トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

ルイ16世について想うこと その②

2018-01-22 22:10:37 | 読書/欧米史

その①の続き
 続けてさらに2017-12-23付のスポンジ頭さんのコメントには、次の一文があるのだ。
さらに、例の手術の話ですが、全く裏付けが取れないのだと近頃知りまして、逆に、どうして手術の話が自明の理となったのか、と思いました。ヨーゼフ二世が説得したことになっていますが、彼の手紙では手術の話など出てきません。「二人のやる気の無さ」を原因としているのです。一体何が何やら

 何とルイ16世の例の手術の話は、全く裏付けが取れなかった??ツヴァイクの伝記どおりにベルばらにはこんな解説がある。
「ルイ16世の肉体的な欠陥のために、国王夫妻はまだ完全な夫婦としてむすばれてはおらず、したがって、いまだに少女のままでいるマリー・アントワネットに子どもをのぞむことはできなかった」
 結婚数年後も娘夫婦に子供が生まれないことを心配したマリア・テレジアが、息子ヨーゼフ2世を遣わして説得、手術を受けさせたことをツヴァイクは描いている。wikiにもヨーゼフ2世が「新婚夫妻の元に遣わされ、夫妻それぞれの相談に応じ、ルイ16世は先天的性不能の治療を受けた」と解説されている。

 スポンジ頭さんは2017-12-29付で続けてコメントしている。
執刀医も日時も不明です。確かによく考えると、その手の話は一切出てこなかったですよね。オーストリア大使のメルシー(この人は細かいスパイ網を持っています)も現状追認、あの、スペイン大使も同様でしたし

 私の本棚にあるツヴァイクの『マリー・アントワネット』は、初版が1975年12月の河出書房新社の単行本で翻訳は関楠生氏なのだ。改めて本に目を通したが、「寝室の秘密」という章ではルイ16世夫妻の7年間の不毛な性的生活が描かれている。祖父ルイ15世に厳しく問い詰められ、ルイ16世がフランス宮廷の侍医ラソーヌによる診察を受けた結果、彼の不能症は精神的なものではなく、「ちょっとした器官上の欠陥(包皮)に基づくものであることが明らかになった」。
 この件で最も熱心だったのはスペイン大使で、大使の秘密報告には詳細な器官上の欠陥が述べられており、それで外科医を呼んで手術を行わせるかどうか、会議に会議が重ねられたことが記されている。母に宛てた1775年のアントワネットも手紙での、「ちょっとした手術を受ける決心をつけさせようと苦心しております」という一文が載っていた。

 だが、肝心の手術が何時行われたのか、執刀医の名も著作には記されていないのだ!もしフランス国王がその種の手術を受けたとすれば、各国のスパイを兼ねた外交官が知らないはずがない。こうなると、ツヴァイクは何を根拠に手術説を書いたのだろう?
 ただ、手術を受けたか否かは、本当は重要な問題ではない。結婚後7年間も子供が生まれなかったのは否定できない史実だし、王の不能はフランス宮廷はもちろん下町の庶民、他の欧州諸国の王族にまで知られ亘っていたのだった。ルイ15世のように多数の愛人や非嫡出子を持つ王も困り者だが、不能の王はさらに嘲笑され、権威を失墜させたのだ。
 アントワネットの不倫説もこれに端を発しており、夫に不満な若い妻が遊び歩き、複数の愛人を持つようになる……と醜聞が広がっていく。「寝室の秘密」で語られる文章は意味深だ。

一般に人がみとめようと思う以上に多くの世界史的事件が、寝室や帝王のベッドの天蓋のかげにその端を発している」(26頁)
こういうわけで、この場合、結婚生活上の障害の結果は、個人の運、不運、不幸を超えて、世界史にまでも及んでいるのである。王の権威の崩壊は、実際はバスチーユ監獄破壊に始まるのではなく、ヴェルサイユで始まったのだ」(32頁)
この寝室のエピソードただ一つが、どんな外的事件にもまして、内側から権威を打ちくだき、瓦解させたのである」(33頁)

 ルイ16世の不能症は夫婦関係を決定付け、妻の言いなりになる夫という構造が形成される。ツヴァイクはこれを厳しく描いている。
毎夜毎夜恥ずかしい思いをし、途方にくれて、こっけいな不能者の正体をさらしているのは、夜が明けたからといってどうして妻の前で亭主面ができようか。男性として無力だったために、ルイ16世は妻に対してまったく無防備のままだった。
 それどころか、彼の恥ずべき状態が長くつづけばつづくほど、彼はますますみじめに、完全な従属に、いや、隷属にすらおちいってしまったのである。妻は何なりと欲しいものを彼に要求でき、夫はそのたびにまったく無制限に譲歩しては、ひそかな責任感をつぐなった」(29頁)

 もしルイ16世がもっと早く真っ当な夫婦関係を結ぶことができたなら、フランスの歴史は違ったものになっていたのかもしれない。好色家というだけではあまり王は批判されないものなのだ。
その③に続く

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50 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re:スペイン大使のご尊顔 (mugi)
2022-07-04 22:05:04
>スポンジ頭さん、

 スペイン大使の紹介をありがとうございました!肖像画を見た印象では、しかつめた顔つきで、啓蒙思想の持ち主というよりも堅物の保守に見えます。晩年はゴドイとの権力闘争に敗れ、所領に引退したとは驚きました。
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スペイン大使のご尊顔 (スポンジ頭)
2022-07-03 14:09:29
 4年前の記事に貼り付けますが、この人が報告書を作成したスペイン大使です。偶然見つけましたが、ネットと言うものは本当に便利なものだと今更ながら思いました。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ペドロ・パブロ・アバルカ・イ・ボレア (第10代アランダ伯)

 当人は啓蒙思想の持ち主で、それに沿った改革もしたとの事です。ツヴァイクで読んだ際のイメージと少々異なりました。
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Re:ラソーヌとラ・マルテイニエール (mugi)
2021-02-06 22:06:34
>スポンジ頭さん、

 ラソーヌとラ・マルテイニエールは共に革命前に死去していましたね。もし生きていれば処刑対象だったかもしれません。

 王に仕えたほどだから、フランス最高水準の医師だったのは明らかですが、診察した結果は共に「異常なし」でしたか。マリア・テレジアが娘に責任がある、とは認めないのは当然でも、そうなると原因不明です。こうなると「二人のやる気の無さ」が直接の原因なのやら。

 国王がこの種の手術を受けるのは、大変なことです。秘密裏にしようとしても各国のスパイがうごめく中、隠しきれるものではないはず。本当にツヴァイクの話は謎としか言いようがありません。
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ラソーヌとラ・マルテイニエール (スポンジ頭)
2021-02-06 11:56:42
 ラソーヌの肖像画です。如何にもお医者さんと言った雰囲気で、日本にもいそうな雰囲気です。外国人が見ても医者に見えるのは重要なポイントかもしれません。侍医になる程ですから、社交性も抜群でしょう。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Joseph-Marie-Fran%C3%A7ois_de_Lassone

 しかし、最初にルイ・オーギュストを診察したのは、ラ・マルテイニエールと言う、ルイ十五世に仕えた外科医なのです。結論は「異常なし」。もちろん、マリア・テレジアは娘に責任がある、とは認めませんでした。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Germain_Pichault_de_La_Martini%C3%A8re

 ラソーヌも診察したのですが、それは国王になってからの事です。しかも、彼の結論も「異常なし」。他に国王になってから診察した医者もいたのですが、同様の結論です。

 ツヴァイクの話は時系列的にも結論としてもおかしいのですが、一体彼の情報源は何処なのでしょうか。ちなみに、マリー・アントワネットがマリア・テレジアと取り交わした手紙だと、手術話が出てくる上に、巷では「やっぱり手術が必要だ」、と言う国王を揶揄する歌があったと書き記されています。ツヴァイクが伝記を書く際、マリー・アントワネットの手紙を情報源としているのは確かなのですが。

 しかし、医者が否定しているのに、手術に関する会議が開かれるとはとても考えられません。
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Re:雑感 その3 (mugi)
2019-03-04 21:46:57
>スポンジ頭さん、

 タレイランがフーシェの忠誠の誓いの保証人を務めていたとは、スゴイ話ですね。さらに忠誠を誓う相手があのプロヴァンス。背徳三人組が一同に集う光景は、仰る通りフランス史上でも類を見ないかもしれません。タレイランもまもなくルイ18世に放逐され、「およそこの世で知る限り、きわめつきの嘘つき」「エゴイズム、鈍感、享楽家、恩知らず」と罵倒したことがwikiに載っています。この神経もすごい。

 王族の死体が防腐処理されたことは聞いていますが、タレイランは名門貴族であっても王族ではありません。そのため遺体が防腐処理されたのが不思議でした。尤もタレイランはカール大帝の末裔ペリゴール伯爵の直系子孫を自称する家柄の出自だし、『小説フランス革命』ではブルボン家よりも内心は格上と思っていたという描き方でした。

 心臓と違い脳は保存が難しいですよね。それにしても、主人の脳みそをあっさりと捨てる感覚は日本人とは違い過ぎる。そのため怨恨を疑いました。
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雑感 その3 (スポンジ頭)
2019-03-04 00:02:41
>  品格ある生き方が難しい時代でしたが、フーシェは酷すぎた。
 
 フーシェはルイ十八世から赦免をもらって警察大臣となりますが、その赦免に立ち会ったのがタレイランです。足が悪いタレイランをフーシェが支え、両人揃ってルイ十八世の部屋にやってくるのですが、それを目撃した文筆家で後に外務大臣も務めたシャトーブリアンは「悪徳が犯罪にもたれて(やって来た)」「この地獄の光景」「背徳の司教が(フーシェの忠誠の誓いの)保証人」、と回想録の中で罵倒しました。
 確かに、神を信じず主人を次々と変えた人間二人の内、一人は忠誠の誓いを立て、もう一人はその保証人。そしてフーシェが忠誠を誓う相手は、かつて自分が死に追いやった人間の身内で兄と甥が非業の最期を遂げた事を内心喜んでいる人間、とそうそう世界史上でもあり得ない不気味な風景です。

 そしてこちらはユーゴーが書いたエピソードです。フランスのウィキからです。

(グーグル翻訳)
 さて、昨日の前日、1838年5月17日、この男は死んでいます。 医者がやってきて死体に香りをつけた。 このために、エジプト人のやり方で、彼らは腹の内臓と頭蓋骨の脳を取り除きました。 Talleyrandの王子をミイラに変え、白いサテンが並ぶビールでこのミイラを釘付けにした後、彼らは撤退し、テーブルの上にたくさんのことを考えていた頭脳を残しました。 非常に多くの建物を建てた人たちは、二度の革命を起こし、20人の王をだまし、世界を封じ込めました。 医者が去り、係員がやって来て、彼は彼らが去ったものを見ました:ここで! 彼らはそれを忘れていました。 何をする? 彼は通りに下水道があることを思い出し、彼はそこに行き、そしてその下水道に頭を投げ入れた。

