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アヘン戦争の舞台裏 その①

2019-08-16 21:40:07 | 歴史諸随想

 当事国ではなく領土が戦場となった訳でもないが、日本に極めて深刻な影響を与えたのがアヘン戦争だった。この戦で古代から東アジアや東南アジア諸国に覇権大国として振る舞っていた中国(当時は清朝)は英国に完敗、威信は地に堕ち、中国の実態を晒す羽目になる。中国の敗戦と惨状は日本にも早々に伝わり、幕府はもとより支配層や知識人への衝撃は計り知れなかった。
 但し現代から見れば、日本も含めアジア諸国が近代国家に生まれ変わるきっかけとなった戦争だったと言える。アヘン戦争がなければ東アジア圏は少なくとも半世紀は冊封制度が続き、日本の鎖国も同じくらい存続していたことだろう。ちなみに清代にインド以東では、ムガル帝国と日本のみが冊封体制に入っていなかった。

 歴史の授業だと、江戸時代の日本は「鎖国」をしていたと散々叩き込まれるが、これは日本特有の事情ではなく、中国朝鮮も「海禁制作」があり、領民の私的な海外渡航や海上貿易を厳しく禁止していた。“海禁”は既に代からあり、これが日本の「鎖国」に影響したのは想像に難くない。
 中国王朝の場合、通商は国家による対外交流独占政策であり、朝貢外交が原則だった。朝貢国には朝鮮や東南アジア諸国だけではなくイスラム国もあったという。外交使節は中国皇帝の前で三跪九叩頭の礼を強いられるのが東・東南アジアの「国際常識」であり、中華思想からも対等の交渉など論外だったのだ。

 しかし、中華の“常識”も欧州には通じなかった。英国から初の外交使節として中国に派遣されたマカートニーの故事は実に興味深く、アヘン戦争の要因のひとつともなっていく。マカートニーは1793年9月、中国皇帝・乾隆帝に謁見するが、この時も中国側は朝貢使節団と見なし、当然マカートニーに三跪九叩頭の礼を命じる。
 誇り高き英国貴族マカートニーはこれを拒絶、wikiには「最終的には清側が譲歩する形で、イギリス流に膝を屈して乾隆帝の手に接吻することで落ち着いた」と解説されているが、これは妙だ。あの絶頂期の清が辺境の島国に譲歩することなど考えられず、礼儀作法も知らぬ野蛮国使節ゆえ、鷹揚な姿勢を取ったと思える。

 さらに乾隆帝は英国王ジョージ3世に返書している。インド初代首相ネルーは、著作『父が子に語る世界歴史』(みすず書房)第3巻で件の返書を載せており、そこから一部引用したい。

ああ汝国王よ、汝ははるかに七洋を隔てた辺鄙の国に住みながら、わが文明の恩恵に与ろうとする感心な心がけから、恭しく使者を遣わし汝の外交文書を持参させた。・・・汝の敬意を表するためにさらに汝の国に産する貢物を送ったこられた。朕は汝の文書を閲覧するに汝の称賛すべき恭順の誠意が文中に自ずから滲み出ている。・・・
 朕が広大無辺の世界を統御するは、何よりも努めて治安を全うし国務を怠りなく遂行せんがためである。異国の珍宝の類に至っては、さらに朕の欲するところではない。朕は・・・さらに汝の土産の製品を必要としない。・・・朕は汝に諭さんとす。おお、国王よ、汝はよく朕の意を体し将来ますます忠勤を励み、永くわが帝位を敬い、そして従い、もって汝の国の平和と繁栄を保つがよい。・・・おののきて従い、過失なきように!

 文面には鼻持ちならぬ中華思想が如実に表れており、三跪九叩頭の礼の強要と合わせ、英国側の憤怒と敵愾心を買うことになる。歴代中国皇帝の中で最大の名君とされる乾隆帝でも文字の獄を行っており、この思想弾圧の激しさに比べればナチスのそれなど大したことはない。
 一方、マカートニーも『中国訪問使節日記』(平凡社社東洋文庫)を遺しており、それを紹介しているサイトがある。以下は私的に驚いた箇所。
中国人は航海術について並み外れて無知であるために、海岸でしばしば難破して行方不明になる
[北京の]街路はどれも舗装されていない。したがって、雨が降れば泥んこになり、晴れた日には、どこもかしこも、何もかも埃をかぶって不愉快この上もない。しかし、我慢のできないほど街路を不快なものにするのはその悪臭である。毎朝早く、前の晩からのごみや汚物を十分注意して始末しているにもかかわらず、悪臭はほとんど終日漂いつづけている

 次の辛辣極まる箇所は歴史本によく引用されている。
中華帝国は有能で油断のない運転士がつづいたおかげで過去百五十年間どうやら無事に浮かんできて、大きな図体と外観だけにものを言わせ、近隣諸国をなんとか畏怖させてきた、古びてボロボロに痛んだ戦闘艦に等しい。
 しかし、ひとたび無能な人間が甲板に立って指揮をとることになれば、必ずや艦の規律は緩み、安全は失われる。艦はすぐには沈没しないで、しばらくは難破船として漂流するかもしれない。しかし、やがて岸にぶつけて粉微塵に砕けるであろう。この船をもとの船底の上に再び造り直すことは絶対に不可能である

 乾隆帝が英国使節と謁見して49年後、清朝はアヘン戦争で大敗、マカートニーの予測は見事なまでに的中する。敗戦後、中国皇帝は先の乾隆帝の返書とは一転する丁重な親書を英国女王ヴィクトリアに送るも、英国側からの返書はなかった。
その②に続く

