面白く、そして下らない

私は批判をして何かを為した気になっている大衆の一人に過ぎないが、何か少しでも波紋を起こす小石になれればと書いている。

新聞テレビは教養になるのだろうか

2019-04-02 21:49:13 | マスコミ
自分はマスコミが嫌いだ。「第4の権力」と呼ばれる自らの権力があるくせに権力の監視役を気取る。表現の自由や国民の知る権利を掲げればどんな無理も通ると考えている。それでいて「報道しない自由」で肝心なことは国民に隠す。

戦争を軍部以上に煽ったくせに、敗戦したとみるやGHQにすり寄り、その後は左翼思想に被れ、現在は新自由主義を主導する。

戦前の日本は全て悪。軍部は虐殺者で圧政者。部数を増やすためだけに戦争を煽ったことは頬かむりだ。

虫酸が走るのだ。その存在に。

だから本当は新聞は購読したくないし、テレビも見たくない。ブログで不買や不視聴を呼び掛けたいくらいだ。

だが現代ではマスコミ報道を全くシャットアウトしてしまっては世の中のことがわからない。全く関わらないことはできないのだ。

嫌い嫌いでは通らない。

しかし新聞はざっと読むこともあるが、それでも1日10分くらいだ。テレビは飯時に家族が見ていたら一緒に見る程度だ。

テレビを見なくなったので世の中のことはネットを介して知ることが多い。

新聞は朝日新聞を購読するわけにはいかないから仕方なく読売新聞にしているのだが、消費税増税、緊縮財政、大企業・富裕層優遇の主張ばかりで読んでいると苛々してくる。

昨日も日本の消費税(付加価値税)の税率は低いとプロパガンダ記事を書いていたので嫌気が差した。マスコミの詭弁を理解しよう。騙されないためにでも書いたが、外国では付加価値税は複数税率が当たり前で食料品はゼロだ。そのことに触れないのは消費税増税のためのプロパガンダと言われても仕方ないだろう。

米国のことは国税としては付加価値税はなく、州ごとに売り上げ税があると軽く触れていた。米国は付加価値税がないから景気が良いのにな。

だから一面は別にすると政治面と国際面くらいしか読むところがない。国際面は思想があまり入らないので安心して読める。それでも全部は読まないが。

テレビはテレビの前に座っていることが苦痛で仕方ないのだ。マスコミに虫酸が走る以前の話でとにかく退屈で仕方ない。

学校では友達ととりとめのない会話を数え切れないくらいしたが、誰しもそうだろうが、不思議と昨日のテレビの話はしなかった。今思えば不思議だ。共通の話題になりそうなものだが。

バラエティーでもドラマでもテレビの前に座っていられない。ワイドショーは偏向報道で見ていられない。飯時にストレートニュースだけならなんとか、だが。

だが自分は誰かと会話としたときに「この人詰まらない人だな」と思われたくない。会話のバリエーションに富んでいるわけではないが、話していて面白い人だと思われたい。

新聞、テレビは詰まらないが、それでも長く見ていれば話の種くらいにはなるのかもしれない。無意識下で新聞、テレビに影響を受けて話が面白い人になっているのかもしれない。

そうだとすれば我慢して一シーズン一つくらいは連続ドラマを見ないといけない。

ネットを巡回してまとめサイトを見ているのがまあ面白いのだが、「知らないこと知る」ということはあまりない。知識が増えるということはないだろう。

政治・経済のブログだとためになるものもあるのだが。

新聞を読んでも「教養」と呼べるほどのものは身につかないだろう。テレビならなおさらだ。「教養」を身につけたいなら一日一冊新書でも読めば良いのだ。だが、本も読めなくてなあ。テレビと違って詰まらないわけではないのだが。

現在クリエイター系の仕事に就いているわけではないし、将来もその予定はないのだが、何かを生み出すには大量にその元となるものを取り込まなくてはならない。

クリエイターにならなくても、たとえば今書いているブログでさえも話の元がなければ面白く書けない。

そのためには我慢して新聞を読み、我慢してテレビを見る方が良いだろうか。

ジャンル変更。

カテゴリー変更。

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