 従者は単にゴミ捨ての感覚で、怨恨とかじゃなさそうです。フランス人は日本人と遺体に対する感覚が違いすぎるのでしょう。日本なら大騒ぎになって医者を呼び戻しますよ。
 防腐処理ならルイ十八世もアレクサンドル一世もやったといいますから、身分のある人間にとってはそれほど異例な処置ではないと思います。

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Re:雑感 その2 (mugi)
2019-03-03 22:14:30
>スポンジ頭さん、

 品格ある生き方が難しい時代でしたが、フーシェは酷すぎた。リヨンでも虐殺を行っていましたが、しっぽに司教の帽子をくくり付けたロバを歩かせたエピソードは知りませんでした。部下は大切にしていたにせよ、そうでなければ寝首をかかれるため、部下想いから来ているのではないはず。

 タレイランの死後のエピソードも初耳です。あれだけ悪事を働いても天寿を全うしたのだから、フーシェよりワルですね。ただ、死去後に防腐処理を施された理由が分りません。もし本人の希望だったとすれば、復活を夢想していたのやら。また従者の行動も不可解です。密かに怨みを抱いていた?
 尤も脳は腐りやすいので、古代エジプトでミイラをつくるとき、脳は鼻腔から鉤爪などを使って取り出していたそうです。
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雑感 その2 (スポンジ頭)
2019-03-03 12:07:39
>折からの強風で棺が投げ出され、死体が転がり出たそうです。死体は荒れ狂っている馬の蹄に蹴散らされ、泥の上を転がりました。

 小説のように劇的ですね。ツヴァイクはそこまで書いていませんでした。フーシェの人生の締めくくりのような葬儀です。

>「世渡りの才能だけが優れていた、しかし、その生き方に品格というものを感じさせない…」

 確かに節操の無さは素晴らしい限りで、もともと僧院出身だったのが革命期は教会の権威を侮辱して財産没収を行いました。確かしっぽに司教の帽子をくくり付けたロバを歩かせました。そして王政復古後は「キリスト教の信仰もっとも篤き君主」の臣下となるのですから。品格を持って激動期の有為転変を生き抜くのは非常に困難でしょう。

 ただ、ネットで読んだ話ですが、功利的な考え方にせよ部下は大切にしていたそうです。

 そして、フーシェと双璧をなすタレイランにも死後のいささか不気味なエピソードがあります。

 彼は最終的に失脚もせず、その上好き放題な人生を送った挙げ句に教会の赦免を受け、天国行きの免状も獲得した上で天寿を全うしました。ヴィクトル・ユーゴーによると、死去後に防腐処理を施されたのですが、医者たちが帰った後、部屋には脳が残されました(なぜ?)。部屋にやってきてその脳を見つけた従者はさっさとそれを下水道に捨ててしまったのだそうです。
 これが欧州の国家や、歴史に残る人物たちを翻弄したタレイランの頭脳の結末でした。
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Re:雑感 (mugi)
2019-02-23 21:39:46
>スポンジ頭さん、

 スペイン大使クラスとなると、隣国の王妃への贈り物が欠かせないのでしょうね。外交辞令の達人でなければ大使は勤まらないにしても、メルシーも同じ穴のムジナでした。それだけ情報を重視しており、わざわざ独自に調査する必要もあったのやら。出鱈目な報告書を書く大使もいたので、独自調査は欠かせなかったのかもしれません。

「ジョセフ・フーシェ」は未読ですが、これも傑作だそうですね。書き方で伝記は印象がまるで違ってきます。フーシェの晩年が実際にツヴァイクの書いたように孤独で不幸だったのかは知りませんが、トリエステ(伊)で死去しています。

 塩野七生氏のエッセイ『イタリアからの手紙』の一遍「トリエステ・国境の町」に、フーシェの葬式の様子が描かれていますが、折からの強風で棺が投げ出され、死体が転がり出たそうです。死体は荒れ狂っている馬の蹄に蹴散らされ、泥の上を転がりました。フーシェを塩野氏はこう論評しています。
「世渡りの才能だけが優れていた、しかし、その生き方に品格というものを感じさせない…」
返信する
雑感 (スポンジ頭)
2019-02-23 10:53:06
>メルシーの記録には仰天されせられました。

 例の「往復書簡」本にもスペイン大使は登場し、マリー・アントワネットは手紙で彼から贈り物を受けたことを母に知らせています。こちらは「この人、夫に関して碌でもない報告書を書いているけれど、表向きの顔は違うんだろうなあ、知らない方が良いこともある」、と思いました。しかし、メルシーの記録の話を読み、「やっている事はスペイン大使と同じ」、と唖然としました。一応マリー・アントワネットは母親に手紙でその手の情報を知らせているのに、わざわざ独自に記録する必要があるのか、と。外交官の仕事は口外できない話があるものだ、と今更ながら思った次第です。

 しかし、ふと思ったのですが、従僕の調査話、調査結果は記されていなかったですよね。どうだったのでしょうか。スペイン大使の報告書はヨーゼフの手紙を読むと完全に出鱈目ですし。

 >こうなると創作はマリー・アントワネット伝の他にもあるかもしれません。

 「ジョセフ・フーシェ」だと彼の失脚は彼を憎むマリー・テレーズの行動によるものととれますが、「タレイラン伝」を記したダフ・クーパーによれば、フーシェがすべてジャコバンなどの残党を片付けたので利用価値がなくなったから、とありました。そちらが正しいのでしょう。ただ、フランスの歴史家が書いたフーシェ伝を読んだ人の感想をネットで見たのですが、マリー・テレーズはフーシェの処遇に関してルイ十八世と険悪な仲になった事もあったそうです。

 また、ウィキですと、

 >晩年は家族と友人に囲まれた平穏な生活を営み、人が変わったように教会の参拝を欠かさなかったという。フーシェは死ぬまで敵対者の個人情報を手中に収め、保身に成功した。

 とありますが、フーシェ伝だと最後に失脚したフーシェは留まることを知らずに転落していき、妻にも不倫されます。孤独で哀れさを誘うレベルです。印象がまるで違います。劇的な印象を与える効果を狙ったのか、と言う感じです。ただ、書物としては非常に面白いのです。
返信する
Re:アメリカアマゾンの感想 その2 (mugi)
2019-02-21 21:31:11
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 江戸川乱歩もフロイト理論に興味を持っていたことは初めて知りましたが、推理小説の大家ならば当然でしたね。ルイ16世の生い立ちはスポンジ頭さんのコメントで最近知ったばかりですが、あれでよくひねくれず、心優しき王になったと思いました。弟たちとは本当に対照的です。

 買収された従僕が本当にベッドの調査をしたのかは不明にせよ、メルシーの記録には仰天されせられました。直に王妃のそれを調査したのか、女官を通じてなのかは知りませんが、欧州の宮廷には宦官がいないため、重臣が王妃の妊娠可能時期を常にチェックしていたのやら。現代人からすれば、男性の外交官がこのような調査をするのはかなりえげつなく感じますが、公開出産が当たり前の時代でした。

 マリー・アントワネット伝のラストはこう結ばれています。
「これこそ、かつては優美と趣味の女神であり、それからのち、あらゆる苦悩の試練に堪え、あらゆる苦悩を受けるべく選び出された王妃の最後の痕跡なのだった」

 しかし、実際は頭蓋骨を含む骨はそのまま、髪の毛の一部も見つかっていた??初めて伝記を見た中学生時代でもラストに感動したのに、この話も創作だったとは……
 やはり伝記作家なので、話をつくるのはお手の物だったのでしょうね。こうなると創作はマリー・アントワネット伝の他にもあるかもしれません。
返信する
アメリカアマゾンの感想 その2 (スポンジ頭)
2019-02-21 00:52:13
 こんばんは。

 フロイト理論は当時の日本にも紹介され、江戸川乱歩も興味を持っていたはず。その頃の人達にとっては人間の無意識を探ることの出来る理論として魅力的だったのでしょう。私の場合、国王の生い立ちを知った後では、幼少期から孤立していた環境で育ったのが後まで尾を引いたのだと思いましたけど。

 >マリー・アントワネット伝での従僕を買収、ベッドの調査まで行った話には、ここまでやるのか…と驚きました。各国のスパイが暗躍する宮廷では、そのくらい当たり前かと思っていたのですが、この件も信憑性がなかったとは……
 
 感想の書き手がこの話に疑いの目を向けているかどうかは分かりません。私も調査ぐらいはやるだろうと思います。ただ、スペイン大使が熱心に調査していたことを印象づける目的でツヴァイクはこのような話を記したのだと私は考えています。案外、この調査で大使は報告書を撤回したのかも知れません。ちなみに、メルシーは王妃に関するこのようなものも記録していたそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E7%B5%8C

 同盟強化のため、妊娠可能時期を知る必要があったのは分かりますが、いささか生々しすぎます。特権階級が政治を司る時代の外交に関わる薄暗い部分だと思いました。やはり、メルシーは大国の利益代理人です。

 >ツヴァイクは最初の報告を撤回した後の手紙を知らなかったというよりも、知っていて敢えて無視した可能性もあるのですか。

 感想の書き手が何に対して「彼が彼の主張と矛盾する資料をおそらく知っていたことを示している」と言っているのかは分かりません。ただ、私はこれと関係なく、ツヴァイクが話を作っていると思う部分はあります。

 例えば、ヨーゼフ来訪後もなかなか妊娠せず、やっと翌年妊娠した話。ツヴァイクは国王が乗り気でなく、なかなか二人が一緒にいないから妊娠が遅れたように書いています。しかし、国王はヨーゼフ来訪年の12月に問題解決をしてくれたことに対する礼状を出していて、その中で来年には甥か姪を見せると宣言しているのです。また、冬頃(?)にはせっせと王妃のもとに通い、王妃は母親にその事を手紙で書き送っているのです。ツヴァイクは礼状の事は知らなくても、手紙は知っていたでしょうに。

 また、マリー・アントワネット伝のラストは石灰の塵の中から靴下留めだけが発見された、と言う内容ですが、感想の書き手によると、実際は頭蓋骨を含む骨はそのまま、他に髪の毛の一部も見つかったそうです。まさかツヴァイクがこの事を知らない筈もなく。

 マリー・アントワネット伝の小説としての質の高さはさておき、著書の中で史料批判をしている著者が話を作るのはいささか首を傾げたくなります。
返信する
Re:アメリカアマゾンの感想 (mugi)
2019-02-20 22:33:24
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 アメリカアマゾンの読者にも長~い感想文を書く人がいるのですね。こうなると感想文よりも小論文にちかいような……
 そしてツヴァイクがフロイトの友人であったことは初めて知りました。フロイト理論で歴史上の人物をプロファイルするのは、当時は主流だったのかもしれませんね。

