人生に後悔は付き物だ。私も後悔が山ほどある。その中でも今も後悔しているのが中2で部活を辞めたことだ。
普通の公立中学校だったが、部活はそれなりの強豪として名が売れていた。指導者が良かったのだろう。私自身それなりに上手くなった自覚もあった。
しかし本番では勝てなかった。あがり症で本番になると実力を発揮できないのだ。団体戦ではそんなこともなかったのだが。
大会で負けてぷっつりやる気の糸が切れてしまった。顧問の教師も部活の友人もそれなりに気を使ってくれたのだが、駄目だった。友達とは全国大会に行こうと約束していたのだが、その友達とも縁が切れてしまった。
それ以降勉強に力を入れたりしてみたのだが、上手くいったことは少ない。辞めないで続けていれば良かったのだろうか。
普通の公立中学校だったが、部活はそれなりの強豪として名が売れていた。指導者が良かったのだろう。私自身それなりに上手くなった自覚もあった。
しかし本番では勝てなかった。あがり症で本番になると実力を発揮できないのだ。団体戦ではそんなこともなかったのだが。
大会で負けてぷっつりやる気の糸が切れてしまった。顧問の教師も部活の友人もそれなりに気を使ってくれたのだが、駄目だった。友達とは全国大会に行こうと約束していたのだが、その友達とも縁が切れてしまった。
それ以降勉強に力を入れたりしてみたのだが、上手くいったことは少ない。辞めないで続けていれば良かったのだろうか。
しかしながら、それらを後悔し反芻思考し時間を浪費し夢にまででてくるときと言うのは決まって自分が困窮している時なのです。
貧すれば鈍すると言いますがまさにその通りです。
そのようなときは奮起しなくてはならない時であり布団に入ってくよくよする時ではないのです。
目的は何かを明確にし、自己の戦力と相手の戦力を自覚しその他の摩擦を考慮し手段を明らかにする。
それが作戦指導ではあると思います。
このなかで辛いのは、若さという物、過去の時間というのは取り返しがつかない喪失された物だという事です。
自己の戦力分析の際に出来ない事が増えていくのです。
こうなりたい自分があったとしてもそれに物理的になれないのは摂理であって徒に自分を責めるべきではないですし過去に恋い焦がれるべきではないです。それは今の自身の人生を棄損することと同義かと思うのです。
人間(自分)には出来ない事がある。
それは仕方が無いことで出来ることをやるのが現実の打開になるのかと。
失礼ながら後ろ向きの投稿が多かったの自己の考えを明示しました。
非難している訳ではないのでご理解を。
1日1回はブログを書くことを自分に課していますが、ネタが思いつかないと書くことに窮するわけです。大体調子が悪い日なのですが。
締め切り効果を使って書いていますので時間が足りなくなることもままあります。
後ろ向きの記事を書くよりは休んだ方が潔いのかもしれませんが。あまり読んで気持ちの良いものではないでしょうから。
どこからか救いの手が来ることはありませんから、一念発起して頑張るべきだとはわかってはいるのですが。