MSX研究所長の日常

80年代を駆け抜けたオールドパソコンMSXの研究の日々を綴ります。

2005年におけるMSXの話(1)

2005年02月03日 23時17分39秒 | MSX
MSX研究所・所員日記からの転載)

ふと気がつくともう2005年である。MSX・FANが休刊したのが1995年7月であったから、今年で10年になる。10年前の今は既に専門誌「MSX・FAN」(徳間書店インターメディア)の休刊が予告されており、ユーザー間でその後の情報交換の準備をしていた頃になる。もっとも、当時の自分は「郵便番号が7桁になる頃には何か違う趣味を持っているんだろうな」、なんて考えていたのであった。ちなみに7桁になるのは1997年2月と、これまた予告されていた。

それがどうか。今でもMSXで遊んでいるのである
その間にMSX電遊ランドがあったりMSXマガジンが出たり、いろんなことがあった。しみじみ。

しみじみしている場合ではなくて、よく考えればMSXの商業的な歴史は1983年~1992年の10年間である。いろんなカウントの仕方があるが、簡単に市販ソフトが出ていた時期としてみた(1993年にもMIGHTYバトルスキンパニックとかピンクソックス・マニア3とか出ているが)。この年にMマガも実質的な休刊となっている。その先のMSXの歴史は、93年から95年まではMSX・FANがあったとは言え、アスキーがMSX辞めてからの方が長いのだ。往生際の悪さもここまでくれば大したもんであるが、この10年のことを適当に思い出してみると

・Windows95が出た(MSX・FANが休刊した時にはまだWindows3.1だった)
・Windows98も出た
・Windows98SEも出た
・WindowsMeも出た
・Windows2000も出た
・WindowsXPまで出てしまった
・Longhornはまだかいな

うーん、こんなにあるぞ。凄いや!
という冗談はさておいて、一番変わったのは

・みんな携帯電話を持っている
・大抵の人がインターネットに常時接続している

というあたりであろうか。しかしお国破れてサンガリアといういう中国の故事にもある通り、変わらないこともある。

MSXの貧弱なスペック

はそのまんまなのである。10年前でも十分なくらいショボかったが、今ではもっとショボい。相対性理論というやつである(うそ)。
さて、このどうしようもなく低いスペックをどうするかの議論は10年前からあった。そして、今もありつづけている。

実はこの話、いままでの10年以上の間ずっと逃げてきたと言ってもいい。
かつてMSX本体を素人が作るなんて不可能だったので、実機に対しては主に外付けカートリッジによる拡張が行われていたのである。MEGA-SCSIはその代表例と言える。

MSX・FANが休刊した1995年頃にはPCによる今のようなMSXエミュレータが出てきたが、これも再生する側のスペックが不十分だったのでまだMSX1相当がやっと、MSX2はほとんどのソフトが動かない上、動いても遅くてやってられない、FM音源も鳴らない程度の再現度だった。この頃はまだfMSXという、Marat氏製作のソフトによって「ソフトの力でMSXが動かせる」ことがやっと話題になりつつあった頃である。

その後もいろんなエミュレータが製作されていき、PCの速度も増して行った。
かつて困難だったFM音源(OPLL)も[OK]氏の音源エミュレートによりほぼ完璧に鳴るようになった。
とにかく貧弱なスペックでも余すところなく再現する、実機そのものがエミュレートの目標だったんである。これは公式エミュレータにしてもその他の自主製作のものにしても同じである。ただ、公式以外の(多くの場合、海外の)エミュレータはニーズの関係上からかBASICで組まれたソフト、特に拡張BASICや漢字BASICを使ったソフトがほとんど動かなかった。公式はそのへんを考慮してるので、比較的よく動く。

ともかく、MSXマガジン永久保存版2号が出てturboRに対応するまでは、実機を目標に考えていれば良かったのである。
その先が問題なのであった。

(つづく)