 マリー・アントワネット伝での従僕を買収、ベッドの調査まで行った話には、ここまでやるのか…と驚きました。各国のスパイが暗躍する宮廷では、そのくらい当たり前かと思っていたのですが、この件も信憑性がなかったとは……

 ツヴァイクは最初の報告を撤回した後の手紙を知らなかったというよりも、知っていて敢えて無視した可能性もあるのですか。さらに資料収集にはアシスタントを使っていたことも、今回初めて知りました。別にアシスタントを使うのは問題ないし、現代の作家もやっています。しかし、集めた資料への検証や考察は必要です。

 アメリカアマゾンを見ても五つ星評価が72%にもなっています。書き手は星二つですが、全般的に高評価。1932年に出版された評伝にも関わらず、この評価だけで、いかにヴァイクの小説家として優れたいたのか分りますよね。
 ただ、歴史本としては不正確な箇所があり、歴史小説はやはり鵜呑みにはできません。
返信する
アメリカアマゾンの感想 (スポンジ頭)
2019-02-20 00:06:24
 こんばんは。

 アメリカアマゾンの読者感想ですが、読み直したら乱暴に端折りすぎた部分があったので、再投稿します。感想の書き手は、ツヴァイクは作家であり、歴史家でなく、歴史を書く方法を学ばなかったと述べています。

https://www.amazon.com/gp/customer-reviews/R2NDGBVQYE08K5/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=0802139094

 ツヴァイクはフロイトの友人であり、フロイト理論を国王夫妻に適応しましたが、それに対する批判。

(グーグル翻訳)
「それだけでは本の信頼性を制限するものではないが、マリーの生涯を知的に「現代的」に解釈しようとする意欲の中で、Zweigは彼の理論を裏付ける文書を強調し、それに矛盾する他者を排除した。」

 スペイン大使が自分の報告書を撤回した部分。

(グーグル翻訳)
「適切に翻訳された、スペインの使節の手紙は、最初の言葉から、使節はゴシップを報告しているだけで、事実ではないことを認めています。Zweigは、Zweigが引用をした直後に送られた同じ使節からの2番目の手紙については決して言及しなかった。その中で、使節は彼の最初の報告を控えめに撤回した。」

「控えめに撤回」とある部分は「unreservedly withdrew」ですが、unreservedly を確認すると「率直に、無条件に」と出てくるので、スペイン大使は次の報告であっさりとツヴァイクが引用した報告を否定してしまったのですね。でもツヴァイクは大使が従僕を買収してベッドの調査をした話も記載しており、そのような話を記載したのは彼がこの報告書を重要視して信憑性を高める目的があったのだと思ってます。「自分はこの内容を信じていない」は端折りすぎました。

 ツヴァイクの資料探しについて。

(グーグル翻訳)
「歴史家ではないZweigは本のためにほとんど研究をしなかったが、情報を集めるためにアーカイブに行ったアシスタントに頼りました。しかしながら、彼らが提供した資料は彼の論文の中で生き残っているが、彼が彼の主張と矛盾する資料をおそらく知っていたことを示している。」

 自分で史料を探さず、アシスタントに史料を探してもらったそうです。そして、矛盾する内容は無視したと。

 他にもこの書き手は歴史に関する内容やヨーゼフの手紙、英語に翻訳された際の出版社の不手際を記しているのですが、とても要約し切れないのでこちらで止めます。

 この書き手も伝記自体は小説として素晴らしいと認めているのですが、歴史本としては不正確なものだと言う結論です。

>国王の器官上の欠陥で7年間も夫婦生活が出来なかったという説が定着してしまいました。

 私自身、再評価本を読まなければこれから先もずっと疑うことなく信じていたでしょう。ツヴァイクのみ読むと、疑う理由が全く発生しません。それほどツヴァイクの小説家としての手腕は素晴らしいものです。スペイン大使の報告書、どう見ても大使が医者の推量を聞いて報告したとしか思えません。
返信する
Re:スペイン大使の報告書 (mugi)
2019-02-18 22:47:34
>スポンジ頭さん、

 何とツヴァイクの国王解釈に影響を与えたスペイン大使は、別の報告書には「自分はこの内容を信じていない」と書いていたのですか!こうなると何が何やら……
 ただ、ツヴァイクのマリー・アントワネット伝の影響で、国王の器官上の欠陥で7年間も夫婦生活が出来なかったという説が定着してしまいました。日本ではやはりこれをベースにしたベルばらが決定的。

 やはりアメリカでも、ツヴァイクの史料の使い方を批判する人がいたのですね。それでもツヴァイク作品の影響は大きく、イメージを覆すのは難しいでしょう。
返信する
スペイン大使の報告書 (スポンジ頭)
2019-02-18 00:09:36
> この件で最も熱心だったのはスペイン大使で、大使の秘密報告には詳細な器官上の欠陥が述べられており、

 先日ネットで読んだのですが、詳細な報告書を記したスペイン大使は別の報告書に「自分はこの内容を信じていない」と書いたとあり、仰天しました。つまり、ツヴァイクは報告者が信じていない資料を使用して自説を主張した事になりますが、これは伝記を記す上でかなり拙いのではないでしょうか。もちろん彼はスペイン大使が否定した事は知らずに用いたのだと思います。ただ、アメリカのアマゾンに載っていた読者の感想なので、真偽を追えないのが難点です。
 
 感想を述べた人物は、「ツヴァイクは自分の考えに合わない史料は無視する」、と記し、ツヴァイクの史料の使い方を批判していました。
返信する
Re:重箱の隅 その2 (mugi)
2018-05-14 22:13:18
>スポンジ頭さん、

 中野氏のあの初歩的な間違いは、ひょっとするとツヴァイクの死を日本の軍国主義に結び付けるという印象操作の一環?、と邪推したくなります。実は氏は知っており、読者はどうせシンガポール陥落を知らないと見て、わざと「間違い」を書いたのか…という疑念が湧きました。中野氏は盛んにメディアに登場していますし、その類の人物となれば…

 ツイートで哲学性の欠片もない文句を並べ立てる池田が典型ですが、あれでは文学者のイメージは丸つぶれでしょう。ソフィーの世界は私も未読ですが、翻訳者があれでは読む気も失せます。メディアに盛んに取り上げられる文学者は、このタイプが殆どかも。

 紹介されたルイ16世による錠前は本当に驚きました。錠前といえば四角く中央に鍵穴があるもの、というのが一般的で、何故あれほど錠前作りに熱中していたのか不思議でした。しかし、これだけの作品となれば話は違います。何処かの国なら人間国宝になっても不思議はない腕前でしょう。本当に生まれる時代に恵まれない人でしたね。
返信する
重箱の隅 その2 (スポンジ頭)
2018-05-13 22:18:27
 ちょっと気になったのは、あとがきを書いている対象はご自身が非常に入れ込んでいるマリー・アントワネットの評伝を書いたドイツ(オーストリア)文学作家で、かつ、ご自身もドイツ文学者であるのに、その人物の死の切っ掛けを間違えるのか、と言う部分です。たかが日本の歴史などご存じなくても構いませんがこれは不可解でした。私が所持していたマリー・アントワネットの伝記は岩波文庫版ですが(こちらはスペイン大使の報告書を原著のままスペイン語原文としている、訳注によると日本語訳は用意したものの、原文のままとした作者の意向を汲んで訳さなかったとか)、そちらのあとがきはちゃんとシンガポール陥落を理由としているのです。間違いが初歩的すぎるのですね。

 そして、池田氏のツイートを見ましたが、愚かしい上にご当人は自覚されていないようで情けないですね。ソフィーの世界は哲学に縁のない私でも題名だけは知っているのに、翻訳者がこれでは作者が気の毒です。首相批判は構いませんが、著名人が単なる罵倒をしても意味をなしませんよ。

 私は文学者にそこまでの憧れはありませんが、高尚な問題を考える筈の方がこれではいささか落胆します。

 そして、話変わってこちらが国王が作った錠前だそうです。通常の錠前とは全くイメージが異なるデザインで、どのようにして開けるのかも分かりません。明らかに精密機器を設計する頭脳と制作する技量の持ち主です。現代に生まれていればユーチューブに自分の作品を披露しているのかも知れません。本当に生まれる時代を間違っていたとしか思えない。惜しい事です。
 ttps://stat.ameba.jp/user_images/20161206/20/peroko-0221/57/1e/j/o0480048013815340139.jpg?caw=800
返信する
Re:重箱の隅 (mugi)
2018-05-13 21:19:26
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 何と中野氏は「マリー・アントワネット」伝のあとがきで、ツヴァイクが自殺したのが真珠湾攻撃の翌日と書いていたのですか??改めてwikiを見たら、ツヴァイクの死没は1942年2月22日、シンガポール陥落はその一週間前です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%84%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AF

 中野氏はブログもしており、ネットが使えない高齢者ではありません。これは「重箱の隅」とは言えないミスでしょう。ドイツ文学者や翻訳者といえば、高い教養のある人のイメージがありますが、ツイートなどで小学生並みの罵倒をしていた人物もいます。『ソフィーの世界』翻訳者・池田佳代子がそうで、それを紹介したサイトがあります。
https://matome.naver.jp/odai/2142189036552487101

 河北新報に池田の書評が載ったことがありますが、翻訳者=教養人というのは幻想かもしれません。中野氏もあとがきから疑問を感じました。
返信する
重箱の隅 (スポンジ頭)
2018-05-13 09:17:03
 おはようございます。

 ツヴァイクは太平洋戦争のシンガポール陥落を知り自ら命を絶ちましたが、「読書メーター」の角川文庫版「マリー・アントワネット」の書評によると、ツヴァイクは真珠湾攻撃の翌日自殺した、と翻訳者の中野氏があとがきで書いている、と言うのを知り、いささか妙な気分になりました。真珠湾攻撃は1941年の12月ですし、シンガポール陥落は翌年です。

 シンガポール陥落日は知らなくても、真珠湾攻撃が始まった日やツヴァイクの亡くなった理由を知っていたらそんな文章を書くはずもなく、まして多くの書籍を出版される程の教養のある方で、かつドイツ文学者でツヴァイクの翻訳者がそんなミスをされるとは不可解です。

「きつねねこ」さんおよび「v&b」さんの書評より

https://bookmeter.com/books/376248
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Re:補足 (mugi)
2018-04-24 22:17:30
>スポンジ頭さん、

 1年間で使える予算が19億円にも拘らず、25億円のブレスレット購入だけで予算を軽くオーバーですよね。それで「このような些細な事柄」と言い切る神経には、本当にため息が出ます。25万円でも現代日本の庶民にとっては、些細な金額ではありません。何故国王は王妃の浪費を止めさせられなかったのか?これでは妻の言いなりになっている、と見られても仕方ないでしょう。

