イランや中東史に関心がなければ、ムハンマド・モサッデク(1880-1967)というイラン史上初めて石油を国有化した首相がいたのをご存知の方は少ないだろう。そしてモサッデクが他の多くの第三世界の指導者と同じく、民主主義を標榜するアメリカにより失脚させられたことも。 以前の記事「英露の覇権争いにより」
でも書いたが、19世紀のイランはイギリス、ロシアの帝国主義に翻弄される。その状況は20世紀になっ . . . 本文を読む
その①の続き 汎テュルク主義を掲げてトルコ帝国の支配者となったエンヴェルだが、肝心の軍事的指導力は拙劣そのものだった。1911-12年のイタリア・トルコ戦争ではエンヴェルの戦略的失敗により、北アフリカに残っていた唯一のトルコ領(現リビア)を失う。ケマルも現地に派遣されるが指揮権もろくに与えられず、彼が主張した作戦を蹴ったのもエンヴェルだった。同じ頃に起きた第一次バルカン戦争でも総指揮権を握ったエン . . . 本文を読む
正式名は「統一と進歩委員会」だが、西欧側から「青年トルコ党」と呼ばれ、日本の世界史の教科書でもそれに倣い表記された組織から頭角を現し、1908年政変(いわゆる青年トルコ人革命)を起こしたのがエンベル・パシャだった。トルコ初代大統領ケマル・パシャとは同い年ながら上司はエンヴェルであり、2人は終生そりの合わない政敵だった。 エンヴェルは1881年イスタンブールの下級官吏の家に生まれたとされる(出生地 . . . 本文を読む
世界史上、クレオパトラほど著名な女性は他にいないだろう。現代でもクレオパトラといえば子供でも知っている。J.ネルーは娘に当てた手紙にこう記している。「彼女はその美貌によって名を残した数少ない女性だ。彼女の評判はあまり芳しいものではない」… クレオパトラの評判が芳しくない原因は、何と言ってもカエサルやアントニウスという、2人の名だたるローマの英雄と関係を持ったことだ。エジプト、ローマともに古代社会 . . . 本文を読む
古代エジプトといえば、ミイラが有名だ。古代エジプトの催しでミイラの展示は最大の目玉となり、おそらく会場に来た人々がもっとも熱心に眺める代物だろう。古代エジプトくらい、世界史でもまれな厚葬をした文明もない。製造技術は紀元前16世紀以降、新王朝時代に一段と精巧になる。ヘロドトスはミイラのつくり方を記しているが、これも代価により三段階あったらしい。 もっとも丁寧な方法だと、まず鉄の鈎を使い鼻孔から脳髄 . . . 本文を読む
その①の続き シャープールの碑文にはこんな文句がある。「ローマ人は再び嘘をつきアルメニアに悪事を働いた。よって我々はローマ帝国を攻撃する」。
ペルシアとローマとの争いの発端は大抵アルメニアがあった。地政学的に重要なのはどちらも同じだが、ゾロアスター教の聖地があるという事情もあり、ペルシ
アとしても絶対譲れない。アルメニアも親ペルシアと親ローマ派に分かれており、いずれも両大国から援助を受けていた . . . 本文を読む
サーサーン朝ペルシアの歴代皇帝の中で、おそらく西欧でもっとも名が知られているのはシャープール1世(在位240-72年)かもしれない。先日見た『ローマ人の物語-スペシャルガイドブック』に「目的のためには手段を選ばず-「宿敵ペルシア王シャープール1世」」とのコラムがあり、冒頭はこう。「ローマには宿命のライバルと言える国家、王が少なくなかったが、その中の極め付きがサーサーン朝ペルシア二代目の王シャープ . . . 本文を読む
大王でもアレキサンダーなら有名だが、一般の日本人にキュロスはなじみが薄いだろう。キュロスこそアケメネス朝ペルシアの初代皇帝であり、祖父も同名のため区別してキュロス2世とも呼ばれるが、アケメネス朝で大王と通称されるのはキュロス2世とダレイオス1世だけである。 中東史自体が日本でマイナーなため、今でもイランとペルシアを全く別の国と思う人も珍しくない。ペルシアはイランの旧名であり、20世紀になってから . . . 本文を読む
ギリシア・ローマ時代からペルシア帝国は西欧人史家から専制君主体制と断罪され続けてきた。先日公開された映画「300」など、いかにペルシアが悪役にせよ、無慈悲な暴君が鞭で支配する悪の帝国というステレオタイプのハリウッド史劇だった。ペルシアの被支配民族は何の疑問も抱かず大王に従う奴隷同然に描かれている。しかし、古代でも圧制と残虐だけで2世紀もアケメネス朝が続くはずもない。 ギリシアとペルシアの決定的な . . . 本文を読む
先日「イラン人が見た明治の日本」と、それに合わせて「明治の日本人が見たイラン」という記事を書いたが、前者を読まれた人からこのようなコメントがあった。「お金がほしい、貧乏よりは金持ちがいいというのは、わりと自然な人間の気持ちでしょう。だから、イラン人は素直にそれに従う(または翻弄される)。一方、お金を要求しない、渡しても断る当時の日本人は、節制の精神が強かったのではないでしょうか」 私の記事だけ読 . . . 本文を読む