MSX研究所長の日常

80年代を駆け抜けたオールドパソコンMSXの研究の日々を綴ります。

MSXturboRを発送しようとしたら

2005年07月05日 23時35分57秒 | PC全般
手持ちの余ったMSXturboR(FS-A1GT)を里子に出すことになり、元箱に入れて宅配便で発送しようと持っていきました。そうしたら

「ウチじゃパソコンは扱えません、パソコン宅○便ってサービスにお願いしてください」

と店のオバチャンに言われてしまいました。なんと店からはは出せず、電話して自宅まで取りに来て貰わないといけないそうです。「これってワープロみたいなもんなんですが」と自虐史観的な懐柔を試みるも、他の店員(若い男)も同じことを言ってくる。仕方がないから暑い中抱えてまた持って帰りました。

で、調べてみましたよ「パソコン宅○便」とやらを。コレってどう見ても裸のパソコンを梱包してくれるサービスではないのですか?箱に入ってるものはまた出して梱包し直しですか?貴重な(でもないか)GTの元箱はどうするんですかね?

最近のコンビニの店員は質が落ちまくっていて、宅配便の手続きも一回10分近くかかることがザラにあります。慣れないうちにどしどし辞めて、新しいのが入ってきているのでしょうか。年はそれなりでも実は新入り、というのがもうそこらじゅうにいるのできっと連中も分かっていないに違いありません。

仕方がないので汗をかきつつ別のコンビニに行って再度発送を試みます。パソコンという言葉を避けるために電子機器と書いたところ「もっと具体的に」と店のオネエチャンに迫られました。仕方がないのでカッコ書きで「ワープロ」と書きました。ようやく相手も納得してくれた様子でしたが、MSXユーザーとしてこれほどの辱めを受けたことはありません(言い過ぎ)。

ち、ちくしょう!MSXはワープロじゃないやい(ROMには積んでるけど)!でもこうしないと送ってもらえないんだ、先生を許しておくれ・・・。というわけでこの画像は敗北の証拠です。

意味のないプライドで要らぬ苦労をしたお話でした。みんなもMSXを送る時は気をつけようネ!

コンピュータと日本人(2)

2005年06月03日 01時53分34秒 | PC全般
前回はコチラ

さて第2回。前回での結論は、コンピュータというものが一般生活において無縁だったころ(35年くらい前)は、「神秘的」「正確」「非人間的」といった感覚で捉えられていた、ということでした。

では現在はどうか?と考えてみます。ぶっちゃけて言うとWindowsを対象とします。さらに「物心つく頃から」という言葉がありますが、物心つく頃に既にWindows(95以降)があった世代というのが既に存在するわけです。「物心つく頃」には明確な定義はありませんが、とりあえず5歳前後とすると、もう中学生~高校生くらいの子にとってコンピュータ=パソコン=Windowsマシン、なわけです。

Windowsは率直に言って使う人の言うことを聞いてくれません。最近ではマシになったものの、いきなり止まったりして作っていたデータがパー、などは誰しも経験していると思います。昔のコンピュータでも勿論ありましたが、まあ単純だったので自分の操作ミスかソフトのバグである、と納得できました。

そりゃWindowsでもいきなり止まったりするのには何がしかの理由があるはずです。あるんでしょうが、誰の責任なのかは分からなくなっています。それは好ましくはありませんが、誰かの悪意によって引き起こされているわけではありません。タチの悪いところなのですが。

昔の何千倍もの性能のコンピュータが安くなったのはいろんなメーカーから出ているおかけで大きく普及しましたし、Windowsの操作はおおむね共通なので何とかなります。僕らはその恩恵を大いに受けています。

しかし、たまに(場合によっては頻繁に)止まってしまうのは、分かっていてもやっぱり困ります。安く広く普及した代わりに、何となく不安定なわけです。そういう意味では極めて「不正確」で「人間的」であります。なぜかここへきて35年前と正反対の評価となってしまいました。

僕らオジンにとっては、「昔よりソフトの規模が増してるからね」「昔のシングルタスクと違ってマルチだからいろんなソフトが同時に走ってるからね」「昔の一つのメーカーが責任持ってたマシンと違ってチップセットとかピンキリあるもんね」など、色々と納得できていると思います。んが、さっきの中高生にとっては何となく不安定で、時に不正確、というある意味大変「人間的」なものがコンピュータである、と思っているんではなかろうか、と私は思ったわけです。

