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英国貴族の爵位売ります その二

2014-03-08 20:40:19 | 読書/欧米史

その一の続き
 1916年から1922年までのロイド・ジョージ内閣で、実に94人の貴族が誕生しており、これはそれまでの2倍以上という。さらに1,500人がナイトの称号を与えられた。それまでの20倍らしい。ロイド・ジョージは貴族やナイトを粗製乱造し、その謝礼で稼いでいるという噂が流れた。当時ナイトには1万ドル、貴族には5万ドル以上払うのが相場と言われた。
 爵位のリストは首相が選び、国王が承認する形式である。1922年、次の選挙資金のため、ロイド・ジョージは貴族26、バロネット(準男爵)74、ナイト294というリストを提出した。さすがにジョージ5世もこれは多すぎると不満だったらしいが、首相に押し切られてしまう。

 これほど多くの爵位が与えられれば、怪しい人物もいたのは当然なのだ。例えば精肉業者のサー・ウィリアム・ヴェスティは、大戦中に無償で冷蔵設備を戦場に提供した功績、とされていたが、実際はたっぷり支払いは受けていた。しかも彼は精肉会社をアルゼンチンに移し、税金を逃れていたという。
 また、サー・サミュエル・ウェアリングは大戦中に武器産業との契約で荒稼ぎをしていた。さらに詐欺で有罪となったサー・ジョセフ・ロビンソンも叙爵されている。発覚していないだけで、他にも爵位に相応しくない輩もいただろう。

 それらのスキャンダルを嗅ぎつけた新聞が騒ぎ出した。国王の不満、保守党が離脱したことなどが重なり、爵位乱売問題が一挙に噴出、ロイド・ジョージは首相の座を投げ出したのが真相のようだ。このスキャンダルは内閣を倒す引き金になったのだ。考えてみれば、希土戦争の動向や勝敗は特に英国政治を左右するものではない。
 さらにロイド・ジョージ以降、爵位の売買が禁止されるどころか続いていたようで、それを斡旋する業者が繁昌していたという。彼自身も没年の1945年、連合王国貴族として爵位が与えられた。

 以上の話からロイド・ジョージは大変な汚職政治家と思った方もいるだろうが、1960年以降の研究では擁護的な見方をする者も出てきたという。ロイド・ジョージは爵位売買で集めた金の多くを自由党の選挙資金、又は彼の政策研究のために使用しており、彼の私生活自体は極めて質素だった、私利私欲でやっていたわけではない等々。
 ロイド・ジョージは単に私利私欲だけで爵位売買をしていた訳ではなかったにせよ、選挙資金に爵位を利用するというのがいかにも英国らしい。貴族制度のない国ならば、このような選挙資金工作をすることもなかった。

 英国貴族といえば、代々広大な館に住んで豪勢な暮らしをしているといったイメージが一般にある。第一次世界大戦後、それまでの地主貴族に代わり、実業家出身の貴族が台頭してきた現象は興味深い。起業家の成功者が貴族になれる時代になったということだが、背景には産業革命や資本主義の発展があるはず。かつて英国は海賊にも爵位を与えたこともあったし、英国貴族も時代によって条件が異なってくるようだ。いずれにせよ、ロイド・ジョージの爵位売買は成金新興貴族を量産したのは確かである。

 私生活は質素だったと言われるロイド・ジョージだが、女性関係は派手だったことがwikiに載っている。名士の娘との結婚後も浮気を繰り返し、それに耐えかねた妻は一時期別居する。その間、ロイド・ジョージは公然と愛人と同棲生活を送っていたという。後に夫婦は同居に戻るものの、夫の浮気癖は治まらず、1919年からは末娘の家庭教師と愛人関係となった。妻と死別したロイド・ジョージはその2年後、件の家庭教師と再婚している。不倫問題が発覚するやバッシングされる現代と違い、その頃の政治家の浮気はあまり問題にならなかったのやら。

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6 コメント

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ロイド・ジョージとスパイたち (室長)
2014-03-09 11:50:06
こんにちは、
 ちょうど同じ作者の『スパイの歴史』を読んでいて、ロイド・ジョージが男爵位を5万ポンドで売っていたこと、ジョージ5世国王が、数多い叙勲数に不満を持っていたことなども書かれていました。もちろん、自由党の選挙資金稼ぎですが、この叙勲売買を仲介していたのはモーンディ・グレゴリーという俳優崩れの人物だったという。

 グレゴリーは、牧師の子息で役者になり、芝居興行をしたが失敗して借金を背負ったが、巨大な武器商人ザハロフと知り合い、資金援助を受けて探偵社を設立し、情報機関として成功したという。