◆関連記事:「異教徒から見た儒教
中華コンプレックス
中国幻想を抱き続けたインド政治家

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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マカートニー (スポンジ頭)
2019-08-17 10:33:56
 おはようございます。

 以前豊田有恒のジュブナイルでマカートニーを暗殺しようとする中国系の未来人が登場する話を読んだことがありますが、その話でマカートニーは清朝を誹謗した人物扱いでした。でも、リンク先の紀行文を読む限り、意外に中立な内容ですね。当時の欧州のインフラや身分間の貧富の差もどうかと思いますが、国力を伸長させる欧州と、停滞した清朝なら清朝の方が酷かったと言う事でしょうか。

 実はロビンソン・クルーソーでも第二部として清を旅する話がありますが、ここでも役人は尊大で無能、食べ物は不快、と、とにかく批判されているのです。ロビンソン・クルーソーの方が早い時期に出版されていますが、中国が遅れているとするマカートニーとの共通点は面白いところです。すでにデフォーの時代だと民間レベルではそんな話が入ってきていたのでしょうか。

 個人的には清の役人や知識階級にでも、ヴェルサイユ宮殿やシェーンブルン宮殿でも見てもらい、紀行文を記して欲しいところです。ベトナムは王子がフランスに来ていたのに。

>朕は・・・さらに汝の土産の製品を必要としない。

 紅楼夢を読むと、貴族の邸宅に時計や天使の描かれた小箱があるのですが、このようなものを見ても何も思わなかったのかといささか不思議です。航海術にしても鄭和の大航海があるのに、すっかり技術が停滞したようですね。
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Re:マカートニー (mugi)
2019-08-17 22:43:49
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 豊田有恒のジュブナイルは未読ですが、マカートニーの記録を見る限り、単なる東洋蔑視による誹謗とは思えません。リンク先ではこのように結んでおり、冷静さが伺えます。
「地球上のどの国へ行っても、イギリス人は自分の方が優秀だという意識があるので、ともすれば自惚れと、他人に対する侮蔑感をあえて隠そうとしない。世界でも最も虚栄心が強い国民の一つであり、また少なからず俊敏である中国人が、われわれのこの欠点に気づかず無神経でいるはずがない。中国人がこの欠点を見て平然としていられず、嫌悪を感じるということは当然ではなかろうか」

 ロビンソン・クルーソーでも清は低評価でしたか。役人は尊大で無能なのはともかく、あの中国料理が不快??ふと1764年に来日した朝鮮通信使、金仁謙の記録を思い出しました。北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。江戸は全てが大阪や京都より3倍は優っているのだから、この時点で北京は完全に負けています。

 ベトナムの王子が訪仏していたとは知りませんでした。清の役人や知識階級が欧州訪問をしていたら、紀行文にはどう描かれているのでしょうね。
 鄭和の航海は有名なのに、マカートニーの記録は驚きました。大航海は鄭和がムスリムだったことも影響していたのやら。
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マカートニー その2 (スポンジ頭)
2019-08-17 23:31:43
 そのジュブナイルだと朝貢扱いされたマカートニーがイギリスで清を誹謗する文書を書いたことになっていましたが、実際に読むと長所もきちんと記載しているので、中国人が読む分はともかく、外国人の日本人が見る分にはそこまで酷い内容とは思えないですね。ついでにそのジュブナイル、未来ではインドが非常に裕福な地域で、政府高官(地球で一国家となっていると言う設定)を多数輩出していることになっています。

 すでに記憶の彼方ですが、その中国料理というのは羊肉の切れっぱしが入ったチャーハンみたいなものでした。日本人が普通に食べるようなものではありませんでした。繁栄はある程度人口に比例すると思いますが、北京が大阪に負けているというのも不思議な気持ちです。ついでに、その第二部ではシベリアで少数民族の崇拝する像を焼き討ちして逃げたりしています。結構無茶をする話です。

 ところで、シャーロック・ホームズでもコカインをホームズが使う場面がありますけど、あの頃あの手のものはまだ一種の栄養ドリンクの扱いなんでしょうね。

 福建省とかあの辺りの人間は華僑として東南アジアに広がっていましたけど、それでも航海術が未熟と言うのが不思議です。西洋が異常に航海術を発展させたのでしょうか。これも自然科学の発達と無関係ではないはず。
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Re:マカートニー その2 (mugi)
2019-08-18 21:35:36
>スポンジ頭さん、

 ジュブナイルでは未来のインドは非常に裕福な地域で、政府高官を多数輩出しているという設定になっていたのですか。実際にどうなるかは誰も分りませんが、未来でもカースト制度は続いている?と思いました。中国が今後どうなるかも不明ですが、少なくとも中国式モデルは世界基準にはならないでしょう。

 世界の三大料理のイメージのある中国料理ですが、羊肉の切れっぱしが入ったチャーハンなら貧民の食事だったかも。一方18世紀半ばで既に江戸が世界最高水準の都市だったのは確かでしょう。
 そしてロビンソン・クルーソーでは、シベリアで少数民族の崇拝する像を焼き討ちして逃げる話があったのですか??異教の偶像破壊ではムスリムと変わりないですね。

 その②に牛蒡剣さんからのコメントを引用しましたが、当時アヘンは気軽に買える家庭用の痛みどめ常備薬兼精神安定剤扱いだったようです。アヘン戦争に反対したグラッドストンさえコーヒーにアヘンを一つまみ入れて呑むことがあったとか。アヘンは第一次大戦頃まで英国では規制されてなかったから驚きます。

 福建人ならば航海術に長けていると思いきや、そうでもなかったのは意外でした。倭寇と結託して密貿易を行う福建人が多かったそうですが、近距離航海が関の山だったのやら。西洋人以前にイスラム商人も来ていたのに不思議です。
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