗人として結婚、2人で生きていけばよい…と思うだろう。しかし、当時は階級の上下問わず、あらゆる人を迎え入れ、衣食住をちょっとした仕事の代償に与えてくれるような便利な機関は、修道院の外なかった。それに幼い頃からその世界で育った2人にとって、修道院こそが最も親しく、それから完全に離れてしまうなど考えられないことだった。

 こうしてジョヴァンナはついに男装を決意する。この時は予想も出来なかったが、彼女はその後の人生をずっと男装で過ごすことになる。ひだの多い袋のような修道士の服は、女の体型を隠すのに役立つ。目指す僧院に着いたジョヴァンナは、ここでベネディクト派の修道士ジョヴァンニとなった。
 ジョヴァンナはフルメンツィオのすぐ隣の部屋が与えられ、日中も2人で仕事をする日が7年も続いた。このまま事が起きなければ、彼等2人の人生は終わっていたかもしれない。ところが、ある1人の修道士の不眠が2人の平和を壊してしまう。

 広い修道院の隅には、殆ど人の行かない古い礼拝堂の廃墟があり、7年間ここを2人は逢引の場にしていたが、眠れぬ夜を持て余していた不眠症の修道士は、この廃墟へさ迷いこんでしまう。彼はそこで乳房がのぞくジョヴァンナの寝姿を目撃する。
 物音に気付いたフルメンツィオは、侵入者を撃退したが、もはや修道院にはいられないことは2人とも理解した。恋人たちは修道院を脱出、ロバもない逃避行を続けることになる。フランク王国は王族による争いで乱世の時代が始まり、乱世には施しをしてくれる人が少なくなるのだ。2人はドイツから南下してスイスに入るがここも居づらく、次はフランスに行く。フランスも戦乱で乱れていたが、2人は何とかマルセイユまで行くことが出来た。

 マルセイユで初めて海を見たジョヴァンナはフルメンツィオ。しかも広い地中海だから、普通はそこに乗り出すには躊躇いがあるはず。しかし、中世のヒッピーでもあった彼らはたちまち海へ出てみようという意見で一致した。ちょうど港にはヴェネツィアのガレー船が一隻停泊していて、2人はそれに乗船、ギリシアのアテネに向かう。聖職者には乗船料は求められない時代であった。
 念願のアテネに着いた2人は、現代の観光客とは違いアクロポリスには直行せず、真っ先に町で最も大きな教会に行きミサに参列した。これまでの旅の無事への感謝と、この町での衣と食の保証を神に願うためだ。アテネにもベネディクト派の僧院があり、後者の願いは間もなく実現する。

 北ヨーロッパから来た恋人たちは、アテネの町の豊かさや数多く残る古代の遺跡に魅了された。9世紀のアテネはビザンツ帝国の都市であり、フランク王国よりもずっと繁栄していた。
 2人は北方から来た聖職者ということもあり、ギリシア正教の僧侶は関心を寄せた。ギリシア正教の修道士たちは自分たちの宗教とローマ・カトリックの教義の違いについて、議論を挑んできたが、ジョヴァンナは中々に理屈の通る答えをして、高徳のギリシア僧を感心させる。

 アテネに来たジョヴァンナとフルメンツィオの食と住を、ベネディクト派僧院が引き受けた。その間、ジョヴァンナはこの地に花開いた文化を学ぶことに費やす。さらに親切な僧院の修道士は2人が修行に専念出来るよう、アテネ郊外の小さな庵を使えるように取り計らう。この2人きりの庵で、ジョヴァンナは古代ギリシアの哲学者の書物を読み漁るようになった。
 この庵には修道士たちがしばしば訪れ、ジョヴァンナは訪問客を歓迎、彼らと話すのを好んだ。北国から来た若い僧ジョヴァンニの人並み外れた知性と深い教理上の知識、美しさがアテネ中の評判になるまで、さほど時間は要しなかった。しかし、これがフルメンツィオとの決定的な亀裂と破局の元になっていく。
その四に続く

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