僅か1年前なら中共による侵攻、大虐殺の果て支配下に置かれた仏教国チベットのことを知る日本人は至って少なかったが、欧米のメディアが派手に取り上げたため、やっと一般にも知られるようになった。地政学的にチベットはインドと中国の影響をかなり受けており、特に近代、後者は積極的に介入する。ただ、これら2カ国ほどではないが、仏教伝来(7世紀前半で、日本より遅い)前のボン教にイラン(旧ペルシア)の影響が見られる。チベット仏教はインド密教を継承し、仏教と土着のシャーマニズムを結合して成立している。このシャーマニズムを体系化させたのがボン教なのだ。
ボン教の宇宙開闢神話では、黒い悪魔が全ての悪をつくったのに対し、白い光の神が世界に秩序を与えて善を代表すると説いている。古代ペルシアに関心がある方なら、これはゾロアスター教の二元論と光の教義の焼き直しなのが分るはずだ。またボン教には、天上にダクパ、セルワ、シェーパなる3兄弟が住み、各々が3世を代表する教祖となり、人々を救うとする説がある。これもゾロアスター教の3人の救世主、つまりサオシュヤントの思想と同じである。
ボン教徒自身の伝承からも、この宗教の起源にイランの宗教の影響があるのは明らかとなっている。これによると、彼らの宗教の発祥地はウルモ・ルンリンと称する理想国となっている。ウルモ・ルンリンは理想国であると同時に、この地上にも現実に存在すると考え、教徒はそれをチベットの西にあるタジク、つまりイランと見なした。タジク人なら現代も存在するペルシア系民族であり、タジキスタンとはタジク人の国を意味する。文化的、歴史的にタジク人もイランと結びつきが強く、イランはアフガン内戦でタジク人勢力を支援している。
伝承に基づくウルモ・ルンリンの地図は古代ペルシアのそれに類似しているという。さらに別の伝承によれば、5世紀中期とされるディクム王の時代、イランからボン教徒が来て、チベット人に神の供養と悪魔の鎮圧を教えたとされる。
ボン教の起源となるイランの宗教が果たしてゾロアスター教か、或いはマニ教なのか、学者の間でも結論は出ていない。しかしマニ教自体が、ゾロアスター教の二元論並びに光の教義を継承しており、伝承に見えるイラン人伝道者がマニ教徒だったとしても不思議はない。民族宗教で基本的に布教はしないゾロアスター教に対し、現代は消滅したがかつては世界宗教だったマニ教は広く布教を行っていた。
先日見た日本・イラン合作映画『ハーフェズ-ペルシャの詩』で、主人公の恋人ナバートがチベットの出身という設定は興味深い。演じたのが日本人女優なので、この設定にしたとも考えられるが、ボン教の伝説からすれば、イラン人が現代も布教しないとは限らないのだ。何しろイラン・イスラム革命以降、イランは「被抑圧者の解放」を掲げ、“革命の輸出”が国是となったのだ。この映画のジャリリ監督もインタビューで、「日本の政治家は、日本人をロボットのようにしてしまった…日本人は革命を起こさなければいけないね(笑)」と語っているところから、あながち冗談ではないはずだ。
現代はインド領となっているジャンムー・カシミール州に、小チベットと呼ばれるラダック地方がある。文化大革命で徹底的に破壊されたチベット“自治区”と異なり、古い文化が保存されている。ただ、カシミール地方全般はムスリムが圧倒的に多数であり、ラダック地方さえ西部を中心に多数のムスリムがいるほど。当然彼らは布教活動もするので、ラダックの仏教徒は神経を尖らせているという。チベットを蹂躙した赤い国は論外だが、イスラムやキリスト教も隙あらば布教の機会を狙っている可能性はかなりある。中世インドのトゥグルク朝第2代目王ムハンマド=ビン=トゥグルク(在位1325-51年)は、「偶像崇拝の闇を晴らし、イスラムの光明をもたらす」ため、1343年頃チベットに遠征軍を派遣した。幸いこの時に闇がもたらされたのは侵略軍だった。
