面白く、そして下らない

私は批判をして何かを為した気になっている大衆の一人に過ぎないが、何か少しでも波紋を起こす小石になれればと書いている。

売国マスコミ恐るるに足らず

2012-04-20 22:46:40 | マスコミ
石原都知事の尖閣諸島購入発言を受けて、新聞各社一斉に社説で反応した。2ちゃんねるでの指摘だが、その社説が酷似しているのだ。

~~引用ここから~~
福井新聞
石原氏の尖閣購入発言 挑発合戦は外交にあらず
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/editorial/34249.html
 石原慎太郎東京都知事が民間人の所有する沖縄県・尖閣諸島を都が購入すると発言し、波紋を広げている。野田佳彦首相も衆院予算委で「あらゆる検討をしたい」と述べ、国有化も選択肢とする考えを示した。今年は日中国交正常化40周年。
(略)
 一方の中国や台湾は領有権を主張、周辺海域でトラブルも多発している。だが「歴史的にも国際法上も日本固有の領土」との日本政府の立場は明確で実効支配もしている。領土・領海・領空を守る姿勢はもちろんだが、いま都有化や国有化であえて刺激する必要があるのか。
(略)
 領土問題に強いこだわりを持ち、中国には強硬な姿勢をとってきた石原氏だ。民主党政権の外交姿勢が「弱腰」にみえるのだろう。政府を批判、揺さぶりを掛け、自らは国を守る信念の政治家だとアピールする狙いがあると思われる。米国での発言は、国際的な注目を集めることを計算したようにみえる。

 しかし、なぜ東京都が都民の税金を使って遠く離れた島を買わなければならないのか。知事の個人的信条というのでは理由にはならない。中国を刺激するだけで、無責任ではないか。
(略)
 こうした問題は外交ルートで解決していくべきものだ。外交は政府の専権事項である。
(略)
複雑な利害が絡む外交課題には毅然(きぜん)とした姿勢を崩さず、かつ丁寧な対話の積み重ねが必要だ。


宮崎日日新聞
尖閣買い上げ
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/?itemid=45141&catid=15&blogid=5&blogid=5&catid=15
中国反発招く刺激は無責任

 中国や台湾も領有権を主張し、周辺海域で度々トラブルも起きている沖縄県・尖閣諸島を、東京都が買い上げると石原慎太郎知事が発言、波紋が広がっている。石原氏の動きに対して、野田佳彦首相は「あらゆる検討をしたい」と、国有化も選択肢とする考えを示した。

 だが、かねてから日本政府は尖閣諸島を「歴史的にも国際法上も日本固有の領土」との立場をはっきりさせ、実効支配もしている。なぜ今、都有化や国有化の話になるのだろうか。中国や台湾を刺激するだけである。
(略)
 しかしなぜ、都民の税金で遠く離れた島を買わなくてはならないのか分からない。知事の個人的信条だけでは理由になるまい。

 領土問題に強いこだわりを持ち、中国に対して強硬な姿勢をとってきた石原氏は、民主党政権の姿勢が弱腰に見えるのだろう。政府を批判し、自らは国を守る信念の政治家だとアピールする狙いがあるとも思われる。米国での発言は、国際的な注目を集めることを計算したようでもある。
(略)
 今年は日中国交正常化40周年。ミサイルを発射した北朝鮮への対応や、経済交流で中国とのより良好な関係構築に力を注ぐべきときだ。5月には日中両国は東シナ海の危機管理のために「高級事務レベル海洋協議」を設置、中国で初会合を開く。複雑な利害が絡む外交の課題を解決するには、丁寧な対話の積み重ねしかない。

~~引用終わり~~

引用しない箇所も似ている文章は少なくない。ブログで何処を引用しようか考えていると間違い探しをしている錯覚に陥るくらいだ。
他の石原発言に批判的な社説を書いた地方紙も類似点が多い。

中国を刺激する
都知事の仕事ではない、外交・安全保障は国の専権事項
都民の税金を使うのは不適当
石原都知事のパフォーマンス
対話を重ねよ

などである。

その理由は通信社である「共同通信」から、社説まで配信されたものを載せているかららしいのだ。

~~引用ここから~~
ひとり井戸端会議
「社説」執筆者を公開せよ
http://blog.goo.ne.jp/milk-cookies_1983/e/cd0be8282fdc51b24a53e90f95684a54

 社説とは、新聞社がある問題等に関する見解を表明する場である。朝日新聞のホームページ、社説作成について、「論説委員は、それぞれ政治、経済、社会、国際、文化、科学、スポーツなどの分野で経験を積んだベテラン記者たちです。論説主幹を中心に毎日会議を開き、「今日は何の問題を取り上げるか」「どんな主張をするか」「だれが書くか」を決めています」とあるが、おおよその新聞社の社説はこのようにして書かれているものであろう。

 社説は各社によってその主張内容が大きく異なる。産経と朝日とではたとえば内閣総理大臣の靖国神社参拝をめぐっても、意見が180度違う。違いがあるのはよいことであるが、新聞社によっては、ほぼまるっきり同じ内容の社説が掲載されることがあるのだ。これは一体どういうことか。

