皆様、新年明けましておめでとうございます!新年をいかが過ごされているでしょうか。
今年も去年と同じく仙台は好天に恵まれ、穏やかな元日となりました。昨日も晴天で、初売りには大勢の市民で賑わいました。一方、東北の日本海側では大雪になった地域もあり、同じ東北でも太平洋側と日本海側では冬の天候はまるで異なります。
今年も拙ブログをご贔屓して頂けたなら、ブロガーにとって幸いなことはありません。本年も何卒宜しくお願い致します。
今年の初記事で気が引ける話ですが、元日に伯母(母の姉)が亡くなりました。伯母は暫く前から埼玉県に住んでおり、同じく埼玉に住む叔父(母の弟)が昼頃、伯母の死を知らせてきました。元日の8時頃、心不全で死去したそうで、既に火葬は済ませたとのことでした。
元日から火葬場が稼動していることには驚いたし、世間が正月で浮かれている時も火葬に携わっている人びとがいることは案外知られていないかもしれません。元日でも働いているのは医療現場やサービス業だけではないのです。
ただ、亡くなった直後に火葬にしたのは早すぎると思いましたが、伯母は生前に永代供養を希望していたらしく、入居していた施設でも速めに対応したのかもしれません。遺骨の扱いは役所が始まる4日以降に決まるようですが、伯母の訃報にお屠蘇混じりの正月気分は吹き飛びました。
長年首都圏で暮らしてきた伯母とは、あまり顔を合わせることはありませんでしたが、その人生に思いを馳せたくなります。
伯母のことは2013-08-15付の記事でも取り上げていますが、離婚後に東京方面に行き、それ以降は首都圏で暮らしていました。今でこそ離婚は珍しくないし、それほど恥とは思われなくなりました。しかし、伯母は今年4月で93歳を迎えるはずだったし、離婚時はまだ20代後半だったはず。まして、故郷の宮城県・岩出山町(いわでやままち)のような東北の小さな町では、「出戻り」の居心地が悪かったのは想像に難くありません。
伯母には子供がいなかったため、首都圏で自立した生活を送ることができました。それでも離婚で精神的に不安定になったのか、一時期は創価学会に入信していたこともあります。悩みの無い人間はいませんが、それに付け入るのがカルト宗教なのです。
いくら女1人で自立していても寄る年波には勝てず、晩年は市役所福祉課の勧めで施設に入所しました。入所から1年も経ず、伯母は昇天したのです。私は施設に行ったこともなく、足腰のめっきり弱っている母もそれは同じです。そのため最後に伯母と会ったのは、十数年前のことになりました。
兄弟がいるにも関わらず、伯母が永代供養を希望していたことは考えさせられます。昔と違い、後を継いだ長男一家の墓に入れるとは限らず、無縁仏が増加する時代。孤独死も珍しくない現代、身寄りのない老人が施設に入り、死後はきちんと火葬にされるのはむしろ恵まれているでしょう。
1月2日付のダークネスの記事「日本人は長生きし過ぎるリスクの対応と解決をいずれ迫られる国になる?」は、重いテーマでも読ませられる内容でした。かつて長寿は手放しで喜ばれましたが、「長生きし過ぎるリスク」という問題もあるのです。管理人の言うように近い将来、「安楽死」「尊厳死」の権利を主張する人々が現れてくるかもしれません。
今年も宜しくお願いします
私の方こそ、今年もよろしくお願い致します。
本来であれば新年のご挨拶ですが、新年早々にご親族のご不幸で、お悔やみ申し上げます。
本年の5月には今上天皇の譲位があり、新しい年号になりますね。まさか、3つの年号に渡るとは思っていませんでした。それでも今年は国内外を問わず、平穏無事とは行きそうもありませんね。
本年も一年、ご健勝でお過ごしください。
明けましておめでとうございます!
まさか元日に親族が死去するなど、想像も出来ませんでした。人は何時あの世に行くか、本当に分からないものです。それでも90歳過ぎての死だから、大往生といえるでしょう。
即位時の今上天皇の御年から、平成はせいぜい30年くらいだろうと思っていましたが、やはり当たりました。新しい年号が何になるのか、今のところ不明だし、国内外情勢の見通しも予想がつきません。それでも良き年になるよう願いたいものです。
今年も宜しくお願い致します。そして貴ブログでの御健筆をお祈り申し上げます。
「生まれるなら12月31日、死ぬなら1月1日」というお話は初めて知りました。検索したら、↓の記事がヒットしました。
http://koyamazon.blog20.fc2.com/blog-entry-54.html
1人者の伯母には恩恵のない話ですね。
本年も宜しくお願い申し上げます。
伯母様のこと、お悔やみ申し上げます。
以前、お墓事情を取り上げる番組が増えた時期がありました。所謂「お墓を守る」ということが難しくなっているということなのでしょう。様々な形が出てきているようで、皆がそれぞれの事情で考えておられるようです。無宗教のお葬式に参列したことがあります。亡くなられた方との思い出を中心にした葬儀で、故人のお人柄が偲ばれました。形式は形式として大切だと思います(その中で、心の整理がつくということもあるでしょう)が、心の中で、故人を思う、思い出すということも追悼になると思います。
(記事違いですみません)
「イヌイットの怒り」は、日本人には共感できるのではないでしょうか。アザラシも鯨も、その命を大事に頂いてきた側としては、過激な反対運動には怒りを覚えます。日本が脱退したことで、シーシェパードは勝利宣言したそうですが、彼らは運動自体が目的になっていたようにも思えますので、実は攻撃相手がいなくなると困るのではないかなと思います。鯨に寄生しているようなものです。
大分前の話ですが、金華山に行った折、鯨の博物館に立ち寄りました。とても興味深く楽しんで来ましたが、宮城の方々の心配も、記事を読ませて頂いてわかりました。反対する人々は一方的な価値観を押し付けてきますので、こうした問題はまだまだ続いていくのでしょうね。
私事ですが、昨秋体調を崩し、治療のお陰で日常生活に支障はなくなりましたが、まだ薬の服用は続きそうです。ブログも開店休業状態ですので、なかなかコメントもできないかもしれませんが、今後とも宜しくお願い致します。
遅まきながら、新年おめでとうございます!私の方こそ今年も宜しくお願い致します。
私もお墓事情を取り上げる番組を見たことがあります。確か『クローズアップ現代』でも取り上げていたような。私は無宗教のお葬式に参列したことはありませんが、亡くなられた方との思い出を中心にした葬儀というのも良いですね。形式も大切ですが、意味のない形式に大金を使うこれまでの葬儀を考え直す時期に来ているのかもしれません。
「イヌイットの怒り」ですが、番組サイトには様々な感想があったそうで、共感した日本人視聴者が多かったと思います。事情も知らないくせに、広告塔になる欧米人セレブも不愉快ですが、反捕鯨キャンペーン支援には中共も関与しているという噂もあります。連中は反日目的なら手段を選びませんから。それにしても、シーシェパードが「鯨に寄生しているようなもの」とは言い得て妙ですね。
鯨の博物館には私も行っています。河北新報さえ日本の脱退はやむを得ないと社説で書いていたほど。先にスポンジ頭さんが、「ネットでIWC脱退に反対しているのは通常多様性とか異文化の尊重とか主張している人間」だったというのは意味深でした。その類はメディアにも巣食っているはず。
更新が止まりがちだったのには、お体のことがあったのですか。何事も健康が大切なので、くれぐれも体調に気を付けて下さい。