トーキング・マイノリティ

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拝啓・東大名誉教授 殿 その一

2015-02-14 20:40:12 | マスコミ、ネット

「イスラム国」日本人人質殺害事件がきっかけで、取るに足りない日本の地方紙のひとつ河北新報にも、イスラム研究家やイスラム通と呼ばれる知識人がコラムを載せている。しかし、その内容や分析たるやお粗末極まりなく、中東研究家やシンパには時代遅れのアカ先生や左翼が多いことを改めて認識させられた。2月3日付の河北新報第4面にはこの件について、東大名誉教授・板垣雄三氏がコラムを投稿しており、その全文を紹介したい。

今回の事件は日本と世界が大きな曲がり角に直面している現実を突きつけた。広い視野で事件を捉え直す必要がある。日本国内では、先月の安倍晋三首相の中東歴訪は、戦後70年の節目に際し、日本が中東の安定に貢献し、グローバルな役割を果たすという文脈で説明されてきた。
 しかし今回、中東の安定とは違う展開をむしろ招いた。つまり、シリア内戦で欧米が作りだしたお化けのような存在である。「イスラム国」が、国際政治の一つのアクター(行為者)として機能する既成事実づくりを日本は促進した。「国ではない」と日本政府が強調するイスラム国が、今やリアルな存在になってしまったのだ。

 こう指摘する根底には、日本政府のメッセージの中身と発信の仕方に関する重大な問題がある。イスラエルのパレスチナ占領を警告した1973年の二階堂進官房長官談話以来、歴代政府は中東の市民の間に「日本は欧米とは違う」との印象を確保し続けてきた。2001年からは当時の河野洋平外相の提唱で、日本とイスラム諸国の知識人が「イスラム世界との文明間対話」を行い、日本は欧米とは違うとの認識を分かち合ってきた。だが、このプロセスは民主党政権下の12年末に打ち切られた。

 さらに第2次安倍政権の発足後、イスラエルとの関係強化が世界的に際立ち、その象徴が先月の首相中東歴訪だった。首相はイスラエルに多くの時間をあて、ホロコースト記念館で「特定民族を差別し憎悪の対象とすることが人間をどれだけ残酷にするか」と語ったが、パレスチナ人の民族浄化や追放である「ナクバ」(アラビア語で「大破局」「大災厄」の意。パレスチナ問題を指す)には触れなかった。イスラム世界は日本の立ち位置が大きく変化したと観察したに違いない。
 首相はその上、人質事件の表明化を受け「テロに屈しない」との対場表明をイスラエルの国旗の脇に行った。もちろんこれは政府だけの問題ではない。日本のメディアや識者の多くもなぜか、イスラエルのことには触れない。ここに大きな落とし穴がある。

 さらに問題なのは、対日観を巡って東アジアと西アジアの「一体化」が促されてしまったことだ。東アジアの近隣諸国とは歴史認識問題を抱え、真の意味での戦後70年の総括を出来ない日本。そんな日本だが、西アジアないし中東では、ムスリム市民はこれまで日本に敬愛の念を抱いていた。それが今回の事態を受けて根本的に変化し、東西のアジアの日本に対する認識が負の方向で合体する恐れがあるのだ。
 拘束された日本人2人がいることが分っていたにもかかわらず、それをなおざりに、中東を訪問した印象がぬぐえない。しかも発信されたメッセージが不用意に組み立てられたことに最大の問題がある。戦後70年を迎える日本のありようがアジアの東西から緊張感を持って問われている。

 河北新報では板垣氏の経歴をこう紹介している。「31年東京生まれ。専門は中東・イスラム研究。著書に『イスラーム誤認-衝突から対話へ-』」。
 コラム中央には『「日本は敵対日観変化」の大文字があり、中東に疎い人日本人が見たら、まるで安倍首相の中東訪問で、全イスラム世界が日本を敵とみるようになったという出鱈目を鵜呑みにしかねない。こんな底の浅いコラムを書くボンクラでも、東大名誉教授という肩書を持つことこそ、日本の中東研究における最大の問題がある。

 私の父は生前、メディアに盛んに登場、机上の空論を並べ立てていた教授に対し、“名誉教授”という綽名をつけて呼んでいたが、父に倣い私も板垣センセイを名誉教授と見なすことにした。元から河北新報如きに寄稿する学者のコラムに質は全く期待できないが、この不名誉教授殿も地方紙購読者なら上記レベルの論説でお茶を濁せると思っていたのやら。
 そして新聞編集者も栄えある東大名誉教授殿のコラムなら、読者は有難がって読むと思っている節がある。双方とも購読者を見下しているのは確かだが、地方にも中東オタクの読者がたまにいるのだ。
その二に続く

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