 私は暇人ゆえに、ネットにおいて社説を公開している新聞社の社説は大体すべて目を通している。そこで気づいたことなのであるが、岐阜新聞の社説と茨城新聞の社説はタイトルから文面まで、ほぼそっくりそのままのときがしばしばあった。もし本当に朝日の言うように「論説主幹を中心に毎日会議を開き、「今日は何の問題を取り上げるか」「どんな主張をするか」「だれが書くか」を決めています」というのであれば、このようなことは起こらないはずだ。

 実際、地方紙の社説は全部が全部そうではないが、共同通信が社説を掛け持って書いているのである。読売、朝日、毎日、日経、産経の大手5紙以外(地方紙)は、社説以外にも記事の掲載や情報の提供の多くを、共同通信から受けている(大手5紙も例外ではないが、地方紙はその比率が大きい)。

 よって、社説=その新聞社の独自見解と考えると、とんだ間違いを犯すことになる。以前も、社説を朝日から盗用したとして、新潟日報論説委員が処分されたことがある。推測の域を出ないが、このようなことは氷山の一角であると思う。

 しかも一説によれば、共同通信が作成した社説は、同じテーマで2~3パターンあり、買う方は選べるようになっていることもあるのだという。しかし、このようなことを絶対に新聞社側は言わない。なぜなら、このようなことが明るみに出れば、「社説」の意味などなくなるし、読者の信用を損なうからだ。

 見方によっては、これは共同通信による世論操作であると言える。読者の側からすれば、社説を真剣に読んでいる人など決して多くはなかろうが、これによって自身のものごとに関する見方や考え方が形成され、変わっていくかもしれない。新聞社という巨大言論機関がこう言っているのだから、これが正しいのではないかと、信じてしまう人もいるだろう。

 小泉氏が首相時代に靖国参拝を繰り返し、このことを全国の新聞社は社説で一斉に非難した(産経、北國新聞を除く)。しかし、上記のような現実を知ると、これも共同通信という巨大なマスコミによる世論操作、そして見解統制であったということになるかもしれない。

 共同通信が社説を配信していることは、「論座」(朝日新聞社)2007年7月号、小林広「手記 私はなぜ社説を盗用したか」にも書いてある。小林広氏は、山梨日日新聞の記者であった人だ。小林はこの中で、「社説は委員長ひとりにすべて任され、県内のテーマを取り上げるとき以外は、社説・論説のための参考資料として共同通信社から配信される『資料版論説』をほとんどそのまま掲載していた。その場合、私がやるのは、行数調整のために言い回しを変える程度だった」と述べている。地方新聞社であれば、北海道新聞など発行部数100万部を超える全国紙と伍すような新聞社でもないかぎり、他の新聞社も社の規模はそれほど変わらないと思われるから、実態は同じようなものだろう。

 ということは、社説を、その新聞社の見解と嘯いておきながら、実は社説=共同通信の見解、ということに、やはりなりそうだ。今でも、地方紙の社説の論調を「世論」とみなし、国民の見解とする向きもあるようだが、そこに国民が不在なのは、もう言うまでもないだろう。

 そこで提案したい。社説を掲載する際に、執筆者名も同時に公表せよ、と。それによって見解の透明性を図り、こうした共同通信によるマスコミ支配を多くの人たちに認識させ、いかに社説が狭い範囲の世論(みたいなもの)しか反映していないかを、白日の下に晒すと同時に、執筆者名を掲載することによって、言論機関としての自社の見解に責任を自覚させるのである。
(略)

~~引用終わり~~

だとすれば、地方紙が一斉に売国社説を書きたてて、新聞社の多くがこの意見だ、などと言っても眉に唾をつけなくてはなるまい。その社説は共同通信から配信されたものに過ぎないかもしれないのだから。

引用したブログの通り、いまどき新聞の社説を読んでいる人は多くないだろうし(寧ろネット利用者に多いかもしれない)、さらにその社説がそのまま世論であるなどと考えている人はさらに少ないだろう。

しかしそれでも、新聞社が「世論」に与える影響力は大きい。政治的な問題に国民はあまり関心を持っていないし、専門的な知識がない場合が多い。その場合判断材料にはまず、新聞社という「権威」を頼ろうとするだろう。

そしてそれ以上に国民一人ひとりが意見を持っていたとしても、新聞社がスクラムを組んで報道すればそれが「世論」になってしまうからだ。普通の国民に意見を表明できる機会などない。新聞社の意見が「世論」として一人歩きしていき、政治家も「世論」に迎合し、その意見がマスコミで繰り返されれば世論は「多数派」に迎合し、本当の「世論」になっていく。

「嘘も100回言えば真実になる」の世界だ。

しかしこうしたからくりを知っていればマスコミが作り出した「多数意見」など恐るるに足りない。堂々と自分の意見を出せばいい。もちろん独りよがりにならないよう他人の意見に耳を傾けるのは当然だが、声のでかいマスコミに惑わされる必要はないのだ。


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