 死の商人ザハロフとは、サー・ベイジル・ザハロフで、ギリシャ生まれのギリシャ人、或はオデッサ生まれのユダヤ系ロシア人と二つの説があるが、出生は不明であるという。イスタンブールで売春宿のポン引きをして育ち、その後武器商人となったという。

(小生注:オデッサは、ロシア商人らと同時に、ギリシャ商人、ギリシャ商人と呼ばれたものの、実態はブルガリア人商人、セルビア人商人達も活躍した黒海沿岸貿易の拠点都市。小生がよく物資調達に行ったギリシャ北部のテッサロニキ市には、オデッサから亡命したロシア人、ギリシャ人などが多く暮らしていた。彼らとは、ロシア語とブルガリア語で、かなりの程度会話が可能だった。)

 武器商人としてのザハロフ(注:ちなみに、Zaharとはスラヴ語で砂糖の意味)は、英国の武器製造業企業ヴィカーズ社の代理人となった。ザハロフは、武器商人として武器を売ることを最大の使命として、パリに「ル・ビュロー・ザハロフ」という、私的な諜報機関を設立し、自らも英、独、仏、露の政財界の大物と交際して、機密情報をやり取りしたという。第一次大戦に関しても、ザハロフ自身の思惑で、各国の政治家に働き掛け、操作して、戦争がより長引き、より多く武器が売れるように、工夫したというからものすごい人物だ。

 1916年ロイド・ジョージが首相となると、ザハロフはロイド・ジョージに近づいて側近となったという。ザがもたらす機密情報は、ロイド・ジョージにとっても役立ったし、英国の上流社会にザをもぐりこませて、情報を集めさせると同時に、警察にはザの動きを監視させたという(相互に利用しあったということ)。

 特にザハロフは、これからは石油が重要だということ、武器の面でも、潜水艦、飛行機、長距離砲が発達するとか先見的な見方を持っていたほか、主要国の戦略機密情報を、陸海軍情報機関より先にキャッチしてロイド・ジョージに提供できたという。

 また、ザハロフとロイド・ジョージの間を仲介したのも、上記のグレゴリーだという。

 なお、グレゴリーの設立した探偵社は、警視庁のベイジル・トムソン、MI5のヴァーノン・ケルの下請けとしても活躍したという。

 更には、ザハロフはアジャンス・ラジオというラジオ局を使って戦争宣伝をしており、グレゴリーはこのラジオ局の顧問として、俳優としての経験を活かして、宣伝工作放送面でも助言したという。このラジオ局は、ギリャの中立政策を攻撃し、参戦反対派のコンスタンチン国王の立場を弱め、参戦論者のヴェニゼロス元首相を援護したし、また、ザはヴェに直接資金援助もしたという。結果として、ヴェニゼロスは国王を追放し、政権を樹立して、ギリシャが第一次大戦に参戦することとなったという。もちろんギリシャ軍の武器はザハロフが供給することとなったという。
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RE:ロイド・ジョージとスパイたち (mugi)
2014-03-09 21:44:10
>こんばんは、室長さん。

 海野氏には『スパイの世界史』という著作もありました。私はまだ未読ですが、こちらも面白そうですね。記事にした作品では、叙勲売買を仲介していた人物のことは書かれていませんでした。武器商人が政治家に接近するのは当然にせよ、俳優崩れの人物も暗躍していたとは興味深いです。武器商人から資金援助を受けて探偵社を設立、情報機関として成功したというのもスゴイ。
 この探偵社は警視庁やMI5の下請けとしても活躍したそうで、海賊をフル活用して世界最強の海軍国にのし上がった過去と重なります。

 そして武器商人ザハロフも、前身はイスタンブールで売春宿のポン引きだったというのも小説以上のお話です。彼自身も私的な諜報機関を設立、欧州の政財界の大物との間にネットワークを築いた。武器が売れるように戦争をより長引かせる工作をしていたのだから、まさに死の商人ですね。
 ロイド・ジョージもザハロフを全面信用したのではなく、わざと上流社会に潜り込ませ情報収集する一方、警察には彼の動きを監視させる…これだから英国の指導者は恐ろしい。

 第一次大戦や希土戦争の陰には、ザハロフやグレゴリーのような人物がいた訳ですね。表面に見えているのは政治家や軍人たちですが、実際にはこのような武器商人が世界を動かしているのかも。
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俳優とスパイ (室長)
2014-03-10 12:20:56
こんにちは、
 書き忘れましたが、海野氏によれば、役者、俳優というのは、「役」を装うプロですから、スパイとしては最良の資質を持つようです。
 探偵社というのも、考えてみれば、どこからどういう資金援助を得ようと、調査依頼があって、調査費を貰ったと主張すれば済むから、税務対策は楽で、資金洗浄にも格好の隠れ蓑かもしれません。ザハロフが、賄賂工作するにも、この探偵社を経由させれば、資金の手渡しも簡単かも。

