その①、その②の続き
ダビデの不義を諌めた預言者ナタンは、神の怒りと罰の言葉を伝え、間もなく後者は実行された。
-見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう。あなたは隠れて行ったが、わたしはこれを全イスラエルの前で、太陽の下で行う…(サムエル記下12・11-12)
ダビデの長子アムノンが異母妹タマルを犯したのは、その後だった。タマルと同腹の兄アブサロムはこれに激怒、異母兄を殺害する。さらにアブサロムは父に謀反を起こし、ダビデは王宮を追われる。エルサレム入城後、アブサロムは王宮に残された父の側室10人を人前で犯した。よく人前でやれるものだと思う人もいるだろうが、聖書的にはこれも全て神の与えた罰とされている。宗教書ゆえ、神意の結果の解釈になるのは当たり前なのだ。
これも異教徒の私には、父の血を引いた子供たちに相応しい行為にしか思えない。好色で奸計を以って人妻を手に入れる男の息子なら、その気性を受け継がない方がおかしい。親の因果が子に報い、という諺が東洋にある。
聖書にはバト・シェバの他にも水浴で受難に遭う美しい人妻が登場する。ダニエル書補遺に登場するスザンナの物語がそれであり、貞節な人妻の彼女が、日頃から彼女に目を付けていた長老により関係を迫られるのだ。一応、人払いをして水浴はしていたものの、覗き趣味者は常にその機会を狙っており、スザンナにとっても長老が覗きをしていたことなど予想外だった。彼女に関係を拒絶された2人の長老は、スザンナが若者と姦通していたと誣告する。スザンナは逮捕され、無実の罪で処刑されるところを、預言者ダニエルによって救われた。ヨハネ氏のような人物なら、これも女の不注意と見るだろうが、不可抗力の災難は何時も起こりえることを聖書は書いているのだ。
ヨハネ氏がバト・シェバの次に挙げたのはヤコブの娘ディナ。ヤコブはアブラハムの孫であり、ディナの話はダビデの時代よりずっと前の創世記にある。ディナはある時、カナン人のシェケムに強姦されてしまう。彼女は「いつも出て行ってその地の娘たちと会おうとするのであった」 (創世記34:1)ので、性的被害に遭ったのだと氏は言う。
聖書には登場人物の心理描写は殆どないため、筋の前後から読み解く他ない。そのためディナがどんな娘だったのかは不明だが、よくいえば行動的、悪くとれば軽率で不用心だった面があったと思う。所謂不良娘ではないだろうし、遊びたい年頃ゆえ同年代の友人がほしかった気持ちは分かる。そこをシェケムに目に付けられたのは確かで、ヨハネ氏の言い分は正しい。
たが、シェケムは単なる慰み目的ではなく、ディナが好きでならず、首長である父に正式に嫁に迎えるよう頼んでいる。首長も息子の気持ちを叶えたく、ヤコブに和解を申し込み、父親同士の交渉が始まる。首長はヤコブ一族との姻戚関係を提案するが、ヤコブの息子たちはそれにひとつ条件を付けた。首長一族の男たち全員が割礼を受けること、つまりイスラエルの神との契約の印であり、信仰を同じくすることを求めたのだ。ディナと結婚したいシェケムは率先して割礼に応じ、それに部族の男たちも倣った。
割礼は3日後に最も痛むそうで、歩くのもままならないという。その機を逃さずヤコブの息子たちは、シェケム一族の男たちを尽く殺戮、女子供や家畜、財産も全て奪う。これが一族の娘への性的虐待に対する報復だった。
この虐殺行為はヤコブの命ではなく息子たちが暴走したものであり、後者は父から叱責を受けている。ただ、陰で糸を引いていたのは父だったと見る者もいる。父も若い頃、兄エサウを出し抜いて長子権を得ており、これも奸計によるものだった。そのやり口と息子たちのだまし討ちを重ねるのは私だけではないはず。そして何倍もの拡大報復を平然と行うのは、現代のイスラエルに通じるものがある。
『旧約聖書を知っていますか』(阿刀田高著、新潮社)で、著者はこの件について、次のように考察している。
-イスラエルの神にとっては常識的な善悪も大切だが、それ以上に、その男が神を敬っているかどうか、その男が神の祝福を受けた者であるかどうか、それが第一義である。あえて簡単にはっきりといえば、神が愛している人間であれば、神を裏切ること以外は何をやっても、まあ、大目に見てもらえる…
現にヤコブやその息子たちには、神の罰は下されていない。「私は妬む神である」と何度も明言するのがイスラエルの神であり、とかく選民のユダヤ人を徹底贔屓、異教徒はまず顧みないのだ。
その④に続く
◆関連記事:「旧約聖書を知っていますか」
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ダビデの不義を諌めた預言者ナタンは、神の怒りと罰の言葉を伝え、間もなく後者は実行された。
