トーキング・マイノリティ

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トルコで指導者となったクルド人 その②

2018-03-03 23:10:11 | 読書/中東史

その①の続き
 オスマン帝国末期の思想家・知的指導者にズィヤー・ギョカルプ(1876-1924)がいる。彼は20歳の時、故郷である東南アナトリアディヤルバクルからイスタンブルに出たが、すぐに「青年トルコ人」運動に対する一斉捜査で逮捕される。逮捕・収監されたのち、首都追放となって帰郷、そこでフランス社会学をほぼ独学したという。
 1908年の憲法復帰後にギョカルプは、「統一と進歩委員会」の本部があるサロニカ(現ギリシア領テッサロニキ)で頭角を現すことになるが、この人物もまた新井氏はクルド系であったと思われる(70頁)、と述べているのだ。

 にも拘らず、「トルコ語」と「トルコ文化」を基軸にトルコ・ナショナリズムの体系化に努め、イスラムがトルコ・アイデンティティの枢要な要素であることを主張していたのだ。2006年03月23日付Milliyet紙には、「ズィヤ・ギョカルプ生誕130周年を機に」というコラムが投稿されており、「トルコ国民アイデンティティを方向づけた思想家」の業績を紹介している。
「薬を買う金に困るほどの困窮の中」死去したギョカルプだが、彼の思想は1970年代の「トルコ-イスラム総合論」に影響を与えている。元来、トルコ・ナショナリズムはイスラムとは不可分の関係にあり、「トルコ-イスラム総合論」を提唱した知識人はこう語っている。
我々の手には、1000年にわたってイスラムとイスラム世界とを守護してきたという名誉が残るであろう」(172頁)
イスラムなくしてトルコ文明は存在しえなかったが、トルコ文化も分裂しかけていたイスラムを統合、強化した。よってトルコ文化なくしてはイスラムも発展しえなかったのである」(同)

 クルド系の血を引くオザルも「トルコ-イスラム総合論」を支持した知識人サークルのメンバーであり、彼の政権下では、学校教育に宗教文化の科目が追加された。それにしても、トルコ・ナショナリズムの体系化に努めた思想家がクルド系だったとすれば、現代から見れば何とも皮肉に感じる。新井氏はその背景をこう書いている。
オスマンがもともとハイブリットな文化をもっていたこともあり、オスマン知識人の間におけるトルコ・ナショナリズムは、民族性や血統よりも、宗教を含めた文化を重んじる傾向があり、したがってクルド系であるギョカルプがトルコ・ナショナリストにもなりえたのだが」(71頁)

 一方、'70年代後半は左派運動と結び付いたクルド系組織の活動が激化しており、1978年5月、東部アナトリアのエルズルムに駐屯する第三軍司令部には、近隣諸都市の状況について、次のような報告が届いていたという。

アルダハンでも左派が活発で、この街ではÜlkücü(※民族主義者行動党系の武闘組織に属する青年たち)すら何もできない。同様の事態はカルスでも起きている。(中略)こうした左派運動はクルド派と連帯関係にある。警察は分裂していて何もできないので市民の衝突に軍が出動することもある。街のいたるところに共産主義のスローガンとクルド語のスローガンが書かれていて誰も消そうとしない」(184頁)
マルディンは完全に毛沢東派とレーニン派の勢力下にある。それを隠れ蓑にクルド派(Kürtçü)が活動している。街の壁いたるところに赤地を基調に麦に囲まれた星・鎌・ハンマーをデザインした共産主義を表す旗が描かれている。しかも5月1日のメーデーがクルド人の祭りとして祝われている」(185頁)

 以上のことから、軍部が最も懸念していたのは、体制を破壊しようとする共産主義者の運動と、彼らと共闘し、或いは共産主義の衣をまとったクルド分離主義派の活動だったのは書くまでもない。軍部の行動が凄まじい流血が伴ったのは確かだが、Ülkücüさえ何もできないほど分離派も過激だった。Ülkücüというより、極右武装組織「灰色の狼」と書いた方が分り易いかも。こちらも数々のテロで悪名高い。

 これだけ激しい確執や闘争があるのだから、トルコ系とクルド系同士は交流が殆どないと思いきや、必ずしもそうでもないのだから、トルコ社会は複雑である。時には通婚もあるのだ。クルド人同士も一枚岩ではない。
 対クルド政策で何かとトルコをやり玉に挙げる欧米諸国だが、人権問題は口実であり、高邁な理念を掲げつつ、裏では強かに国益を追求するのが欧米政治なのだ。先日「シリアは現在のスペイン内戦になるか?」という記事を見たが、管理人の次のコメントには私も全く同感だった。
トルコとアメリカのクルド人を巡る対立もありますし。ただアメリカは最終的にはクルド人を切ると私は見ています
■参考:『イスラムと近代化/共和国トルコの苦闘』(新井政美編集、講談社選書メチエ541)

◆関連記事:「トルコを知るための53章
 「クルド問題-複雑化の背景

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Oleander)
2018-03-06 21:12:05
こんにちは、先日来、時々、のぞかせてもらっています。

トルコには今から15年ほど前に言っているのですが、食事でガイドさんの隣になって、クルド問題が話題にあがりました。
お酒も入っていたので、「トルコはクルド地区を切り離すべきだ。トルコのやっていることは戦前の日本の朝鮮統治と同じで潜在的な敵を支援しているだけだ。クルド地区に使っている国家予算をゲジコンド(スラム街のトルコでの呼び名です。)対策にまわすべきだ。クルドが独立しても、その敵は同胞を支配しているイランやイラクになるからトルコの安全保障には問題とならない・・・云々」と言ってしまった覚えがあります。
ガイドさんは典型的な世俗派ムスリムのトルコ人(これは外見と言動で分かりました。)かつ旦那さんがクルド系(これはびっくりでした。)ということもあって、まー雰囲気が悪くなりました。旅先で相手国が絡む政治の話をしちゃいけないな、と再認識させられた夜でした。
Oleander さんへ (mugi)
2018-03-07 22:35:57
こんばんは、コメントを有難うございました。

 一般にトルコ人は日本と朝鮮半島との関係や確執を知らないし、日本と朝鮮をゴッチャにする傾向があるそうです。ただ、トルコにおけるクルド人問題は、日本と朝鮮半島よりもずっと厄介ではないでしょうか?
 トルコの周辺諸国にもクルド人がいるし、各国の諜報機関がクルド人を使ったりすることがあります。イランやイラクはもちろん、シリア、さらに冷戦時代はブルガリアさえクルド人スパイを活用していた!トルコもしっかりクルド人を活用しており、トルコ政府に協力するクルド人も少なくないようです。

 記事にも書いたとおり、クルド人とトルコ人の結婚は珍しくない。オルハン・パムクの小説でもクルド人と結婚するトルコ女性が登場しており、それを家族は反対しないので驚きました。トルコの女性作家ラティフェ・テキンの父はトルコ人で母はクルド女性です。テキンの小説のことは以前記事にしています。
https://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/84c523b72742cd587707491ec2ac5e2a