ラダック地方は火葬が一般的だが、チベットは鳥葬で有名。他に鳥葬で知られるのはゾロアスター教で、発祥の地イランではこの葬儀は禁じられてしまった。チベットの鳥葬もイラン伝来なのだろうか。
■参考:『ゾロアスターの神秘思想』(岡田明憲著、講談社現代新書)
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ボン教の宇宙開闢神話では、黒い悪魔が全ての悪をつくったのに対し、白い光の神が世界に秩序を与えて善を代表すると説いている。古代ペルシアに関心がある方なら、これはゾロアスター教の二元論と光の教義の焼き直しなのが分るはずだ。またボン教には、天上にダクパ、セルワ、シェーパなる3兄弟が住み、各々が3世を代表する教祖となり、人々を救うとする説がある。これもゾロアスター教の3人の救世主、つまりサオシュヤントの思想と同じである。
ボン教徒自身の伝承からも、この宗教の起源にイランの宗教の影響があるのは明らかとなっている。これによると、彼らの宗教の発祥地はウルモ・ルンリンと称する理想国となっている。ウルモ・ルンリンは理想国であると同時に、この地上にも現実に存在すると考え、教徒はそれをチベットの西にあるタジク、つまりイランと見なした。タジク人なら現代も存在するペルシア系民族であり、タジキスタンとはタジク人の国を意味する。文化的、歴史的にタジク人もイランと結びつきが強く、イランはアフガン内戦でタジク人勢力を支援している。
伝承に基づくウルモ・ルンリンの地図は古代ペルシアのそれに類似しているという。さらに別の伝承によれば、5世紀中期とされるディクム王の時代、イランからボン教徒が来て、チベット人に神の供養と悪魔の鎮圧を教えたとされる。
ボン教の起源となるイランの宗教が果たしてゾロアスター教か、或いはマニ教なのか、学者の間でも結論は出ていない。しかしマニ教自体が、ゾロアスター教の二元論並びに光の教義を継承しており、伝承に見えるイラン人伝道者がマニ教徒だったとしても不思議はない。民族宗教で基本的に布教はしないゾロアスター教に対し、現代は消滅したがかつては世界宗教だったマニ教は広く布教を行っていた。
先日見た日本・イラン合作映画『ハーフェズ-ペルシャの詩』で、主人公の恋人ナバートがチベットの出身という設定は興味深い。演じたのが日本人女優なので、この設定にしたとも考えられるが、ボン教の伝説からすれば、イラン人が現代も布教しないとは限らないのだ。何しろイラン・イスラム革命以降、イランは「被抑圧者の解放」を掲げ、“革命の輸出”が国是となったのだ。この映画のジャリリ監督もインタビューで、「日本の政治家は、日本人をロボットのようにしてしまった…日本人は革命を起こさなければいけないね(笑)」と語っているところから、あながち冗談ではないはずだ。
現代はインド領となっているジャンムー・カシミール州に、小チベットと呼ばれるラダック地方がある。文化大革命で徹底的に破壊されたチベット“自治区”と異なり、古い文化が保存されている。ただ、カシミール地方全般はムスリムが圧倒的に多数であり、ラダック地方さえ西部を中心に多数のムスリムがいるほど。当然彼らは布教活動もするので、ラダックの仏教徒は神経を尖らせているという。チベットを蹂躙した赤い国は論外だが、イスラムやキリスト教も隙あらば布教の機会を狙っている可能性はかなりある。中世インドのトゥグルク朝第2代目王ムハンマド=ビン=トゥグルク(在位1325-51年)は、「偶像崇拝の闇を晴らし、イスラムの光明をもたらす」ため、1343年頃チベットに遠征軍を派遣した。幸いこの時に闇がもたらされたのは侵略軍だった。
ラダック地方は火葬が一般的だが、チベットは鳥葬で有名。他に鳥葬で知られるのはゾロアスター教で、発祥の地イランではこの葬儀は禁じられてしまった。チベットの鳥葬もイラン伝来なのだろうか。
■参考:『ゾロアスターの神秘思想』(岡田明憲著、講談社現代新書)
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