いや、中高生に限らず、ここ数年でパソコンを使いだしたウチの家族にとってもそうなんではないだろうかと思い始めたのです。一応家族で一番パソコンに詳しいのは私なので、無料コンサルタント兼サポートデスクとして無償の活躍(涙)を期待され、彼らの環境に対してはそれなりに安定するための努力を払っています。払っていますが、やはり止まったり予想外の挙動をしたりするわけです。その時決まって「なんで止まっちゃうの?」とか聞かれるのです。しかし、これに正確に答えることはできないのです。一応「昔より規模が大きいから」とかの回答はありえますが、そんなことは現実問題として意味がないのです。みんなの本当の質問は「どうすれば止まらないの?」です。そして、その答えはどこにもない、ということはここを読んでいるような皆さんなら御存知の通りです。

これは、物凄く危ないことなのではないでしょうか。

ウチの父母や妹ならそれなりの年齢なのでとりあえずごまかしてもさほどの問題にはなりませんが、仮に10歳くらいの子供に真剣に聞かれたとしても、何の答えも持てないのです。性教育に関わることなら「コウノトリさんが運んでくるのよ」と言って数年間の時間を稼ぐ、というのが古くからの定番です。そして、時期を見て正しい教育をするわけです。ありがとうコウノトリさん。

しかし、パソコンに関してはこれだけ世間に浸透し、かつ就職や仕事の上では使わざるを得ないものなのに、何の回答も解決策もないのです。仮にコウノトリさんに相当する何かがあって時間が稼げたとして、その後の教育をする機会はありません。私はまだ人の親ではありませんが、世間のお父さんお母さんはこのへんをどのように処理しているのでしょうか。なぜかこの点について新聞などで話題になったというのを聞いたことはありません。

「ねーねー、おとーさーん。私のせっかく描いた絵があるのにパソコンが止まっちゃったよー。なんとかしてー」と嘆き悲しむ子供たちに対して、「諦めなさい」とか「今度はマメに保存しようね」としか言えないお父さん。さらにお母さん泣きつく子供に対して追い打ちをかげるように「そういうもんなのよッ」とか「総理大臣が決めたのよッ」とか、テキトーなことを言っているんではないか、と心配になります。理不尽な仕打ちに傷ついた子供が非行に走っているやも知れません。考えすぎでしょうか。


というわけで、何かこれに対する解決策を考えていきたいと思います。まだ思いついてません。ここでMSXを切り出すつもりは毛頭ありませんが、コンピュータの原理を学ぶ機会はどっかで必要であるとは思います。もっとも、現実の問題解決には全く結びつかないですね。うーん、どうしよう。

コンピュータと日本人(1)

2005年04月01日 22時54分00秒 | PC全般
仕事柄か、最近コンピュータと人との関わりを考える事が多くなりました。私が最初に触ったパソコンはNECのPC-8001です。発売されたのは1979年の9月ですから、もう25年も前の事になります。当時の定価が16万8千円、これをウチの父親が発売の月にNECの直営店で13万8千円で買った領収書が今も実家に残っています。当時の大学卒の初任給が9万円ですから、今で言えばざっと30万といったところでしょうか。

仕事にも使えない物に対して30万は今の私でもおいそれとは出せませんが、PC-8001は生産が追いつかないほどの大ヒットとなり、2年間で12万台以上を売ったと言われます。

…ということはこれまで数限りなく言われたきたことではありますが、PC-8001のヒットに至る以前、普通の人はどれくらいコンピュータというものを知っていたのか?というのはあまり研究されていない、ような気がします。


で、私がいろいろ調べた感じではどうもPC-8001の10年前、1969年前後にはもう「コンピュータ」という言葉そのものは一般的になっていたようなのです。まだあくまで仮説ですが、分かりやすいところをご紹介しましょう。


1.「男はつらいよ」

御存知日本映画の代表選手、いきなりコンピュータとは縁のなさそうなタイトルですが、実はあるのです。それも映画の第一作「男はつらいよ」(1969年)にその片鱗が見えています。近所のビデオ屋には3作目からしかなく実物では未確認なのですが、ちくま文庫から出ているシナリオにこのような一節があります。映画の序盤、ひょっこり帰ってきた寅さん(渥美清)が妹のさくら(倍賞千恵子)の仕事について近所のおばちゃんから

「オリエンタル電機でキーパンチャーをやっているんだよ」

と聞くシーンがあります(※高井研一郎・画の漫画版では受付嬢になっています)。キーパンチャーというのはまだキーボードが一般的でなかった頃、コンピュータへデータを入力するためのパンチカードに穴を空ける仕事でして、当時女性の憧れの職業だったそうです。さくらはやくざ者のような兄貴に対して出来の良い妹、という設定であり、キーパンチャーは香具師の正反対に位置づけられています。本作の中でキーパンチャーというのはここのセリフ一言にしかありませんから、コンピュータというものを見たことがない人にとっても知的な職業として知られていたと言えます。