 仰る通り、時代も社会制度も異なる他国の金額換算はかなり難しく、1リーヴルにしてもかなり幅があるようですね。それでも当時の労働者の年収が400リーヴルというだけで、どれだけ装飾品に惜しげもなく金を使っていたことが伺えます。王侯貴族の桁外れの浪費が、フランス革命の残虐さに繋がった一因になったかも。
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補足 (スポンジ頭)
2018-04-24 03:49:07
 また夜中に目が冴えてしまったので。

>アントワネットが王妃になって以降、1年間で使える予算が38億円まで増額されていたのだから、

 言葉足らずでした。増額されて19億円です。マリー・アントワネット以前の王妃用予算は10億円も行かなかったのです。しかし、例え以前の額でも庶民からすればため息が出る金額です。「このような些細な事柄」とは25億円のブレスレットに関する返信です。メルシーは自分の報告だと露見しないように、とマリア・テレジアに願い出ています。

 日本円換算の基準ですが、1リーヴル1万円で換算しました。1万リーヴル=1億円です。ネットで見た中には1リーヴルを5000円とするものもあれば1500円程度とするものもあり、日本と社会制度の異なる国の金額換算なのでどれが妥当か判断に困るところです。1万円というのは遠藤周作の「王妃マリー・アントワネット」で使用していた換算額です。首飾り事件のダイヤモンドは160万リーヴルですが、ネットで見た日本円換算額だと30億円から200億円と幅があります。当時の労働者の年収が400リーヴルと言うので、5000円程度が妥当?それでも、億円単位の宝飾品を購入していた事には変わりありません。

 このようなサイトがありました。

「フランス革命前後の通貨の単位を教えてください」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10109088130

 こちらだと、500円から5000円の間ですね。500円だと王妃の予算が年間8000万円程度になるので、それは少なすぎると感じました。

 しかし、日本円換算は別にして、王妃の購入した25万リーヴルのブレスレットは年収400リーヴルの労働者の625年間分の収入です。「些細な事柄」と言う娘をマリア・テレジアは危ぶんだことでしょう。
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Re:ベトナム進出他 (mugi)
2018-04-23 21:14:10
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 ベトナムの歴史は全く浅学でしたが、ルイ16世の時代にヴェルサイユ条約が結ばれていたことも遅まきながら知りました。締結が1787年、フランス革命の2年前というのも驚きます。同盟条約に尽力した宣教師ピニョー・ド・ベーヌも興味深い人物ですが、キリスト教宣教師が帝国主義の先兵と呼ばれた所以が改めて判ります。阮朝の建国も、フランスの後ろ盾があったのですね。
 阮朝は何と第二次世界大戦後まで存続していたのも驚きます。阮朝は、「自国のことを「中国」(チユンクォック)と呼び、世界の中心に位置すると称して」小中華主義を取っていたとか。東アジアの某半島そっくりで苦笑させられます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AE%E6%9C%9D

>>この時代から80年程度で明治時代となり、フランス革命と明治維新との時間差は意外にない、という事に驚かされます。

 この見解にはハッとされられました。18世紀の前者と19世紀半ばの後者は意外に遠くなかったことに、初めて気付きました。世紀が違うために離れた印象がありますが、80年ではそれほど遠い時代ではない。現代から見れば、1938年が比較的近い時代であるのと同じです。世界最初の写真が、1827年にフランス人発明家ジョゼフ・ニセフォール・ニエプスによるものだそうで、これも今回初めて知りました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%8F%B2

 王妃の件の装飾品購入ですが、ある1年間だけで71億円も使ったのですか!一部が4億というのが気になり、40億円くらいと思っていたら、ここまでくると庶民には想像もつきません。71億円まではいかなくても、他の年にも軽く数十億単位で装飾品を買っていたとすれば、凄まじい金額ですね。
 アントワネットが王妃になって以降、1年間で使える予算が38億円まで増額されていたのだから、無駄遣いと呼ぶにはあまりにもスケールが大きい。それにも拘らず、「このような些細な事柄」と言う金銭感覚には絶句させられます。これでもポンパドゥールやデュバリーの方が浪費していたとは…

 以上、4万円の支出さえ重大な事柄と考える、一主婦の僻みです。
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ベトナム進出他 (スポンジ頭)
2018-04-23 02:58:12
 こんばんは。変な時間に目が覚めたので。

 ルイ十六世の時代に既にベトナムに進出していて驚いたといいましたが、これがその内容です。この条約、フランスのカトリック宣教師が関わっているのですね。南ベトナムの大統領がカトリックだったのはフランス植民地の影響かと思っていましたが、国家樹立の際にも協力したのも関係したかも知れません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84_(1787%E5%B9%B4)

 ベトナムとの条約をグーグル翻訳でざっと読んでみたところ、フランス以外のヨーロッパの船舶は来ることが出来ず、フランス人は商売について自由に活動できる、港はフランスとベトナムの共同管理、のような感じです。フランスの軍事援助の見返りにベトナムで島を領有し商売できる、と言う内容ですね。リンク先がその条約です(フランス語)。
http://belleindochine.free.fr/2TraiteVersaillesEvequeAdran.htm

 この時代から80年程度で明治時代となり、フランス革命と明治維新との時間差は意外にない、という事に驚かされます。アンシャン・レジームを生きた人が明治維新を目撃できた事になります。明治維新の頃は、ナポレオンの帝国が潰れてブルボン朝が復帰して50年程度だったのですね。そして、仮に国王や王妃が長生きしていた場合肖像写真が存在していた可能性があると知り、意外に近い時代に生きていた人物なのだと感じました。科学も急激に発達していたんですね。
 
 そして、装飾品購入に関する王妃の4億円の借金ですが、この年は46億円でダイヤを購入し、更に25億円でブレスレットを購入します。46億円の方は最初隠していたものの隠しきれなくなったのか国王に臨時のお手当を願い出、25億円の方も支払えないので不足分の4億円分を用立ててもらった、という内容なのです。宝飾品だけの為にこれだけ費用を要しても国王は文句一つ言わないので、「言いなりになる、尻に敷かれる」と言う評判となります。何しろ、「ダイヤが非常に好きなのだからお金に困るのも無理はない」と言う程度ですから(だから無駄遣いを叱れ、と。)。ちなみに、王妃が使える一年間の予算は19億円程度、国王即位後、以前の王妃と比較して2倍に増額してもらっています。王室の全体費用は国王即位後削減されているので、王妃に関する待遇は非常に優遇されているのですね。
 メルシーから報告を受けたマリア・テレジアは手紙で叱るのですが、王妃は「このような些細な事柄で母上様のお心を煩わせるような者がいるとは」と言う意味合いの回答をする有様、全然母親の心が分かっていませんでした。また、国王も一度王妃のギャンブルに付き合って負けてしまったのですが、その際の金額は6億円。億円単位のお金が彼らにとっては日本の庶民の千円もしくは1万円の感覚なのでしょう。以上、6億あれば一生遊んで暮らせると思う一庶民のやっかみでした。
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Re:ラ・ペルーズ (mugi)
2018-04-14 22:12:27
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 まさにこの絵画です!私の検索の仕方「ラ・ペルーズの絵画 ルイ16世」が悪かったのか、ヒットしませんでした(汗)。私の本棚にあるツヴァイクの『マリー・アントワネット』(関楠生訳、河出書房新社・昭和50(1975)年12月初版)の口絵に使われていた画です。小さな口絵ではよく見えませんでしたが、アップにすると指を指している場所は確かにインド洋ですね。オーストラリア大陸の西辺り。

 宗谷海峡が国際的にはラ・ペルーズ海峡と呼ばれていたことは、私も知りませんでした。少なくとも私の学んだ日本史の教科書には載っていなかった。現代の教科書ではどうなっているのやら。それにしても、スケールの大きな探検家ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E4%BC%AF%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%83%BC

 日本との貿易でネックになるキリスト教の禁止は、たぶん布教しなかったオランダを参考にしたと思います。改めてルイ16世の寛容さには感心させられます。英国にはルイ16世やラス・カサスのような人物が出なかったようで、それがアボリジニの悲劇になりました。
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ラ・ペルーズ (スポンジ頭)
2018-04-14 13:58:08
 こんにちは。

 ラ・ペルーズの絵画とはこちらですね?
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/39/Louis_XVI_et_La_P%C3%A9rouse.jpg

1817年の作品とかで、既に二人とも故人となっていた、と言う辺りが悲しいことです。指を指している場所はインド洋ではないでしょうか?

 宗谷海峡はラ・ペルーズが探検したので国際的にはラ・ペルーズ海峡と呼ぶと初めて知りましたし、韓国沿岸に上陸して調査したとか、オーストラリアも調査させたとか、非常に大きなスケールの探険です。日本史の教科書でこんな探検隊が近くに来ていた、なんて見た覚えはありません。私が知らなかっただけ?

 国王は日本との貿易も考えていたようですが、キリスト教の禁止はどうするつもりだったのか・・・?

 キャプテン・クックも世界一周探検航海をしていましたが、アメリカ独立戦争を支援する状況でもクックの船は攻撃しないよう国王は通達していたとかで、世界に関する知識を得る、と言う面で共感するものがあったのでしょうか。

 国王の指示書には自衛を除いて出会う人間に対してやさしく人道的に対処すること、とあったとか。現代では指示以前の話ですが、アボリジニの運命を考えるとやはり必要な指示だったのだと思いました。
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Re:バイエルン継承戦争 その2 (mugi)
2018-04-08 21:31:52
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 今回も面白情報を有難うございました!確かにツヴァイクがバイエルン継承戦争に於ける国王夫妻の行動を知らないはずはありません。「王妃の言いなりになる国王」像を作るため、それを敢えて無視していたのやら。そしてヨーゼフが妹に義弟からフランスの政策を聞き出すよう要請していた処に、政略結婚の目的を見た思いです。他国に嫁いだ妹に、「スパイ」の役目を期待したのはヨーゼフに限らなかったかも。

 それにしても、肩代わりしたダイヤの代金4億円が一部だった??しかもデュ・バリーやポンパドゥールより浪費はしていないとは…本当に当時の王侯貴族の浪費は桁外れ。駐フランス公使を務めたトマス・ジェファーソンはフランスの芸術面は高評価しても、貧民が多いと記していたそうです。

 中野京子氏は「ぶらぶら美術・博物館」に出演した際、フランスの寵妃制度のメリットを挙げていました。寵妃がいれば、全て批判は彼女に集中するし、国王や王妃にとって風よけとなって都合が良い、というのです。デュ・バリーやポンパドゥールのような贅沢三昧の寵妃を持たなかったのは、結果的に国王夫妻の悲劇に繋がりました。

