中学校時代のものだったと思うが、私の学校教科書にはインドの“狼少女”ことアマラとカマラの話が載っていた。幼少時に狼に育てられた少女が人間社会に戻っても、いかに人間性を身に付けるのか困難になるという内容で、環境と教育の大切さを諭した逸話となっている。これを知った時、私は狼が幼女を何故食べなかったのか不思議だったし、狼は人間が言うほど獰猛な性質ではなかった?…と思った。しかし、現代ではこの狼少女の話は、彼女らを養育したと主張するキリスト教伝道師ジョセフ・シング(Joseph Amrito Lal Singh)による創作と考えられている。
アマラとカマラは野生児などではなく先天性精神障害を持つ子供であり、孤児院を運営するシングが金銭確保を目的に口裏を合わせていたことが後の研究で判明したと、wikiの説明にも見える。「アマラとカマラ」は野性児の考察において、最もスキャンダラスな詐欺事件であると結論付けた医師もいたという。インドの貧しい農村では障害を持つ子供は捨てられることも多く、特に女児はその傾向が強い。
ただ、学校教科書にも取り上げられたことから、今でもアマラとカマラの物語を真実と思っている日本人も少なくないのかもしれない。『狼にそだてられた子』の翻訳出版により日本でも“狼少女”の話が知られるようになり、この本の著者アーノルド・ゲゼルは米国の心理学者、小児科医で、子どもの発達研究分野のパイオニアだったとか。
初版が昭和60(1985)年10月、『世界おもしろ雑貨1』(ウォーレス・ワルチンスキー他、角川文庫 赤444)という文庫本を私は持っている。この本には「さまざまな野生児/動物に育てられた子供たち」という章があり、もちろんアマラとカマラの逸話も収録されている。その他の野生児を一部挙げると、「ヘッセ地方(ドイツ)の狼少年/1344年」「リトアニアの熊少年/1661年」「アイルランドの羊少年/1672年」「フラウマルク(ハンガリー)の熊少女/1767年」等から、欧州では野生児の伝説が昔からあったらしい。これらの話には、生肉や草を食べる、獣のような唸り声をあげる、言葉を殆ど憶えないという共通性がある。
そして、アマラとカマラ以前にもインドで狼少年のケースがあったことが紹介されている。本には次のように書かれていた。
-1867年、インドのミネプリ近くの洞穴で狼たちと暮らしていた7歳くらいの少年が、狩猟隊に発見された。アグラのセカンドラ孤児院に連れていかれ、ディナ・サニチャーという名を与えられた少年は、衣服をつけるのを拒み、骨をかじって歯を鋭くした。28年間孤児院で暮らしたが、最後まで言葉は憶えなかった。1895年、肺結核のため死んだ。彼が身に付けた人間社会の習慣のひとつ-喫煙-によって症状を悪化させたのだ。 (156-157頁)
ディナ・サニチャーとアマラとカマラの話は実に似ており、もしかすると前者も自閉症や知的障害があって捨てられた可能性もある。インドの “狼少年”は忘れ去られたが、少女は有名となった。野生児への興味もあり、養育者がキリスト教伝道者で著作と写真があれば、一般人はもちろん知識人もなかなか見抜けないだろう。
狼は肉食であり、人間の幼児を育てるよりも食べることをしないのか私は不思議に思っている。むしろ人間を襲う狼の方が多いのではないか。ただ、狼も人間との長い接触から、人間に手を出せば狩られる危険性を学んだのかもしれない。
日本で「アイツは狼だ」と言えばケダモノ同然という意味であり、罵倒になる。これは儒教圏や欧米でも同じ傾向のはずだし、狼は冷酷で獰猛な獣と一般に思われている。
しかし、所変われば常識も変わり、少なくとも中東なら狼は尊称や褒め言葉となるのだから面白い。「蒼き狼」の異名を持つ英雄はモンゴルだが、「灰色の狼」ならトルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマルを指す(※ただ、「灰色の狼」という名の極右武装集団もトルコにある)。「アラビアのロレンス」もベドウィンから狼と呼ばれていたという。狼のように残酷というのではない。狼のように賢く強いという意味合いで。白人の異教徒にしては、これは最高の褒め言葉である。
その二に続く
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その二にも書きましたが、ローマ建国神話でロムルスとレムスのケースはあまりにも有名です。古代ローマで雌狼は娼婦を指すこともあったそうですが、建国の祖の育ての親が娼婦では都合が悪すぎますよね。
古代なら狼をトーテムとする部族の存在も考えられますが、少なくともロムルスとレムスは違う部族に育てられたようには思えません。