2.「あしたのジョー」

これまた御存知マンガの代表作。高森朝雄・作、ちばてつや・画。「週間少年マガジン」に1968~73年に渡って連載されました。時期は「男はつらいよ」の初期とほぼ同じでして、何度か「コンピュータ」という言葉が出てきます。大抵はジョーや丹下のおっちゃんが相手のボクサーの評判を語る際に出てくるもので、冷徹/正確な相手に対して「コンピュータつきファイティング・マシーン」などと使われています。野性的と称される主人公ジョーと正反対、あるいは非人間的なものとして「コンピュータ」が使われているのが印象的です。

特によく出てきたのは最後に戦うホセ・メンドーサに対してですが、もう一つ興味深い表現があって「(コンピュータは)衝撃に弱い」「衝撃を与えるとたちまちくるいだす」というセリフがあります。個人向けのパソコンが出る10年近く前にこのような知識はほぼ一般化していたわけです。

「あしたのジョー」を読んだことの無い人向けに説明すると、このセリフをしゃべるジョーは元は浮浪者同然だったし、丹下のおっちゃんも落ちぶれてドヤ街に流れてきたボクサーくずれなワケです。その二人がこのくらいのことを喋っていて不自然は無かった、というのはよくよく考えると驚きです。


さて、ここらへんが日本人が漠然と捕らえていたコンピュータというものとしましょう。
それは正確で冷静で神秘的、かつ非人間的。それに仕える人は知的労働者。しかし、衝撃に弱い(笑)。

次回、35年後…すなわち今のコンピュータはどんなものか改めて考えてみます。
(とか言って他のテーマが進んでませんね、ごめんなさい)

「ケンガイ」問題(1)…サイトの無断紹介は問題か?

2005年03月05日 13時44分28秒 | PC全般
一部で問題視されている「ケンガイ」の姿勢についてツラツラと考えています。
事の発端は芸文社の雑誌「ケンガイ」2005年3月号に「ケンガイ版こんにちはパソコン」として掲載された各種オールドPCの特集記事です。この記事に対して

1.記事の内容にインターネット上のファンサイトからの盗用があるのではないか。
2.スクリーンショットや写真はネット上のものを集めて来たのではないか。
3.サイト紹介が管理者に無断で行われた。

などを問題として問う声を聞くことがありました。

今回の事件の要素は複数入り交じっていて簡単には捕らえられません。しかし最後の「サイトを無断で紹介されたこと」については、問題視するのはおかしいと思っております。聞くところによると、これまで雑誌に掲載されるような場合は事前に管理者に対して問い合わせや確認が入るのが慣例であったようですが、だからと言って必ず必要か?となるとおそらくNOと言わざるを得ません。

このことはこのblogの親サイト「MSX研究所」の存在意義にも関わってくる非常に重要なことです。著作権に関する論争、特にネット上のそれは根拠に乏しいものが多いのであまりしたくないのですが、「公開された著作物」は商用か非商用かは関係なく「紹介や批評のための引用」はOKとされています。もっとも著作権法の文章は「公正な慣行に合致するものであり」という不明確な枠があるので解釈の問題が生じますが、今現在ネット上で自由に読めるようにしているサイトは公開されていると考えるべきですし、それを紹介されることは、例えそれが商用であっても、無断であっても、アングラ系やHな本だとしても、拒むことはできないと私は思います。内容のパクリはまずいですが、今回の「ケンガイ」でのような「紹介」の仕方(サイト名、URL、トップページの小さいスクリーンショット、短い解説)であれば「無断転載」とは言えず、十分に許容されるべき範囲でしょう。

私だって、そりゃあ自分のサイトがアングラ本に勝手に紹介されるような事があったらイヤに決まってますが、ウソや悪意を持って書かれない限りは許容しなくてはいけない、と考えます。それを否定するなら、例えばゲームレビューなどは著作権元のメーカーにお伺いを立てない限り書いてはいけなくなってしまうからです。このことは言論の自由(という言葉も変な解釈が多すぎるので書きたくないのですが)の根幹に関わる重要なことです。サイトは非商用で雑誌は商用だから、という理屈は何の意味も持ちません。

かつてMSXのアマチュア界ではそういう「仁義」みたいなものがかなり徹底していた世界でした。具体的にはインターネットが一般化する1997~98年頃より以前の話になりますが、アマチュア雑誌におけるゲームレビューや紹介はほぼ必ず製作元に問い合わせてから、という慣例がキッチリ守られていました。しかしその副作用としてインターネット上にはその種の記事がほとんど存在しません。私はMSXのアマチュアソフトが好きなので現物は手元に多く残っていますが、紹介の前に製作元の許可を取るとなれば、連絡先が不明なものが多いため、もうレビューの公開は絶望的です。作り手にとって昔の作品を蒸し返されるのは好まれないことも多々ありますが、誰かが価値を感じたものが忘れ去られることを防ぐという意味でも、紹介や批評は自由でなくてはいけません。