 今回のコメントで最も驚いたのが、ルイ16世時代のフランスが既にベトナムに侵出していたこと。プラッシーの戦いでフランスはインドでの覇権争いに敗れていたにも拘らず、ベトナムと条約を結んでいたとは…さらに探検船が能登半島沿岸にも来ていたとは仰天しました。東北沿岸まで調査に来ていたのかは知りませんが、首都から遠く、鎖国もあまり厳重じゃないだろうからという指摘は鋭い。現代のフランス大統領にここまで日本の知識があるのかも疑問です。
 ニコラ・アンドレ・モンシオの作品に、ラ・ペルーズ(探検家)に指示するルイ16世を描いた画があるのですが(ネット検索でヒットなし)、国王は広げた世界地図で太平洋の中心を指さしています。こうなると単に国王を美化した宮廷画家の作品とは言えませんね。

 ポリニャックは黙って国外逃亡したのではなく、王妃の指示に従って亡命していたことを最近知りましたが、国王夫妻が命じていたのですか。ツヴァイクは確かこの件には言及していませんでしたよね?まるでいち早く逃げ出した印象を受けます。
 王妃の厚意に付け入り、常に一族優先で地位や報酬を巻き上げた女、というイメージが強いのですが、王妃への友愛の念を持ち合わせていたのは安心させられました。利用するだけ利用して見捨てたならば、国王夫妻は救いようがありませんから。
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バイエルン継承戦争 その2 (スポンジ頭)
2018-04-07 19:49:23
 こんばんは。

>こうなると従来の定説「王妃の言いなりになる国王」は、かなり揺らぎますよね。

 ツヴァイクはバイエルン継承戦争に於ける二人の行動を知らないはずはないと思うのですが。別件だったと思いますが、ヨーゼフが王妃に国王からフランスの政策を聞き出すよう要請し、王妃が国王から聞き出そうとするも、「国王はなかなか話してくれない、聞き出しても一部だけ、自分は周囲が思うほど国王に対する影響力を持ってない」と言っている手紙も残っています。これって「スパイ」じゃないですか、と思いました。

 ただ、内政の方は貴族たちの突き上げもあった為か王妃に押されていた感がありますね。それに人目に付く部分はやはり行動を慎ませるべきでした。王妃を大人しくさせられない国王、って評判になりますし、王妃の評価も落ちてしまいましたし。肩代わりしたダイヤの代金、四億円も、これは代金の一部で全額ではないのです。三十六時間ぶっ通しの賭博も行っています。ただ、それでもデュ・バリーやポンパドゥールより浪費はしていない、と言う辺り、当時の支配階層の乱脈ぶりが伺えます。

>オーストリアにはプロイセンとの穏やかな解決を呼びかける一方
>オーストリアの強大化を恐れ、プロイセンをけしかけるつもりだったのやら

 もともと王妃が話をした結果、フランス側が軟化したのです。最初は「条約該当事由」に該当せず、でしたから。要するに助ける義務はない、と言うことですよね。しかし穏やかな解決を呼びかけた後、プロイセンに対してフランス方面でなければ軍事行動をしても構わない、と通知していますから、私がヨーゼフなら義弟に激怒しますよ。この通知はあとで王妃に露見し、王妃が国王に抗議しています。
 そして書簡集の注釈によると、フランス側にはバイエルン継承戦争を契機に対オーストリア戦争を計画する貴族もいたのです。フランス側が舵取りを間違えれば欧州全体を巻き込んだ戦争になる可能性があったのですね。王妃の言いなりならフランスもプロイセンに宣戦していたかも。

 また、この時期だったと思いますが、国王に愛人を持たせようとする計画まで発生しました。貴族たちが愛人を進めた動機は様々でしょうが、結構王妃には危険な状況だったのです。歴史を知っている立場から言えば国王が愛人を持った方がよかったのでしょうけど、当人がきっぱり拒絶しました。

>先にポーランドが分割されていますが、フランスは特に非難しなかったですよね?

 ポーランドは3つの強国が分割を行おうとしていましたし、フランスのルイ十五世の王妃はポーランド出身でしたが死去していたので、文句を付ける意味もなかったと思います。しかし、今回はオーストリア一国の行動ですから、欧州の勢力バランスが乱されると判断したのでしょう。国王は欧州での戦乱を望んでいないのですね(後にナポレオンという怪物が欧州中を進軍しますが)。

 これまた直接関係ありませんが、外交政策で国王の時代、既にベトナムにも手を伸ばしていて条約を結んだと知って仰天。もっと後で進出してきたのだと思っていました。
 また、海軍の時代、と海軍も増強していてフランスの探検船は能登半島沿岸にも来ていましたが、日本の東北沿岸を調査がてら、入港して見るよう探険者に指示していた、と言うのも知って仰天。首都から遠く、鎖国もあまり厳重じゃないだろうから、と言う理由だそうです。こんな人物がツヴァイク言うところの「凡才」・・・?もし、フランス革命がなければ、日本が真っ先に対決していた欧米列強はフランスだったのかも、と思いました。
 
 >さらに驚いたのは、ルイ16世もポリニャック夫人を気に入っていたこと。

 外国のサイトで知ったのですが、知った際は落胆しました。国王はプロヴァンスの性格を見抜けていたのに、こちらはダメだったとは。

>王妃に常に誠実な態度で接したランバル公妃は酷い最期を迎えましたが、実はこの2人、 生年月日が同じなのです。

 まるでドラマのようです。運命も対照的。ウィキを見たら結婚した年も同じとあって更に驚きました。書簡集では王妃がランバル公妃の為に女官の役職を新設した事に対し、マリア・テレジアとヨーゼフが叱責の手紙を記していました。注釈を読むと、結構あれこれ要求していて宮廷や王妃も苛立たせていたそうです。でも、革命時にはイギリスへ援助を求めに行き、危険を顧みずにフランスに戻って王妃に仕え、最期は惨殺ですから酷いものです。

 次にポリニャックに関するフランスのウィキをグーグル翻訳で読んでみたら、国王夫妻の命令で亡命していて王妃から餞別も貰っています。亡命後も王妃に手紙を書いたり、国王夫妻から親愛の情を示す公文書を貰ったりしているのですね。結局二人の関係は切れなかったようです。なんともはや。そして、王妃が処刑された際、ポリニャックの息子は母親を傷つけないよう、監獄の中で死去した、と嘘を言ったとのこと。これなら、ポリニャックにもある程度王妃に対する友愛の念はあったのかも知れません。
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Re:バイエルン継承戦争 (mugi)
2018-03-31 22:34:43
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 バイエルン継承戦争時のフランス国王夫妻の対応の違いは初めて知りました。ルイ16世は領土拡大欲をむき出しにする義兄を批判、必死に説得する王妃に同意しなかったのだから。こうなると従来の定説「王妃の言いなりになる国王」は、かなり揺らぎますよね。書簡集の注釈にあるとおり、「不器用であったが愚鈍ではない」人物としか思えません。

 欧州の大国だけあり、フランス外交も実に強かです。オーストリアにはプロイセンとの穏やかな解決を呼びかける一方、「オーストリア女」の王妃には内密で軍事行動を承認する旨をプロイセンに伝えている。軍事支配に反対したのではなく、オーストリアの強大化を恐れ、プロイセンをけしかけるつもりだったのやら。先にポーランドが分割されていますが、フランスは特に非難しなかったですよね?

 さらに驚いたのは、ルイ16世もポリニャック夫人を気に入っていたこと。ポリニャックの社交術は相当なものですね。散々王家にお金を使わせ、革命が起きると早々逃げましたが、今でも子孫はいるそうです。対照的に王妃に常に誠実な態度で接したランバル公妃は酷い最期を迎えましたが、実はこの2人、生年月日が同じなのです。
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バイエルン継承戦争 (スポンジ頭)
2018-03-31 09:07:00
 おはようございます。以前国王がヨーゼフを非難した話を書きましたが、「バイエルン継承戦争」と言うのがヨーゼフに対する国王の批判の元となった事件です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E7%B6%99%E6%89%BF%E6%88%A6%E4%BA%89

 ヨーゼフがバイエルンの割譲を要求して軍を進め、それにプロイセンのフリードリヒ二世が反発して戦争となります。マリア・テレジアはヨーゼフに反対していたものの、国益上放置できないのでマリー・アントワネットに対してフランスに介入するよう手紙で要請し、王妃はバイエルンの問題や同盟関係の冷却化などについて国王に話します。ところが、ヨーゼフの強引な領土拡大政策に理がない事を理解していたルイ十六世はヨーゼフを非難します。以下、アントワネットとマリア・テレジアの往復書簡にあるメルシーの報告より引用。

(引用開始)
「(前略)陛下はこう答えられました。「あなたのお身内の野心がすべてをひっくり返してしまうことでしょう。最初がポーランド、今度は第二幕でバイエルンというわけです。あなたのために、私は残念に思います」。「しかし」と王妃様は答えられました。「このバイエルンの問題については、前もって話が伝えられており、陛下は同意なさっておいでだということを、否定はおできにならないでしょう」。「私は同意などしておりません」と陛下はおっしゃいました。(後略)」
(引用終了)

 実は既に国王はバイエルン分割を認めていない、と言う通知を各国に送るよう指示していたのです。しかし、書簡集の注釈にわざわざ「不器用であったが愚鈍ではないルイ十六世」と書かれている辺り何とも(苦笑)。ヨーゼフ来訪の翌年の話です。

  その後も王妃は外務大臣など呼びつけて話をするのですが、フランス側もバイエルン分割は「条約該当事由」に該当せず、と言う話をオーストリア駐在のフランス大使からオーストリアに伝えました。その次はフランスからオーストリアに対してプロイセンとの穏やかな解決を呼びかましたが、陰では王妃に内密でオーストリアに対するプロイセンの軍事行動を承認する旨プロイセンに通知したりしています(実にいやらしい)。そして、マリー・アントワネットがオーストリアの為には行動しないとか国王が言いなりになっていた、と言う観点だと、バイエルン継承戦争問題に於ける二人の行動はかなり辻褄が合わなくなると思うのですが。

 結局マリア・テレジアがヨーゼフに秘密にしてプロイセンとの講和交渉に動き、王妃もせっせとマリア・テレジアの意を受けて大臣や国王と話をし、結局「テッシェン条約」と言う形でフランスとロシアが仲介役となってこの戦争は終了します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3%E6%9D%A1%E7%B4%84

 結局、オーストリアは戦争に費用を要した挙げ句ほとんど何も得られずヨーゼフの権威も低下、そしてマリー・アントワネットの行動は後に「オーストリア女」呼ばわりされる素地となりました。何しろ国王と大臣二人の前でオーストリアの立場で掛け合うのですから。マリア・テレジアの必死な要請の結果ですから王妃が非難されるのは気の毒なのですが、フランス人から見ると、「やはりオーストリアの意を受けて動いているではないか」となるのですね。エカチェリーナ二世はロシア人に成り切っているように見せましたが、王妃にとってそんな高度な行動をするのは極めて困難なことでしょう。