-見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう。あなたは隠れて行ったが、わたしはこれを全イスラエルの前で、太陽の下で行う…(サムエル記下12・11-12)
ダビデの長子アムノンが異母妹タマルを犯したのは、その後だった。タマルと同腹の兄アブサロムはこれに激怒、異母兄を殺害する。さらにアブサロムは父に謀反を起こし、ダビデは王宮を追われる。エルサレム入城後、アブサロムは王宮に残された父の側室10人を人前で犯した。よく人前でやれるものだと思う人もいるだろうが、聖書的にはこれも全て神の与えた罰とされている。宗教書ゆえ、神意の結果の解釈になるのは当たり前なのだ。
これも異教徒の私には、父の血を引いた子供たちに相応しい行為にしか思えない。好色で奸計を以って人妻を手に入れる男の息子なら、その気性を受け継がない方がおかしい。親の因果が子に報い、という諺が東洋にある。
聖書にはバト・シェバの他にも水浴で受難に遭う美しい人妻が登場する。ダニエル書補遺に登場するスザンナの物語がそれであり、貞節な人妻の彼女が、日頃から彼女に目を付けていた長老により関係を迫られるのだ。一応、人払いをして水浴はしていたものの、覗き趣味者は常にその機会を狙っており、スザンナにとっても長老が覗きをしていたことなど予想外だった。彼女に関係を拒絶された2人の長老は、スザンナが若者と姦通していたと誣告する。スザンナは逮捕され、無実の罪で処刑されるところを、預言者ダニエルによって救われた。ヨハネ氏のような人物なら、これも女の不注意と見るだろうが、不可抗力の災難は何時も起こりえることを聖書は書いているのだ。
ヨハネ氏がバト・シェバの次に挙げたのはヤコブの娘ディナ。ヤコブはアブラハムの孫であり、ディナの話はダビデの時代よりずっと前の創世記にある。ディナはある時、カナン人のシェケムに強姦されてしまう。彼女は「いつも出て行ってその地の娘たちと会おうとするのであった」 (創世記34:1)ので、性的被害に遭ったのだと氏は言う。
聖書には登場人物の心理描写は殆どないため、筋の前後から読み解く他ない。そのためディナがどんな娘だったのかは不明だが、よくいえば行動的、悪くとれば軽率で不用心だった面があったと思う。所謂不良娘ではないだろうし、遊びたい年頃ゆえ同年代の友人がほしかった気持ちは分かる。そこをシェケムに目に付けられたのは確かで、ヨハネ氏の言い分は正しい。
たが、シェケムは単なる慰み目的ではなく、ディナが好きでならず、首長である父に正式に嫁に迎えるよう頼んでいる。首長も息子の気持ちを叶えたく、ヤコブに和解を申し込み、父親同士の交渉が始まる。首長はヤコブ一族との姻戚関係を提案するが、ヤコブの息子たちはそれにひとつ条件を付けた。首長一族の男たち全員が割礼を受けること、つまりイスラエルの神との契約の印であり、信仰を同じくすることを求めたのだ。ディナと結婚したいシェケムは率先して割礼に応じ、それに部族の男たちも倣った。
割礼は3日後に最も痛むそうで、歩くのもままならないという。その機を逃さずヤコブの息子たちは、シェケム一族の男たちを尽く殺戮、女子供や家畜、財産も全て奪う。これが一族の娘への性的虐待に対する報復だった。
この虐殺行為はヤコブの命ではなく息子たちが暴走したものであり、後者は父から叱責を受けている。ただ、陰で糸を引いていたのは父だったと見る者もいる。父も若い頃、兄エサウを出し抜いて長子権を得ており、これも奸計によるものだった。そのやり口と息子たちのだまし討ちを重ねるのは私だけではないはず。そして何倍もの拡大報復を平然と行うのは、現代のイスラエルに通じるものがある。
『旧約聖書を知っていますか』(阿刀田高著、新潮社)で、著者はこの件について、次のように考察している。
-イスラエルの神にとっては常識的な善悪も大切だが、それ以上に、その男が神を敬っているかどうか、その男が神の祝福を受けた者であるかどうか、それが第一義である。あえて簡単にはっきりといえば、神が愛している人間であれば、神を裏切ること以外は何をやっても、まあ、大目に見てもらえる…
現にヤコブやその息子たちには、神の罰は下されていない。「私は妬む神である」と何度も明言するのがイスラエルの神であり、とかく選民のユダヤ人を徹底贔屓、異教徒はまず顧みないのだ。
その④に続く
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仰るとおり、聖書式解釈となれば“奸計”というより、長子権を軽んじたエサウを神が見限ったとなりますね。弟可愛さの母の手助けがあったとしても、一食のためだけに大切な長子権を手放したの兄が悪いとなります。胎児の頃、すでに神から予言があったので、“奸計”の言葉は不適切でした。ただ、これもヤコブの正統性を強調するための、聖書的粉飾?
