今日は不世出のロック・ヴォーカリスト、フレディ・マーキュリー没後28年目となる。昨年公開された映画ボヘミアン・ラプソディの大ヒットで再びクイーンが脚光を浴び、新たなファンが続出したのはオールドファンには大変喜ばしい。ネット上でも新ファンによるツイッターが続々と立ち上げられ、見事なイラストがアップされているのも多いため見ているだけで楽しい。
新聞雑誌やТVも総力を上げて特集、オールドメディア側も強力な後押しをしていた。しかし音楽特集ばかりとは限らず、LGBT啓蒙活動に利用する向きも見られた。岩崎賢一なる朝日新聞記者の「「フレディは幸せだった?」クイーン映画の問い 移民・差別・家族…」等の駄記事が典型で、フレディが幸せでなかったのは、移民や性的少数派への無理解のためだったという世論誘導があからさまである。
新聞雑誌やТVも総力を上げて特集、オールドメディア側も強力な後押しをしていた。しかし音楽特集ばかりとは限らず、LGBT啓蒙活動に利用する向きも見られた。岩崎賢一なる朝日新聞記者の「「フレディは幸せだった?」クイーン映画の問い 移民・差別・家族…」等の駄記事が典型で、フレディが幸せでなかったのは、移民や性的少数派への無理解のためだったという世論誘導があからさまである。
派手な生活を満喫しつつ、フレディが孤独になっていったことは一ファンの私も否定しない。だが、パールシーという出自やゲイ(※異性との付き合いもあったため、正確にはバイセクシャルだが)という属性だけが孤独の要因だったとは思えない。移民のゲイでもさして孤独ではない人もいるし、生粋の英国人で異性愛者のスーパースターでも孤独を感じている者もいる。
そこでフレディの命日ということもあり、フレディはなぜ孤独だったのか、一ファンの私見を述べてみたい。
生前のフレディは決してパールシとは言わず、単に“ペルシア人”と称していたことは知られている。音楽雑誌でも出自には触れず、母はペルシア系、英国とペルシアのハーフとまで書いていたFM雑誌まであった。フレディの容貌だけでも非アングロサクソンなのは一目瞭然だし、私も英国とペルシアのハーフ説を何となく信じていたものだった。
彼の出自が一般に知られるようになったのは、その死後だろう。葬儀自体がゾロアスター教に則り行われ、それでパールシーであったことを初めて知った人も多かったはず。クリスチャンではなかったことに驚いたファンもいたかもしれない。
公式だけでなくフレディはバンドメンバーや暮らしを共にしているパートナー、個人秘書にさえもインド時代のことは殆ど語らなかったという。本名を名乗っていた他のバンドメンバーと異なり、唯一フレディー・マーキュリーという芸名を使い、生涯に亘って出自を隠し通したのだ。
この理由は伝記作家や私も含めたファンにとっても、永遠の謎となってしまった。考えられる理由は主に三つあり、1.出自を恥じていた2.ロックスターという職業柄、デビューした'70年代は社会が第三世界出身を受け入れ難かったこと3.マスコミの詮索からから家族を守るため等がある。少数民族のルーツは芸能界でマイナスにならず、むしろそれで売る現代とは違っていたのだ。
同じインド系移民でもヒンドゥー教徒やムスリムは本国のみならず全世界で膨大な信徒がいるが、パールシーはあまりにも少数派なのだ。それに引け目を感じたとしても無理はない。尤も極めて世俗的だったフレディは、キリスト教への改宗を考えたことはなかったと思う。
パールシーの著名人に世界的クラシック指揮者ズービン・メータがいるが、フレディより十歳年長のメータは出自を全く隠していない。異性愛者でムンバイ出身のメータはパールシーの中でも多数派であり、海外でも隠す必要はなかったのだ。対照的に生まれはザンジバル島、多数の同性と交渉のあったフレディはパールシーの異端者といっても過言ではない。
ただ、自らのルーツを隠ぺいしたことは相当な重圧だったろうし、文化的背景を切り捨てて異郷で生きていくのは孤独に陥るのは目に見えている。伝記『フレディ・マーキュリー/孤独な道化』(ヤマハミュージック)には、学生時代に仲の良かった友人がフレディに会うため、クイーンのバックステージに行った話が載っている(62頁)。フレディはこの人物に、「すまないけど君とは知り合いではないみたいだ」と言ったそうで、過去を完全に葬ったことが伺えよう。英国在住のパールシーとの付き合いも殆どなかったと思う。
朝日新聞記者風に解釈すれば、移民や性的少数派に非寛容な社会と時代だった故、孤独で不幸だったとなるが、私は不幸だったとは思わない。孤独だったのは属性もあるが、出自を隠ぺいしてフレディ・マーキュリーとして生きたことが最大の原因だと見ている。孤独はその代償だった。
それでも最後にはパートナーに看取られてこの世を去ったし、「孤独死」にならずに済んだ。フレディを看取ったジム・ハットンの伝記には多くのゲイの男たちが孤独に死んでいくことに怯える話が載っており、フレディもジムも同じ恐れを持っていたという。幸いにしてフレディはそうはならなかった。
現代はフレディの生きた時代より移民や性的少数派に寛容になり、同性婚も認められるようになった。しかし孤独で不幸な人は絶えない。恋愛は異性間でもややこしいが、同性愛もまた複雑なのはフレディの恋愛遍歴が見本なのだ。
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