 それでもトリアノンに引き籠ったり、ポリニャック夫人を偏愛して貴族の支持を失ったりしなければよかったのでしょうが、未来は誰も分かりません。直接関係ありませんが、ポリニャック夫人を国王も気に入っていて彼女の家を訪問したりしているのです。人を見る目がないのは国王も王妃も同じ、それだけポリニャックの取り入る能力は長けていた、と言うことでしょうか。
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Re:ヴァレンヌ事件の著作 (mugi)
2018-03-25 21:33:44
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 件の女性作家とは、中野京子氏でしたか。中野氏の『怖い絵』は以前読んだことがありますが、まるで憶えていません。本業はドイツ文学者のはずですが、よく絵画解説でТVにゲスト出演している方でしたね。

 アマゾンの書評に目を通しましたが、全般的に好評の中で疑問を持つ読者は少数派でした。講談としては面白くとも、それまま史実としては如何なものか…という見方があったのは安心させられました。やはりストーリーが面白いと、著者の主観がそっくり受け入れられてしまうのは、ツヴァイクと同じパターンです。

 文庫版への書評で、忍たま乱太郎さんのコメントが気になりました。「「新発見」の資料名、つまり著作なり、記事名なり論文名を巻末に明記すべきだろう」というのはもちろん、『怖い絵』という全く同じタイトルの著名な美術エッセイが他にもあったのですね。著述家の姿勢としてひっかかりを感じる、という忍たま乱太郎さんですが、出版社や編集者の姿勢も妙です。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1994UXVNJM9TK/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=416790165X
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ヴァレンヌ事件の著作 (スポンジ頭)
2018-03-24 22:51:00
 すいません。投稿がうまく行きませんでした。

 こんばんは。

 >そしてマリー・アントワネットとフェルセンを称揚し、国王を酷評する女性作家とは誰でしょうね?

 「ヴァレンヌ逃亡 マリー・アントワネット 運命の24時間」と言う著作を出版した中野京子氏です。私はこの方の本を一冊も読んでいないので、判断はネットの情報のみとなります。この方の著作全般に於いてルイ十六世に辛口で、その理由は革命を防げず結果として家族を守れなかったからだそうです。私自身の個人的な考えですと、失敗したから即無能と判断するのは無茶だと思いますが。

 ヴァレンヌ事件の著作でも国王は暗愚でフェルセンに嫉妬し、失敗の責任はすべて国王一人にある、としていてフェルセンとマリー・アントワネットの愛を称賛しているとか。マリー・アントワネットが大型馬車を発注したり、荷物を多くしたのも失敗の原因の一つですが、それは「身分柄」で批判せず、結局アントワネットは夫い愛想を尽かすものの、それでも表向きは夫を立てて見せる事にした、と言う結末になっているそうです。そしてヴァレンヌ事件の本巻末の対談に林真理子氏が出ておられ、二人して国王を非難している、との事です。

 そして、この本には創作がないとご当人は言われているそうでうが、とある読者によると、フランスの歴史家が書いた本にあるヴァレンヌ事件でのフェルセンに対する国王の姿勢と、この本でのフェルセンに対する姿勢が真っ向から異なるとかで、フェルセンに対するこの本の態度は創作ではないか、とありました。
 ほか、国王の愚かしい人物像はどこから来たのか、という疑問を持つ読者もいましたが、このような疑問はごく少数で読者の国王に対する評価は散々です。「アントワネットは離婚すれば良かったのに」とか「フランスを治める能力はない」と言うのが読者感想です。 

 ヴァレンヌ事件で宮殿を出た後の国王の責任は大ですが、発端から考えると国王だけに責任を負わせるのはどうか、と思います。
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Re:スペイン (mugi)
2018-03-12 23:24:42
>スポンジ頭さん、

 仰る通り、藤本ひとみ氏でした(汗)。そしてマリー・アントワネットとフェルセンを称揚し、国王を酷評する女性作家とは誰でしょうね?

 藤本ひとみ氏によれば、フランツ1世は賭博だけでなく美術品収集も行っていたそうです。さらに当時荒廃していたフィレンツェを立て直したりもしています。政治経済両面に優れた人物だったのにも拘らず、妻の名声のため影が薄すぎます。

 wikiにもありますが、ペドロ1世は異母兄に負けたのではなく貴族階級に負けたのだといわれているそうです。異母兄の王朝になっても、王室と貴族階級との勢力争いはさらに2世紀近くも続いたのだから、スペイン貴族も相当なものですね。これではユダヤ人を採用するのは無理もない。

>変に宗教が力を持つと、社会も経済も混乱しますね。

 宗教が絡まなくとも社会全体が困窮している時、突出して豊かな少数民族は目を付けられます。先日読んだ本に第二次世界大戦中に中立国だったトルコでも、迫害までには至りませんでしたが、不当に儲けていると見られたユダヤ人への反感があったことが書かれていました。
返信する
スペイン (スポンジ頭)
2018-03-11 22:54:46
>藤原ひとみ氏

 藤本ひとみ氏でしょうか?

>同性ということもあるのか、マリー・アントワネットに辛口です。

 マリー・アントワネットとフェルセンを称揚し、国王を酷評する女性作家の方もいるので、一概に性別では言えないかもしれません。
 
 しかし、フランツ一世の蓄財能力は本当に羨ましい・・・。賭博にもかなりの額のお金を使ったそうですが(実はマリア・テレジアも一時期夫より賭博に熱中していたと書簡集にありました)、財産は増加していたというのが素晴らしい。現代なら経営コンサルタントに最適ですね。

 ご紹介のウィキでペドロ一世について読みましたが、貴族連中が信じられないので有能なユダヤ人を取り立てたのかも知れませんね。スペインからユダヤ人が追い出されるようになったのはレコンキスタの後でしょうし。

 変に宗教が力を持つと、社会も経済も混乱しますね。
返信する
Re:複雑怪奇 (mugi)
2018-03-11 21:51:37
>スポンジ頭さん、

 仰る通り、ルイ16世は敬虔なカトリックでした。そしてマリア・テレジアも敬虔なカトリックだったはずなのに、この違いは一体何でしょうね。私見ですが、これは男女の違いもあると思います。一般に女は狭量で非寛容だし、1度嫌いになればとことん嫌いぬく傾向があります。

 作家・藤原ひとみ氏は同性ということもあるのか、マリー・アントワネットに辛口です。藤原氏も父親の蓄財術を受け継いでいなかったことを挙げていましたが、この父親はケチどころか、結構派手にお金を使っていました。にも拘らず、ちゃんと遺産を残していました。

 ボグロムのイメージが強いので、ピョートル大帝の側近にユダヤ人がいたり、中世のポーランドは比較的ユダヤ人に対して寛容だったことは知りませんでした。英国人作家F,フォーサイスの『オデッサ・ファイル』には、ナチス占領下のラトビアのリガでもユダヤ人迫害があったことが載っています。
 スペインもユダヤ人迫害で知られますが、中世のカスティーリャ王ペドロ1世はユダヤ人に寛容だったそうです。尤も私がこれを知ったのは『アルカサル -王城-』という歴史漫画からですが(笑)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%83%AB-%E7%8E%8B%E5%9F%8E-
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複雑怪奇 (スポンジ頭)
2018-03-10 23:11:42
 ルイ十六世の場合、プロテスタントとユダヤ人に対する施策がセットになっています。要するに信教の自由を認めだした、という事です。当人は敬虔なカトリックなのに面白いなあ、と。

 ご紹介のHPにあったマリア・テレジアのユダヤ人政策と、通常彼女に対して人が持つイメージとは真逆ですね。それほど彼女のイメージ政策は巧みだった、と言うことでしょうか。

 そのHPにはマリア・テレジアの十女、マリア・カロリーナも掲載されていますが、彼女がもともとルイ・オーギュストと結婚する予定だったハプスブルクの王女で非常に有能、予定通り彼女が結婚したらフランス革命も軟着陸し、不倫なかったのだろうな、と思ってしまいます(子どもたちの父親について疑わなかった国王も凄いと言えば凄い)。
 マリー・アントワネットも父親の蓄財術を受け継いでいればよかったのですが、残念ながらそちらの方は受け継がなかったようで・・・。

 >尤もユダヤ人に寛容な名君はあまりいなかった?

 善悪とも幅の広いピョートル大帝の側近にはユダヤ人がいましたし、中世のポーランドは比較的ユダヤ人に対して寛容だったとネットで読みました。そしてポーランド貴族の財産管理人の仕事をやるようになったそうですが、ウクライナに領地を所有するポーランド貴族の徴税請負人になったユダヤ人の中には阿漕なやり方で現地民から金を巻き上げる者もいて、ウクライナ農民から恨まれたそうです。

 そして20世紀となり、ナチスがウクライナを占領するのですが、ウクライナ人の中にはその際のユダヤ人迫害を喜ぶ人間もいるとかで、なかなか複雑怪奇です。
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Re:小ネタ その2 (mugi)
2018-03-10 22:07:12
>スポンジ頭さん、

 啓蒙君主が主流の時代だったのにせよ、ルイ16世の治世にユダヤ人に対する差別法案が徐々に撤廃されていったのですか。先の小ネタにあったように、「敵の傷病兵も味方同様に看護するように」との法律を制定したほどの王なので、ユダヤ人に対しても寛容だったのでしょう。

 マリア・テレジアがユダヤ人を迫害していたのは、高校時代の参考書にも載っていたのを憶えています。優れた女帝にも関わらず、何故ユダヤ人には非寛容だったのか、その時は不思議でしたね。「ユダヤ嫌いのマリア・テレジア」という記事を書いた歴女ブロガーもいます。
https://ameblo.jp/02963701/entry-11564097469.html

 ユダヤ人に寛容な王には罵詈雑言を浴びせ、非寛容な女帝を称賛したユダヤ系の作家の存在は面白いですね。尤もユダヤ人に寛容な名君はあまりいなかった?
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小ネタ その2 (スポンジ頭)
2018-03-10 11:38:47
 ルイ十六世の時代、ユダヤ人に対する差別法案は徐々に撤廃されていきました。マリア・テレジアは英語のウィキを見ると、若い頃はユダヤ人に対する締め付けをやっており、後年経済の関係からか政策転換をしていました。マリア・テレジア自身、個人的にユダヤ人を酷く嫌っていました。

 確か、ユダヤ系の作家でマリア・テレジアを賞賛し、ルイ十六世に罵詈雑言を浴びせていた人物がいたような気がしますが、気のせいでしょうか(笑)。いや、実際に複雑な気分です。
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Re:小ネタ (mugi)
2018-03-03 23:30:51
>スポンジ頭さん、