“奸計”というのは私の見方で、ヤコブは元々兄が長子権を重んじていないことを熟知しており、それで兄が空腹の際、トンでもない条件を切り出し、見事に誓いを立てさせ、長子の特権を手放させた。やはり、日本人的価値観からは、“奸計”にちかい様な。
創世記の時代はのちのキリスト教のような一夫一妻制はありませんから、「女好き」で妻の侍女に手を出しても問題はありません。一応、正妻の公認となっていますが、ヤコブが子沢山なのも「女好き」が原因。そして「不細工の姉」レアとの間にもっとも多く子供を儲けていますね。これも神が夫に嫌われた妻の味方をしているにせよ、反応しているから下半身は嫌いではなかった?
>>「義母・美熟女 ビルハ」なんてAVができないだろうかとニヤけているが
実は私もポルノ聖書なんて空想しましたが、本当に制作したら、日本人は見事に聖絶されてしまうかもしれません。イエスが実は子供を儲けていたという「ダヴィンチ・コード」さえ、バチカンは信者に映画を見ないように命じていたのですよ。
うーん、この件に関しては、創世記25章にこうありますのでね、
「主は彼女(筆者注:ヤコブの母)に言われた、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」、「ヤコブは言った、「まずあなたの長子の特権をわたしに売りなさい」、エサウは言った、「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」、ヤコブはまた言った、「まずわたしに誓いなさい」。彼は誓って長子の特権をヤコブに売った。そこでヤコブはパンとレンズ豆のあつものとをエサウに与えたので、彼は飲み食いして、立ち去った。このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。 」
「兄エサウを出し抜いて長子権を得」たのはこの後ですからね。当時の長子権は民族統治権、すなわち「一国一城の主」の権利とも言えますので、たかだか一食のためにこれほど重要なものを簡単に「手放す」エサウにも、冷やかなまなざしが向けられても仕方がないのでは(ここまでの引用が後世のねつ造だとする立場なら、「奸計」と言い切ってよいかもしれませんが、それでは旧約聖書をご都合主義で解釈している「トラックバックさん」と同列になってしまうのでは)?。
ただ、ヤコブ(≒イスラエル)が、父や祖父に似ず「女好き」だったのは否定できまい(アブラハムにサラ、ハガル、ケトラと3人「女」がいたのは旧約聖書に記録があるが、サラの死後ケトラが妻となっており、ハガルは「正妻サラ」の勧めでアブラハムと“交渉 ”してイシマエルを生んでいる)。ラバンの2人の娘のうち、「萌えの妹」ラケル(=レイチェル)を娶ろうと「従業員」の地位に7年甘んじた挙句、「不細工の姉」レアを押しつけられたのはまあ同情に価するとしても、すぐにラケルも娶っておきながら、正妻たる2人の侍女にもさっさと手を付けているのは、後世そうとられても仕方あるまい。だから長男ルベンは「義母(そして多分美熟女) ビルハ」とヤッてしまい、長子相続権を召し上げられる。「義母・美熟女 ビルハ」なんてAVができないだろうかとニヤけているが、もしそんなものが本当に出来て世界に拡散したら、ユダヤ教(=イスラエル)とキリスト教原理主義(=アメリカ)から日本に数百発の核弾頭が飛んでくるかも(ガクブル)。