 ともかく、ロイド・ジョージに近づいたのも、グレゴリー経由だったらしいけど、ザハロフという怪物の死の商人は、英、独、露、仏のどの国にも伝手を持っていたようで、全ては武器売買のため・・・・恐ろしい人物です。小生は、ザハロフは、ユダヤ系ロシア人ではないか?と思う。自由化直後から、ユダヤ系ロシア人は、さっさとイスラエル、米国などに移民するとか、或はロシアの中でマフィアとして闇経済に従事するなど、素早く適応しました。
 言語能力でも、数か国語は当たり前、しかもユダヤ系のネットワークで資金調達できるし、黒海沿岸のたくましい商人たちの血液は、オデッサ商人の伝統というか。
 東側の対岸には、クリミア・タタールなどオスマン系の商人がいるし、オデッサには「ギリシャ商人」たちがたむろして、南のイスタンブール、或は西方の、西欧の独、墺などとの通商路も開けていた・・・・ロマンチックな雰囲気が漂うというのが、小生のオデッサへの憧れ。一度も旅しなかったのが残念。キエフは訪れたことがあるのですが。
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RE:俳優とスパイ (mugi)
2014-03-10 22:12:38
>こんばんは、室長さん。

 タイトルは忘れましたが、裏では情報機関の殺し屋もやる女優が登場する小説を見たことがあります。確かジャック・ヒギンズの作品だったと思いますが、読んだ時は少し無理がある設定と感じました。しかし、「役」を装うプロならば、決して小説特有のお話とばかりとは限らないかもしれませんね。この女優は優れた演技力があり、何食わぬ顔で殺人もこなすのです。性格異常もあるでしょうけど。

 ザハロフという武器商人は本当の怪物ですね。ギリシア商人も強かですが、貴方も憶測されたように私もユダヤ人のように感じました。ユダヤ系ならばギリシア人よりも世界中に広いネットワークを築いているはず。

 オデッサ商人とは初めて聞きました。クリミア・タタール人も商売が上手かったのですか??クリミア・タタール人といえば、スターリンの強制移住で辛酸をなめたイメージしかありませんが、黒海沿岸で逞しく商売にも励んでいたのですか。今はキエフも揺れているでしょうね。
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タタール商人? (室長)
2014-03-11 10:23:29
こんにちは、
 小生のロマンチックな妄想でうっかり「クリミア・タタール商人」が活躍していたように筆が滑りました。
 wikiのCrimean Tatar(英文)の項でざっと読んでみると、クリミア・ハーン国は、18世紀までは、北のウクライナ、ロシア、時にはポーランド、ベラルーシにまで軍隊を派遣して、現地人を捕獲し、主として「奴隷」として、オスマン帝国、中東などに売りさばくことで儲けていたという。
 すなわち、国家ぐるみで「奴隷商売」をしていた・・・これがクリミア・タタール人の最大の商売のタネだったようです。
 18世紀頃には、逆にウクライナ、ロシア側からも、スラヴ系遊牧軍団=コサックたちがクリミア半島を襲い、略奪するようになったという。お互い様同士となったらしい。
  もっとも、タタールの原住民としてギリシャ系、イタリア系などのクリミア系の血液も入っているというから、タタール商人もいたとは思うけど。
 まあ、オデッサには、ロシア人、ウクライナ人のほかに、東欧と、オスマン帝国支配下のギリシャ商人(ブル人、セルビア人商人も含む)が集まっていたことは知っているけど、特にユダヤ商人も多くいたらしいけど、タタール商人がいたかどうかは、小生もよく知らない。
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RE:タタール商人? (mugi)
2014-03-11 22:33:01
>こんばんは、室長さん。

 日本語版wikiの「クリミア・タタール人」にも、「15世紀から18世紀にかけてほぼ毎年、リトアニア大公国とポーランド王国の支配下に置かれたウクライナへ来襲し、ウクライナ人の奴隷狩りを行った」ことが載っています。露土戦争の結果、クリミアはロシア帝国に併合されたとか。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BA%BA

 現代の倫理では奴隷狩りは許されない行為ですが、かつてはそれが当たり前だったし、キリスト教国も盛んに黒人を奴隷狩りにしていました。異教徒は奴隷対象の時代です。
 タタール人と聞くと、ついモンゴロイドの容貌を想像してしまいますが、クリミア・タタール人はかなり混血を重ねているし、既に欧州人の顔立ちなのでしょうね。 
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