 ナポレオンの軍医クラスならば当時一流の腕だったはずなのに、手術用具は「古い(だったか)包丁2本とノコギリ」??もちろん麻酔無しだから、中世と変わりない水準ですね。これでは手術での死亡率も高かったことでしょう。

「敵の傷病兵も味方同様に看護するように」とは、本当に善い王様だったことが改めて分りました。ナイチンゲール精神を先取りしていた王がいたことを、どれほどの人が知っているでしょう。歴史はかくも敗者に残酷です。
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小ネタ (スポンジ頭)
2018-03-03 09:40:40
 手術と言えば、ナポレオンの軍医が引き継ぎを行った際は「古い(だったか)包丁2本とノコギリ」を前任者から受け継ぎました。当時は麻酔がありません。

 そして、ルイ十六世が「敵の傷病兵も味方同様に看護するように」との法律を制定した、と知った時は愕然としました。・・・フランス革命の収拾に失敗した、と言う面のみ記憶され、そのような業績は忘れ去られていたのですね。
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Re:書簡集 (mugi)
2018-02-26 23:31:34
>スポンジ頭さん、

 書簡集、実に面白そうですね!何も言わず、4億円ほどのダイヤの代金を渡すとは、さすが大国フランス王はスケールが違います。それでも王妃の金使いの荒さは大したことがなかった??これだけでも当時の王侯貴族の乱脈な金遣いが伺えますね。こうしてみると王妃への「赤字夫人」という綽名は、不当だったように思えてきました。
 仰る通りアントワネットが外国人だったことが不利に働いていますが、国王が公妾を持たなかったことを指摘していた人がいました。贅沢な妾がいれば、国民の非難はそちらに集中され、王妃は攻撃されにくい。国王が妻一筋だったのは、返ってアントワネットを不幸にしました。

 そして国王は、オーストリアに相当な警戒心を持っていたことも初耳です。歴史教養のある王だから、オーストリアに警戒心を抱いても不思議はありません。さらに王妃に面と向かって義兄のヨーゼフを非難していたとは…
 王妃には何も言えない国王、というのはツヴァイクが作りあげたルイ16世だったようですね。外交では決して王妃の介入をさせていなかったのですか。あの逃亡事件も王妃に引きずられた印象が定着しています。

 ガリマール新評伝シリーズの2番目は女性のコメントですが、「公共交通機関で読まなくって良かったと幾度か思った」という一文から結構なラブシーンがあったようですね。ツヴァイクの時代にゴールインが伏せられたいたのは、性的表現の厳しかった当時は普通かもしれません。公開されていたならば、ツヴァイクはどのようにアントワネットの夜遊びの原因を説明したでしょうね。尤も書簡集が公開されていれば、あのアントワネット伝は書けなかったかも。

 マリア・テレジアの書簡も、今までは両国の同盟関係及び王妃の立場強化+母親の愛情というイメージが強かったです。しかし、娘を使って国王を操る計画を立てていたのですか??もちろん母親としての愛情は持ち合わせていたにせよ、母よりも国母のほうが大事だった。さすが大国の老獪な政治家らしい。
 あのフェルセンも、スウェーデン王により革命阻止のためにスパイとして送り込まれていたし、スウェーデンの国益に繋がるようアントワネットを操る目的があったのは確かでしょう。尤も彼は愛に本気になってしまいましたが。

 18世紀後半の例の手術は30分もかかるものだったのですか。麻酔なしで30分、しかも局所では殆ど拷問のようですね。身長192㎝の巨漢相手では、抑え込むにも何人がかり。改めて麻酔の発明に感謝です。
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書簡集 (スポンジ頭)
2018-02-25 23:02:56
 マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡、やっと読了しました。いや、なかなか面白い。買って正解でした。メルシーの報告書も一部掲載されており、ツヴァイクはこの報告書から国王が王妃の金遣いや夜遊びについて苦々しく思っていても止められず、国王が王妃に隷属している、と言う認識を持ったのだと分かりました。書簡の注釈を読みながら、「いや、金遣いの荒さを叱ろうよ」とか(何も言わずに王妃に日本円にして4億円ぐらいダイヤモンドの代金として渡したり)思いました。ただし、王妃の金遣いなど実は当時大したものではないと知り、国王は弟たちや叔母たちの借財も払ってやったりしているので、ツヴァイク説は違うなあ、と言うのが今の考えです。アルトワなど金遣いの乱脈ぶりは王妃どころではないです。でも、彼は攻撃されませんでした。やはり王妃の場合は外国出身、それもオーストリアと言う部分が不利に働いています。
 王妃の金遣いはあの頃では大した事がない、となると、政治に首を突っ込まれるくらいなら、贅沢をさせれば政治から目を逸らせるだろう、と言う心境にこちらもなってきました。この度知ったのですが、国王はオーストリアに相当な警戒心を持っているのですね。それに国王は外交に関しては王妃の介入を拒否していて、言いなりではありません。王妃に面と向かって義兄のヨーゼフを非難するとか。オーストリア側としてはフランスの同盟は意外に使えないものだったのではないかと思いました。

>さらに先のコメント「一応結婚してから三年後に二人は「ゴールイン」しています」には仰天しました。

 1773年7月17日の手紙にツヴァイクの時代に伏せられていた箇所があり、その部分がゴールインの話なのです。そして、王太子がまだ人に言うのは止めよう、と言っているのにも関わらず、19日に二人はルイ十五世に報告しているのですね。この部分は8月13日の手紙にあるのですが、打ち明けた部分もツヴァイクの時代には未公開でした。
 ここで子供が生まれる状況に至っていればよかったのですが、どうもヨーゼフの手紙を見る限り、「ゴールイン」はしてもゴールテープを切るところまでは到達できなかったのですね。7年間の騒動はアントワネットにも原因があるのじゃないか、とか、最初のトラブルがトラウマになって長引いたのでは、と言う話も出てきていますね。
こちらの2番めのコメントがそれに当たります>原因
https://bookmeter.com/books/609122
正直正しいのかどうか判断できませんが、様々な解釈が出てくるものだと思いました。また、ヨーゼフの手紙を見た後では、スペイン大使の報告書は何だったのか、とも。書簡集でもこのスペイン大使が登場していました。この人物の行動を知ったら腹立たしいだろうなあ、と感じました。

 そして、この書簡集ではマリア・テレジアが王妃に対して国王の女友達兼第一の相談相手になれ、とか早く子供をとか、なるべく国王と二人きりで過ごす時間を持つように、と言っており、昔なら両国の同盟関係及び王妃の立場強化の観点のみで私は見ていたでしょう。しかし、マリア・テレジアとメルシーは王妃を使って国王を操る計画を立てていたので、今ではハニトラの下拵えに思えてきて素直に読めません。女帝と大使の印象も変化し、今では冷徹な大国の支配者とその利益代理人、ですね。

 また、ツヴァイクは夜遊び他の原因は全てこのトラブルにあるとし、問題解決後、妊娠しない原因としてアントワネットが国王の非協力的な姿勢を母親に報告している手紙を採用していたと思いますが、実際はその後も夜遊びが続き、原因は王妃にある事をメルシーが報告しています。でも、通常ではメルシーの報告を優先するのにこの部分が異なるのは、ツヴァイクの理論の整合性が取れなくなるからだと感じました。色々ツヴァイクも話を「作っている」と思ったものです。

 そして、手術となると当時は麻酔なしですから、長身かつ怪力の国王を動かないようにさせるのはそれなりの準備が必要ですが、どのようにしたのかと言う話もないなあ、と思ったりもしました。当時30分程度の手術だそうですが、麻酔なしなので患者の苦痛は大変なものだったそうです。
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Re:冷や汗 (mugi)
2018-02-04 22:44:37
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 私もスポンジ頭さんのコメントを見るまでは、ルイ16世の欠陥問題を全く疑っていませんでした。読書家のスポンジ頭さんからの情報なので確かだと思い、記事で取り上げた次第です。さらに先のコメント「一応結婚してから三年後に二人は「ゴールイン」しています」には仰天しました。こうなるとツヴァイク説が根底から覆りますよね。

 ガリマール評伝シリーズ・ルイ16世の書評サイトもあります。この中で「歴史とは、歴史家が作り上げたフィクションなのかもしれない。蒐集した資料から、何をどう読み取るのか?史実は歴史家のフィルターを通して作り上げられている」、というkeiさんのコメントが印象的でした。
https://bookmeter.com/books/609122

 手術なし説の根拠は例の狩猟日記でしたか。カルテのような医療記録があったとすれば、重要な資料となりますよね。しかし未だに未発見の様子。ならば手術の有無を断言出来ないでしょう。にも拘らず、「現代の歴史家の大部分は手術していないと見ている」有様でしたか。身体的な欠陥がなければ精神面が大でしょうけど、やはり不能という印象はぬぐえません。
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冷や汗 (スポンジ頭)
2018-02-04 10:53:12
 おはようございます。

 私がごく軽い気持ちで書いた手術の文章が記事になっていた時は驚きました。馬鹿な事を書いてしまったな、と。とは言うものの、私の知力で高尚な内容の文章は無理なのですが。

 実は、CRISPR/Cas9の記事にルイ十六世の話を書き込んだ後、再評価本を購入したのです。購入したのは、「ベルナール・ヴァンサン著 ガリマール評伝シリーズ 世界の傑物3 ルイ16世」、「ジャン=クリスチャン・プティフィス著 ルイ十六世(上下)」です。ついでに「パウル・クリストフ編 マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡」と言う本も購入しました。この内簡単に読めるガリマール評伝シリーズのみ先日読了しました。結末が破滅と分かっているのでどうしても読むスピードが遅くなります。書簡集はつまみ読み、プティフィス氏著書分は先週から取り掛かりましたが、かなりの分量なのでこちらもつまみ読み状態です。

 それはさて置き、「ガリマール評伝」の方を読んでいたら当然結婚騒動が述べられていたのですが、その際、異常ないから手術していない、と言う文言が出てきたのです。これを見た際は驚きました。その時点までルイ十六世の欠陥問題を疑った事はありませんから。

 「ガリマール評伝」に基づくと、最初に診察したのはラ・マルティニエールと言う外科医で、ルイ十五世の命令でした。ところが、その際の診断は「異常なし」。1770年7月の事です。二年後に同医師が再診断しましたが、その際も診断結果は変わりません。この時の結果はメルシーにも伝えられています。ここからしてツヴァイクの話と食い違いが生じています。ツヴァイクはメルシーの報告書を重視しているのですけれど。

 そこで、私はこの話に根拠があるのかフランス語のウィキペディアを確認しに行きました。結局手術なしと言う見解なのですが、注釈を見るとフランス語版はガリマール評伝を元にして記載されていたので、今度は英語のウィキを参照しました。すると、「現代の歴史家の大部分は手術していないと見ている」と言う文言が出てきたのです。その証拠は例の狩猟日記。安静にしていた期間がないのだそうです。因みに、本日再度確認した所、1772年の後半に複数の医師が「異常を示唆した」とあって分からなくなって来ましたが。でも、ラソーヌは1773年3月に異常なし、と確認していますし、ここに紹介されているヨーゼフの手紙でも「二人が不器用だから」とあるのですよね。外国のサイトは全てグーグル翻訳を使用して確認しています。