もちろん、相手が望むことを汲み取ってそれを反映させることは決してマイナスにはならないので、雑誌社などは可能な限り実行すべきでしょう。そうしてよい関係を作っていくことで新たに得られることもあると思います。ただ、この「ケンガイ」問題に限らず紹介に対して不快感を示している人たち(作者以外の人が言っている場合もある)は、権利の範囲を自分に都合よく解釈しているんではないかしら、と思うことがたびたびあるのでまとめてみました。

関連して、スクリーンショットの話について次に書きたいと思います。

すがやさんがPC-8001を買わなかった訳

2005年02月01日 12時48分18秒 | PC全般
すがやみつるのネット人生(第2回)

MSXユーザー的には「漫画家」と言った方が手っとり早い、すがやみつるさんのblogにあった記事を見て多少懐かしく思いました。といってもMSX発売以前の話になりますが。

>ところが顔なじみになっていた店員の説明によると、発売されたての「PC-8001」にはバグがあり、画面の端の文字が欠けたりするという。さらにコードで接続したカセットテレコを使って、プログラムをセーブしたり、ロードしたりするのにもコツが必要で、初心者にはすすめられないという。

NECが1979年に発売したPC-8001のBASICの初期バージョンは右端が欠ける、これは非常に有名であったバグですが、インターネット上ではこのことに触れたテキストは探してもほとんど出てきません。貴重な証言と言えましょう。

さて具体的にはPC-8001に搭載(内蔵)されたN-BASICのver1.0にあったのがこのバグでして、BASICで枚行ごとにリターンキー(WindowsならEnterキー)を押して入力したプログラムを確定したつもりでも、再度読み込むと画面右端の文字がなくなっている…というものです。対処療法として知られていたのが、一度確定した後再度その行に戻ってもう一度リターンキーを押すという「二度押し」でありました。

後にこのバグの解消されたN-BASICver1.1になるのですが、当時は書き換え不能なROMチップに書き込まれていたために本体を開けてROMを交換しなくてはなりません。そのキットの価格は5000円でした(今なら1万円くらい)。昔はそんなもんだと思ってましたが、25年前はバグ修正版であっても金取って売ってたんですね。今でも実家に保管してありますが、ROMの入った紙箱と交換用のマニュアルがビニール袋に入っただけの簡素なものでした。

とここまで書きましたが、実はPC-8001を買ったのは父親なので右端が欠けたことやROM交換そのものに関する記憶は薄く、N-BASICの差し替えられた旧版のROMを珍しく眺めていたことのほうが思い出されます。

あと面白いのがここ。

>しかも、数字を書き写してプログラムを完了させると、スピーカーからはベートーベンの「歓びの歌」のメロディが流れ、画面には「ゼイムショ デノ ケントウ ヲ イノリマス!」というメッセージが、半角カナ文字で表示されるのだ。当時のパソコンでは、漢字の表示など夢のまた夢だった。

すがやさんは結局MZ-80Kを買いますが、どうやら初心者であっても音楽が鳴らせたようです(PLAY文かなあ)。対して、見逃したPC-8001はビープ音しか出ませんでした。BEEP命令で出る「ピー」という音です。この他に鳴りっぱなしにする「BEEP 1」と止める「BEEP 0」というのがあり、「BEEP1:BEEP0」とすることで「カッ」という音、また「カッ」をFOR~NEXT文でループさせることで「ビー」と鳴らすというPC-8001ローカルのテクニックがありました。さらなるテクニック?として、「FOR I=0 TO 100:BEEP 1::::::::::BEEP 0:NEXT I」のように、「:」を入れる数でウエイトを変化させてブザー音に変化をつけていた人もいました。高橋はるみさんがよくやってましたね。

ここまでセコいことをしても、PC-8001は音程を変えることはBASICからできませんでしたし、何より音量すら変えられない(音量固定、スピーカは本体に内蔵!)ので夜中などはウカツに鳴らせませんでした。当時のPC-8001のゲームには「イマハ ヨル デスカ(Y/N)?」という変な選択肢がよく冒頭で出てきましたが、これは「音を出なくする」という意味のものです。こういうのはエミュレータでいくら使っても理解の及ばない範囲なので、証言を集めておくのも意味があるのかも、と思っています。

ちなみに、「漢字の表示など夢のまた夢」とありますが、MZ-80KもPC-8001もカタカナしか出ませんでした。カナしか出ないことが当然だった当時は、ひらがなを出すのも夢だったのです。


PC-8001は日本初のパーソナルコンピュータと言われます。カタログ上のスペックはZ80の4MHz、とMSXと同等のように見えますが、BASICが非常に遅かった。それにグラフィックが非常に扱いづらかったのでMSXがうらやましかったですねえ。最初に手に入れたのはMSX2+ですが、高速なBASICと豊かな表現力に舌を巻いたものです。