 そして、狩猟日記が手術を受けていない証拠として挙げられている、と言うのを見た時、カルテなどの医療記録が未発見だと言う事に思い当たりました。手術の有無を言うなら、医療記録の真偽・内容を論じる筈ですから。

 ヨーゼフの手紙内容は後に日本語訳の抜粋を偶然ヤフーの知恵袋で見つけて読みました。こちらがその抜粋です。ちなみにこちらの抜粋には「国王は完全な・・・」と言う文がありますが、英語サイトやフランス語サイトで見つけた文章にはそんな文はありませんでした。手元にあるプティフィス氏の「ルイ十六世」にも手紙の内容が記載されてましたが、これにもそんな文言はありません。おそらく知恵袋に記載されている文章の翻訳者が日本語訳の際、補ったものと思われます。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10158960180

 国王は「殆ど」目標達成していますし、マリー・アントワネットも「少女のまま」ではない。そして国王の行動は理解に苦しむもので、精神的な抑圧がかかっているとしか思えませんでした。最初読んだ際は呆然としました。その抜粋には記載されていませんが、ヨーゼフは「自分がその場に居て、鞭でぶちのめしたら事は成る」と言う意味合いの事を書いています。要するに異常を認めていない。

 ツヴァイクは国王が一方的に彼女に譲歩してきた理由として国王の身体的異常を原因としているのですが、そもそも前提が違えば彼女との関係も異なってきます。だから、手術していない、とはどう言う事か、と思ったのです。
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Re:ルイ16世ではなく… (mugi)
2018-01-29 21:18:41
>こんばんは、ハハサウルスさん。

 特攻服姿でバイクにまたがるイラストはルイ16世ではなく、『ホットロード』の登場人物だったのですね。坂本氏は「写実的で筋骨隆々な男性描写が得意」(wiki)だそうで、キリッとした感じになったのでしょう。坂本氏の『イノサン』の絵はネットで見られますが、処刑人が主人公なのでグロ画像ばかりです。

 池田理代子氏の『ベルばらKids』での16世は、相撲大好きという設定にされていました。池田氏自身が相撲好きなそうで、相撲まわしを集めているルイ16世が登場しています。
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ルイ16世ではなく… (ハハサウルス)
2018-01-28 20:30:43
こんばんは、コメントへのご返答有難うございます。

すみません、私の言葉が足りませんでした。上記の坂本眞一氏のイラストは、別冊マーガレットに1986年~連載されていた『ホットロード』というマンガの登場人物・春山洋志がバイクにまたがる姿を描いたものかと思います。原作の甘く切ない感じの絵柄ではなく、キリッとした感じでカッコイイのです。
ネット上を探しても出てきませんでしたので見て頂くことはできませんが、その一枚のイラストで知った坂本氏の名前に反応して書いてしまいました。

もしルイ16世がバイクにまたがっていたら…、ホントすごい発想かもしれません。でも、坂本氏の描くルイ16世なら馬にまたがっている姿が似合いそうですね。(未読なので何とも言えませんが…)
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Re:一応 (mugi)
2018-01-27 22:13:01
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 何と結婚から3年後、2人が「ゴールイン」していたことも初めて知りました!この手紙のことを知らなければ、7年間もマリー・アントワネットが「乙女」だったと思われて当然でしょうね。せっかく「ゴールイン」しても子供は生まれず、グダグダ状態ではマリア・テレジアが心配するのも無理はない。
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Re:今年も宜しくお願い致します! (mugi)
2018-01-27 22:11:57
>こんばんは、ハハサウルスさん。

 貴女の最新記事「久しぶりに…」を面白く拝読しました。何年も前から「朝生」は見ていませんでしたが、見なくてよかった(笑)。
 本当に酷い出演者ばかりになっているみたいですね。ウーマンラッシュアワーの村本のことはネットニュースで見ましたが、番組での態度は記事で初めて知りました。コイツ、近々仙台講演の予定があります。もちろんタダでも見に行きませんが。

 ハハサウルスさんも福袋を買わない派でしたか。私もかつては「なんでこんなの買っちゃったんだろう」と、勢いと雰囲気で購入後に後悔する羽目になったことがよくありました。これが減ったのは「老」にも原因があるのではないか…と思う時があります。色々なことに興味が薄れ、ワクワク感が少なくなったのは私も同じです(汗)。

 百田氏の「憲法学者は神学者か」は、氏らしい皮肉に感じました。護憲派の憲法学者が現憲法を「不可侵」のものとするのは、貴女の想像どおり、新憲法が作られると、これまでの学業実績が役に立たなくなることを危惧していることは大いにあり得るでしょうね。
 日本に限らず知識人とは自らの言論には責任を取らない輩が多いようです。スターリンや毛沢東、ポル・ポトを讃えていたフランスの知識人も少なくなかったそうで、彼らはそれで責められたことはなかったのです。

 相互理解自体が極めて難しいと思います。記事に見る留学生は端から日本の文化を学ぶつもりはないと見ました。マレーシアのムスリム留学生の中には目をギラギラさせ、「日本留学の目的は、イスラームを広めることだ!」と息巻いていた者もいたそうで、インドネシア人も似たようなものかもしれません。
「自分達が住み易いようにすべき」如き暴言は、河北新報やおかしな公益法人が煽っていることもありますが、ならば記事にも書いたように、自分たちの社屋でも礼拝所でも作りやがれ!と言いたくなりますよ。自国でもムスリムが安心して平和に暮らせることが出来ないのに、異教徒の住む「戦争の家」に求めるのは筋違いです。

 私もルイ16世のイメージはベルばら止まりでしたが、スポンジ頭さんのコメントで最近は評価も変わってきたことを知りました。紡木たく氏の『ホットロード』という漫画は初耳ですが(最近の漫画には疎いので)、特攻服姿でバイクにまたがるルイ16世のイラストがあったのですか??その発想はお耽美イケメンの設定よりもスゴイ。

私の方こそ、今年も拙ブログをよろしくお願い致します。
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一応 (スポンジ頭)
2018-01-27 09:13:51
 おはようございます。

 一応結婚してから三年後に二人は「ゴールイン」しています。マリー・アントワネットが母親に手紙で報告しているのですが、この手紙の存在をツヴァイクは知りませんでした。当時公開されていなかったからです。但し、その後もグダグダとなってヨーゼフ来訪となるのですが。
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今年も宜しくお願い致します! (ハハサウルス)
2018-01-26 21:39:38
大分ご無沙汰しております。今頃新年のご挨拶というのも気が引けますので、「今年も宜しくお願い致します!」とだけ申し上げさせて頂きます。

昨年後半は何かと忙しくて、自分のブログ更新もままならず、そうなってきますと、何やら書くのも億劫になってしまい、このまま開店休業状態かしらとも思っていましたが、ぼちぼち無理のないよう書いていこうと思っています。

すみません、また個々の記事へコメントを書くべきところ、こちらにまとめて書かせて頂きます。

漢字一文字「老」には考えさせられますね。親の高齢化だけでなく、自分も最近以前よりいろんなことに対して好奇心が薄らいでいるような気がしています。ワクワク感も少なくなりましたし、過程よりも結果を早く得たいというような焦り(?)も感じます。いやいやそれではいけないと思うんですよ、いろんなことへの興味が失われていくようではいけないと…。今年の課題です。

仙台の初売りの豪華さは有名ですよね。私も福袋を買わない派ですので、何故にあんなに夢中になるのかよくわからないのですが、知り合いに「別に中身の問題じゃなく、『福袋』だから毎年一つは買うことにしている」という方もいて、それはそれで楽しみなのでしょう。
福袋に限らず、私も所謂「購買意欲」が年々薄らいでいる気がします。その分「なんでこんなの買っちゃったんだろう」という、勢いと雰囲気で購入し後から後悔することも減りましたが、欲しいものがあまりなくなってきたと言いますか、“これを買ってどうする?”的な経験知なのか、ちょっとつまらない気もします。

私の拙ブログから『戦争と平和』を読まれたとのこと恐縮です。私より深くいろいろ感じ取って下さったmugiさんの記事、興味深く読ませて頂きました。日本の憲法学者についての百田氏の意見には共感するところが多々あります。(神学者云々はともかく…) 憲法は現状に即して必要に応じて変わっていくべきものだと思うのですが、護憲派の憲法学者は「不可侵」のものとし、まさに解釈が仕事と思っているのでしょう。私としては、「せっかく勉強して現行憲法について解釈できているのに、新しい憲法なんて作られたことには、また研究しなくちゃならないじゃないか!」という身勝手な考えもあるのかしらと思ってしまいます。
現行の日本国憲法で、果たして日本国と日本人を守れるのかどうかを本当に考えているのかよくわからない学者達に振り回されるのはたくさんです。解釈として「それは違憲です」と言うのはよいでしょう、でも、そこからどうするのかに対してあまりにも無責任過ぎます。

相互理解は大切なことですが、「他文化強制」は「?」です。留学生は何をしに日本に来ているのでしょうか?異文化を学ぶこともその一つではないのでしょうか。「誰もが心地よく暮らせる街づくり」、大変耳に心地よく聞こえますが、そこに「自分達が住み易いようにすべき」という傲慢さも垣間見えてしまいます。文化が違うことも、生活様式が違うことも承知して来日しているのではないのでしょうか。日本人が他国へ行ってそんなことを言うでしょうか。自分達の文化も大切に思いながらも、その環境に合わせて生きていくのではないかと思います。
冷たい言い方をするようですが、「誰もが心地よく暮らせる街づくり」は自国ですべきでしょう。ムスリムが安心して平和に暮らせることを、他国に求めるのではなく、自分達の国で実現できることが一番だと思います。(本当に難しいことだと思いますが)

ルイ16世、私のイメージはまさに『ベルバラ』留まりで、今回の記事には驚くことばかりですが、一番驚いたのは坂本眞一氏の描いたルイ16世の画像です。坂本眞一氏のマンガを読んだことはないのですが、別冊マーガレット50周年記念の際に、紡木たく氏の『ホットロード』に寄せて描かれたイラストがすごく素敵で、姉に内緒(姉の本でした)でそのイラスト切り取ってきました。特攻服姿でバイクにまたがるその姿、繊細でホント一目ぼれしたイラストです。
『ベルバラ』のイメージとは違うルイ16世、これからの記事も楽しみにしていますね。

とりとめもなく書いてしまいましたが、今年も内容の濃い記事を楽しみにしています。どうぞ宜しくお願い致します。
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